2011/07/11

写真が好きだと意識したのは

写真が好きだと意識したのはそんなに昔のことではない。ただ昔からアルバムに貼ってない、どこかの引き出しに収められた写真は何故か好きだった。引き出しに忘れられたような写真。もしくは財布の中に入れておいて、度々取り出しては人に見せて説明するような写真。木箱に入れられていた写真もあった。子供の時の宝箱のような木箱。そこには写真の他色々な小物も入れられていて、一緒に古ぼけた写真が入っていた。何故そこに入れられたのかは既に誰にも分からない。その時はきっと他の小物と同様に宝物だったんだろう。それらの写真はアルバムに貼られたよそいきの写真とは違っていたし、見る人も本当に限られていた。ヴァナキュラーと言われるずっと前から、それらの写真は家族の、もしくは両親の、そして僕にとってもっとも大事な写真だった。写真ってそう言うものだと僕は思っていたし、その気持ちは今でも変わらない。

写真集「Illuminance」のAMAZONの書評


川内倫子さんの新たな写真集「Illuminance」のAMAZONの書評。今まで読んだ中でいちばん感想らしい感想。ただスーザンソンタグの「反解釈」の思考をそのまま取り入れたという感じ。しかしスーザンがあの批評を書いたのだって今から30年以上も昔の話。あれからポストモダン批評もくぐり抜けてきた訳だから・・・。別に良いじゃん。癒しを求めて写真をしたって、それが勉強不足って言ってもねー、それだけじゃその勉強不足の人たちには通じないとは思うよ。

一枚の写真を

一枚の写真を読み取ることは記号論の手法さえ知っていれば案外に誰でもできる。特にドキュメンタリーであれば尚更だろう。ドキュメンタリーの場合は、カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」以降、一枚に全てを含ませる事が求められることから読み取りやすい。一枚に全てを含ませるとは。つまり僕が考えるにこう言うことだ。「決定的瞬間」は起源を要求する。物事の起こり、それがあれば全てがわかるというもの。「決定的瞬間」とは、その構図に絵画的なものを要求する。カルティエ=ブレッソンは元々画家だった。彼は「決定的瞬間」という思想を絵画から持ってきた。例えば歴史絵画のように、もしくは宗教絵画のように、その一枚の絵に全てを含ませる。この考え方はドキュメンタリー写真家には大いに受け入れられた。なぜなら彼ら(彼女ら)は新聞各社への売り込みに過当な競争にさらされていたし、新聞社は見出しに誰でもがわかる事件の一枚を欲していたから

2010/09/08

ちょっとした宣言

書こうと思っているブログ記事は少なからずある。でもそれらを追求する力が今は欠けている。それでもある程度で妥協して記事を載せればよいとも思うが、そのある程度が問題で、いまだその程度に達してはいない。

今までこの場で何回か宣言をしている。それは万が一これを読む人にとってはどうでも良い宣言ではあるが、僕にとってはやはり一つの宣言ではある。自分で自分を決めること、それが今の時代にある少ない自由の表れだと僕は考える。だから宣言とは自由へのリハビリでもあるのだと僕には思える。

前置きが長くなったが、たいしたことを言うつもりもない。ただもう少し今までより記事の公開を多く行うつもりだということだ。例えばこの記事の様に他愛のない語りを載せていこう。僕は所謂感性的な人間だが、記事は理性的でありたいと願っている。感傷に溺れる事無く淡々と書ければそれにこしたことはない。

僕の心臓はどうやら自らの力で動くことが出来なくなりつつあるようだ。一分間の心拍数が約40回とはその危険性を数値で表している。ペースメーカーの埋め込みを行うようにと医者から宣言された。この宣言から僕はいずれ(10月末までに)手術を行うことになる。医者の診断は僕に二つの選択肢しか与えられない。つまりはペースメーカーを埋め込むか、このまま心拍数の減少から、いずれは脳貧血もしくは突然死の可能性を高めてゆくかだ。

二つの選択肢は、いずれかを選んだところで、僕はその選択に自由は与えられない。ただもう少し生きたいと願う心情がペースメーカー埋め込みの選択を行わせる。何故もう少し生きたいのかという質問は愚問だろう。生きるというのは人間に与えられた義務だと思うから。それ以上深める必要がない問かけだと思うのだ。仮にその問いかけを行えば生は無意味に陥る他はない。しかし生が無意味であれば、いわずんば死も無意味となるほかはない。

もしかすればその先を突き詰めると新たな答えがあるのかもしれない。しかしそれは僕にとって興味のある問いかけではない。今のところ。

宣言とは一つの投企でもある。投企は明日も生きるという前提に立っている。恐らく人間は死の直前まで明日のことを考えているのかもしれない。僕が義務だと思うのはそういう感性的な部分から来ている。このちょっとした宣言は、「ちょっとした」という形容詞で括りながらも、宣言する僕の心情はちょっとしたものではないのだ。まだ語りたいことがある。きっと語りつくせないし、中途半端に終わるのかもしれないが、それでもまだ語りたいことがある。
自律した人間の自由な語りであれば、きっと世の中の何人かには届くだろう。そんな思いが僕の中にはあるのだ。そしてその思いは即座に僕に戻ることになる。果たして僕は自律した人間なのかと。

朝起きるたびに今日も目覚めたと思う。そう思いながら20数年経った。ただそうは思いながらも僕は人間としての生を生きているわけではない。写真のことを考えるとは、僕が僕に与えた義務ではあるが、そのことが僅かながらも僕に人間としての生を与えているのも事実だと思う。

2010/05/30

古屋誠一 「メモワール.」を観てクリスティーネとの短い対話

chn11_rpt2152_TE_02_412 見ることは見られることだ。古屋誠一「メモワール.」のクリスティーネ。正面を向きカメラアイを正視する彼女の視線は、その写真を見る者に向けられた視線でもある。1985年に亡くなった彼女の物語は、写真撮影年を遡ることで最終的に伊豆での一枚の写真(1978)年に集約する。過去の時点から、それは彼女にとって最終時点でもある、さらに過去に辿るメモワールは、彼女への写真家の現在の思いを明らかにする。その意味で過去から過去への物語は現在に繋がる物語となっている。

「あなたは私の物語を知っている。それはアンフェアだわ。私は1978年には幸せだった。わかるでしょ。その時の写真を結果から見るのは正しいとは思えないのよ。1978年の私、1983年の私、そして1985年の私、それぞれの私はそれぞれの思いの中で生きていたの。この回顧録は無論私のじゃないわ。夫であった写真家のものなのよ。写真なんかに実際の私なんかわかりはしないの」

確かに1978年の写真の意味はクリスティーネの垂直落下によって変わってしまった。僕らは結果からしか物事を見えない。いやそれは物事を見ているとも言えない。振り返るのは前を見ていることとは決して言えないからだ。ただ僕らは過去の出来事を何らかの形で精算するほか未来に向かって歩けない。

「本当に過去の出来事を精算できると思っているの?人は決して忘れることが出来ないことがあるの。精算って都合の良い言葉だわ。結局、過去を歪め自分を正当化するか、紛らわせる何かを見つけるか、そう言う事でしょ。そんなことをしてもいずれは捕まるわよ。私という、あなた自身が造り上げた亡霊にね。私はね、忘れないでいて欲しいの。もし私を忘れて欲しかったら全然違う死に方をしたわ。そうじゃなくて。私と私の思いと共に生きて欲しいの。その上で、ああ、愛しい私の男の子、ごめんなさい、言える立場じゃないことは十分にわかっているけど、あなた達には幸せになって欲しいのよ」

そうだ、確かにそうだ。精算なんかできっこない。過去の出来事で僕らは苦しみ、その苦しみと痛みは生きようとする僕らを、まさにそのことで変えてゆく。変わるのは過去の出来事を精算するためではない。その出来事と共に生きてゆくために僕らは変わらざるを得ないのだ。

僕は東京写真美術館にて開催している古屋誠一「メモワール.」にて、写真ではなく、写真に写る「クリスティーネ」と僕の中でこうやって会話をした。無論現実ではない。

本展は、1989 年より20 年あまり発表し続けている「メモワール」の主題の集大成となる展覧会です。「彼女の死後、無秩序な記憶と記録が交差するさまざまな時間と空間を行きつ戻りつしながら探し求めていたはずの何かが、今見つかったからというのではなく、おぼろげながらも所詮なにも見つかりはしないのだという答えが見つかったのではないか」(2010年1月インタビューより)という古屋の思いは、ピリオドを打った展覧会タイトル「メモワール.」にも表れています。(東京写真美術館のサイトから)

「所詮なにも見つかりはしないのだ」 それは写真家の実感だろう。出来事と共に生きるという事は、出来事の理由もしくは意味を見つけることではない、と僕は思う。

古屋誠一 メモワール.
「愛の復讐、共に離れて…」 2010年5月15日 ( 土 ) ~ 7月19日 ( 月・祝 )