2007/02/03

Phllips Glassの音楽 「Einstein on the Beach」の「knee1」

フィリップス・グラスの音楽の情報量の多さに僕は耐えられなくなる。 それはひとつの拷問に近い状況に一瞬陥る。でも聴かずにはいられない。例えば「Einstein on the Beach」の 「knee1」、これはもう僕の感性では音楽と認められない。僕の思考がネット上を駆け回り、その際に様々な思考、それも数十億規模の思考が僕の中に入り込み、それらの情報を処理せずにはいられない状況、理由不明にも関わらず突然の焦燥、処理しきれず勝手に動き回る手足、制御できない思考のうねりの中で、僕はただもがき続ける。それから逃れるにはストップボタンを押せばよい。でもそれが出来ない。

思考上の言語ゲームの中で革新的な人はいる、僕はそれに理解を示し受け入れることが出来る。表象のゲームの中で衝撃的な視覚現象を創造する人もいる。でもいずれそれも慣れる。思考することと見ること、それは同じ線分上にあるのかもしれない。強度はいずれ、さらなる強さを持つ何かによって変わられると思うのだ。でも聴くこと、それに僕は慣れない。

グラスの反復は、単なる繰り返しではない。無限に繰り返されるように思えるフレーズも、一番目と二番目、さらには三番目・四番目・・・・とは違って聞こえるのである。音符という記号の組み合わせは同じだろう、でも僕の耳には違って聞こえる。突然に、ドゥルーズの
「反復とは差異」の言葉を思い出す。そうかも知れぬ。グラスの音楽の中で、僕は何かが閃く。そうなのだ、時折グラスの反復は、僕の思考の波長と同調し、そこから何かが訪れる。その何かを期待して僕は彼の音楽を聴き続ける。

0 件のコメント: