僕は「翻訳について」以下の五つの条件をあげようと思う。「条件」を示す場合、「何の」という目的が必要と思われるが、必ずしも同一目的下でまとめられてはいない。「翻訳について」という命題に思いつくまま羅列したに過ぎないと思う。でも強いて言えば、「翻訳とは一つの形式」というベンヤミンの言葉、そして翻訳の政治的側面からの視点が羅列の背景にあると意識はしている。
- 翻訳の原本(翻訳される側)は文書であること。つまり書かれている言葉である。そして、翻訳本は原本の前に現れることは決してない。
- 原本は現時点における共時性をもった書かれた言葉ではなく、かつその書かれた言葉の意味が判読難しい状況にある。
- 原本は翻訳本となるラングとは別のラングで書かれている。さらに原本の文体は翻訳の文体を保証するものではない。
- 翻訳する理由、もしくは市場性がある。また市場の大小および対象は翻訳の技術面に影響を与える。
- 翻訳とは受容ではなく変容である。すなわち翻訳とは一つの解釈の形式であり、それは語と1文の構成の選択に現れる。
日本では、例えば琉球語の様に話し言葉としては、行政範囲内である場合、標準語と対比する方言としてその位置づけが定められているが、僕の視点からは日本は多言語国家としてある。ただ、「書き言葉」としての日本語は、先住民族・移民・外国人労働者・難民・旅行者および在日という日本人社会と対比により成立した各社会を除き、といっても多くの前記の人々も共に地域という意味で「日本」に長期間暮らすなかで「書き言葉」としての日本語を習得している割合は高いと思われるが、「話し言葉」と較べれば「単一言語」となっているように思える。それは中央集権国家として成り立った頃より培われたかもしれない。
でも僕がここで語りたいことはそのようなことではない。翻訳とは産業翻訳を実質中心に行われながら、イメージとしては文芸翻訳が中心であった。でも本来翻訳はまずは人間の生命・生活に重点をおいて行われるべきと僕は思う。
渋谷などの駅名表示そして街路地表示、トイレなどの生理面に関する案内表示などは既に概ね翻訳されている様に思うが、例えば行政サービスに関しての翻訳はどの程度進められているのであろうか。また言語間の翻訳は在住する別ラングの人々の割合に応じて為されるべきであるにも関わらず、英語中心に行われている傾向にないだろうか。
統計的な数値を知らないので無責任な言動になってしまいかねなないが、仮に僕の想像通りである時、もしくはその翻訳行為を各自治体の予算に任されている実態にある時、そこに政治的な意図はないのだろうか。
全く別の視点で見て、例えばフランス語から日本語にある文書を翻訳する時、そのフランス語とか日本語は一つの統一され固定した静的な言語であることを前提にしている様な印象を受ける。
でも常に言語は流動的で止まることはないし、一国家・一民族・一言語が等号で結ばれることもない。その中で翻訳文は書かれた瞬間から陳腐になる傾向となるが、それでも「日本語」として完成された単一言語として取り扱う傾向にある。それは翻訳の実務面としては致し方ないことではあるが、その結果、ある面では日本の政治システムを維持強化することにつながる様にも思える。
文藝翻訳に関する一つの例としてミラン・クンデラ(1929年4月1日-)をあげたい。ミラン・クンデラはチェコからフランスに亡命した。フランスに亡命した時点で既にクンデラは著名な作家であったが、それはチェコ時代に書いたクンデラの作品のフランス語訳の小説が高い評価を得ていたことによる。しかし、その翻訳はクンデラ自身から見た時、書き直されていたと思わせるほどの誤訳であった。誤訳はその文体にあった。逆に言えば、クンデラにとって文体は対応する語の適切さと同等に翻訳において重要な位置を示していた。それによりクンデラのフランス亡命生活の初め約10年は、精緻なフランス語を鍛えることと彼自身の小説の再翻訳に追われることになる。
クンデラの作品がフランス語に翻訳された時、東西冷戦の終結間際と言いながら、そこに依然として冷戦構造の枠組みの中でフランス側がチェコを捉えていた視線があるのは事実であろう。クンデラが 「チェコのソルジェニーツィン」と評されていたことが、ある意味、それを端的に示している。つまりクンデラの作品は、その当時フランス側が望む様に彼の作品を訳していたことになる。そしてそのことは、政治的に東西冷戦構造の中で西側体制強化につながると見てもあながち不自然ではないように思える。
ここで一つの疑問が浮かぶ。クンデラがチェコ時代にチェコ語で書かれた小説と、フランス亡命後に彼自身がフランス語に再翻訳した小説、その両者を並べたとき、両翻訳の内容は全く同じであろうか、またどちらが原本なのであろうか。僕の答えは簡単だ。あくまでクンデラ自身が翻訳を行おうが、チェコ語版が原本であり、両者は同じではない。ただ、両者を並べ考える意味はないとは思う。それは両作品が原作者を担保とするからではなく、原本と翻訳本を並べ較べることに意味が無いことを示していると、僕は思う。
さらに重訳についても考えてみる。村上春樹と柴田元幸の対談『翻訳夜話』(文春新書)で、村上氏はテキストが重要と語ったうえで重訳について以下のように語る。
僕の小説がそういうふうに重訳されているということから、書いた本人として思うのは、べつにいいんじゃない、 とまでは言わないけど、もっと大事なものはありますよね。僕は細かい表現レベルのことよりは、もっと大きな物語レベルのものさえ伝わってくれればそれでいいやっていう部分はあります。
(『翻訳夜話』 文春新書)
重訳における原本との誤差が直接翻訳と較べ多いとする根拠は僕にはない。『翻訳夜話』のなかで柴田氏は重訳について、コピーのコピーだからノイズが増える、と言っているが翻訳はコピーではないと思うので、その例えは僕には成り立たない。また言語構造(文法)が全く違う言語間の翻訳が間に入る場合、ノイズが大きくなる様に思えるとも言われていたが、例えば漢文と日本語文の言語構造は全く違うが、ノイズは少ないように思える。日本は漢字文化圏に属しているが故にノイズが少ないとすれば、翻訳時のノイズ混入の多少は言語構造に拠らず、言語間の歴史的関係にあることを示す結果になりはしないか。
翻訳文化でもある日本は、明治以前、翻訳は中国からの様々な文書に訓点を付けることと同義だったと思う。諸外国の文書は中国に渡り漢文に翻訳される、日本はそれを輸入し訓読した。ある面、日本は漢文経由の重訳文化だったのかもしれない。例えば、Wikipedia「
仏典 」によれば、古代マガダ語、バリー語、サンスクリット語で書かれ、文字は「悉曇」(しったん)が多く使われたとある。つまり仏典は日本語に翻訳される以前からして重訳を重ねていることになる。
しかし日本において仏典の重訳の問題はなかったように思える。たとえば解釈の違いから、もしくは仏典の選択から日本では諍いがあったが、重訳からの疑義による信仰心の揺らぎは起っていない。
重訳の問題は、畢竟直接翻訳の問題以上とはなりえない、と僕は思う。僕は本記事において、逐語訳、意訳などについて語るつもりはない。それらは原本の意味と内容(書かれた言葉)のどちらを重視するかの重みにより変わり、その判断は原本が何のために書かれているかに拠ると思われるからだ。ただ原則的には原本の 「書き言葉」に現時点での言語をもって、出来うる限り正確に合わせるべきとは思っている。
追記:世界で最も他言語への翻訳が多いのはキリスト教の聖書だと思う。翻訳の歴史を考えるとき聖書抜きでは考えることはできないだろうし、翻訳の問題も聖書から派生したとも言える。でもここではそこまで踏み込むつもりはない。(Wikipedia 「
聖書翻訳 」参照)