2007/02/21

駒沢公園の樹木伐採に関するメモ

昨年の夏頃と思うが、駒沢公園の樹木が管理事務所によって一斉に伐採された。公園は都立であるので、伐採には都の認可が必要なのだから、それは都庁の何処かの部署が決済したのは間違いない。伐採の事前公告もなかったように思える。

それはいきなりに開始され、数日間続いた。問題なのは、その伐採の仕方であった。無造作に、一定の高さ以上の樹木は、無論、特定の区域だけだが、何も考慮されず切り落とされたのである。多くの樹木は根からの養分だけでなく、初夏の場合、葉からも自らの成長に必要な養分を取り込むはずである。だから、素人が考えても、樹木のどこをどの様に伐採するのかは、ある程度の専門知識が必要だと僕は思っていた。でも一度だけ、作業中の横を通っただけだが、ちらりと見たその作業内容は、チェーンソーでなぎ切っているとしか見えなかった。

公園の中で、特に知られている刈り込みは、「大刈り込み」と命名され、大きく立体的にふくらむ優美な姿を見せていたし、説明看板まで近くにあったというのに、今ではその看板も取り外され(た様に思える)、ただ無惨に刈り取られた樹木が裸木の集団となってそこにあるだけとなった。

しかし、刈り取られた結果、露わになったものもあった。そこかしこに青いシート屋根が目立つようになった。公園内の長期滞在者と言うべき人たちの家の屋根である。もちろん、公園の近くに住んで、度々にここに遊びに来る人にとって、それは周知のことだった。でもこうして露骨に見えると、こんなにも多かったのかと初めは少し驚いた。こうも青いシート屋根が見えると、この無造作な伐採、つまりは樹木の生命の強さを勝手に信じ伐採した行為自体が、これらの人々への嫌がらせではないかと思ってしまうほどだった。

そう思った理由は、その方々が住んでいない場所の樹木の伐採が行われていないこと、偶然かも知れないが、そういう風に見える状態に気が付いたこともある。正直に言えば、僕は彼らが樹木の伐採で受けた精神的圧迫に対し同情心も起こらないし、それを行った行政側に憤りを持つこともない。ただ、僕が思っているのが事実であるとすれば、無惨なのは樹木だとは思う。

本来、青いシートの屋根の人たちと、例えて言えば六本木ヒルズの高見に住む人たちは、中産階級の役人たちから見れば、シーソーの両極端に坐る事で似ているように思えるものだ。例えは悪いが、昔から貴族と浮浪者は放蕩者と相場が決まっていた。貴族はギロチンにかけられ、浮浪者はムチで追い払われる。現在でもその状況は変わらない。それは新聞の見出し、それは中産階級者のストレスを発散させるための道具としてのメディア、を見れば一目瞭然だと思う。ヒルズの住民のどうしようもない裁判に注目し、知らぬ間に都市再開発の風が街の有様を変えていく。そこで両者の行き場が、我ら中産階級の中へと取り込まれる。

ただ樹木伐採の後も、青いシート屋根は以前と同じ状態で、そのままそこにある。現状では、他に行きようがないのであるから、そしてこの場所での生活に馴染んでいることもあり、伐採自体が彼らにとって何の効果もなかったのは事実だろう。

今年の春から夏にかけて、切り取られた樹木は、人の営みに関係なく、たくましい命を僕に見せてくれるのであろうか。そうであって欲しいと願う。

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