2007/12/30

Amazonのカスタマーレビュー、ベルンハルト、そして翻訳について

Amazonのカスタマーレビューを時折読むと、それが翻訳本のとき和訳の善し悪しが記述されているときがある。善し悪しだけではなく、誤訳もしくは不適訳及び訳抜けなどに発言が及ぶときも書籍によってはある。実際問題としてそれらの発言が僕の購入是非に関わることは少ないが、それでもその書籍への評価に一定の影響を受けるのも事実である。

でもそれ以上に僕は前述の発言を何故出来るのか不思議に思うのだ。少なくとも日本語化の善し悪しを評価するにあたり、Amazonでの発言者は原書もしくは別の翻訳本を読んでいなければならない。原書が新刊書であれば別の翻訳本がない可能性は高く、誤訳・不適訳の評価もあることから、当然に原書を読んでいるということになる。そこが不思議なところである。

つまり原書を日本語訳と同様に読めるのであれば、翻訳本を読む必要性は始めからない。でもAmazonのカスタマーレビューに記載していることは、とりもなおさず発言者は、まず翻訳本を読み、翻訳の拙さを実感し、かつ翻訳の内容も疑い、それでも尚、当該著書の内容を知りたく原書を読み、その上で翻訳本の評価をAmazonに発言した、ということになる。ネットであれば、以前とは違い原書を手に入れるのは簡単なはずであるから、随分と回り道をするものだと僕は思うのである。

実を言えば僕は今まで翻訳本の善し悪しを実感したことは少ない。特に翻訳がきちんとした日本語になっているか等とは考えたこともない。それはお前の感受性の鈍さだと言われてしまえばそれまでだが、実際にそうなのだから致し方ない。Amazonでの発言者がまず「翻訳の拙さ」を実感できることが、嫌味でもなんでもなく、僕には実感できないのである。

それでも良い翻訳だったと、後から振り返ればだが、思った本も何冊かはある。その中の一冊がトーマス・ベルンハルトの小説『破滅者』(岩下眞好・訳、音楽之友社)である。書籍の末尾に翻訳者の後書きがあり、そこには原書は一文が非常に長く、そのまま訳した時、文章として判別不能になりかねないので、ある程度の長さで区切ったと書いてあった。それでも日本の小説と較べても十分に長い。

またそれ以上に僕が意識したのは翻訳文の文体であった。文の末尾に「と僕は思った」が非常に多いのである。文の全てに「と僕は思った」とあるように感じられたほどだ。おそらく、これはあくまでも僕の推測だが、『破滅者』の翻訳文は日本語としては悪文であろう。それでも僕にとっては、この悪文こそがトーマス・ベルンハルトの文章のように思えたのだ。

僕はベルンハルトの原書を読んだこともない。しかし彼の言動は伝え聞いていたので、僕なりに彼のイメージが造られていた。そしてそのイメージと『破滅者』の翻訳文は一つの調和を以て重なったのである。この翻訳文でしか『破滅者』の文体はないとさえ思った。「と僕は思った」の反復は僕にとっては苦痛ではなく、『破滅者』という小説が持っているリズムのように思えたし、反復することで小さな波が相乗し、終には津波となって小説の世界に引きずり込まれた様にも思えたのである。「ああ、こういう日本語での表現の仕方もあるのか、出来るのか」、それは新鮮な感覚だった。その「新鮮な感覚」を得られたから、逆に僕はベルンハルトだけでなく、翻訳者である岩下眞好さんのことも意識することになった。僕にとって、ベルンハルトと岩下さんは「破滅者」を通じて一つだった。そしてベルンハルトの『破滅者』は忘れ得ぬ小説のひとつになった。
(その時の簡単な感想は、『Amehare's MEMO トーマス・ベルンハルト「破滅者」』 に書いています。)

僕にとって岩下眞好訳ベルンハルト『破滅者』との出会いは幸運だった。今から思えば、欧米の小説は「彼が言った」「彼女が言った」「私は言った」と文において主客を明確にするから、「と私は思った」の多さは原書の直訳に近いのかも知れない。でもだからといって本書の評価がいささかも変わるこはない。翻訳について回る多くの言葉、意訳・誤訳・直訳・妙訳・外国語化・翻訳文臭さ等々・・・、それらの言葉は読者が翻訳書に対する評価だが、多くは主観的である。翻訳は原書のジャンルによって、技術書・ビジネス文書などのいわゆる産業翻訳、医学書・学術系論文・法律系の文書の翻訳、そして文芸書翻訳と大雑把ながら分けられ、それ毎に求められている事が違う。そして今も昔も日本語化する分野で最も多いのは産業翻訳であると思える。産業翻訳は、例えば武器製造のしかたからその使い方、ビジネスにおけるリサーチ資料等々多岐にわたるが、それらの翻訳は伝える物が明確で、しかも正確さが求められる。明治維新以降、西洋のあらゆる技術資料が翻訳されたことだろう、つまり日本における翻訳理由の歴史は、中国・朝鮮から技術を仕入れた大和朝廷以降変わらないと言うことだ。

様々な翻訳一般に対する読者の評価を表す言葉の背景にはそういう産業翻訳の歴史が内包されている様に僕には思える。しかし文芸翻訳の場合、産業翻訳とは伝える物は違ってくる。僕が様々な翻訳に対する評価を表す言葉が概ね主観であると思うのは文芸翻訳のことである。ヴァルター・ベンヤミンは著書『翻訳者の課題』で文芸翻訳について以下のように語る。
翻訳は、原作を理解しない読者たちに向けられているのだろうか?そう考えるのなら、芸術の領域における翻訳と原作との地位の差は、一目瞭然に見えるだろう。加えて、「同じもの」を反復して語る理由も、ほかにあるとは思いにくい。しかし、文学作品はいったい何を<語る>のか?何を伝達するのか?それはそれを理解するひとには、きわめて僅かなことしか語らない。それの本質的なものは、伝達でもなく、発言でもない。にもかかわらず媒介者たろうとするような翻訳は、伝達をしか-つまり非本質的なものをしか-媒介できはしない。
(『翻訳者の課題』 ヴァルター・ベンヤミン 岩波文庫 野村修編訳)
ベンヤミンが『翻訳者の課題』において念頭にあったのは文芸翻訳のなかでも特に「詩」の翻訳であった。故にその語りには一種の偏りがあるように僕には思える。しかし日本語の語によって区切られた世界(日本というシステム)に生きる僕にとって、別の言語で創作された書籍は同様に別のシステムが潜在しているのは容易に想像できるし、その両システムの関係を考えた時、ある文芸書を日本語に訳することは、原理的に伝達さえ難しいこともあり得るかもしれないとも思う。

別に他言語間の翻訳不可能性を言っているわけではない。そもそも僕にとっては「翻訳不可能性」という言葉自体不可思議な言葉なのである。何をもって完全な「翻訳」と言えるのであろう。もしくは何をもって翻訳可能性の是非を定めるのであろう。一つの逆説的なことを言えば、完全な翻訳書とは「翻訳」されていない書物のことだろう。翻訳することとは、ベンヤミンの言うとおりに「形式」なのかもしれないが、新たな問題を、翻訳する側のシステム(ラング)に持ちこむことに近いと僕には思える。どの様な問題か、それは持ちこまれた側(例えば日本というシステム)の再構築を迫ることだと思う。再構築と言ってもそれほど大袈裟なことではない。それは例えばブログの記事の修正・追加の毎に行われる再構築、もしくはデータベースに新たな項目を付け加えることによる関係づけのための構築に近い。それでも語により区切られた世界は変わる。

ここで翻訳者ではない読み手である僕にとって幾つかの疑問点が浮上する。例えば僕はベルンハルト『破滅者』を読んだのだろうか、という疑問。その疑問は、日本におけるドイツ語理解者の数と、出版市場により担保され、購入時に何ら疑問を持たなかったのも事実である。僕はドイツ語圏のオーストリア作家であるベルンハルトの小説として「破壊者」を図書館で借り受けた。そして僕はベルンハルトの『破滅者』を日本語で書かれた小説として読んだ。日本語として個性的な文体は、ベルンハルトの文体だと僕は思った。読み終えるまで、
僕とベルンハルトの間に翻訳者である岩下眞好さんが存在していることは全く意識しなかった。それを意識したのは、小説の面白さと文体の新鮮さを感じながら訳者の後書きを読んだからだ。

読み手の立場から一つ言えば、確かに『破滅者』はベルンハルトの作品だからこそ読んだのだが、それはきっかけに過ぎない。作品はどの国の誰が書こうとそれほど重要なことではない。ただ日本語を母国語とする人の多くの作品は、日本語に囚われている。それは致し方ないことだと思うが、それらの作品はそれ故に新鮮な驚きが得られにくい。さらに気になるのは日本語の可能性を広げることなく固定化しようとする動きである。

そのことが政治的にどういう動きをもたらせるのかという問いへの悲観的な回答を打開するために、ますます諸外国の現代小説などの翻訳を、日本語として善し悪しを気にすることなく、行うべきだと思っているし、それらの作品を読みたいと願っている。

2007/12/21

今日

昼に喫茶店のテラスでコーヒーを飲んでいた。オフィス街の通りに面している店だったので、昼休みの会社員たちが目の前を行き交う。少し肌寒いが快晴、上を見上げるとビルによって区切られた空は雲ひとつない。
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日
(西脇順三郎 「天気」)
西脇順三郎の「天気」という詩を始めて読んだ時、そこに地中海の強い日差しの中で、光と影の明確なコントラストによる白いギリシャ的世界のイメージが浮かび、そして固定された。おそらく言葉では言い尽くせないほどの天気だったに違いない。その天気は詩人の感性に直感を与えた。逆に言えば、その日、その朝、詩人の感性はその天気を受け入れる準備ができていた。溌剌として意気揚々、何かその日に素晴らしい出来事があるような予兆を感じる、そんな朝。

戸口で誰かが何をささやこうが、どの神の生誕の日なのか、それらに意味はない。ただ詩人はそのように感じた、そのことが重要なのだ。

僕はと言えば、寝不足でまぶたが腫れ、眼は充血し、手足はだるい。早く今日が終わればと明日からの休みを願っている。一体、詩人が迎えたような朝を僕も迎えることができるのだろうかと、涙目でぼやけた視界を再び空に向ける。そこにはひとつの青だけではない無数の青の世界。ひとつため息をついて冷めかけたコーヒーを勢いよく飲み干す。

昼休みの時間がわずかになったのだろうか、人々が無言で足早に通り過ぎる。僕は座りながら彼らを眺めている。

突然に雨が降ればよいと願った。雨は歩道を濡らし、僕が座っているテラスの椅子とテーブルを濡らす。できれば天気雨がいい。この無数の青の空から降る雨。それはきっと青色の雨だろう。西脇順三郎に直感を与えた天気は晴天とは限らないのだ。そう思うと何故か少しだけ元気が出てきた。

帰りに図書館に寄った。新倉俊一氏の労作「西脇順三郎全詩引喩集成」(筑摩書房)が近所の図書館に置いてあるとネット検索でわかったのだ。「天気」の一行目(覆された宝石)は英国詩人キーツの作品からの引用だと知ってから、そのキーツの詩を読んでみたいと思っていた。きっとその辺の情報が載っているに違いない。

でもあると思われた書籍はその図書館で無くなっていた。昔の情報が更新されず残り続けているのだと図書館士が申し訳なさそうに告げる。その恐縮具合に逆に申し訳なく思う。

変わりに新刊の「西脇順三郎コレクション」(全六巻)のうち二巻を借りてきた。今年は西脇順三郎が亡くなってから25年たったのだそうだ。編者は新倉俊一氏。今日、師走の晴天の下で西脇順三郎の詩「天気」を思い出したのは、もしかすれば何かの兆しなのかもしれない、などと少し思う。そしてそう思った自分を少し笑う。

明日はきっとよい日だろう。朝早く眼を覚ますのだ。

2007/12/18

麻雀

先だって久しぶりに友人たちと会った。友人の中の一人が久しぶりに麻雀でも打とうかと言うので集まったのだが。麻雀は単なる口実にしか過ぎない。でもいい年をした男たちが集まるにはそれなりの理由が必要な場合もある。以前は年に一度、ほとんどが正月だったが、誰かしら4人集まって麻雀を深夜まで楽しんだ。

酒を飲み、それぞれの日常の出来事を話し、それを茶化しながら、つまりは馬鹿話をしながら麻雀を打つのである。数年前までは、それは暗黙のうちに了解された僕らの公式行事だった。それがここ数年全くなかった。群馬にいる友人の仕事がある程度余裕ができ、今回の麻雀はその彼からの誘いでもあった。

様々な職業の人たちとの会話は楽しい。そのときも麻雀店の閉店間際の深夜0時頃まで遊んだ。そのうちに4人のうち1人が完全に酔っ払い、外面は全く素面に見えるのだが、語る話が何か妙に重くなってきた。彼はウィスキーを休むことなく飲み続け、その合間に、「俺なんてもうどうなっても良い」と語りはじめた。そして「俺の今の心境は特攻隊の一員のようなものだ」と続ける。その時は彼が完全に酩酊しているとは思えなかったので、僕は「それはどういうことか」とたずねた。すると彼は「いつ死んでも良いってことだよ」とこともなげに答えた。

彼には無論妻子もいる。「そんなことを妻子が聞けば悲しむだろう」と続けて僕は聞く。「だからこそ特攻隊の精神に近いんだよ」と彼は、おそらく自分の倫理観だと思うが、僕には通じない一言を言うのみなのだ。

「人間は、特に男はどういう形にしろ子供をつくり、ある程度まで育てればそれで良いんだよ」しばらくたってから彼は補足のつもりで答える。確かにそういう考えもあるかもしれないと、僕はうなずく。僕のうなずきを彼は見逃さず、逆に質問をしてきた。「お前は何のために生きているんだ?」

そういう質問は僕は苦手だ。あなたの知ることではない、と見知らぬ人であれば答えることだろう。でもその時は僕も多少は飲んでいたし、相手は久しぶりに会った友人なのだ。あまりそういうことは考えたことがないと前置きをいい、「人のため、自分のため」と短く答えた。

「人のため、自分のため」、確かに僕は昔からそう考えていたところがある。具体的に言えば、ある人がいるとする、無論その人には親がいる、親にとって子供の存在は悩みの種でもあるが、それ以上に希望でもある。つまりは子供がいるだけで、親のためになるのだと思うのである。そして親は親自身のために生きる。つまりそれらは誰にでも言えることであり特別なことでもなんでもない。だからこそ、語るべきことではなく、僕にとって「何のために生きるのか」という問いは苦手なのである。

「人のため、自分のため」は同時にありえるのか、それは時として難しいが、そこにバランスを保つことが大事なのではないかと僕は思う、と酒の勢いもあり短い言葉で僕は続けた。
彼は黙って聞いていたが、酩酊している状態の故、僕の言葉が彼に届いたのかは怪しい。何故なら、彼は繰り返し「俺はもう終わり」と言う言葉を何回か繰り返し、他の3人を見渡しながら、さもそれが重要なことのように、「俺らもいずれは死んでいくんだよなぁ」と続けたのだから。

弁護するわけではないが、彼は非常にポジティブな考えの持ち主であり、それは日ごろの仕事での活躍、さらに様々なボランティア活動参加という行動にも現れている。だから酔った勢いだとしても、その彼が突然にそのようなことを言い出したのは意外であった。
でも最近思うに、人生を前向きに生きる人ほど、その対極に死をおきたがる傾向にないだろうか。生と死は対立する二項選択問題になってしまわないだろうか。生と死の間は、病気と健康と同じように境目などない。それを無理に分裂させることで、人は病気に落ち込み、死を恐れる。

ではお前はそうではないのか、という問いは即座に跳ね返ってくることだろう。そう、前言の語りと裏腹に僕も死を恐れる。それは僕も現代の生と死のフレームワークの中に生きているのだから、そのような考え方でしか前に進めないのである。

結局麻雀の勝敗はその彼の一人勝ちだった。彼は飲み続け、語り続け、そして勝ち続けた。群馬から来た友人は二番目で少しは勝てた。僕はと言えば散々だった。前半は好調だったが、後半その酩酊した彼に立て続けに満願を振り込んだ。しかし彼は淡々と、喜びを満面に出すわけでもなく、ただ飲み続け勝ち続けたのだった。

群馬の友人は僕の家に泊まった。翌日彼を見送りに渋谷まで一緒に行った。二人とも昨日の疲れからか無言であったが、一言「昨日はすごかったな」と言った。お互いに何がすごかったのか、それだけで了解しあえたのが面白かった。酩酊した友人の方は、日曜である今日も仕事だと言っていた。

それぞれ次の約束をせずに昨日は別れたが、今度の麻雀は果たして何年後になるのだろう。電車に乗り込む友人を見ながら僕はそんなことを考える。そして彼にできるだけさわやかな笑顔をと意識しながら手を振った。

2007/12/17

佐世保の事件

僕は時事問題を扱うのは苦手だ。例えば今回の痛ましい佐世保の事件に対しても具体的に事件そのものを取り扱うことはしない。それはあたかも激しい雷雨を狭い穴倉でじっと息を潜め過ぎ去るのを待つ小動物に近いかもしれない。無論佐世保の事件は天災ではない。でも事件報道と本件に絡み様々に湧き上がる風評への対応の仕方としては変ることはない。

何か自分の世界を正そうと、違和感を感じる報道および言動に批判を行うのも良い。ただ僕は自分の世界において、いまだに確信を持って他者に語る正義を持たない。これらの出来事は人間の行動の可能性として繰り返し上書きされ続けるのだ。ただ穴倉で雷雨が過ぎ去るのを待とうが、積極的に雷雨の中に飛び込もうが、両者とも雷雨を気にしていることに変わりはない。 僕のこういう消極的な性分を世の中ではなんと言うのだろう?「負け犬根性」とでも言うのだろうか?だったらそれも受け入れるしかない。

誤解をされそうなので当たり前のことを述べるが、この日本で理不尽に横腹を散弾銃で撃ちぬくことは悪であるのは言うまでもない。被害者の方々には哀悼を捧げるし、ご家族と関係者はさぞかし無念なことだと思う。そして容疑者の母親のこと。彼女が消え入れそうな声で、取材の応答に「申し訳ありません」と答えたと新聞に載っていたが、おそらく地元で母親がこれまでと同様に暮らせるとは思えない。でも無念さでは被害者の関係者と変わることはないのでなかろうか。

本事件の初期の報道では一部のメディアが犯行手口から外国人説をとっていた様に思える。犯行手口の内容によって日本人的とか外国人的というのがあるのかと、その報道を聞いて思ったが、すぐに教会で自殺をしている日本人の容疑者がみつかり、外国人説報道は何もなかったかのように消えていった。これらの外国人犯人説をとったメディアは一体どこからそのような説を取り入れたのであろうか。このような銃犯罪を起こす人は日本人であるはずがない、という根拠なき願望がそこにあるように思えて致し方ない。

さらに初期段階での専門家と称するコメントもひどかった。無論それは結果論から見ての話ではあるが、外国人説にせよ初期の情報不足の中での無責任なコメントは、それらを聞くものをあらぬ方向に誘導する。情報不足でコメントできません、という勇気がなぜもてないのだろう。おそらく別面では、医者と患者の関係、つまり患者は医者の望む答えをするように、同様の作用がメディアと専門家の間にも一部あるようにも思える。

なぜ容疑者のような人間に銃所持許可を出したのか、という意見もあると思うが、現行の日本では正義とはある意味正規な手続きを言う。言い過ぎかもしれないが、誰であろうと銃所持者は銃犯罪を起こす可能性はある。それに正規の手続きの中に、銃を所持しても良い人と悪い人の区別をどのような判断でどの様に組み込むのか、僕にはまったく想像さえできない。それらは自動車教習所で初めに行う性格判断テスト以上でも以下でもないのでなかろうか。集中力散漫と判断された人でも安全運転を続ける人は存在すると僕には思える。それであれば銃所持を全面的に禁止する方向となるだろうが、それはそれで難しいのでなかろうか。

ここまで書いて銃所持に問題解決をおいて書いていると誤解しないでほしい。僕にとって今回の問題は、解決が極めて難しい問題のひとつにおいている。
 
今年は銃犯罪が多い年でもあった。病院で一般入院患者がやくざと間違われて射殺された。そしてそれ以上に多かったのは、警官の銃による自殺であった。その多くは二十代の男女だと記憶しているが、事件として騒がれたのはストーカー警官の無理心中だった。銃所持の適正テストを考慮するとしたとき、一般人だけにとどまらず警官に対しても同様に行うべきだと思う。

つらずらと本事件とはあまり関係ないことを話してしまった。表層に見えることのみを勢いで書いてしまったようで少し恥ずかしいが、一応日記として載せておく。

2007/12/15

Goldfish Picture after Jakuchu

今年の夏の話だから、いまさらと言う感じではあるが、僕は東京青山のスパイラルガーデンで開催していた京都造形芸術大学30周年記念の美術展に行った。「混沌から躍り出る星たち」とのタイトルが付いたその展覧会は、京都造形芸術大学の学生たち、そして大学に関係しているアーティストたちの作品が出品されていた。僕がその展覧会に興味を持ったのは、池田孔介氏の作品が、おそらく東京で初めて出展されていたからだった。
(本展覧会に出品した作品「Goldfish Picture after Jakuchu」は池田さんのサイト で見ることができる)

僕は、池田さんが米国に滞在研究しているときに、ネット上に公開していたエッセイ「文化的誤植を注視せよ 」の愛読者だった。「誤植」という概念を、未だそれは僕の中で掴みきれていないが、とても興味を持って読んだ。

池田さんの個人ブログ「Fairytale/Diary 童話日記」 にて、今回と同様のモチーフである作品「Goldfish Picture」の評として、彼は日本美術史を専攻する高松氏の言葉を引用している。
金魚という鑑賞されるためだけの存在をモチーフに選び、これが図と地の境界も曖昧に水面化にひしめく様を正面から捉えることで、池田は視覚表象根幹にあるマトリクスを現前させようとする。自らが魅せられている、視ること/視られること、可視/不可視の淡いにあるマトリクスを。 (イメージの 蠢く深層、マトリクス 高松麻里(日本美術史/ニューヨーク大学)
(「2006-11-03 Kosuke Ikeda Solo Exhibition ”Goldfish Picture” 」から引用)
正直に言えば僕には高松氏の語りは難しい。無論それは僕が絵画を「見る力」がないからに他ならない。絵画において鑑賞者の「見る力」は間違いなく必要だと思う。しかし、「見る力」を持っている鑑賞者のみを対象としているとするのであれば、青山スパイラルガーデンでの展示会は何を意味するのであろうか。アーティストの作品と対峙するとき、「見る」という欲望は知性と共にあり続けなければならない。そしてそのとき鑑賞者の中で欲望と知性が独立して並び立ち分裂することもありえない。それらは分かちがたく、見るという行為により、鑑賞者の世界を構造化することになる。しかし作品は鑑賞者の中に埋没することなく、前記に矛盾するようではあるが、独立したひとつの作品であり続けなければならない、と僕には思える。つまりそれは何も鑑賞者の「見る力」だけに寄るところではない。作品自体にも「見せる力」がなければならないのだ。

池田さんの作品は見せる力を強く持っている。僕はスパイラルガーデンで池田さんの作品「Goldfish Picture after Jakuchu」を時間を忘れ眺め続けた。展示会には他の多くの優れた作品があるにもかかわらず、僕は彼の作品に没頭した。おそらく、高松氏が評した作品と、スパイラルガーデンで展示した作品は違う。それは作品タイトルに付加した「after Jakuchu」に如実に現れている。池田さんは本作品製作前に若冲の作品を鑑賞し、そこで得た刺激を本作品に盛り込んでいるのだろう。そのことは、彼が米国中に連載し考察した「誤植」の概念と密接に関係するようにも僕には思えた。
未だ何の評価も得ていない、ともすれば忘れ去られてしまいかねない重要な作品たちの存在。これはいわば書物における誤植のようなものだ。すでに印刷されて取り消し不可能な点。それはひとたび発見されれば本の最初のページにその正誤表が差し挟まれ、言いようもない存在感を放つことになる。しかしだれにも気づかれないならば誤植はそれとしての存在意義を失ったままだ。 (「文化的誤植を注視せよ」「誤植とは」から引用)
池田さんの作品「Goldfish Picture after Jakuchu」について少し語りたいと思う。その後に「誤植」と本作品の関係について僕の思うところを語ろうと思う。

高松氏が「Goldfish Picture」について語ったように、「Goldfish Picture after Jakuchu」においても「金魚という鑑賞されるためだけの存在をモチーフに選び、これが図と地の境界も曖昧に水面化にひしめく様を正面から捉え」ている。ポリウレタン・透明シリコン・アクリルを素材として、1枚100×50×5(単位はcm)に描かれた金魚は2枚1組として3組並べられている。2枚1組と見えたのは、そこに金魚の色と動きの関連性がみられるからだ。透明シリコンによって造形された金魚は、数種類の姿に作られ、姿とは関連なく様々な配色をされている。金魚は本能のままに動き回る瞬間を切り取られたかのように、鏡面の板に貼り付いている。少し離れてこの作品を見れば、金魚は絵筆の軌跡のようにも見える。

鏡面は作品を飾る場所により金魚の背景を変え、結果的に作品の印象を変える。それ以上に鏡面は鑑賞者の姿を金魚の背後に映す。それゆえ、この作品は単に「水面化にひしめく様を正面から捉える」だけでないことがわかる。鑑賞者は、金魚の造形を使っているゆえに、当然に金魚が動き回る「場」を水中と思い込む。しかしそれであれば、鏡面に貼り付いた金後の映りこみにより、金魚は映す面(水面)に逆さまに泳いでいることになる。逆に金魚が正位置であれば、金魚と鑑賞者の位置関係は逆転していることになる。鑑賞者は水底に位置し、そこから本作品を鑑賞している鑑賞者本人を見つめるということになる。それも見方としては面白いと思うが、おそらくはこの金魚がいるのは水の中ではない。ただ100×50×5の閉じられた空間を動き回っているのだ。

作品はアクリルの板で仕切られている。無論板は透明で境界は曖昧である。ただしそこに境界があることを金魚は知っているかのように、作品の隅に群れをなして集まる。曖昧だが閉じられた空間、本能のまま動き回る金魚、それらは金魚の本能だけを抜き取りその瞬間を切り取ったかのようでもある。そしてその模様の背後に、鏡面に映り込まれる鑑賞者の姿。それはあたかも鑑賞者(この場合、僕のことである)の、空っぽの身体の中を出口を求め動きめく「欲望」のようでもある。

「after Jakuchu」の付加の意味を僕は知らない。今年開催した若冲展にも行かなかった僕は何も若冲について知らない。さらに本作品と「after Jakuchu」付加前の作品の差異も知らない。「after Jakuchu」が示す何かを表象しているであろうことはタイトルから想像できるのみである。それは作品の大きさ・物質的素材・配色等の構成を変えることなく、逆にそれだからこそ、現代芸術から若冲への応答のように響く。

池田さんが「文化的誤植を注視せよ」で使う「誤植」とは、見つけられて初めてその存在意義を持つ取り消し不可能な点を指し、それは1作品に対してのみ語られているわけではない。「誤植」とは誤って植字されたことを指すが、「誤り」とはその社会的文脈によって定まることも多い。つまり取り消し不可能な点には、あらかじめ埋め込まれ探し出されるのを待っている潜在的なものと、社会的文脈の違いにより新たに誤りとして見つけられるもの、の2通りあるように思える。あえて言葉を造るとすれば、「潜在性としての誤植」と「可能性としての誤植」とでも言おうか。その点で言えば、「可能性としての誤植」には評価が定まった作品たちにもあてはまる。「再発見」と称され紹介される作品群はそれにあたるかもしれない。

ここで僕が言いたいことは、「Goldfish Picture after Jakuchu」はある意味、池田さんにとっての若冲の「誤植」の発見ではないかということだ。作品の「誤植」とは、その作品の中に「誤り」もしくは「欠如」を示すものではなく、「誤植」に伴う「正誤表」を作品に挟み込むことが重要なのだと僕には思える。その「正誤表」としての作品。それが本作品の底にあるように思えるのである。

アーティストでもない僕が作品に口を挟むことではないのは理解している。でも池田さんの作品を見たときに感じたことを書き残したかった。万が一、池田さんが本記事を知り、その誤読のひどさに不快感をもたれないことを祈る。

2007/12/13

幸田露伴 「五重塔」

このMEMOの参考資料もしくは引用用として造ったブログ「quotes」に幸田露伴の小説「五重塔」全文を掲載した。この全文は他のサイトから複写したものではなく、全部僕が岩波文庫から入力したものだ。

この小説は何回読んだかわからない。いつか書評を書きたいと思っている小説でもあるが、いまだに僕なりにでも掴みきれていない。ネット上にある多くの書評も読んだ。それはそれで素晴らしいものばかりだったが、何故か僕が書きたいものではなかった。だから僕のこの本に対する思いを込めて書評を書きたいと考えているのだ。

小説「五重塔」への思いはそのタイトルからきている。昔から五重塔を拝観するのが好きだった。低い伽藍の中でひときわ聳える塔は、僕にとってひとつの憧れの象徴でもある。五重塔の特徴はその高さにある。しかし五重塔は高みを目指すものではなく、梅原氏(「塔」)がいみじくも語ったように、その志向は地にある。もともとは釈迦のお墓が起源にあると聞いている。しかしその高さゆえ、例えば雷による火災で消失した例も多いとも聞く。またその高さと威容は、寺の権威も増長させる効果もあったに違いない。しかし、それらを知りながらも、やはり見上げる五重塔に憧れを抱く僕がいるのである。

どの五重塔には、その内部に心柱が存在していて、構造上心柱は五重塔の組込みとは接続はされていない。心柱が五重塔の本質ともいえるものであり、例えば韓国に現存しているものでは、心柱のみの塔もある。「五重塔はなぜ倒れないのか」(新潮選書)では、地震対策としての心柱も強調していた。確かにそれもあるだろう。でもやはりそれは五重塔の実ではないように思える。

幸田露伴の小説「五重塔」は五重塔が中心となった物語では決してない。でも小説の中には五重塔に関する秘密が幾つも挿入されている。無論、僕が書きたいと思っている書評(もしくは感想)も五重塔にまつわる話は登場しない。ブログに掲載できるのはいつになるかわからないが、小説「五重塔」全文を掲載したことをお知らせするついでにメモとして残しておくことにした。

2007/12/12

「天国と地獄ってあると思う?」唐突に彼女が聞いてきた

「天国と地獄ってあると思う?」唐突に彼女が聞いてきた。いつものことだ。彼女はいつもそのことばかり考えている。同じ質問を何回してきたのかわからないほどだ。その時々の気持ちでやはり唐突に湧き上がる思いを自分の中に収めるのが苦手なのだ。
 
「僕はないと思っている」それもいつもの返事。その答えを聞いているようには思えずに彼女は続けて言う。それもやはり毎度のことだ。

「天国と地獄がないと思っているからこそ、いえ、ないと思えば何でも悪いことができるようになるよね」
 
「そんなことないんじゃないかな。たとえば、君は天国と地獄がないとしたら、悪いことなんでもできるの?」
 
しばらく考えているようなそぶりを見せるが、僕には彼女がどう切り替えしてくるのか知っている。
 
「あなたは天国と地獄があることを信じていいない」
 
「うん」
 
「神様っていると思う?」

やはり僕の質問を流したのだ。僕は彼女が天国の有無に関わらず、僕の倫理観からみて彼女が悪いことをするとはまったく信ずることができない。無論、あくまで僕の倫理観によればの話ではあるが。
 
「わからない・・・でも僕の中では神様を信じている気持ちがあるかもしれない」
 
「私・・・きっと地獄に落ちるわ」
  彼女は自分が地獄に落ちるとどういうわけか信じている。すかさず僕が答える。

「断言するけど、君は120%地獄にいくことはないね。僕自身のことはわからないけど。」 先ほど天国と地獄を信じていないと言ったにも関わらず僕は答える。
 
「なぜそんなことが断言できるの?」
 
「じゃあ君は何で自分は地獄に行くと信じているんだ?」
 
「私は怖い。地獄に行くのが怖いの」
彼女のその言葉でお互いが黙る。いつものことなのだ。月のうち少なくとも一回はこういうやり取りをする。

僕の父方の実家は神主をやっていた。母方のほうは浄土真宗だ。母方の影響なのか、子供の時分に祖母から天国地獄絵図を見せられたことがある。悪いことをすれば死んだ後こういう場所に行くんだよ、と言いながら見せてくれたその絵のおかげで僕は長い間一種のトラウマとも言える感覚を引きずった。今でもその絵のことを覚えている。閻魔大王を含め十大王がいる十の世界は、実に生々しく人間の苦痛がでていた、別の見方をすれば地獄は拷問の百貨店のようでもあった。それに比べ天国の絵は退屈そのもので何もない世界のように感じられたものだ。幼い僕はどちらの世界に行くの嫌だった。

僕は宗教には疎いが、浄土真宗ではお題目を唱えることで阿弥陀様が極楽浄土に連れて行ってくれるそうだ。昔の人は天国を気にし、今を生きる彼女は地獄を意識する。どちらがどうと言うわけではないが、その違いに彼女は気が付いているのであろうか。これもまた考えれば、神道には天国とか地獄の考えは存在しないように思うがどうなのだろう。黄泉の国があり、そこは死者の国である。そしてその国でもやはり生者の国と同様に自然の法則が作用している。イザナミノミコトが蛆に覆われていた姿をイザナギノミコトは見てしまう。イザナミノミコトは黄泉の国の食べ物を既に食べてしまったのだ。夫に醜い姿を見られてしまったことで、イザナミノミコトは怒り彼を追いかけることになる。正確には知らないが、神道では死ねば誰もが蛆に覆われることで、死者の格差はないように思える。

そして僕は思う。仮に彼女の言うとおりに天国と地獄があるとしよう。誰も見たものはいないのだ、僕らの宇宙とは別次元の世界があったとして、死後その世界に転移しないとも限らない。でもその別次元の世界、天国と地獄どちらに行くのかは、それこそ神のみぞ知るである。でも別次元の世界にせよ、天国と地獄の存在の根本には霊魂不滅の概念がある様に思う。この世界に僕が属している限り、人間に感知可能不能に関わらず、霊魂があるとしたとき何らかの物質で構成されているように思う。そして物質である限り、それは同じ構造で永遠に維持し続けることは難しいと思うのだ。

こうは考えられないだろうか。仮に神がいるとしよう。でもそのことと天国と地獄があるのは別の話だと。さらにいえば人は天国に行くために、地獄に行くべき行為をすることもあるのだ。そうはいっても、神仏が定める規範に人間はやはり知るよしもない。つまりは人間は天国と地獄のことを意識して生活するべきではないのだ。それであれば、人間にとって天国と地獄はないに等しいのではないのだろうか。モーゼの十戒も、その当時の規範に照らし合わせれば、現代の人間はほとんどがその戒律を犯しているではないか。

以上の簡単な僕の天国と地獄への考えを彼女に何度か話したこともある。約30分以上もかけた、こういう話が苦手な僕のプレゼンであった。その時、彼女は感心するほど熱心に話を聞いてくれた。そして聞き終わった後に僕に尋ねたのだ。
「それであなたは天国と地獄を信じてないの?」

2007/12/11

映画「記憶の棘」の不思議さ

ニコール・キッドマン主演の映画「記憶の棘 」(2004年公開)を観た。観終わったときに不思議な雰囲気を持った映画だなとまず思った。でもその「不思議さが」どの様なものか、映画のどの部分に感じたのかがよくわからなかった。レンタルDVDだったので気になる箇所を何度か繰り返し観たが皆目見当が付かない。何かブログにでも書いてみれば少しはわかるかもしれない、などと思い軽い気持ちでメモをすることにした。(映画のあらすじはYahoo映画 に詳しく載っている)

主演のニコール・キッドマンは確かに上手い役者だと思うし、この映画でも役所を的確に押さえてもいる。しかし最初に画面に登場した際、僕には彼女がキッドマンだと認識することが出来なかった。短髪で、服装は品があると言えばそれまでだが、今までになく地味で、全体から見ると彼女の存在感は薄い。逆にキッドマン扮するアナの回りを固める出演陣が個性的で、だからこそ演出の意図を感じるのではあるが、存在感の薄さはさらに対照的で際立ってくる。(ちなみにアナの母親役はあのローレン・バコールだ。)

冒頭の雪の中ジョギングする男性の背中を追いかけるカメラワーク。このまま男性が走る姿の映像を流し続けるのではないかという予想を持つほど、それはそれで飽きずに見てしまう僕がいるのだが、このシーンは長く続く。一つ目のトンネルを越え、またしばらく走り、二つ目のトンネルの入り口付近で胸を押さえ倒れ込む男性。その瞬間に、産湯の中から顔を出す赤ん坊。これらの流れは初め何を意味しているのかがまったくわからなかった。

物語はそれら冒頭のシーンの10年後から始まる。そして徐々に冒頭シーンの意味が伝わってくる。アナの婚約パーティに突然に現れる10歳の男の子、彼は自分はアナの亡くなった夫ショーンだと言う。そしてアナとショーンの二人しか知り得ないことを彼は語り出す。その記憶の確かさに徐々に翻弄されゆくアナと男の子(彼の名前もショーンという)の両親たち。

映画の設定上では、男の子とアナの亡き夫との間には二つの共通項がある。一つ目は同じ名前(固有名詞)を持つということ、二つ目はアナの夫であるショーンが亡くなった日と男の子が誕生した日が同じであるということ。それらは冒頭のシーンの繋がり、トンネルの中で亡くなると同時に産道から誕生する、という連続した流れと共に、映画鑑賞者に「輪廻転生」を意識させる。ただこの映画は神秘的な側面を強調しているわけでもなく、男の子がアナの亡夫の個人的な記憶を何故知り得ているのか、映画後半で理由も提示している。

ただ僕にとっては男の子ショーンがアナの個人的なことを知りえた理由は何でも構わない。それが如何に観客が納得できそうな理由であるにせよ、この映画の出発点はその謎解きにあるのではないからだ。例えば、多くのラブロマンス物は、それが悲劇的な結末で終わる場合、愛する一方が亡くなり一旦は絶望の中に陥るが、やがては亡き相手の愛を感じることにより再び生きる力を抱く、という構造を持っているように思う。特にそれはハリウッド映画の、強いて言うとすればキリスト教国が製作する映画に多いように思える。おそらくはキリストの復活をモチーフにしているのかもしれない。では実際に愛する者が復活したらどうだろう、それもまったく違う姿で、長い時間の後で。愛の不滅性はこの場合でも表現できるのだろうか。この映画の出発点はこの問いだと僕は思う。

そうなると幾つかの問題が出てくる。まずは亡き夫がアナに向けられた愛は、亡き夫でしか適うことができないのかと言う問い。亡き夫の生まれ変わりであることをどの様にして証明するかということ。そもそもアナ自身が亡き夫に向けていた愛が変質していないことをどの様にして保障できるのだろう。また男の子が「アナ愛している」といったとき、男の子のアナに向けられた愛が以前の亡き夫の愛と同じことをどのようにして確認できるのだろう。僕は意図的に「保障」とか「確認」と言う言葉を使っている。特定の男女の愛が特殊であるならば、一般論としての愛の言説はそこには意味を成さない。しかし、愛の特殊性を論じるのであれば、時間を経て姿かたちを変えた相手に対しても以前と同じように向けることができるのだろうか。

映画では男の子が亡夫ショーンであることの証明として「記憶」に重きを置いている。仮に男の子が亡き夫であるならば、そして男の子が亡き夫であることを意識し、アナを愛しているとするのであれば、そのほかの記憶も持っているだろうということだろう。それでは同じ人である証明とは、記憶という過去の特定の出来事を共有することなのだろうか。ショーンがショーンであるのは、さまざまな個人的記憶が質問者と同期が取れている確認によってなされるのであろうか。ショーンとは共有する記憶の集積の中から立ち上がっていたともいえる。しかし人間のアイデンティティが過去の出来事とその記憶の総和であるとは僕には思えない。さらに記憶の集積から立ち上がる個人の現在性はどこにいってしまうのだろうか。

それぞれの問いの中で主人公であるアナは混乱する。混乱の中で彼女も彼女自身が持っている記憶、それは彼女自身が保ち続けた彼女自身の記憶の中から男の子を亡き夫の生まれ変りであると認めていくのである。このアナの心情の変化の過程は、当初存在感が薄かったアナが徐々に周囲の反対の中で逆に存在感を強めていく。そして男の子と共に暮らすことを決意したときに破綻が訪れる。結果的にアナの亡き夫はアナとの結婚生活期間中別の愛人がいたのである。アナへの愛が純粋であることを男の子のショーンはその根本存在(自分が元アナの夫であること)においていた。その結果、アナを裏切り続けていた亡き夫はショーンではないことになる。でもアナへの愛情は純粋でなければならない。アナに向けられた不滅の愛の存在が、男の子に矛盾を持たせ、男の子はアナの元を去る。そしてアナは混乱の中にとどまることになる。

結果的にこの映画の不思議さは、愛の不滅性が現実の中で、きわめて個人的な記憶の中で立ち上がるしかなく、しかもそれゆえに愛の不滅の不可能性を前面に出すことになる、その点にある。愛が人間の外部にあるとすれば、時間を経て姿かたちが変ろうとも、その愛を確認することができる。愛に証明とか確認は必要なく、ただ感じるのみとするのもよい、でもその感じる根拠が記憶の中に見出だすしかないのであれば、果たしてそれは愛していると言えるのであろうか。愛は人間の時間の中に存在するしか我々は感じることができないのではないだろうか。さらに記憶とは歴史家が検証し羅列する項目の列挙でもない。個人間の感情の同調がそこには必要だと思う。しかし双方がそれを認め合うには時間が重要な要素となる。
どうも映画の感想としては陳腐なものにしかなっていない。それはやはりこの映画の不思議さを僕なりにでも整理できていない証左だと思う。愛の問題は僕には荷が重たすぎる。もう少し整理してから再度この映画について書くかもしれない。

2007/12/10

「GUNSLINGER GIRL」という誘惑

「GUNSLINGER GIRL」(作者:相田 裕 メディアワークス月刊誌「電撃大王」連載中 単行本は現在9巻目まで発売)を単行本で読んだ。一気に読んだが、一気に読ませるものが何であるのかが気になった。これといった納得するだけの回答を持っているわけではないが、現時点での感想をメモとして残す。
舞台は現代(もしくは近未来)のヨーロッパ。イタリアの公益法人「社会福祉公社」は、政府の汚い仕事を代わりに行っている。その中でも作戦2課では現在表向きは障害を抱えた子供達を引き取って福祉事業に従事させることで社会参加の機会を与える、という身障者支援事業を推進する組織ということになっているが、実際は集めた子供達を「義体」と呼ばれる強力な身体能力を持つ肉体に改造し、薬物による洗脳を施した上で、政府の非合法活動に従事させている。
(Wikipedia 「GUNSLINGER GIRL 」から引用)
「GUNSLINGER GIRL」は闘う美少女という萌系にも関わらず、そこにとどまってもいない。それゆえに印象的な漫画になりえているとおもうのであるが、だからといって萌から逸脱した要素が何であるかは別に気にする必要もない。萌要素といっても、それらは日々萌市場の中で書き換えられ、もしくは拡張されているから、現時点での逸脱要素は明日には適正となりえるからだ。「GUNSLINGER GIRL」の逸脱要素が何であれ、この漫画が市場に受け入れられ、他の漫画もしくは別メディアに二次創作として展開されている現状を思えば、おそらくそれらは許容範囲内にあるのは間違いない。

「GUNSLINGER GIRL」は映画「ロボコップ」の少女版でもある。しかし「ロボコップ」と同様の問題を提示しているわけではない。ロボコップは人間性とは何かという問いかけがあり、その問いかけに「記憶」が、特に社会とのとしての家族の「記憶」が、重要な要素として映画では前面に出ていた。無論「GUNSLINGER GIRL」にも同様の設定は含まれているが、それは無視できるほど極めて薄い。設定では「条件付け」という薬と催眠術による強い洗脳が彼女たちにさまざまな疑問を持たせないように見受けられるが、いわば彼女たちは、漫画の中である担当官が語ったように「亡霊」に近い。

彼女たちにとって重要なことは、彼女たちひとりひとりに付く専属担当官の対応とその評価である。彼女たちは自分が「義体」であり、特殊な身体を持っていることを承知している。そしてその身体が専属担当官の要望を満足する為にあること、その要望を満足するには強力な戦闘能力にあることを意識し、戦闘能力が損なわれることを恐れる。しかし戦闘の度に彼女たちは傷つき、体を補修する毎に彼女たちの寿命は短くなる。いわば価値の保持は存在自体の危うさの増加に繋がる。

まず彼女たちは男性である担当官に選ばれるところから始まる。そこで彼女たちは担当官の意見を元に改造される。彼女たちは薬物を利用しての強い洗脳を受け、専属担当官にまるでメイドの様につくす。いうなれば「GUNSLINGER GIRL」の世界観の中心にあるのは「市場主義的な資本主義」そのものである。「義体」とは何か。それは価値が失われるまで消費され続ける一個の商品そのものといえる。開発当初の「義体」の寿命が5年くらいの設定は、ひとつの商品の寿命として考えられないこともない。そして消費しつくされるまで。彼女たちの身体が手足眼を含め多くの部分が交換可能なように、一個の機械として維持し管理されるのである。

では何の商品なのだろう。それは彼女の役割が象徴的に示している。それは国家内に向けられた「安全保障(セキュリティ)」と「社会保障(生命)」である。彼女は国家内のセキュリティシステムの一環として存在している。サイボーグ技術と洗脳と言う、おそらくは今後一般的に使われるであろう医療技術を設定の根本におきながら、「GUNSLINGER GIRL」は現在の社会システムにきわめて親和性が高いように思える。セキュリティの為に幾重にも張り巡らされる自由への干渉、それを「GUNSLINGER GIRL」における彼女たちが先端的に表彰しているように思えるからだ。

彼女たちの強い関心は自分たちの担当官に大して向けられる。親子ほどの年齢差がある担当官は何故か全員男性でもある。父親に対する愛憎が彼女たちの欲望のすべてでもある。それはエディプスコンプレックスの裏返しともいえないことはない。ただし担当官は、彼女たちの自分たちへの思いを知ってはいるが、それが「条件付け」の結果であることも認識している。唯一、「義体」セカンドタイプの少女が、自らの感情が「条件付け」から来ていないことを意識し、担当官に愛を告げる。その顛末は現段階では明らかにされてはいないが、上記の流れから考えれば、その愛は悲劇的な結末を迎えるに違いない。

僕はここまで表層的な物語のあらすじを書いている。実を言えばそれ以上の感想は持ってはいない。漫画は漫画であり、それ以上もそれ以下ではない。たたこの漫画の面白さがどこにあるのか、なぜこの漫画に共感を感じるのか、それが僕が男性として持っている欲望からきているのか、この少女たちの姿に現代における自分を重ねてみているのか、どちらかわからない。ただしばらくは注視したい漫画であることには変りはない。

2007/12/08

ダイアン・アーバス さまざまな神話

裕福な家にひとりの女の子が産まれた。両親は厳格だったが忙しく、彼女の養育に関わる時間が持てなかった。だから彼女は使用人によって育てられた。ある時期まで彼女にとって世界は完全であった。欲しいと思うものは特になかったし、何かが足りないと感じることもなかった。

彼女は大人になり写真家になった。そして同じく写真家の男性と結婚し、二人の子どもを授かった。そこでも彼女の世界は完全であり続けた。完全な世界、それは逆に言えば壁に閉じられた世界でもあった。壁の中で、何かに守られながら彼女はその世界を全てであると感じていたし、何から守られているのか、という問いが脳裏に浮かぶこともなかった。異質なものへの興味は元々持っていた。しかし異質なものは壁の外にあり、それらが存在することは感じていたが、見ることも聞くこともなかった。

夫妻の仕事はファッション業界の写真撮影だった。ファッション写真、それは演出と構図を重要視する。それはイメージの強調であり、人が共有する美に基づいての作画でもある。ここで学んだことは、彼女の写真の礎となったのは間違いない。ある意味、造られた美は、裏面に元々備わっている美が刻印されている。造られた美を追求することは、そうではない美を追求することに繋がると思えるのだ。何故なら、造られた美には写真に本来写し出される決定的な何かの厚みが薄くファッション写真を撮るごとに、写真家はその足りなさを意識することになるように思えるのである。

彼女がその世界から離れ、異質なものに向かうきっかけとはいったい何だったのだろう。様々な要因のなかで、ひとつあげるとすれば、それは写真家として彼女の独立があげられる。彼女の写真の先生は言った。「今までカメラを向けたことがないものを撮りなさい」
カメラを向けたことがないもの、しかしそれは有意識に在ったものでもある。意識にないものはカメラを向けることさえ適わない。壁の外には何が在るのか、尽きせぬ興味、行ったこともなく見たことがないものは彼女には沢山あったのだ。そしてそこにこそ決定的に足りない何かがある可能性があった。

だからといって、彼女が写真家として独立しても、幼い頃に構築した世界(フレーム)から抜け出たというわけではない。彼女を守る壁、それは多少小さくなり「盾」と呼ばれるようになったが、いまでは首にぶらさげたカメラであった。彼女は街で見かける興味深い人たちを多く撮った。小人と巨人、双子と三つ子、サーカス小屋の芸人、諍う夫婦、泣き続ける赤ん坊、女装癖のある男性、多くのヌーディストたち、おもちゃの手榴弾を手にし興奮気味の子ども・・・・・・

彼女が撮った者たち、確かに彼らは今までに彼女がカメラを向けたことがない者たちであった。でも決して撮られない人たちもそこにはいた。例えば経済的に貧しい者たちとその生活、人種的マイノリティの人たち。その視点で見ると、彼女の多くは白人たちであったのは事実だ。ただ多くの写真で共通することは、彼女がカメラを向けた人たちの多くは産まれたときから苦悩を、それが彼女の世界からの視線であったのは事実だと思うが、背負わされていたということ。

彼女は言った。「彼らは産まれながらの貴族なのです」と。彼女は興味を持つ人たちを写真に撮るときは時間をかけた。彼らの世界に入りこみ、彼らの秘密を聞いた。親密な関係を結び、その上で彼女が望む写真を撮った。彼女の手法は正方形とストロボだった。それにより被写体の陰影をより強調させるのである。それらは恐らくスタジオ撮影からの技法を取り込んだのだろう。ファッション誌におけるモデル撮影と本質的には変化がないと言えば言い過ぎかも知れない。ただ、彼女の「貴族」という言葉から、彼らといかに親密な関係を築いたとしても、所詮は彼女にとって彼らは外部の人であるという事実を拭うことはできない。

彼女は彼女のフレームで重ねた世界をコレクションし続けた。彼女の一連の撮影までの行為は写真家と言うよりも、コレクターと言ったほうが近い。彼女が写し、公開と言う場のために選択した写真群はいわば彼女の世界の確認であるように僕には思える。いわば、自然に備わった美を写すことは一つの矛盾でもある。だからこそ被写体に対し「貴族」と言うフレームワークを与えるしかない。そしてその中で写す行為を自分に対し納得させるのである。それでは彼女は何をコレクションしていたのだろう。それは写真に写る何かである。そしてその何かは彼女にとっては、彼らが生まれながらの境遇を代償にして手に入れていたようにみれたのだ。彼女はそれを発見したのである。「貴族」とはフレームではあるが、別の言い方もできる、それは単なる写真に命を吹き込むもの、「写真性」である。

たとえばこんな逸話が残されている。あるとき彼女は巨人症の男性を彼の家で彼の両親と一緒に写真をとった。彼とその両親の三人が写った写真を彼女は友人に見せ次の様に語る。
あるとき、ダイアンは興奮した声で『ニューヨーカー』のジョン・ミッチェルに電話をかけた。「どの母親も、妊娠しているとき悪夢に悩まされることをご存じ? 生まれてくる赤ちゃんが怪物だったらどうしようという? わたし、エディを見上げているお母さんの顔を見てはっと思ったの。彼女はこう思っていたのよ。『ああ神様、あんまりです!』って」
(「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワーズ 名谷一郎訳 文藝春秋)
彼女が写したかったものは巨人の男性とその比較としての彼の両親の組み合わせではない。彼女が写したかったものは、写真に残され、彼女が後付で気がついたものだ。それは巨人の男性の母親の表情だった。さらに厳密に言えば、母親の表情も明確には彼女の言うようなももではない。でも明らかにそこには母親の残酷なまでの思いが不可視なフィルターとなってその写真にかぶさり、鑑賞する者の気持ちを揺さぶるのだと思う。そういう写真はダイアンが彼らの日常に入り込むことによってでしか得ることができないものであった。そしてその不可視のフィルターの有無が写真にとって不可欠だったのである。

彼女の写真で僕が一番に印象深いのは総合失調症の人びとを撮った一連の写真である。強烈な印象は、彼女の思惑を越えて存在していた。彼らを撮ることで彼女は自分の撮影を見失う。彼女は常々「撮影とは誘惑です」と話していた。その「誘惑」が彼らには通じなかったのだ。彼女にとって彼らは真の意味で異質な者たちだった。秘密の共有も、そこから来る親密な関係も、彼女が望むポーズも、けっして彼らは彼女に与えなかった。ここではカメラは「盾」には成り得なかった。彼女が自殺をした時、これらの写真は焼き付けられることなく、従ってタイトルをつけられないまま残った。

ファインダーから被写体を眺めるとき、カメラアイが身体の一部に拡張されることはない、それは逆に身体がカメラと言う機械の一部に取り込まれる感覚に近い。そのとき自分はもはや人間ではない。写真を撮る一個の機械となり、身体はファインダーとカメラアイとの間に置かれるのである。そしてその場所は彼女にとって安全な場所だった。しかし、その安全な場にいてはカメラを制御することはできない、と彼女は感じ始めていたのかもしれない。一般論でいえば、「写真性」の制御は撮影者にも被写体にも可能ではない。「写真」は撮影者にも被写体にも属してはいないのである。彼女は頻繁にカメラを使いこなせない難しいと友人に語り始めていた、まさにそのとき彼女は制御不能な「写真」を制御しようという、解決不能な問題を抱えたように僕には思えてくる。

それ以外にも、彼女は生前多くを語った。しかし、それらを時系列的に並べみても彼女の精神活動を顕わにすることはできないと思う。ひとつの言葉は、新たな言葉によって打ち消される。残された一群の写真は彼女がかつてそこにいたことを証明づけるが、果たして彼女を現しているのだろうか。写真群は印象が強ければ強いほど、彼女を実体とは違うあらぬ方向に流そうとしているかのようである。そしてそこから神話が産まれる。神話は自己生産的にあらゆるヴァージョンが誕生する。多くの者は神話を利用し自分の欲望を満足させる。どれもが正しく、そしてどれもが正しくはない。

スーザン・ソンタグは著書「写真論」の中の「写真で見る暗いアメリカ」のなかで彼女の事を多く割いて書いている。しかしソンタグの描き方はホイットマンの流れをくむアメリカ文化史の中に彼女を組み込んでいる。ソンタグにとって彼女の文脈はアメリカの中に位置している。藤田省三は一般論の積み重ねで彼女を描く。藤田の描く彼女は人間の各層の境界線を打ち砕くものとして描かれる。日本で刊行した彼女の作品集には拙くも無個性でそれゆえ愛の福音書のような語り口の彼女が登場する。パトリシア・ボズワースの彼女の伝記はまるで聖書(ボズワース伝)のようでもある。
彼女の自殺の事実が、彼女の作品は誠実なものであって覗き趣味ではなく、 またいたわりのものであって冷たいものではないことを証明するかのように見える
(スーザン・ソンタグ 「写真論」 P46 近藤耕人訳)
写真が覗き趣味であるか、そのような疑問をいまさら呈する者などどこにもいない。覗き趣味といえばその通りだが、これ程までのデジタルカメラ普及を考えれば、時代はその言葉を陳腐化させている。街角では監視カメラが僕らの日常を撮し続け、携帯に装備された小型カメラで人々はところ構わずシャッターをきる。それは写真を撮るという行為では既になくなっている。自動機械としての撮影機、街角の監視カメラとなんら変わりない行為に写真を撮る行為は変化している様に思える。それはダイアンなどの写真家といわゆるアマチュアの間に引かれた一線ではない。むしろそれらの一線があいまいになっていく過程が写真を撮るという行為の変化過程でもあるように僕には思えるのだ。

たとえば、月探査衛星「かぐや」が写した月から観た地球の出と入りは美しく感動を覚えた。「かぐや」の写した映像は、「かぐや」に装備された機械と制御するプログラムによって写されたものである。それと人間が写した写真との違いは何もない。写真が写真足らしめるには、誰が写すというのは関係ないのである。むしろ写真を撮る行為はある意味人間でいることをやめさせる。写真は人間の経験の拡張でもある。既に僕らは、馬の走る姿もミルクの一滴に生じる王冠も経験している。ダイアン・アーバスの写真は相対性を「違和感」を露にすることで我々に新たな視点を(多くの人にとっては不快感と共に)もたらした。でも時代はその概念を既に受け入れ、流れの中で「貴族」たちは消えていった。

彼女の写真は、彼女個人の問題から発しているのだろうか。多くの識者たちはそのように彼女のことを語る。彼女の写真とは彼女自身でもあるかのように。でも それは少し間違っている。彼女が撮った写真に彼女はいない。彼女とは「彼女の見て構造化した世界」であるが、それらは決して写真に内在してはいない。被写体を選んだのは間違いなく彼女ではある。でもそれと写真が写真として成り立たせることは関係性がないと思うのである。彼女が撮った写真は、彼女に関係ない場所で写真として存在している。

ダイアン・アーバスの伝記を元に作られた映画が今年公開した。惜しくも僕は見る機会を逸してしまった。逸したのは僕の臆病さから来る躊躇なのは知っている。商業的に造りだされるアーバスに画面を通してとはいえ対峙することが僕は怖かった。ただ映画も新たな彼女の神話になることに変わりはない。映画は個人と写真との乖離をなおさら難しくすることだろう。でもそれは写真本来の問題というより、著作権の問題からと言うほうが正しいように思えるのである。

2007/12/07

テレビドラマ「点と線」(ビートたけし出演)をみてだらだらと思うこと

1958年(昭和33年)公開の映画「張込み」について、 監督である野村芳太郎は次のように語る。
「この映画はリアリティが大事です。観客が少しでも嘘っぽく感じられないようにリアリティを求めました」

映画冒頭で、刑事たちが張込み現場に着くまで、列車内の場面が延々と続くのはそうした監督の配慮からきているのだと思う。映画におけるリアリティの追求とはひとつのパラドックスに近いかもしれない。 人工的な所作により作られる「現実」は、当然にそこに製作者の考えが盛り込まれている。つまりは、その時点で「現実」 は外部ではなく内部性からという矛盾を抱えてしまう。

ただし映画「張込み」の場合、原作とほぼ同時代の映画なので、 監督自身は物語の時代設定を意識することはない。野村芳太郎監督が意識するリアリティは、 刑事と言う仕事と生活がべったりと貼り付いた人間の生態にこそあったと思う。

これが2007年公開映画「続 三丁目の夕日」となると、 リアリティはCGで描かれた風景のみとなる。「続 三丁目の夕日」はまるでテーマパークの様に安全で清潔で明るい。 そこには昭和30年代の公害と大気汚染に見舞われた東京の姿はどこにもない。首都高で覆われていない日本橋、完成直後の羽田空港、 そのほか日常を取り巻く数多くの小物が登場し、そこに役者を立たせたとしても昭和30年代初めにはたどり着くことはできない。おそらく、もう我々には昭和30年代さえ描くことは難しい状況になっているのかもしれない。ふと、そんなことを思う。

2007年11月24日・25日の二夜連続で放送したビートたけし主演の「点と線」 を観た。このテレビ版「点と線」では、原作もしくは過去に映画化(昭和33年)されたものと比べ、(1) 現在から過去の出来事を振り返ること、(2)ビートたけし扮する老刑事鳥飼重太郎が事件に対し極めて強い執念を持つこと、(3) 鳥飼と刑事三原紀一が本事件から二度と会わないこと、の3点が際立って違うように思える。無論、ドラマの中で戦争の経験を引きずることが、 鳥飼の事件に対する執着、および犯人である安田辰郎が犯罪行為に至らせたという伏線も違うといえばそうなのではあるが、 ただ戦争の逸話は本ドラマでは、俳優たちの熱意ある演技と裏腹でそれほど重要ではないように思えるのである。

僕にとって本ドラマで重要なせりふ、と言うより印象に残っているせりふは、 鳥飼重太郎の最後に述べる一言、「何故か無性に腹が立つ」である。それらは、鳥飼の人生のなかで常に持ち続けてきた心情であり、 それが本事件でも現れたように思えるのである。仮に、犯人夫婦が自害せずに検挙されていたとしても、鳥飼のこの「何故か無性に腹が立つ」 感情は拭うことができないように僕には思える。

鳥飼はなぜ無性に腹が立つのか、何に対して腹が立つのか、 それらはドラマでは明らかにされることはない。彼の心情の起源が戦争にある様にドラマでは描かれているが、 僕にはそのように見ることはできなかった。腹が立つ対象が社会システム、 もしくは自己願望達成への無力感にあるという安直な考えに僕は即同意はできない。鳥飼重太郎の 「腹が立つ」 感情はそういう部類から起こっているように思えないのである。

たとえば、このドラマが放映されていた最中、新聞では守屋前事務次官による防衛省収賄容疑報道が一面の見出しを踊っている。それらはドラマと同じ状況を彷彿させるが、僕自身が受けるものは無関心と脱力感でしかない。鳥飼の「腹が立つ」感情は終わった結果に対して向けられてはいない。

鳥飼の人生の流れの中で現れ培われていったその感情は、やはり流れの中にこそあるのである。つまりは社会システムの一断面、自己願望未達という、流れを切り取ったところに見出されるようなものではないように僕には思える。さらにいえば、流れを切り取ったとき、それは既に同じものではなくなってしまっている。問題は常に未解決のまま残され、「腹が立つ」気持ちから受け入れられる。「腹が立つ」と言い、その出口を三原に向けた鳥飼は、その誤りを知り帰京する三原を探し夜の街を走り回る。でも結局三原とは会えず、それが最後の出会いとなるのである。

話は変わるが、上記にあげたドラマ設定上の三つの変更点は、 ひとつのシーンに収斂する。それは鳥飼重太郎の死に様である。

確かにアリバイ設定上、昭和30年代の時代背景は無視できない。 現代においては同様のアリバイ工作はできようもないからだ。でもだとしても、それが現代から振り返る筋書きとする理由にはならない。 僕にとって、このドラマは鳥飼の死を描きたかったのでないかと思えて致し方ないのである。「何故か無性に腹が立つ」鳥飼の死を、珍しく雪が降った寒い朝に庭で一人うつぶせになり死んでいった姿として描くこと、それがこのドラマで一番描きたかったことではないだろうか。それは「何故か無性に腹が立つ」人の死に様としてふさわしい。

このドラマでは5人の死が描かれている。情死偽装された男女の死、 ある意味情死ともいえる犯人夫妻の死、そして鳥飼の死である。それぞれの死は、「点と線」に絡まる事件の中で一つの過程として現れる。 情死偽装された男女の死は鳥飼にとっては発端ではなく、流れる問題の新たな発見である。犯人夫妻の死は問題の解決ではなく、 新たな問題を鳥飼に怒りを持って強引に認識させる結果となる。

そしてその問題は解決されることはない。鳥飼の死に様が、 一種殺人現場に近いように描かれているのは必然なのかもしれない。逆説的に言えば、解決不能な問題を認識しないものこそが、 新しい出来事を受け入れることも見つけることもなく、それだからこそある意味安らかに死んでいくことができる、 そういう風に鳥飼の死に様は語っているかのように僕には思えたのだ。

映画を含め最近昭和30年代が多く描かれている。現在から昭和30年代を眺めると 「戦後はもう終わった」と言われた同時代の宣言が滑稽のように思えてくる。

映画「続 三丁目の夕日」もテレビドラマ「点と線」も、時代設定を昭和30年におきながら現代のリアリティをもって描かれている。それは時代劇となんら変わることはない。昭和30年代に我々が失ってしまった何かがあるかどうかは僕にはわからない。でもそれを描くために、たとえば「続 三丁目の夕日」の中で使われたせりふ「お金より大事なもの」というステレオタイプのイメージを出すために、途方もない制作費と、消費活動を利用した宣伝効果を利用しているのも事実なのである。