2007/05/16

代官山付近、深夜



渋谷・恵比寿・代官山、それぞれの地点から大体等距離にあるトンネル。
トンネルを抜けると、そこには深夜まで営業している銭湯があり、何人かの男性が湯上りを涼んでいた。
自転車を押して通り過ぎる男性。彼は家に戻るのか、それともどこかに向かってるのか。
トンネル内部は様々な意匠をこらしたペイントがなされている。街のトンネルは無地を嫌う。

トンネルに出口があることを意識したのは、そんなに昔ではない。
道を繋げるため、その先にあるどこかに向かうため、トンネルは造られる。
そしてこのトンネルの向こうには銭湯があるというわけだ。

2007/05/15

常識についての短い私論

常識とは特定の集団で多数を占める不文律な判断・意思・思考の根拠のとなるもの、とさらりと書いてみる。僕が生まれ育ったこの地で過ごす限り、特に意識しなくとも常識は僕の行動をある程度は律している。逆に人は欠損を意識するものであるから、「常識」に反する行為に敏感になる。ただ、「常識」「非常識」の境界は領域的に捉えるべきでない。領域的に捉えると、そこには問答無用の線引きが為されるしかない。しかもそれは常に揺れている中での問答無用となる。

領域的に常識を捉えることは、いわば一つの村社会におけるネットワークを想像すればよい。ネットワークは村から出ることはない。人がその村で安心して暮らすためには、その人と他の村人とのパスは多ければ多い方が何かと便利である。「常識」は「非常識」があるからこそ意味があり、「非常識」と「快・不快」は密接なつながりがある。ゆえにパスを多くするために、人を不快にしない行動をとる必要が出てくる。

無論ここでいう領域的とは地図上の地域と同意ではない。村社会は何であっても構わない。ひとつの村(集団)があって、そこには共有された常識がある、そしてその内に私が存在する。私は生命過程に必要な資源を得るために、その集団内で労働しなければならず、故に常識は私の行動を暗に律する、と言うのは根本的に誤りだと僕は思う。さらに、現実的にはネットワークは特定の集団を越えて繋がっていき、且つ隣接する集団が同じ常識を持っているとも限らない。

そうではなくて、村を含め世界を見ているのは私自身であり、常識はその世界に内在する。つまり世界に構造を与えるのは私である。簡単に言えば、私自身が常識を造っている。常に私が不快に感じることは「非常識」な出来事なのだ。私の不快は他者に同化を促す。同一文化資源を持っている相手には同化も速やかに行われることだろう。そこでは、私の「不快」は相手にも同様であることが安易に想像できる。私が「不快」にならぬよう、私の行動は暗に律される。そして世界はその都度構造が与えられる。

ファーストフード店、コーヒー店などでのマニュアル応対に想像力欠如などの意見をよく聞くが、無論にこれらの意見の宛先はマニュアル対応している店員に向けられるべきではない。ソシュールは「言葉と意味、あるいは表現と内容の関係は恣意的である」と定式化したが、あくまでもそれは一般論としてであった。特定の人と人の語らいは特殊であって、それゆえにお互いの言葉が概ね現実に通じ合っている、という実感を持つ。逆に人と人との語らいが特殊だからこそ、これらの場において一般的な(つまりは標準的な)対応の出会いが求められる。

様々な構造が現れる都市空間においてマニュアルもしくは標準化の概念が立ち上がったのは間違いない。それらは市場性からだけではなく、多様な世界を持つ他者が共生する空間において必然だったのではないか。そしてそれは別面で言えば新自由主義の成れの果てとも言えるのではなかろうか。そういう意味で、ファーストフード店、コーヒー店などの対応に苛つく、もしくは力が抜ける人たちと地域性は関連性があるかもしれない。

ここまで書けば、この記事の冒頭の文が少し気になる。訂正の必要性を感じるが、あえてこのままに残す。量的な側面を僕は否定できないからだ。そして多数は少数に対して寛容であるべきだとも思う。

2007/05/09

ヨンパチ




ハーレ・ダビッドソンは通常エンジンの型によりグルーピングされている。上記写真のエンジンは通称「パンヘッド」と呼ばれる。エンジンのヘッド部分がアルミで、その形がフライパンのように見えることから、そのように言われるようになったらしい。
ハーレーの中では、OHV(オーバヘッドバルブ)2気筒として2世代目のエンジンである。


写真のハーレーは通称「ヨンパチ」と呼ばれている。パンヘッドは1948年に登場したが、その48年の1年間だけフロントフォークサスペンションがスプリンガーフォークとなっている。リジッドフレーム(リアサスペンションがなく、振動はシートのスプリングで吸収する)とあわせて、独特の雰囲気を醸しだし、オールドハーレーファンには垂涎もののバイクとなる。オールドハーレの中では別格とも言える存在となっている。

近所のハーレーショップで初めて「ヨンパチ」を見た。店の方に聞いてみるとレストアに一年間かけたそうである。おそるおそる価格を聞いてみると300万円以上はするとのこと。で、写真を撮ることで満足した。
後日行ってみると、既にこのバイクは売れていて、購入者と思われる方と店の方がエンジン周りを確認しあっていた。その時に初めてエンジン音を聞いたが、フィッシュテールのマフラーからは、とても力強く重厚な音を発していた。

2007/05/07

鎌倉の海

連休中に急に海の写真を撮りたくなった。その思いは突然に僕の中に沸き上がった。
その時、近くの公園の様子でも撮りに行こうと僕は表に出たばかりであった。
空は青く、風は心地よい。僕は交差点で、公園を目の前にして真っ青な空を見上げた。
空の青さから海の青さを連想したわけでもない、甘い花の香りから潮風が恋しくなったわけでもない。
ただ、どうしようもなく僕は、今日これから海辺に立って海風に当たるプランを素敵に思ったし、それを実行したいと思った。
そして僕は海に向かった、というわけだ。






鎌倉の海に着いたのは午後の2時頃だったと思う。浜辺には思った以上に人がいて、それぞれに楽しんでいる。
浜辺以上に、海ではウィンドサーフィンを楽しむ人たちがいて、浜辺から見ると、それらの帆の色の鮮やかさが、海の色、空の色に映えてとても美しい。






海風は強く、上空ではカラスと海鳥が凧のように漂っている。
沢山の写真を撮った、でもそれらは写すと同時に、結果として良い写真でもないのがすぐに伝わる。
いつもの写真サイト(Flickr)に投稿しようとは思えない一連の写真。
写ったものは、鎌倉の海だけではない、僕の気持ちもどうしようもなく顕れている。
僕はカメラの液晶で絵を確認しながらそう思う。






しばらくして、 僕は海の写真を撮るのをやめる。おそらく計画のどこかで僕は間違ったのだ。
僕はこのような写真を撮りたいと願ったわけではない。
でも今日は、現在の僕は、こんな写真しか撮れない。
それは構図とか、露光とか、そういった技術的な問題ではない。
どうしようもなく僕の目は、周りの風景に写真を見つけてしまうのだ。
世界が写真に満ちあふれているのであれば、写真を撮る意味などどこにあろうか。






久しぶりの海だった。それはそれで楽しい思い出ではある。
ただその思い出は、これら一連の写真によってしか喚起されない記憶に成り果てることも間違いない。
僕は海の写真を撮りにここまで来て、そして失敗したというわけだ。
しばらく浜辺に坐り、ただ海を眺め続けた。
遠くで子どもの歓声か聞こえる。そして同時に母親の笑い声も。
幾分幸せな気持ちになる。






三浦半島の山間を抜けて僕は帰った。
所々に小さな畑があり、そこには色とりどりの小さな花が咲いていた。
空はどこまでも青い。雲は遠くの憧れのように、ゆっくりと流れていく。
道が二つに分かれている。僕はまっすぐを選んだ。
風が一段と強く吹いた。

2007/04/03

「道徳」の教科化の話で思うこと、もしくは「有徳の人」について

「道徳」の教科化の話が教育再生会議で論議されたらしい。
この国の歴史の中で有徳の時代があったのかは僕には分からない。ただ言えるとすれば、戦前の「修身」は、この国が戦争に突入することへの防波堤になり得なかったことだけは間違いない。戦争状態の中で「徳」は無効化する。上官の命令に服従し、嫌々ながらも敵と称する人々を殺す、そういう人たちも多かったに違いない。そして彼らは、戦争だから、上官の命令だったからと、自分自身を慰める。戦争に行かなかった人たちにも、同様の試練はあったことだろう。非国民と誹られるのを恐れ、行動を周囲にあわせる。そして自らがあわせたことを意識しない。

それらの「道徳」は敗戦と共に、一夜にして切り替わる。米国の占領政策を嘆く人たちがいるのは知っている。でも問題なのは、米国の占領政策で教育を受けた人たちのことではない。戦前・戦中、そして敗戦と、この国の「道徳」と言われるものが、明治以降3回突然に変貌し、その中でその変貌に気がつかずに日常を過ごすことが出来た多くの人たちのことである。彼らは当然に米国の占領政策の教育を受けてきた人たちではない。

僕のこの文は、彼らを批判するために書いているつもりは全くない。ただ「道徳」という難しい問題に、別面の視点を設けたいだけなのである。ところで、「有徳」の人物が、どのような人であるのか、僕は基準を一つ持っている。それはソクラテスの次なる言葉に集約している。

「悪しきことを為すよりは、悪しきことを為されるほうが望ましい」(プラトン「ゴルギアス」)、つまりは、「騙すよりも騙される方が良い」ということである。「道徳」の教科化の論議は、根本に現代の若者たちの行動を批判的に見て立ち上がっている。でも「道徳」の問題に必要なのは、まずは自己を見つめる眼だと、僕には思える。その行為の後に、その行為をした自分と仲違いせずに過ごすことが出来るのか、そういう眼差しが根本に必要なのであって、それは他者を批判的に見て立ち上がることではない。

想像してみよう。たとえば、僕が銃口を見知らぬ子供に向けている、僕の額には別人が銃を突きつけられている。彼は言う、「子供を殺せ、さもなくば俺がお前を殺すぞ」と。

僕が子供を殺したとしても、周囲(法律)は強要されたこととして赦してくれることだろう。でも僕自身は、子供を殺したことを、その指示に従ったことを、恐らくは生涯忘れることが出来まい。そして、自らへの言い訳として、強要されたこと、従わなければ自分の命が失う事を、心の中で言い続けるのだろう。

その中で、恐らく有徳の人だけは、子供に向けて銃を撃つことはしない。彼にとっては、子供を殺す自分と、それがいくら強要であったとしても、生涯仲違いせずに暮らすことが出来ない。故に有徳の人は、自分の死を選ぶ。僕が思う「道徳」とは、普段の生活ではなく、そういう状況で立ち上がる。だからこそ、冒頭で述べた、この国の3度に渡る「道徳」の変貌が、僕には気になるのである。

その問題を、教育再生会議で話し合われたのかは僕には分からない。教育再生会議での論議は公開されていないからだ。さらに話し合われたとしても、その事に結論が出るとも思えない。「道徳」の論議は難しい。僕はそう思う。さらに言えば、今回の「徳育の教科化」論議が立ち上がった理由とされる数々の問題、いじめ・自殺等などが、教科化によって改善されるとも思えない。
「何トカ還元水って、大臣は本当に正直なことを話しているんですか」。もし「道徳の時間」に子供にこう聞かれたら先生はどう答えるのだろう。道徳を「教科」にしようという政府の教育再生会議第1分科会案に、ふとこんな場面を思い浮かべてしまった。
   (2007年4月3日 毎日新聞社説より)
子供達の大人達への眼差しは虚偽を的確に捉える。逆に言えば、「徳育の教科化」により教育現場の問題がさらにます結果に繋がる可能性もある。無論、教科書を誰がどのように書くのかという実務的な問題も残るが。

且つ教科として評価を行うことで、「徳育」への関心を持たせたい気持ちも理解できる。しかしそれを望むのは無茶な話である。しかし、現状の「道徳の時間」も無意味であるのは確かだと思う。教師により恣意的に内容が決まるのも考え物だ。その狭間で、教育再生会議での論議は様々な意見が飛び交ったことだろう。
そして、やはり再生会議の論議は同時公開されなければならない。その詳細な過程抜きで「一致」といわれても国民は肩すかしをくわされたような気持ちだろう。論議の公開を強く求める。
   (2007年4月3日 毎日新聞社説より)
まず必要なのは、再生会議での論議の公開である。そして広く論議内容に対し、批判的な意見を求めることである。活発な意見の中で、自ずと現状における道が開かれることだろう。そして、この国が抱える問題も含めて、議論が進むことを、ぼくは切望する。