僕は写真を語るとき、どうしようもなく感傷的になる
しかし家を建て替えるとき、それらの写真がいっさい行方不明となってしまった。棄てるものに紛れて一緒に棄てられてしまったんだろうとは、その時の母の言葉。案外あっさりとした言いかたにガッカリしたことを覚えている。その結果、僕の高校から大学までの写真は全てなくなってしまった。それらの写真は全てアルバムに貼っていなかったのだ。高校2年の頃の初めての一人旅で奈良に行ったときの思い出、修学旅行で九州に行ったとき同窓たちとの肩を組んでの笑顔、今では記憶の中にしかない。そしてその記憶は人には決してわからぬものなのだ。そう、僕は写真を語るとき、どうしようもなく感傷的になる。主観と客観の狭間に写真はあると、誰かが言っていた。でも間違いなく自分に関係する人たちの写真は主観的に見る他はないだろう。認識論のことを言っているわけではない。これは実感だ。そこが出発点だからこそ、写真は逆に謎めいているのだと僕には思える。
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