「FNN(フジニュースネットワーク)と韓国のテレビ局、韓国文化放送(MBC)が日韓両国民を対象に実施した合同世論調査で、日本では韓国をパートナーとみる人が多いのに対し、韓国では日本をライバル視していることが分かった。(中略)
日本側の56・1%は韓国をパートナーだとし、ライバルとみているのは23・2%にとどまっている。これとは対照的に韓国側では、日本をパートナーとみる人は29・2%にすぎず、62・9%がライバルだとしている。(中略)
調査は、日本側では昨年十二月二十五、二十六の両日に成人男女二千人を対象に、また韓国側では同月二十二、二十三の両日、千人を対象にそれぞれ電話で実施した。」(産気新聞から抜粋)
また意味のない調査を新聞社は行っている・・・
この調査は「今年は一九六五年の日韓国交正常化から四十周年にあたり、両国は相互理解を深めるため」、まずはお互いの国に対しての意識調査が目的だと思う。
それはそれで行う意味はあるのかもしれない。勿論、その意識調査の結果により何らかの対応の検討(例えば、文化交流として産経新聞社がイベントを企画する際の参考資料にするとか)が行われる事が前提だが。
ただ新聞の記事として載せるためだけに、この調査が行われたとしたら、それは全く無意味だろう。
以下に本調査の疑問点を記す。
・日韓とも有効回答は何件ずつであろうか。
・サンプリング方法はどの様な方式をとったのであろうか。世代と地域と性別など日韓は全く同じ母集団でのサンプリングを行ったのであろうか。例えば韓国側が若い世代、日本側が主婦(「冬のソナタ」ファン層)に偏る傾向がおきないように配慮する等。
・日本二千件、韓国一千件と違う理由は。
・日韓それぞれの電話アンケートの実施時間帯は。日中であれば社会人はアンケートに参加しないことになる。
電話でのアンケートを行う場合、RDDシステムによりランダムに電話をかけて、繋がった人にアンケートを行う。ただし、電話によるアンケートは断られる場合も多い。
また一般に緊急時を除き、電話でのアンケートは行わないのが通例となっている。何故なら、電話アンケートは信頼性が欠けるからだ。
それに、国毎に比較する場合、質問内容は当然として、サンプリングも両者全く同様にしなければ比較は出来ないはずである。今回の電話による日韓意識調査は、新聞記事だけを読めばひどい調査内容としか思えない。しかも、その内容で両国の比較を行っているのであるから、これは一体何を目的にしているのかと、逆に穿った見方をしてしまう。
もしこの調査に何らかの目的があり、アンケートの正当性を持たせるのであれば、記事においてもアンケートの仕方についてきちんと細かく内容を記載して欲しいと思う。
2005/01/05
2005/01/04
「産経抄」の石井英夫氏に
最後の「産経抄」には密かに「毒」を盛ることを常としてきたとも言っていたので、少なくとも僕にとっては、石井さんの思うつぼだったのだろう。
「産経抄」は毎日の楽しみの1つだった。一時発言が過激であると、少し敬遠した時期もあったが、それでもやはり気になるコラムであり続けた。
新聞を選ぶとき、僕はコラムで選ぶ。コラムでの主張がその新聞の考えを端的に示していると思うからだ。そう言った意味では「産経抄」は、そのまま「産経新聞」の顔であり声でもあった。
「産経抄」で今年沸き上がった議論に「自己責任」があった。今年1月1日の産経新聞の特集に恒例の「産経抄で見る今年の一年」が掲載されていたが、その中でも「自己責任」のコラムが載り、石井さんは最後まで自説を変えてはいなかった。
「自己責任」に対する考え方もそうだが、その他の考えも僕とは違う点が多々あった。逆にだからこそ僕は「産経抄」を読み続けたのだと思っている。心地よく響くコラムはコラムではないと僕も思うからだ。
考えが違うと言っても、それでも石井さんのコラムには頷く時もあった。そして辛口といわれたコラムにも、石井さんの優しさがその中には沢山あった。
「人間の心と魂は別だと思う。江藤さんの心は「慶子夫人」の後を追って死んだが、魂は「昭和」に殉じて憤死した。」(1999年7月23日)「江藤淳は形骸に過ぎず」の遺書を残して、亡き妻の後追い自殺をした江藤淳氏を偲んでの産経抄の一節。「心と魂は別だと思う。」のひと言が奥深い。未だに僕には、その違いがわからないが、石井さんには、江藤淳氏の二重の苦の内容が十分にわかっていたのだと思う。
石井さんのコラムでは「コブシ」の花の話題が毎年恒例だった。また山本夏彦氏の話題も時折でた。山本夏彦氏のコラムで以前に笑ってしまった一文で、「バカが100人集まれば100倍バカ」というのがある。石井さんの場合はそこまでは言わないが、確かに「文章の書き方」については山本夏彦氏の後継の印象を受ける。
石井さんがコラムニストとして常に心がけていたのが、「平易でない名文はない、難しい文章はつまり悪文なのである」だろう。それに続くコラムがある。
「平易で、しかも味のある文章はどうしたら書けるのか。これは天下の難題だが、実は折から山本夏彦氏の近著「完本文語文」が答えてくれる。『文はあまりすらすら読まれると忘れられる。所々むずかしい漢字をころがしてつまづいてもらう必要がある』。なるほどそれが骨子であるらしい。(中略)日本人はすでに文語文を捨て、いま口語文もおぼつかなくなった。滅びるべき言葉が滅びるのは仕方ないが、滅びなくてもいいのに滅んでゆく言い回しを山本さんは強く愛惜している」(2000年6月16日)日本語の美しさに石井さんは求めていたようにも思う。それは気障な文章でなく、雑学を披露する事でもなく、あくまで内容は今の社会であり、そして誰もが同じように理解出来る平易さだったように思う。
「産経抄」の執筆をやめても、石井さんはたぶんコラムニストとして文筆活動は続けられると思うし、そうあって欲しいと願う。本当に今までご苦労様でした。そしてさらなる活動を期待しています。
最後の石井さんの「産経抄」を下記に残します。
***********************
ことしを象徴する漢字は『災』だったが、年が押し詰まったところで地球的な“大災”が発生した。スマトラ島沖巨大地震の大津波では、万を超える人びとが波にさらわれた。日本人ツアー客にも多数の犠牲者がでているという。
▼被害の広がりが気になるところだが、きょう二十八日は「仕事(御用)納め」。歳時記に「古筆も洗ひて御用納かな」(瓜青)の句がでていた。ところでもう一つ納めるものがある。小欄・産経抄も本日をもって筆者交代いたします。それが何と三十五年間も長居をしてしまっていた。
▼日ごろ愛唱する言葉に「花は愛惜(あいじゃく)に散る」と。道元『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』のなかの詩句だが、ナニあの難解膨大な書物を読み通したのではない。教えられて聞きかじった言葉で、何事も惜しまれているうちに散れという戒めだったが、つい忘れていた。
▼某夜、酒席で作曲家の船村徹さんから「お前さんの産経抄には毒がある」といわれたことがある。「ただし毒にも薬にもならぬコラムはコラムじゃない」とも。それを聞いてにんまりした。なぜなら、ひそかに耳かき一ぱいほどの毒を盛ることを常としてきたからだった。
▼「戦争に大義は無用である」「(従軍)慰安婦は国家の下半身だった」「反戦平和ほどうさん臭いものはない」「学校教育に強制は不可欠である」「日の丸・君が代のどこが悪い?」などなどと。とにかく時流に逆らうことばかり書き続けてきた。
▼そういうへそ曲がりで時代遅れの小欄にとっては、年貢の納め時がきたというべきかもしれない。晩唐の詩人・杜牧の一節に「長空 碧(みどり)杳杳(ようよう)たり/万古 一飛鳥」と。担当は石井英夫でした。ありがとうございました。明日から小欄は新しい視点と切り口で再生いたします。
(2004年12月28日 産経抄から)
スマトラ沖地震 インド洋大津波関連MEMO
スマトラ沖地震 インド洋大津波関連のMEMOです。特にブログとして僕の意見はありません。
「死者・不明者十数万、被災者100万人という数字は人を圧倒して、その人命への想像力や他人の苦しみに共感する力すらマヒさせてしまう▲亡くなったひとりひとりにかけがえのない人生、愛、そして夢があったことを思えば、その万分の一も伝えられぬ言葉の無力ももどかしい。」(毎日新聞 余録から)
人は数の大きさに鈍感になってしまうのだろうか。余録の思いは僕の思いに近い。新潟県中越地震での被災者の苦しみは実感できた。そこには1人1人の顔があったし、失われた生活も想像できた。
しかしそれに較べ、インド洋大津波の場合は単なるデータとして数を受け取っている自分がいる。
以下に掲載しているのは、忘備禄としての新聞記事の抜粋です。記事の抜き取り掲載以外は何もありません。
「米地質調査所によると、M8.9の地震はスマトラ島西方で26日午前8時(日本時間午前10時)ごろ観測。震源の深さは約10キロ。その後も同島北方のインド洋アンダマン諸島などを震源とするM5?7級の地震が続発した。M8.9は1900年以降で5番目の強さ。最大は60年チリ地震のM9.5。」(産経新聞から)
後に米地質調査所はM9.0に訂正した。M9・0は一九〇〇年以来発生した世界の大地震の中でも四番目の強さ。しかし、問題は強さが何番かではなく、犠牲者と被災者の人の多さだろう。何故こんなにも多くの方が犠牲になられたのかを考える必要が、残された者達の1つの使命かもしれない。
ちなみに、「津波による死者が一万人を超えたのは世界の観測史上、三十メートル以上の大津波が日本の三陸海岸を襲い、約二万二千人の被害が出た一八九六(明治二十九)年の「明治三陸地震」以来。」(産気新聞から)
「28日付香港各紙によると、スマトラ沖地震で、日本でも人気になった映画「HERO(英雄)」などで知られる中国出身の映画俳優、李連傑(ジェット・リー)さんが足に軽傷を負った。」(産経新聞から)
有名人の場合、名前と顔が見える事により気持ちが入る。リーさんは危なかった。それと同時に、リーさんを通じて、津波の恐ろしさが伝わってくる。しかし、こういう事で感じるのは僕の感性の鈍さなのだろうか。
ロイター通信によると、米地質調査所は28日、スマトラ沖地震により海底プレートが最大で約30メートルずれ、スマトラ島近くの小さな島が移動したとの観測結果を明らかにした。
「ブッシュ米大統領は29日、スマトラ沖地震の大津波について初めてコメントし「自分の理解を超える損害だ。われわれはこの破壊を乗り越えていく」と述べ、被災国と連帯して救援・復興活動を進める決意を強調。日米、インド、オーストラリアの4カ国で救援・復興活動を調整する「コア(中核)グループ」を立ち上げる考えを表明、国際社会に参加、協力を呼び掛けた。」(産経新聞から)
米国だけでなく、多くの国々が支援と援助を行う旨の宣言があった。イギリス、ドイツなどの欧州諸国。中国、韓国のアジア諸国。政治を持ち込まないで支援と援助を行って欲しいと願う。ブッシュ米国大統領はインドネシア等のイスラム諸国での被害拡大に懸念を持っているとの報道もあった。
2005年の新年では各国が津波犠牲者に対し黙祷を捧げた。
「世界保健機関(WHO)のナバロ事務局長代表(危機対応担当)は1日、スマトラ沖地震による津波の被災地スリランカ、インドなどで「下痢など感染症例の報告が増えている」と述べ、感染症の進行が始まっていることを明らかにした。」(産気新聞から)
邦人犠牲者21人、行方不明11人
「ゾウが津波を事前察知、観光客の命救う?。スマトラ沖地震の津波が起きた昨年12月26日、被災地になったタイ南部の海岸にいた観光用のゾウが、津波の来襲する前に近くの丘に向け“疾走”、背中に乗せていた外国人観光客約10人の命を救っていたことが2日、分かった。」(産経新聞から)
当時その観光地には3800人の観光客がいたが、ゾウで助かった人の他は全員津波にのみ込まれたとのこと。ゾウが事前に危機を察知したのかは僕にはわからないが、この10名はこの体験を語り続けることだろう。
「村が次々と一瞬で消滅 アンダマン・ニコバル両諸島。
左手を骨折し、胸にも痛々しい傷が残る少年、シブクマル君(15)は、ニコバル諸島にあるカールニコバル島の海岸から約30メートル離れた自宅でちょうど目覚めたころ、津波に襲われた。遠くで強い風の吹くような音が聞こえ、高さ約6メートルはある巨大な波に押し流された。家の屋根などにぶつかって負傷。一緒にいた両親の行方は分からない。
シブクマル君が入院する政府系病院には、流されて体中に傷を負ったり、下痢やマラリアを発症したりした乳児十数人も入院している。
高熱と下痢に苦しむ1歳6カ月の男児をあやしていた母親、マハラクスミさん(25)は、アンダマン諸島南端の小アンダマン島で地震を感じた。誰かが「水が襲ってくる」と叫ぶ声を聞き、片手で男児を抱き、ほかの子供2人の手をつないで逃げた。
カールニコバル島のカマルモーセス君(12)は海岸から約1キロ離れた自宅から逃げる途中、高さ約10メートルの津波に襲われた。津波が引くと同時に地面にたたきつけられ、左足を骨折した。恐怖を忘れられないのか不安そうにベッドに身を横たえていた。」(産経新聞より)
「スマトラ沖地震の津波による行方不明者を探す肉親らに、英政府をかたった偽の「死亡確認」通知の電子メールが相次ぎ送付され、ロンドン警視庁は1日、悪質ないたずらとして捜査を始めた。」(産経新聞から)
新潟県中越地震でも「おれおれ詐欺」があったが、日本だけではないようだ。何を目的にこのような事をするのか理解に苦しむ。
「会議はインドネシアのハッサン外相が「国際社会の人道的結束」に基づき東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、米国、中国、韓国などによる首脳会議の開催を呼び掛けた。政府は当初、町村信孝外相の派遣を検討したが、インドネシア側から小泉首相サイドに強い出席要請があり、深刻な被害状況などを考慮し首相自ら出席することにした。
日本はタイ、インドネシア、スリランカ、モルディブの4カ国に国際緊急援助隊を派遣済みで、タイを除く3カ国への無償資金協力などの支援を進めている。会合では各国への財政支援措置や感染症の拡大防止の協力態勢などが話し合われる。未整備のインド洋での津波発生に対する早期警報システムの構築も議題になる見込みだ。(共同)」(産経新聞から)
「死者総数は14万5000人に インド洋大津波
ロイター通信の3日までの集計によると、大津波を伴ったスマトラ沖地震による死者は、インド洋の沿岸各国で計14万4887人となった。最大の被災国は、震源に近いアチェ州のあるインドネシアで、犠牲者の6割以上を占めている。
各国別の死者数は、インドネシア9万4081人、スリランカ3万196人、インド1万5160人、タイ5104人、マレーシア74人、モルディブ74人、ミャンマー59人、バングラデシュ2人、東アフリカ(ケニア、ソマリアなど)137人。(共同)」(産経新聞から)
「昨年12月26六日のスマトラ沖地震の津波で多くの村が被災したインド領アンダマン諸島で、津波の当日に生まれ、多くの人々の助けで生き延びた男児に、両親が「ツナミ」と名付けた。ロイター通信が伝えた。父は「この名前は誰もがすぐに覚え、忘れないだろう」と話した。」(産経新聞から)
医者から示唆されたらしく、両親とも気に入ったと記事にあった。
「死者・不明者十数万、被災者100万人という数字は人を圧倒して、その人命への想像力や他人の苦しみに共感する力すらマヒさせてしまう▲亡くなったひとりひとりにかけがえのない人生、愛、そして夢があったことを思えば、その万分の一も伝えられぬ言葉の無力ももどかしい。」(毎日新聞 余録から)
人は数の大きさに鈍感になってしまうのだろうか。余録の思いは僕の思いに近い。新潟県中越地震での被災者の苦しみは実感できた。そこには1人1人の顔があったし、失われた生活も想像できた。
しかしそれに較べ、インド洋大津波の場合は単なるデータとして数を受け取っている自分がいる。
以下に掲載しているのは、忘備禄としての新聞記事の抜粋です。記事の抜き取り掲載以外は何もありません。
「米地質調査所によると、M8.9の地震はスマトラ島西方で26日午前8時(日本時間午前10時)ごろ観測。震源の深さは約10キロ。その後も同島北方のインド洋アンダマン諸島などを震源とするM5?7級の地震が続発した。M8.9は1900年以降で5番目の強さ。最大は60年チリ地震のM9.5。」(産経新聞から)
後に米地質調査所はM9.0に訂正した。M9・0は一九〇〇年以来発生した世界の大地震の中でも四番目の強さ。しかし、問題は強さが何番かではなく、犠牲者と被災者の人の多さだろう。何故こんなにも多くの方が犠牲になられたのかを考える必要が、残された者達の1つの使命かもしれない。
ちなみに、「津波による死者が一万人を超えたのは世界の観測史上、三十メートル以上の大津波が日本の三陸海岸を襲い、約二万二千人の被害が出た一八九六(明治二十九)年の「明治三陸地震」以来。」(産気新聞から)
「28日付香港各紙によると、スマトラ沖地震で、日本でも人気になった映画「HERO(英雄)」などで知られる中国出身の映画俳優、李連傑(ジェット・リー)さんが足に軽傷を負った。」(産経新聞から)
有名人の場合、名前と顔が見える事により気持ちが入る。リーさんは危なかった。それと同時に、リーさんを通じて、津波の恐ろしさが伝わってくる。しかし、こういう事で感じるのは僕の感性の鈍さなのだろうか。
ロイター通信によると、米地質調査所は28日、スマトラ沖地震により海底プレートが最大で約30メートルずれ、スマトラ島近くの小さな島が移動したとの観測結果を明らかにした。
「ブッシュ米大統領は29日、スマトラ沖地震の大津波について初めてコメントし「自分の理解を超える損害だ。われわれはこの破壊を乗り越えていく」と述べ、被災国と連帯して救援・復興活動を進める決意を強調。日米、インド、オーストラリアの4カ国で救援・復興活動を調整する「コア(中核)グループ」を立ち上げる考えを表明、国際社会に参加、協力を呼び掛けた。」(産経新聞から)
米国だけでなく、多くの国々が支援と援助を行う旨の宣言があった。イギリス、ドイツなどの欧州諸国。中国、韓国のアジア諸国。政治を持ち込まないで支援と援助を行って欲しいと願う。ブッシュ米国大統領はインドネシア等のイスラム諸国での被害拡大に懸念を持っているとの報道もあった。
2005年の新年では各国が津波犠牲者に対し黙祷を捧げた。
「世界保健機関(WHO)のナバロ事務局長代表(危機対応担当)は1日、スマトラ沖地震による津波の被災地スリランカ、インドなどで「下痢など感染症例の報告が増えている」と述べ、感染症の進行が始まっていることを明らかにした。」(産気新聞から)
邦人犠牲者21人、行方不明11人
「ゾウが津波を事前察知、観光客の命救う?。スマトラ沖地震の津波が起きた昨年12月26日、被災地になったタイ南部の海岸にいた観光用のゾウが、津波の来襲する前に近くの丘に向け“疾走”、背中に乗せていた外国人観光客約10人の命を救っていたことが2日、分かった。」(産経新聞から)
当時その観光地には3800人の観光客がいたが、ゾウで助かった人の他は全員津波にのみ込まれたとのこと。ゾウが事前に危機を察知したのかは僕にはわからないが、この10名はこの体験を語り続けることだろう。
「村が次々と一瞬で消滅 アンダマン・ニコバル両諸島。
左手を骨折し、胸にも痛々しい傷が残る少年、シブクマル君(15)は、ニコバル諸島にあるカールニコバル島の海岸から約30メートル離れた自宅でちょうど目覚めたころ、津波に襲われた。遠くで強い風の吹くような音が聞こえ、高さ約6メートルはある巨大な波に押し流された。家の屋根などにぶつかって負傷。一緒にいた両親の行方は分からない。
シブクマル君が入院する政府系病院には、流されて体中に傷を負ったり、下痢やマラリアを発症したりした乳児十数人も入院している。
高熱と下痢に苦しむ1歳6カ月の男児をあやしていた母親、マハラクスミさん(25)は、アンダマン諸島南端の小アンダマン島で地震を感じた。誰かが「水が襲ってくる」と叫ぶ声を聞き、片手で男児を抱き、ほかの子供2人の手をつないで逃げた。
カールニコバル島のカマルモーセス君(12)は海岸から約1キロ離れた自宅から逃げる途中、高さ約10メートルの津波に襲われた。津波が引くと同時に地面にたたきつけられ、左足を骨折した。恐怖を忘れられないのか不安そうにベッドに身を横たえていた。」(産経新聞より)
「スマトラ沖地震の津波による行方不明者を探す肉親らに、英政府をかたった偽の「死亡確認」通知の電子メールが相次ぎ送付され、ロンドン警視庁は1日、悪質ないたずらとして捜査を始めた。」(産経新聞から)
新潟県中越地震でも「おれおれ詐欺」があったが、日本だけではないようだ。何を目的にこのような事をするのか理解に苦しむ。
「会議はインドネシアのハッサン外相が「国際社会の人道的結束」に基づき東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、米国、中国、韓国などによる首脳会議の開催を呼び掛けた。政府は当初、町村信孝外相の派遣を検討したが、インドネシア側から小泉首相サイドに強い出席要請があり、深刻な被害状況などを考慮し首相自ら出席することにした。
日本はタイ、インドネシア、スリランカ、モルディブの4カ国に国際緊急援助隊を派遣済みで、タイを除く3カ国への無償資金協力などの支援を進めている。会合では各国への財政支援措置や感染症の拡大防止の協力態勢などが話し合われる。未整備のインド洋での津波発生に対する早期警報システムの構築も議題になる見込みだ。(共同)」(産経新聞から)
「死者総数は14万5000人に インド洋大津波
ロイター通信の3日までの集計によると、大津波を伴ったスマトラ沖地震による死者は、インド洋の沿岸各国で計14万4887人となった。最大の被災国は、震源に近いアチェ州のあるインドネシアで、犠牲者の6割以上を占めている。
各国別の死者数は、インドネシア9万4081人、スリランカ3万196人、インド1万5160人、タイ5104人、マレーシア74人、モルディブ74人、ミャンマー59人、バングラデシュ2人、東アフリカ(ケニア、ソマリアなど)137人。(共同)」(産経新聞から)
「昨年12月26六日のスマトラ沖地震の津波で多くの村が被災したインド領アンダマン諸島で、津波の当日に生まれ、多くの人々の助けで生き延びた男児に、両親が「ツナミ」と名付けた。ロイター通信が伝えた。父は「この名前は誰もがすぐに覚え、忘れないだろう」と話した。」(産経新聞から)
医者から示唆されたらしく、両親とも気に入ったと記事にあった。
2005/01/03
ウィスキー マッカラン
ウィスキーを飲むのは年に2-3回くらい。そのうちの一回は正月。みんなが集まり酒を飲む。ウィスキー購入は僕の担当で、昨年は「グレンモーレッジ」を持って行き評判が良かった。
今年は「マッカラン ディスティラーズチョイス」を持って行く。渋谷の酒屋に買いに行ったとき、マッカランの棚に「お知らせ」の紙が貼ってあった。
それによると、マッカランは在庫分がなくなれば、総てボトルも度数も変わるらしい。売り切れ必至とのこと。
実はまだマッカランは飲んだことがなく、噂では素晴らしいと聞いていた。この「お知らせ」を読み、これは一度飲んでみるべきと購入したが、これが噂通りに美味しかった。
「ハロッズの「ウイスキー読本」では「シングルモルトのロールスロイス」とまで讃えられている現代シングルモルトの最高峰です。」(サントリーから)
「ザ・マッカラン ディスティラーズチョイス」は、他のマッカランがどちらかと言えば赤みがある琥珀色だが、それより色が少し薄い明るい琥珀色の酒で、シェリー樽で貯蔵熟成された事により、フルーティーな香りが心地よい。そしてとても飲みやすかった。
ウィスキーはそんなに飲まない僕でも、ゆっくりとだけど、何杯も飲んでしまった。
つまみは、意外にシーフードに合うと思った。あとで、「ディスティラーズチョイス(distíller's Choice)」とはマッカラン蒸留酒製造業者自身が選んで瓶詰めした、日本市場限定ウィスキーだとわかった。多分魚が好きな日本人の好みに合わせてチョイスしたのだろう。だからかと妙に納得してしまった。自分用に買っても良いかなと思わせるスコッチであると思う。
マッカランのサイトはここ
2005/01/01
雑文 「12」にまつわる事から干支に続く話
昔から妙に数字に対するこだわりがあった。特に僕が12月産まれと言うこともあり、「12」という数字にこだわりをもっていた。今の言葉を使えば「数オタク」と言うのかもしれない。以下に「12」に関するオタクとしての妄想を少し書く。
「12」を使っているものは意外に多い。思いつくまま列挙すると。
1年の月数、1日の時間数は12時間かける2、十干十二支、キリストの使徒は12人、十二単(ひとえ)、ローマ最古の法典は12表法、聖徳太子が作ったと言われる日本最古の冠位制度は冠位十二階、古代の日本政府が発行した銅銭の総称を皇朝十二銭、星座占いの元になったのは黄道十二宮、薬師如来を護るのが十二神将、仏教の教えである十二因縁、人の身体の中にも十二指腸がある。
何故人は「12」を多く使うのだろう?これらは総て偶然の産物なのかもしれない。でも僕はそうは考えていない。それぞれに何らかの繋がりがあるように思えて仕方がない。人には昔から特定の数を神聖な物として考えてきた。勿論これは総ての地域の人に当てはまる事ではないが、古代のある地域の人は「3」を最も神聖な数として扱った。理由は奇数は半分に割り切れず、必ず1余る。昔の人はその「1」に神が宿ると考えたらしい。「3」は「1」を除き奇数の中で最小の数である。そこから「3」が特別な数として扱われたらしい。「12」が「3」と同等の神聖さを古代の人が感じていたとは思えないが、特別な数字だと思っていたのではないかと、僕は思っている。
「12」の中で一番古いものはやはり「暦」としての12ヶ月だと思う。暦が最初に作られたのはメソポタミア文明の太陰暦となっている。太陰暦は月の満ち欠けを日付にあわせる暦なので、1ヶ月は30日となる。1年が何故12ヶ月なのかは、1年の長さを自然発生的に365日と知っていた事から、これも単純に30日で割ることで、そうなっていった様に思える。
1年を365日と自然にわかる事は、例えばエジプト文明を考えると理解しやすいように思う。エジプトではナイルの氾濫から次のナイルの氾濫まで日数を数えると約365日だった。農耕は暦と天文の知識を必要とする。つまり、ある日を特定する状況を定点と決め、次に全く同じ状況になる時までの日数を数えれば、自ずから1年の日数がわかる。
1年が12ヶ月であることが、「12」を意識した最初だったように思う。またこれも想像だが、1日を12に分けたのも、1年を12ヶ月で分けた事により、「時」のサイクルとして12に分ける考えが、そこに芽生えたからではないかと考えている。
ちなみに、メソポタミア文明では「60進数」が使われた。これは現在の1時間が60分であるとして今でも使われているが、「60」の理由はわからないが、僕は何故かそこにも「12」の影を見てしまっている。
話を「12」に戻すと、1年は繰り返しとしての1つのサイクルでもある。ある点から始まり、またその点に戻る運動は、1つのサークル(円)を作ることでもある。そのサークルを12分割する考えが、1年を12ヶ月に分割する事から始まった様に思えてくる。
例えば「黄道12宮」の事を言えば、最初に星座があったのでなく、12分割が最初にあって、あとから星座と関連つけられたのではと、僕は思っている。
「黄道12宮」は、春分点からはじまり、黄道にそって東まわりに、白羊宮(おひつじ座)、金牛宮(おうし座)、双子宮(ふたご座)、巨蟹宮(かに座)、獅子宮(しし座)、処女宮(おとめ座)、天秤宮(てんびん座)、天蠍宮(さそり座)、人馬宮(いて座)、魔羯宮(やぎ座)、宝瓶宮(みずがめ座)、双魚宮(うお座)と並んでいる。
「黄道12宮」は既に紀元前2000年頃にメソポタミア文明で作られたとなっている。12分割の考えは、メソポタミアを通じて世界中に広まった。ただし、ギリシャ、エジプト、そして中国と、伝わる場所によりシンボルは変わっていった。
中国にも12分割が伝わり十二支となっていく。十二支は十干十二支として、元々中国の思想としてあった陰陽五行説の十干と結びついた考えとなる。
十干と十二支はいわば「記号」としての文字の集まりとなっている。
十干は甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)。
十二支は子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)。
シンボルとして、上記の文字が選ばれた理由と、配列順の理由は不明らしい。十干と十二支は元来は別の物だった。十干は陰陽五行説からきている。十二支は、そもそも年月日時間と方位に関する事に使われていたらしい。そこからも、12分割が「時」を中心に使われていったのがわかる。
学生の頃、十二支と動物たち(十二支獣)の関係を調べたことがあった。図書館を使って探求する事はとても楽しかった。十二支の「記号」としての漢字と動物達は後から関係づけられている。その動物たちが選ばれた理由が知りたかった。調べていく内に、仏教の経典に12匹の動物が釈迦の教えを順番に受けた話を見つけた。
その経典によれば、12の島にそれぞれ一種類の動物が住んでいた。ある時釈迦の説法があるので、まずネズミの島からネズミたちが、次ぎに牛の島から牛たちが、と言う風に順番に別々に説法を聞きに行ったという。くしくも、その教典に書かれた動物と、説法を聞きに行った順番は十二支の順番と重なった。この教典を偶然に見つけたときは本当に嬉しかったが、今では十二支の動物たちが確定した後に書かれた教典の様に思っている。
実際は十二支に選ばれた十二支獣の理由もわかっていないそうである。ただ、一部の意見としては、「黄道十二宮」も多くの獣を使われていることから、12分割の考え方と同様に、十二支獣との関連性も指摘する声があるらしい。
薬師如来を護る「十二神将」の1人1人には十二支獣と関連づけられている。関連づけが元々なのか後なのかはわからないが、仏教が中国に伝来してからの後付が正しいのではないだろうか。ただ何故12人なのかの理由は、十二支と同じ理由に思える。その理由は、薬師如来を中心とした全方位の方角を十二神将は現しているように思えるからだ。そして、方角も中国では12分割されている。
繰り返すが、時を現すサークル(円)を12分割する考えがあると思う。サークル(円)は1つの完全な形を表しているとも言える。12はそこから「完全」「完成した1つの世界」を現す数字として、伝わっていった様に思う。方角の12分割が後から中国で含まれたのは、方角もサークルの1つと考えられたからだと思っている。
「12」という数字が、完全を表す数字と仮定するのなら、色々な事項が12分割されているのも、何となく見えてくる。例えば、仏教の十二因縁もその影響を受けているのかもしれない。さらに、キリストの12使徒も、実際に12人だったのかは別として、キリストの「完全」をイメージする事から12人必要だったのかもしれない。例えば薬師如来の十二神将の様に。
キリストの使徒が12人であることと、薬師如来の護衛が12人であることは、僕にとっては、そこから繋がってくる。キリストの場合13番目の男ユダは、その意味からすれば、「完全」を崩す男として象徴的な気さえする。
冒頭にも話したが、これらの意見は僕の想像の産物でしかない。今まで上記の内容中心に「数」にまつわる書籍を探してきたが、合致する内容のものには遭遇したことがない。
今年は干支で言えば酉年となる。総務省は2005年1月1日現在の推計人口を発表した。それによると、今年の干支である酉年生まれの年男・年女は計943万人(男性457万人、女性486万人)。 総人口(1億2759万人)に占める割合は7・4%との事。
昨年の漢字は「災」だった。今年は「災」に見舞われた多くの人が、不死鳥の鳥の如く「災」からあらたな姿で蘇って欲しいと強く願う。
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