2007/12/10

「GUNSLINGER GIRL」という誘惑

「GUNSLINGER GIRL」(作者:相田 裕 メディアワークス月刊誌「電撃大王」連載中 単行本は現在9巻目まで発売)を単行本で読んだ。一気に読んだが、一気に読ませるものが何であるのかが気になった。これといった納得するだけの回答を持っているわけではないが、現時点での感想をメモとして残す。
舞台は現代(もしくは近未来)のヨーロッパ。イタリアの公益法人「社会福祉公社」は、政府の汚い仕事を代わりに行っている。その中でも作戦2課では現在表向きは障害を抱えた子供達を引き取って福祉事業に従事させることで社会参加の機会を与える、という身障者支援事業を推進する組織ということになっているが、実際は集めた子供達を「義体」と呼ばれる強力な身体能力を持つ肉体に改造し、薬物による洗脳を施した上で、政府の非合法活動に従事させている。
(Wikipedia 「GUNSLINGER GIRL 」から引用)
「GUNSLINGER GIRL」は闘う美少女という萌系にも関わらず、そこにとどまってもいない。それゆえに印象的な漫画になりえているとおもうのであるが、だからといって萌から逸脱した要素が何であるかは別に気にする必要もない。萌要素といっても、それらは日々萌市場の中で書き換えられ、もしくは拡張されているから、現時点での逸脱要素は明日には適正となりえるからだ。「GUNSLINGER GIRL」の逸脱要素が何であれ、この漫画が市場に受け入れられ、他の漫画もしくは別メディアに二次創作として展開されている現状を思えば、おそらくそれらは許容範囲内にあるのは間違いない。

「GUNSLINGER GIRL」は映画「ロボコップ」の少女版でもある。しかし「ロボコップ」と同様の問題を提示しているわけではない。ロボコップは人間性とは何かという問いかけがあり、その問いかけに「記憶」が、特に社会とのとしての家族の「記憶」が、重要な要素として映画では前面に出ていた。無論「GUNSLINGER GIRL」にも同様の設定は含まれているが、それは無視できるほど極めて薄い。設定では「条件付け」という薬と催眠術による強い洗脳が彼女たちにさまざまな疑問を持たせないように見受けられるが、いわば彼女たちは、漫画の中である担当官が語ったように「亡霊」に近い。

彼女たちにとって重要なことは、彼女たちひとりひとりに付く専属担当官の対応とその評価である。彼女たちは自分が「義体」であり、特殊な身体を持っていることを承知している。そしてその身体が専属担当官の要望を満足する為にあること、その要望を満足するには強力な戦闘能力にあることを意識し、戦闘能力が損なわれることを恐れる。しかし戦闘の度に彼女たちは傷つき、体を補修する毎に彼女たちの寿命は短くなる。いわば価値の保持は存在自体の危うさの増加に繋がる。

まず彼女たちは男性である担当官に選ばれるところから始まる。そこで彼女たちは担当官の意見を元に改造される。彼女たちは薬物を利用しての強い洗脳を受け、専属担当官にまるでメイドの様につくす。いうなれば「GUNSLINGER GIRL」の世界観の中心にあるのは「市場主義的な資本主義」そのものである。「義体」とは何か。それは価値が失われるまで消費され続ける一個の商品そのものといえる。開発当初の「義体」の寿命が5年くらいの設定は、ひとつの商品の寿命として考えられないこともない。そして消費しつくされるまで。彼女たちの身体が手足眼を含め多くの部分が交換可能なように、一個の機械として維持し管理されるのである。

では何の商品なのだろう。それは彼女の役割が象徴的に示している。それは国家内に向けられた「安全保障(セキュリティ)」と「社会保障(生命)」である。彼女は国家内のセキュリティシステムの一環として存在している。サイボーグ技術と洗脳と言う、おそらくは今後一般的に使われるであろう医療技術を設定の根本におきながら、「GUNSLINGER GIRL」は現在の社会システムにきわめて親和性が高いように思える。セキュリティの為に幾重にも張り巡らされる自由への干渉、それを「GUNSLINGER GIRL」における彼女たちが先端的に表彰しているように思えるからだ。

彼女たちの強い関心は自分たちの担当官に大して向けられる。親子ほどの年齢差がある担当官は何故か全員男性でもある。父親に対する愛憎が彼女たちの欲望のすべてでもある。それはエディプスコンプレックスの裏返しともいえないことはない。ただし担当官は、彼女たちの自分たちへの思いを知ってはいるが、それが「条件付け」の結果であることも認識している。唯一、「義体」セカンドタイプの少女が、自らの感情が「条件付け」から来ていないことを意識し、担当官に愛を告げる。その顛末は現段階では明らかにされてはいないが、上記の流れから考えれば、その愛は悲劇的な結末を迎えるに違いない。

僕はここまで表層的な物語のあらすじを書いている。実を言えばそれ以上の感想は持ってはいない。漫画は漫画であり、それ以上もそれ以下ではない。たたこの漫画の面白さがどこにあるのか、なぜこの漫画に共感を感じるのか、それが僕が男性として持っている欲望からきているのか、この少女たちの姿に現代における自分を重ねてみているのか、どちらかわからない。ただしばらくは注視したい漫画であることには変りはない。

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