2006/04/20

折り鶴


Origami Originally uploaded by Amehare.

神社仏閣にはそれぞれに神木と呼ばれている巨樹があるのが多い。それらの木々は概ね都もしくは区の保存樹として大事にもされている。だからといって神木としての趣が薄れているかと言えば、僕にとってはそういうこともなく、巨樹を前にして神聖な心持ちを感じるから、自分のそういう「心の構え」に対し不思議でもある。

また多くの神社仏閣は都会にありながら多くの樹木が残されている場所でもある。それ故僕は外にいる時、それらを見つけると思わず境内に参拝したくなる。信心なき突然の来訪者でもある僕がその都度思うことは、どんな小さなお社でも、そこにはそれを信じ守り続ける人がいるという事実である。

買い物帰りの主婦、犬を連れた若い女性、学生らしい若者、散歩中の老夫婦、会社帰りの中年男性等とそこで手を合わせる方々は様々である。

自宅の近くの五叉路には通称「首なし地蔵」と呼ばれるお地蔵様が鎮守されている。そこには誰彼ともなく供物と花が副えられ絶やされることがない。またお地蔵様の周囲も毎日誰かが掃除しているかのようにゴミが落ちていることもない。

写真は散歩の途中で出会ったお地蔵様のお社に副えられていた折り紙の鶴であるが、誰がどのような気持ちで折ったのであろうか。既に色が落ち灰色となった鶴もみえる。その方の祈りは適ったのであろうか。そもそも「適う」とかの次元で物事を考えている自分からして、この折り紙の気持ちを見誤っているのかもしれない。それでも写真を撮るとき、この鶴を折った方を少しだけ思った。

0 件のコメント: