映画「
3丁目の夕日」を観た。見終わった後がとても気持ちの良く、爽やかな印象を持った。とても良い映画だと思う。この映画が日本アカデミーの全部門で優秀賞を受賞した理由も納得が出来る。DVDがでたら購入して、何回も観たいという気持ちになる。
物語は、自動車修理を営む鈴木一家とお向かいに住む小説家の茶川竜之介の双方を中心に展開する。幾つかの物語が自然な流れの中で展開していく脚本が素晴らしい。僕が一番気に入ったシーンは、吉岡秀雄演じる茶川竜之介が、小雪演じるスナックのママである石崎ヒロミに結婚を申し込む場面だ。
茶川が指輪をママにあげたいと思うが、お金を借りても購入出来たのが指輪のケースだけだった。茶川にとってスナックのママはマドンナ的な存在で、自分の気持ちの中で少なからず美化されている。当のママは、様々な辛苦の中でやっと念願の店を構える事が出来た女性で、最初は茶川のことを人の良い男としか捉えていない。でも無理矢理押しつけた親友の子供と接している茶川の姿を見て、その人柄に心を許していくのである。
茶川は指輪が入っていないケースをママに見せ、「いつかきっと指輪を買いますから」、と言う。その姿をみたママは、空のケースから、実際にはない指輪をあたかもあるように手にはめてと茶川に言うのである。茶川の気持ちを受け取めたママは、翌朝父の借金の為に身売りし茶川の前から姿を消す。
映画を見終わった後に徐々に広がっていく様々な思い。感動した、素晴らしい映画だと言うのはたやすい。実際に僕はそうだった。でも自分の中に沸き上がるこの思いは何処から来るのか。
この映画には制作者側からとってみると二つのトリックがあると僕は思う。1つは昭和33年という時代設定。もう1つは映画のキャッチコピー、「携帯もパソコンもテレビもなかったのにどうしてあんなに楽しかったんだろう」。
この二つの設定とコピーで、観客はあたかも実際の昭和33年が映画で描かれていると錯覚するのだと思う。でも、これは想像でしかないが、実際は生活の質において、あの頃と現在ではそれほど違いはないように思える。例えば映画のシーンにもあったが、テレビに流れる力道山の勇姿に応援する街の人達、現在ではコンサートとか様々な姿に変えて残っていると思うのだ。勿論一つの点を除いてだが。
携帯とパソコンを引き合いに出し象徴としているのは、物と心の二項対立により、物より心の豊かさを浮かび上がらせようとしているのだろうか。だとすれば、この映画と同様にいかにも現代的であると僕は思う。確かに当時とくらべ選択の幅は広がった。でも昭和33年当時と比べ、選択の自由とそれに伴う責任も増したのだろうか。それも生活の中で個々人にとって変わらないように思えてくる。
この映画は東京を舞台としたファンタジーであるというのも的はずれだろう。映画なのだからそれは当たり前の話だ。映画として確かに言えることは、この映画は現代の人達に向けて描かれているということだろう。昭和33年の生活を知りたければ、小津安二郎の映画を観ればよい。そして小津の映画とこの映画の違いを感じればよいと思うのだ。
そうこの映画を観て感じるものは、失ったものへの懐古とか、亡くしたものへの後悔では決してなく、僕等が今を生きるリアルな感情に近い。逆に言えば、「3丁目の夕日」に描かれている人達は、現代に住む僕等の一つの姿でもある、と僕は思う。そうでなければ見終わった時に感じた自分の心情を理解することが出来ない。
だとすれば、この映画のメッセージとは一体何だろう。この際、公式サイトに書いてある言葉を一切読まずに、僕の感想を書きたいと思う。
昭和33年が時代設定になった理由は一つしかない。それはその年の12月に完成した東京タワーの存在である。東京タワーがこの映画の本当の意味での主人公だ、と僕は思う。建築中の姿は、映画のもう一つの主題である明日を信じることに繋がっている。映画の中で鈴木一郎は誇らしげに語る、「完成したら世界一の高さになる」と、それは鈴木自身の将来の夢を語ることでもある。
東京タワーは、昭和30年の経済白書にて書かれた「もはや戦後は終わった」の象徴的建築物であると僕は思う。またそれだけでなく、敗戦と同時に得た民主主義と経済的な豊かさの象徴でもあった。それが電波塔であることも二重の意味で象徴的だと僕は思う。
戦前には、いくら技術があったとしても、間違いなく東京タワーは造られなかった。それは軍事的にみても、政治的にみても、なにより皇居を遙か高見から見下ろす建造物を造る事自体難しかったと僕は思うのだ。そういう意味で建築物は時代とその思想を表す。戦後に皇居・軍事・政治への畏れがなくなった結果、逆に人はそれに変わる何かを求めたのではないだろうか。そしてそれが東京タワーであり、メディアの為の電波塔だった。
米国フィラデルフィアの市庁舎ビルのドームに建つ、ウィリアム・ベン立像の高さを超える建物は近くに建てない不文律がいまだに守られている。コペンハーゲンでも市庁舎の尖塔を超える高さの建造物を街中には建てることはしない。ロンドンの町並みはあのビックベンの高さが長い間規定していたとも思う。
街に住む人々が、その街の誇り、もしくは畏れの象徴としての建造物を持ち、それを大事にした。それらは歴史の中で勝ち得た自由と平等の象徴、もしくは建国の象徴だった。だからその建築物を遮る高さのビルを近くに建てることはなかった。街に住む殆どの人々が仰ぎ見ることが出来なくてはいけなかった。その中で彼等は、お互いが共有する「何か」を育てていった、と僕は思う。今の言葉で言えば「公共性」に近いかもしれない。
「3丁目の夕日」では殆どの登場人物たちは東京タワーを仰ぎ見る。彼等にとってそれは、戦後の復興の象徴だったのかもしれない。でもそれ以上に、建築中の、もしくは建築後の東京タワーの姿を、多くの人が仰ぎ見る事により、互いに共有する「何か」を感じることが出来たのではないかと思う。その「何か」が現在の日本に必要だと、僕はこの映画が語っているように思えてくるのである。
僕が子供の時、近くの国道から大きく正面に富士山を眺めることが出来た。今では高速道路が国道の上を走り、その時の眺望は失われてしまった。富士山は少し前までは東京の何処からでも眺めることが出来た。富士山を仰ぎ見るとき、それがその形を誰もが知っていようとも、「あっ富士山だ」というかけ声と共に心によぎるもの、そして飽きずに見続ける気持ち、それらは民族として日本人の歴史の中で育て上げられてきたものだ。そしてその気持ちが公共性を考える原点に近いのではないかと僕は思うのである。
映画が昭和33年に戻らなくてはいけなかったのは、その時点に戻らなければ得る事が出来ない風景がそこにあるからだと思う。それは何処からでも仰ぎ見ることが出来る、東京タワーと富士山、そして家族の象徴でもある「夕日」なのだと僕は思う。それが映画の最後に3つとも登場する。
「3丁目の夕日」では公共の場と個人とが渾然一体としていて、明確な区別がない。テレビを購入した鈴木家では、街の人達が当たり前のように集まり、居間で力道山を応援する。また従業員を追いかけて鈴木則文は茶川の家に勝手に入り込む。
この映画で何回も語る言葉は、茶川のいう「お前と俺とはなんの縁もゆかりも無いんだからな」である。このセリフは「3丁目の夕日」のメッセージをとてもよく表していると僕は思う。「縁もゆかりもない」人と同じ家に住む。それが社会なのだとこの映画は語っているかのようだ。
最近ゲーム「キングダム・ハーツ2」で遊んだ。ゲームの中では「仲間」「友達」という言葉が本当に多く出て少々うんざりした。勿論、友達も仲間も恋人も家族も大事なのは当たり前だと思う。でもそれらは別の一面でみれば、仲間から、もしくは友達から除外された人がうまれるのも事実だと思うのだ。社会、もしくは公共性を考えるとき、「仲間」「友達」の発想では難しいと僕は思う。「縁もゆかりもない」人との生活を考えること、それが大事なことではないかと思うのである。そしてその中心に、いつも仰ぎ見ることが出来る象徴としての「東京タワー」が建っているのである。
もしかして僕は新たな「東京タワー」を求めているのかもしれない。それは一つのイメージで全体を纏めたいという心根からでは決してない。個々のユニークな考えと行動を、お互いに尊重し守ることは市民社会の原則だと思う。ただその根っこにある何かは、共有出来ると僕は思うのである。そしてその「何か」を知ること、それが新たな「東京タワー」の礎になるのでないかと愚考するのである。
僕はこの映画の何に感動したのだろうか、それは「縁もゆかりもない」人々と共有できる「何か」を、それはこの映画に登場しなかった様々な人達、日本人以外の日本に住む人達を含めて、得られるのではないかと感じたからだと思う。