2006/07/18
犬の散歩、それは恐ろしい体験
公園に行くと犬連れの人が目立つ。犬を飼うというくらいだから、連れて歩いている人は皆犬好きなんだろう、などと愚にもつかぬ事を思う。
犬好きは、公園の散歩などで、お互いに犬好きであることがわかる。猫好きの場合はそういうわけにはいかない。自ら「私は猫が好きです」、と宣言をしなければ、互いに知るよしもない。だからといって、そんな宣言をする人もいない。
一度だけだが、家で飼っている猫を公園散歩レビューさせようと思ったことがある。冗談ではなく真面目にそう思った。そして猫の散歩用の紐(ちゃんと売っている)を買ってきた。でも試みる以前に、しばらく猫と過ごし、それは叶わぬ夢であると思った。
でも今では、猫が犬の様に散歩をしなくても良いことが何よりも嬉しい。猫との生活は、必要以上に干渉しないこと。干渉せずとも、見ているだけで、側にいるだけで楽しい。
一度友人宅に行ったとき、その家で飼っている犬の散歩を頼まれた。何で僕がと思ったが、夫妻はそろって用事があるという。お互いに気心が知れた仲だし、別に頼まれたことで嫌な気分になることもない。外では黒くて大きな犬が、「キャンキャン」と散歩に連れて行けと吠え続けている。聞けばここ2・3日散歩をしていないらしい。
「ストレスが溜まっているんだなぁ」、などと友人が他人事のように言う。
「おいおい、それを僕に連れ出せと言うのか」、少しだけ怖じ気づき僕は言う。
友人はにやにやと笑っている。その顔で僕は苦笑し、なんて奴だと友人を見る。
一応歩くコースを教えてもらったが、見知らぬ土地で具体的に言われても、言われた方が困る。まぁ犬が帰り道くらい覚えているだろうと高を括る。僕はその時まで一度も「犬の散歩」なるものを経験したことがない。公園などで見かける姿は結構優雅である。しかしこの犬は凄かった。今までの僕の犬の概念が根底から覆されたのである。
犬の散歩があれほど力を必要とするとは知らなかった。おそらく犬にとっては見知らぬ人間、つまり僕などは初めから眼中になかったのだろう。静止の言葉も聞かず、逆に俺に続けとばかりに、僕を引っ張り、自分の行動を譲らない。これじゃあ犬の散歩か僕の散歩か区別が付かない。しかも友人宅からどんどんと離れていく。そんな時、不意に犬は立ち止まり、
鼻を地面にこすり臭いを嗅ぎ始めた。そしてその後の小便。そしてまた僕を引っ張り歩き始める。そして止まり臭いを嗅ぎ小便。その組み合わせを5回以上は繰り返したと思う。僕はただ呆れるばかりである。
まずは、よくもまぁこんなに小便が出るものだという驚き。この犬は必要な時に小便を出す特技でも会得しているのだろうか。もしくは出すと止るを自分の意志でコントロールできるのだろうか。それともこれが犬の特性なのかもしれない。もしそうだったらこいつは凄い。
犬の行動は、多分、自分の縄張りを小便で宣言していると思う。しかし公園での見かける犬の散歩で、同じ仕草を見かけたことがなかった。
逆に動物として縄張りを宣言するのは必要なことなのかもしれない、などとあらためて僕の前で臭いを嗅いでいる犬を見てそう思う。そうすると今まで僕が公園で見てきた犬たちは、あれは一体なんだったのだろう。見知らぬ土地で、犬に引っ張られ、どんどんと友人宅から離れ、しかもあたりは夕闇が近づいている。そんな中で僕は、そんなことくらいしか考えられないほど、この犬の従者になりつつあった。
この話の結末はどうなったのか。それはありきたりの話だが、友人がいつまでも戻らぬ僕等を気にして、犬が行きそうな場所に来てくれて僕は解放される。
二度と犬と散歩はしたくない・・・
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