昨夜はどうも知らないうちに眠ってしまったようだ。気がついたら朝の七時。窓の外は今日の天気が良いことを示すかのように青空が見える。しばらく布団の上に座りボケーとする。どうも僕は起きてすぐに行動がとれないタイプのようだ。昔は低血圧だからと言い訳にしていたが、最近高血圧気味であることを知ってから使えなくなった(笑)。
しばらくパソコンで昨日撮った写真を整理した。朝食を摂り、パソコンで作業をし、ちょっと本でも読んでいたら、気がついたらお昼になっていた。休みの日は何でこんなに時間が経つのが早いのだろう。毎週思うこの感覚。昼食を摂り、それからさっきまで読んでいた本をまた読み返す。横になって読んだためかいつの間にか寝てしまっていた。そして気がついたら夕方の4時。
一瞬理由もなく慌てる。慌てながら何を慌てているのだと考えると可笑しくなった。ちょっと出かけるかと思い立ったのは、理由もなく慌てる気持ちがそうさせたのかもしれない。かといって今の時間から遠くに行けるわけもなく、ただ単に読書をするために近くのファーストフードに行こうと思っただけのことではあるが。
そこで1時間半くらい音楽を聴きながら読書に没頭する。それはそれでとても楽しい時間だった。表に出るとあたりはすっかり夜になっていた。さぁ帰ろうとしばらく歩く。そして昨夜見ることができなかった月を見ることができた。月につられて僕は少し公園でも歩こうと思った。
僕の右目は2年ほど前に眼底出血で三分の一くらい霞がかかっていて見えづらい。そのうえに両目とも近眼で強度の乱視でもある。その僕の目からはお月様は何重にも重なって見える。3つか4つのお月様が重なり、一つの大きな月となって見えることもある。また幾つもの月からの明かりは思いのほか強い。
この右目のせいで僕は幾つもの機械が右目専用であることを知った。例えばカメラは右目用に作られていると思う。右目でファインダーを覗き左目で対象物を見る。だから最初カメラのファインダーを左目で覗くことに慣れるのに少々時間がかかった。でも良いこともある。僕の目から見る世界はとても美しいのだ。
この目のおかげで以前より周りが美しいと感じることが多くなったように思うが、これは歳のせいもあるかもしれない。
ただ美しさというのは一つの価値観でもある様に思う。そして僕らはそれを幼い頃からの訓育で獲得してきた。だから時代というか社会と共に美しさの基準が変わるのもあることだろう。
ただ、この夜空に浮かぶ月の美しさを感じる心は、この惑星に生きる人間への神様から与えられた贈り物のように僕には思える。地球上で、どこかの地域で、この月を汚いと思う人たちはいるのだろうか。などとそんなことを考える。おそらくそういう人たちは、僕と同じ価値観を共有することは難しいことだろう。
無論、この価値観を押し広げ一歩間違えれば、とんでもない価値観が表れることかもしれない。それに月を汚いと感じる人の心も、もしそういう感覚を持っている人がいたとしても、それはそれで人間の感覚であることには間違いはない。
公園にヒマラヤスギが林立する場所がある。そこでヒマラヤスギの枝の隙間から月を眺める。
近くには硬式野球場がありライトが付いている。その明かりに照らされ、周辺はコントラストが強く明暗がくっきりと分かれる。何人もの人がジョギングで走り抜けてゆく。そしてその頭上には、濃い群青色をさらに深みを増した夜空に月が浮かぶ。
しばらく走る人と同じ方向に歩く。少し歩くとそこには公園の中央階段があって、何人もの人が会談に座り話をしている。そこには野球場のライトから離れ、夜の丁度良い暗さとなって落ち着きがでている。人はそう言う場所で何を話すのだろう。もしくは恋人同士、言葉少なげに夜のこの雰囲気を楽しんでいるのかもしれない。
時計を見ると7時を少し回っているようだ。公園の間を抜ける都道の上にかかる橋を渡る。何枚か写真を撮る。手ぶれを防ぐために橋の欄干にカメラを置いて固定してシャッターを押す。ありふれた風景の一枚が僕は好きだ。何事もないどこにでもある日常の一枚。それはたぶん他の人から見るとつまらぬ写真だろう。でもそれを撮した人にとってはどれもが大袈裟に言えば特別なものだと思う。
そう言えば秋の月が何故良いのか、テレビで検証していた番組を見た。夏の月は高度が高く見るためには上を見上げなくてはならない。冬の月は低すぎて樹木とか建物に隠れる。春の月はもやではっきりとは見えない。秋の月が高度も適当で空気も澄んでいるために良い月見ができる。とか言っていた。なるほどなと妙に納得した。実際に今夜の月を眺めると、確かに首を上に傾けるまでもなく視界に入っている。
そんな感じで僕は公園をだらだらと歩いた。まだ公園には人が多く、しかし夜の闇のせいか、その多さを感じることも少なかった。そういう夜だからこそ、人は思い思いの自分の姿で、気持ちで、そこにいることができる。それを夜の優しさと思うか怖さと思うかは人それぞれだろう。
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