親戚に男の子が生まれた。名前を聞いてみると「英」と一字書いて、なんと読むかと逆に聞かれたので、「ひで」と素直に読んだら違うという。じゃあ、「えい」とこれはあり得ないだろうなぁと思いながらも聞いたが、やはりそれも違う。これでお手上げ。わからないから教えてと言ったら、なんと「はなぶさ」と読ませるそうだ。「英」で「はなぶさ」とは誰も読めないんじゃないかと言ったら、それが今の時流だという。ああ、そういうものかと少し笑う。
今時の子どもの名前は少し前と較べても全然違う。そういえば少し前に「悪魔」という名前で物議をかもした事もあったっけと思い出すが、ふと思ったのが、こういう名前が多く登場するのは、命名が親が子どもに託す願いであるとすれば、子どもが唯一無二の存在であることを名前でも現そうとしているのでないか、ということだった。
だから名前はどんどん読みづらくなる。滅多にない名前を考える方向になるからだ。それはそれで、子どもを思う親の気持ちだから尊く、それ以上に人様の子どもの名前は僕にはどうでも良いのだが、ここで思ったのが、名前に唯一無二、つまりは周りに同じ名前が滅多にいない名前を付ける時代の雰囲気というのがあって、その時代の雰囲気というのが、逆に唯一無二でない状況、社会における人の軽さみたいなものを親が感じ、それだからこそ子どもにそういった名前を付けるといった事もあるのでないかと言うことだった。
以前、人に聞いたところによると、女の子の名前の最後に「子」を付けるのが流行ったのが大正の終わり頃かららしい。それまでは「てい」とか「さだ」とか、ひらがなが多く最後に「子」はつけなかった。「子」を最後につける事は、昭和初期になんらかの雰囲気があってのことだと思う。僕はその点においても無知なので、理由は正直わからない。でもその当時は「子」をつけることは、現代の名前と同じくらいに、当時の言葉で言えば「新しく」「モダン」な事だったことは理解できる。
時代の変わり目に、恐らく人は自分の子どもの先を幸せにと願い、時代の雰囲気を先取ろうとそういった名前を付けるのかもしれない。昭和の初め、女の子の名前に「子」がつくのは、新しい女性像がそこにあったのだろう。これはあくまで僕の想像で、統計だとか調べたこともないので根拠は全くないのだが、それまでの名前、例えば「てい」、「さだ」、「ちよ」が二語だったが、それに「子」をつけて「さだこ」、「ちよこ」と3語に変わる。「こ」は単純に2語の後ろに組みやすい語だと言うことだ。「子」をつけるのが主なのでなく、たぶん3語にすることが大事だったように思う。「子」は一般に神道では女性をいうらしい。でもそれが理由であれば、もっと前から「子」をつける風習があっても良いと思う。
実は僕の想像はここで終わる。3語にすることで、その時代の雰囲気を現す事になると思うのだが、雰囲気は色々と想像ができるのだが、それぞれの想像と3語が上手くつたわらないのだ。まぁ、不明なことがあるのはよいことだ。今度ゆっくりと図書館で調べてみよう。
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