2007/02/05
Tokyo Tower、その陰影
東京タワーを撮りに行く。一年に数回、無性に東京タワーを間近で観たくなる。そして、その欲望が発生する季節は何故か冬に偏る。着いた時間は、既に中には入れない時間で、駐車場にも車は数台しかみえない。数組のカップルがベンチで寄り添うように座り、じっとタワーを見上げている。寒い、東京タワーは吹きさらしの高台に建っているせいか、風が強い。カメラを持つ手が凍える。
何回か通っていても、思い通りの東京タワーが撮れたことは一度もない。じっとタワーを見上げると、そこには見慣れたいつもの姿が照明を浴びてたっている。見上げ続けながら、僕は周辺を歩き回る。
僕はどうやら遠景の東京タワーの姿が嫌いと言うほどではないが好みじゃないらしい。遠見に見える東京タワーは、上空に昇ろうとする意志を現す曲線、そしてオレンジと白に輝くロマン的な姿、それらが強調されすぎる。その姿は東京タワーの本質を見失ってしまう様に思える。
東京タワーの本質? それは相対化が一般的な状況では、それこそ、それぞれの思いの中で相殺されてしまう。でも多くの映画、TVドラマ、もしくは写真などで表象されるその姿は、概ね一つに固定化しているかのようだ。そしてそれが遠景のタワーの姿である。そして、僕はその姿に抗う気持ちが強いのである。
反作用としての東京タワーという意識からの見方ではない。もともと鉄筋を組み立てて造られているのは事実である。タワーの直下で見上げると、その様が手に取るようにわかる。そんなに美しいモノではない。そう思う。
では何故、僕は東京タワーを見に行くのか。おそらくその質問が逆に僕をこの場に向かわせているのである。約一年前に東京タワーについて書いた記事がある。今回読み返してみて、イメージが変わっていないことに少し驚く。逆に言えば、前段の質問から僕は止まったままでもある。さらに今は質問が一つ増えている。何故現在において、映画・TVなどで東京タワーのイメージの固定化が行われているのだろうかと。
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