2005/07/05

ビジネスにおける情報共有とは?

IT業界の現状は、仕事量は増大しているが、その一方で、コスト削減に対する経営者層からの要望も強く、限られた人員で多くのプロジェクトをこなしていかなければならないというジレンマに苦しんでいる。また業界で働くスタッフは、仕事量の増大によるストレスや、コストの圧縮要請、アウトソーシングの実施などを原因とするモチベーション低下といった問題に悩まされている。これらの問題は今に始まったことではない。昔から言われ続け、問題として挙げること自体が少々恥ずかしい。

昔から良く聴く言葉として、属人化しないように、システマチックに考える、などがあるが、それらはいまだに言われ続けている。それらをスローガンとして掲げているうちは、組織としては確かにその方向に流れてはいる、でも日々の案件に忙殺されるうちに、次第にまた元に戻っていくというわけだ。全体としてみれば、「属人化しないこと」ということ自体、人の本性とは違うのでないかと思うほどである。

最近仕事において、「情報共有」という言葉をよく耳にする。発端は、流動的な人事の流れにおいて、異動者・派遣者・協力会社からの応援・新入社員が当該部署に配属されたときに、最新情報を含む各種ドキュメントがどこにあるのか不明、かといって詳細設計書レベルでは難しすぎるし、基本設計書レベルでも同様かもしれない。そういう異動者はもっと簡単で一目見て理解できるドキュメントを要求する。そしてそれらのドキュメントは、同じ部署内でも多くの人が必要とするだろうというわけである。それが情報共有の意味として使われている。でも僕が思うに、それは資料管理の一環、もしくは社内教育ドキュメント整備の一環でしかないとも思える。

そもそも部署全体でドキュメント化しての、一つの情報共有は難しいのでないか。それに異動者がいたとして、何らかの共通するドキュメントを見たとして、それがどのくらいの意味を持つのだろうか。逆に言えば意味を持つドキュメントとは一体なんだろう。

例えば、各最小単位組織では情報共有と称して当該組織内での定例会を設けているところもある。それの目的は、人が担当している案件の内容を詳しく知り、アイデアがあれば意見を具申するということが第一ではないと思う。目的としては、顔と顔を突き合わせ、誰が何をしているかという「タイトル」部分でのリンク付けがメインだと僕は思う。つまり、何かがあったとき、誰に聞けばその問題解決への道順が短いかを知ることが、定例会としての情報共有の主たる目的ではないだろうか。定例会を実施していない組織では、その場合はいったんリーダーに通すことになる。それではリーダー自身がボトルネックになる可能性が出てくる。

それを部署の情報共有への考え方に導入するとすれば、資料管理の立場から、資料を整備して配置することは、資料の再利用のしやすさ、教育の資料を含め意味があると思うが、それだけでは情報共有とはいえない。資料が有機的に繋がっていなければ、情報としては意味がない。それを必要としているのは「今」なのだ。「今」というタイミングを逃す情報は情報ではない。有機的とは、最低限そのことを知っている人は誰かと言うことの記録だと僕は思う。知りたい人は、その時点で知っている人にアクセスできる様にする、それができる環境を作ることが、「情報の共有化」と僕は考える。情報共有とは業務の効率向上を目的とし、それ以外に目的を見出すことが難しいと思う。そして、「今」必要な情報は、「今」そのことで働いている、社員でもある。彼は忙しいだろうから、親切に説明はできないかもしれないが、糸口としての別のドキュメントを教えてくれるだろう。まずはそれを読むことから始まるのでないだろうか。

さらに先に進み書き続けたい気持ちもあるが・・・別途書きます。

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