福島世津子さんと乾久子さん二人の現代美術作家のユニット「flugsamen」による第一回展覧会「flugsamen/飛行種子」を見学してきた。それぞれがドイツ・日本で活躍されている二人のアーティストがユニットを組んでの初めての展覧会となる。
僕は久しく展覧会に行ってない、しかも現代美術となればなおさらである。そもそも現代美術というカテゴリが何なのかも知らない。単なる「今」というだけではないだろうし、そこには「現代」と付けるだけの意味があるはずだと思うが、容易にそれが思いつかない。
でも結局の所、誰のための美術か、という問いから発せれば頭に何が着こうが「美術」は変わらないと思うことにする。
このユニットの展覧会の前に、静岡で福島世津子さんの個展が開催していた。僕にとっては静岡での個展開催が、逆に東京での展覧会が個展でないことを意識する。それは単に二人のアーティストが、たまたま一緒に展覧しました、という次元では無論ない。
ユニット「飛行種子」の展覧会である以上、個々の作品について作者の名前を用いて語るのは避けなければならない、と僕は思う。これらの作品は「飛行種子」の作品なのであり、個々の展覧会で出品したことがある作品であろうとも、「飛行種子」の展覧会に出品した時点で、その意味も含めて変質しているように僕には思える。
例えば、展覧会の奥中央には福島世津子さんの作品「プロペラ」が宙を漂っている。本来作者の意図としては、このプロペラの下に横たわり、真下からの鑑賞が求められるが、「飛行種子」の作品として展覧した場合はその視座での鑑賞は難しい。何故なら作品「プロペラ」
の配下には、直径2cm程の白玉が円を描き置かれているからである。
その白玉は蝋で造られ中には一片の紙が挿入されている。その紙には文字が書かれている。それは「プロペラ」に記入してある言葉に連携しているかのようである。この時点で「プロペラ」は福島世津子さんの作品としてではなく、ユニット「飛行種子」の作品として別の意味が与えられている。
アートスペースの壁はキャンパスに見立てて「白」が殆どであるが、とりわけ「飛行種子」の作品群は白が似合うように思う。ユニット 「飛行種子」の展覧会は、一つ一つの作品を鑑賞する楽しさもあるが、この展覧会スペース全体で一つの「飛行種子」の作品とも言える様に僕には思えた。作品一つ一つの配置は、二人のアーティストの感性によるところが大きいが、一つの空間を演出する為の配慮と計算がそこにはあるように見えたのだ。
つまりはユニット「飛行種子」の展覧会とは、与えられたスペース全体で一つの作品となっている。それは二人という複数のアーティストが、ユニットとしての「飛行種子」という単数になるのと同じである。展覧会には様々な「飛行種子」が、それこそ様々な姿でそこにある。あるものは壁を這い、あるものは萌芽が始まり、壁の中を蠢き、空中を漂い、地上で飛翔するのを待つ。それらは個別に在ると同時に、互いに存在を結びつけているかのようだ。
実を言えば、現代美術というものに全く無知な僕が、ユニット「飛行種子」展覧会が創り出す世界が気持ちよく感じた。この楽しさ、気持ちよさは一体何処から来るのだろうか。
展覧会に入ってすぐに「対話写真」が展示している。それぞれが撮った写真に対話形式でコメントが付与されている。写真には「収集者」と「収集場所」が記載しているが、写真に対してこの言葉は適切だと僕は感じる。彼女達は何を収集したのだろう。
それは写真として映像化した対象は無論のこと、その対象が在った場所、さらにその対象が存在した時間、なによりもファインダー越しに収集者が対象を経験したこと。それらをあえて一つの単語で言うとすれば「記憶」かもしれない。
彼女たちは映像化し固定化した記憶を外部に持ち出し、それを対話という形で様々な意味を与える。「対話写真」が展示会の入り口に置かれたのも理にかなっている。それはまずは、ユニット「飛行種子」の方法論の提示であり、一つの固定化された記憶から対話という技法を使って別の物語を造り出す作品だと思う。それらはユニット「飛行種子」としての最初の作品とも言えるし、コメントをメモとして追加することで作品の意味は様々に変質する。しかも、観る人は写真に付与した対話を読むことで、知らずに自分も参加することになる。
この「対話写真」のモチーフは、展覧会全体の個々の作品にも通じる。 「対話写真」の奥には少し広い空間があり、その中央に「プロペラ」が宙を漂っている。左側の壁に沿って進むとすれば、 そこには乾久子さんの作品が展示してある。
自らが意志を持っているかのように増殖する線。作品が部屋の隅、角を使って両面に配置している。まさしくこの配置がこの作品にはふさわしいと僕は感じる。部屋の中で角は構成する線が多い場所であり、何かが集まる場所でもある。線は集まり何かの形に成ろうとしているのだろうか、それとも元々の形から崩れ違った何かになろうとしているのだろうか。
そんな興味がわいてくる。僕の妄想では、線は「記憶」の分解であり、新たな再構成への過程であるので、形をなしていない。
あたかも画用紙に付着した微少の種子が、適度な温湿度などの環境により、萌芽を繰り返す。種子から伸びた茎は、成長の場所を求めて彷徨う。そんな動的なイメージがこの作品にはあるように僕には思う。
「欠品ゲーム」、この中には「暗号」のメカニズムが隠されている。表面に見える一つの物語が、ある規則(ゲーム)に従えば全く違う物語がそこに現れる。そのゲームを視覚化することにより、この作品を見る人は、新たな物語に変換する驚きと楽しさを味わう。
考えてみれば「暗号」と「種子」はある面とても似ている。「種子」の姿を見るだけでは、それがどのような成体になるのかわからない。 「暗号」も表面で読み取れる一つの物語に隠されている重要なメッセージも、解読の規則を知らなければそれを知ることもない。
現実は常に隠される。隠された現実を知るためには、今までとは全く違う見方をしなければならない。ただ僕らは言語の内部にいて、そこでしか考えることが出来ない。言語の外部に出るということ。「飛行種子」の作品群に言葉を使った物が多いのは、隠された現実を暴くために、言語の外部へと突き抜けることが根底にあるのかもしれない、等と少し思う。
言語を使って言語の外部に突き抜けるとは、僕にとって詩作の目的と同義である。吉本隆明氏は詩の目的を「世界を凍らせる」とした。そして世界を凍らせるには「ほんとうの言葉」が必要となる。「飛行種子」の作品群は、そう言う意味の言葉を、しかも人間が声に出して発する言葉を、具象化した様にも思えたのだった。僕にとって「飛行種子」の作品群は詩を感じさせるものばがりであった。
もう一つ別の見方をすれば、言葉とは人間の象徴化した姿かも知れない。人の様々な思いとか願いが「飛行種子」となり、人から人へと脳内に付着して、いつか成長し新たな種子を生むことを期待する。でもその場合、種子がどのような成体になって欲しいか、あらかじめ種子の遺伝子に組み込んでおかなければならない。おそらく「飛行種子」の作品に使われた言葉は、組み込む遺伝子として考え尽くされた言葉なのだろう。そう考えたときに、使われた言葉一つ一つをもうすこし丁寧に見るべきだったと思った。
「飛行種子の標本」、あえて作品のイメージを具体的に表現すれば、そういうタイトルにでもなるのであろうか。収集されて、段ボールの箱に収まった種子は極めて静かである。しかし観る者の感性をざわつかせる何かがある。種には文字が書かれている。それは組み込まれた遺伝子情報なのだろう。そしてこの種の採取場所は他ならぬ人間に違いない。だからこそ、この作品を見て僕の心はざわつくのだと思う。つまり作品を通して自分を観るような、そんなざわつきに近いかもしれない。
「飛行種子の標本」の横には、壁に封じ込まれた種子の数々が飾られている。最初この作品を見たときに浮かんだ言葉は「化石」だった。植物の成長過程の途中で固定化された存在のイメージ。でもそのイメージは誤りがあると後で気が付いた。石の中に封じ込まれたにせよ、中で彼等は成長を止めることはない。いずれ取り囲んでいるスペースを浸食しつくすのであろうか。しかし、作品の配置がとても巧い。
僕は展覧会を7月1日に見に行った。実を言えば前々から予定していた行く日ではあるが、従兄弟の事があり、その前々日あたりから少し行く気分が削がれていた。普段よりほんの少し心が腫れている状態、そんな僕にとって展覧会の空間は、想像以上に心地よかった。正直に言えば、それは嬉しい誤算だった。
勿論二人のアーティストとしての才能を疑うと言うことではなく、自分自身の感受性が、現代美術という強烈な個性の発露に過剰に充てられるのではないか、という恐れからだったが、それは単に僕が無知だった故からくる気持ちだった。
「個性の時代」と言われたのは随分と昔のことだ。今ではそういう時代区分を付ける人は少ない。それでも人は他の人とは違う何かを出すために強度を求める結果になることが多い。過激な言葉、衝撃的な映像、それらを反復する姿に、今の僕は付いていくことが出来ない。
「飛行種子」の作品群には、そういった意味での強度は少ない。正確に言えば、強度を測る物差しで計ることが出来ない。「種子」とは可能性であり、創造であり、それらは観る者一人一人の感受性にあわせて発芽するのだと僕は思う。確かに展覧会「飛行種子」の空間には、個々の作品から視覚に捕らえることが出来ない「種子」が飛散していた様である。そして訪れる者たちに確実に付着し、それぞれの世界へと運ばれていったと僕は想像する。そしてその感触が、腫れている僕の心を治癒するという事ではなく、何かしら耐性を強めてくれたような、そんな感じを持ったのである。
一時間くらい僕は会場にいたように思う。その間、何回か乾久子さんが作品についての説明をしてくれた。とつとつと話す乾さんの言葉と声は僕の内部に染み込む。とてもシンの強い方だと声を聞いて思う。福島世津子さんは、来訪者に丁寧に作品の紹介をされていた。僕はすっかり挨拶をするタイミングを逃してしまったらしい。僕は乾久子さんに 「とても楽しめました」とお礼を言い、記帳をして引き上げた。お礼の言葉は無論世辞ではない、お礼をお二人のアーティストに告げたかった。その気持ちは今でも変わらない。
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追記:上記感想は作者からの解説を受けての感想ではなく、僕自身の勝手な解釈と感想です。