2006/04/27

花を撮る


flowers (Spurge Family) Originally uploaded by Amehare.

以前に僕の姉が会社に勤めていた頃、生け花を習いに行っていた。ある時、彼女が生け花を始めてから半年くらいたったときだと思う、急に「生け花をやめたい」と言い出した。理由を聞いてみると、「花の気持ちがわからない」と意味不明のことを言う。

つまり彼女にとって「生け花」とは文字通り「花を活かす」事にあるらしく、花の気持ちがわからなければ、先生と同じように活けたとしても、客観的にみると明らかに全く違うのだという。つまり彼女の生け花は「死んでいる」のだそうだ。

言っている意味は何となく通じる。でも僕には本当のところはわからない。でも最近写真で花を撮るときに姉の言葉を思い出した。そして思った、果たして僕の撮る草花・樹木は写真の中でも生きているのだろうかと。

写真の中でも生きるなんて、当然の事ながらあり得ることではない。写真は対象からの光を集めて記録する機械であるから、命を吸収するなどと言うことはあり得ない。でもそこに一抹の共通する理があるような気もしている。

形もしくは構図の美しさより、写真に写った対象の内からくる美しさ。技術論が先行する中で、前記の僕の物言いは矛盾があるのは明らかである。内からくる美しさは、やはり構図によって出てくるのだと僕の頭の片隅でそう囁く。では構図を決めるのは何だろう。それがもしかすると姉の言った「花の気持ちを理解する」ということかもしれない。などと少しだけ思う。

写真の花が何という名前なのか実は知らない。思い出すたびにネットなどを使って検索するが未だに正体不明である。名前は大事だけど、花の美しさ(本質)の前ではどうでも良いことだ。でも僕にとっては対象、それが植物であったとしても、語りかけるにはやはり名前が必要なのである。語りかけとそれに対して自分の内からくる応答との会話によって、僕は彼ら(彼女ら)を少しだけ知ることが出来るのだ。

「花の気持ち」は僕にはわからない。でも同じ生命を持つもの同士、歩み寄る事は可能かもしれない、などとも漠然と思う。

追記:この植物の名前を知っている方、是非とも教えてください。

2006年4月28日追記: eeeeeeさんから「トウダイグサ」の仲間であることを教えてもらった。調べてみると確かに僕もそうだと納得した。 eeeeeeさん、そして eeeeeeさんのご母堂様に感謝します。

2006/04/25

Flickrにはまるということ


sakura,originally uploaded by Amehare.

いまさら言うまでもないが僕はFLickrにはまっている。

写真を撮ること、例えば町を歩いているときふとしたことで事で立ち止まりカメラ持参していないことを悔やむ時、僕は一体対象の何を見て、もしくは何を感じてそれを撮りたいと願ったのだろうか、その感情と写真を撮ることは僕の中で一直線につながっている。

写真は記憶と密接な関係にあるとは思う。以前は歴史性とつながっていると思っていた。写真は記録であり、僕の歴史を貫く確かな証拠として在ると思っていた。でも今では歴史よりは記憶により密接だと思うようになった。

写真は、うまくいえないが僕にとっては歴史と断定するには何かが違うように思える。 写真を撮る行為が、何を撮るかでなく何を切り落とすかということだと僕は思う。人は撮りたい対象への思いを意識することなくカメラを構えるが、ファインダー越しに構図を定める際に、彼は彼女は自問自答することになる。

対象の何を撮りたいのかが意識することなく構図を決めることは難しい。自問自答は対象の何を撮りたいのか、つまりは結果的に何を切り落とすのか、ということでもある。そして彼は彼女は知るのである、自分が撮りたかった対象の何かを。

写真は記憶と密接な繋がりがあると思うと先に述べた。つまりこれらの流れは僕にとって何を記憶したいのか、それはカメラを構えることとは関係なく、そのような意識の流れに近いと思うのである。

Flickrを語るとき、僕が知る上で一番近い存在は「はてな」かもしれない。「はてな」について語るさまざまな事柄はFlickrについても当てはまる。Flickrにはまることと、写真を撮るのが好きなこととは意味は全く違う。FlickrにはFlickrの場で共有する気分というのがある。
その気分はFlickr担当者が選択する登録会員の写真によって醸し出される。具体的に言えば「Explore]と「FLickr Blog」に掲載された写真のことであるが、それらがFlickrに写真を登録する人たちの模範となり、そして彼らは似たような写真を撮り、いつかは Flickr担当者に選択されるのを待ち続けるのである。

似たような写真といっても、その種類は膨大でもある。だから人は自分の写真がFLickrによって影響を受けているとの認識は薄い。でも確かに彼らの(僕の)写真の中心にはFlickr担当者が存在しているのは間違いないと思う。勿論、Flickrを単なる写真倉庫として使われている方も多いと思う。僕もはじめはそうだった。でも今はどっぷりと浸かっている。
そしてこれがFlickrにはまるということでもある。

勿論影響を受けることが悪いことだとも思わない。聞き飽きた言い分だが、人は他者との関係によってアイデンティティを造ると思うからだ。でもそうなると主体とは一体なんだろうという疑問が出てくる。その問題は自らに課した問題として後に残すが、ここで語りたいことは、写真が記憶と関係が深いとすれば、Flickrでの写真掲載はつまるところ記憶の共有化、そしてその後に続く記憶の均質化ということになるのかもしれない。

それは一種の記憶のグローバル化とでも言うような状態、言語・宗教・食料・衣料・遊び・性行動という文化の諸要素が違っていても、何を記憶するか、もしくは記憶した対象の意味の同質化が、写真というテクストで行われていく課程といってもよいような、そんな思いを持っている。 Flickrで行われていることは、つまりは写真に強度を求めることになっていく。

写真に強度は必要かと問われれば、個人的な記憶に委ねていけばそんなことはないと言えるだろう。でも意識の上では職業化しているFlickrの投稿者たちは、過剰なまでの強度を求める方向に流れていると僕には見える。

差異のない均質化した個性の発露から抜け出るのは、より強い構図と過剰なまでの露出とデジタル加工技術に頼った強度を求めるしかない。でもそれは個人に分化した結果、差異がなくなるというパラドックスに見舞われた現代人の通常の行動でもある。

しかし強度を求める人も結局は差異のない個性と同根でもあるのだと僕は思っている。なぜなら両者はお互いに補完関係にあるからだ。Flickrにはまっている僕はいずれはFlickrをやめるときがくることだろう。それは間違いない。
そして僕自身の記憶を歴史と他者との関係に埋没することなく、一個の自立した創造性を持って別の仕方で歩んでいきたいと密かに願っている。

たんぽぽ



Dandelion, originally uploaded by Amehare.

タンポポが好きだという方は多い。Googleで「たんぽぽ」を検索したら約273万件がヒットした。植物としてのタンポポを調べようと思ったのだが、結局あきらめた。
人は「タンポポ」に何を投影しているのだろう。イメージとしては都会で人に管理されることなく、わずかな場所に自生する姿が雑草の強さをそこに見ているのかもしれない。タンポポがキク科であり、花の姿が菊に似ているのも大きいだろう。菊とタンポポを対項することにより、そのイメージがくっきりと浮かび上がる様に思える。
実際に関東で見かける殆どのタンポポは外来種のセイヨウタンポポと国内種のカントウタンポポの雑種なのだそうだ。(95%以上とのこと)

つまりは、セイヨウタンポポが種の存続を計るために、国内種のタンポポと結びつく戦略をとったということなのだろう。
日本列島は植物相の観点から見れば、終端に位置していると僕は思う。この列島から彼らは自らの力で海を渡ることができない。だから日本列島では生物は同種で交わり続けた。純粋のカントウタンポポはおそらく絶滅しかけていると思う。動物に対しては注目する人間もタンポポまでは目が届くことは少ない。

ここで純粋とは何かと問いかけすることは無粋かもしれない。カントウタンポポも元をたどれば何かの雑種かもしれないと思うからだ。だからといって消えてゆくのが自然とも僕は思わない。何故ならセイヨウタンポポをこの列島に持ち込んだのは他でもない人間なのだ。でもカントウタンポポを守ることは現状としては限りなく難しい。
僕はタンポポの何を自分に投影しているのだろう。タンポポを擬人化することでわかるのは自己の信念だけだろう。勿論僕はそれを承知の上で、それでもタンポポの姿に何かを求める。

2006/04/20

折り鶴


Origami Originally uploaded by Amehare.

神社仏閣にはそれぞれに神木と呼ばれている巨樹があるのが多い。それらの木々は概ね都もしくは区の保存樹として大事にもされている。だからといって神木としての趣が薄れているかと言えば、僕にとってはそういうこともなく、巨樹を前にして神聖な心持ちを感じるから、自分のそういう「心の構え」に対し不思議でもある。

また多くの神社仏閣は都会にありながら多くの樹木が残されている場所でもある。それ故僕は外にいる時、それらを見つけると思わず境内に参拝したくなる。信心なき突然の来訪者でもある僕がその都度思うことは、どんな小さなお社でも、そこにはそれを信じ守り続ける人がいるという事実である。

買い物帰りの主婦、犬を連れた若い女性、学生らしい若者、散歩中の老夫婦、会社帰りの中年男性等とそこで手を合わせる方々は様々である。

自宅の近くの五叉路には通称「首なし地蔵」と呼ばれるお地蔵様が鎮守されている。そこには誰彼ともなく供物と花が副えられ絶やされることがない。またお地蔵様の周囲も毎日誰かが掃除しているかのようにゴミが落ちていることもない。

写真は散歩の途中で出会ったお地蔵様のお社に副えられていた折り紙の鶴であるが、誰がどのような気持ちで折ったのであろうか。既に色が落ち灰色となった鶴もみえる。その方の祈りは適ったのであろうか。そもそも「適う」とかの次元で物事を考えている自分からして、この折り紙の気持ちを見誤っているのかもしれない。それでも写真を撮るとき、この鶴を折った方を少しだけ思った。

2006/04/17

櫻史

今年の春は桜のことを多く考えそして見てきた。そして一連の話題を「Amehare's Photos」に書いた。でも実を言えば少々書き足りない気持ちが残っている。日本の小説・エッセイ・詩歌で桜を僅かでも記されている作品を探すのは容易であるし、それを一定の考えで組み直すのも難しいことでもない。でもそれで何か意味のあるものが得られるかと問われれば僕は黙るしかない。それに今回、桜の話題で参照したのが佐藤俊樹氏の「桜が創った「日本」」だったが、話題として書けば書くほど、その本を中心とした世界に引きづり込まれていく印象を持ち、続けることができなくなったのもある。

今回の桜の話題で意識的に避けた書籍がある。それは桜好きであれば一冊は持つべきであるとも言われている山田孝雄著書の「櫻史」である。避けたとしても当然のことながら佐藤俊樹氏の著書にも登場してくるし、完全に避けることが不可能なのも事実ではある。
「知識の面ではさすがに古びたところもあるが、時代や立場のちがいをこえて、本当の教養とは何かを教えてくれる。復刊熱烈希望。」
(佐藤俊樹氏「桜が創った「日本」」)

「復刊熱烈希望」と佐藤氏は書いたが、実際にも復刊希望者が多かったらしく、講談社学術文庫の創刊30周年記念の一環として今年になり復刊した。僕は書店で偶然にそれを知り衝動的に買ってしまった。恐らく今回在庫がなくなれば再版はないだろうという気持ちと、以前に購入した「櫻史」が見あたらなくなってしまったのが理由である。久しぶりに頁をめくり文章を読む。こういう本は行き当たりばったりに読むのが面白いと僕は思う。つまりは適当に本を開いてその箇所を読むという仕方が似合っている。開いた箇所が偶然に自分に興味のある事項であれば尚更に面白い。
「徳川光圀一日儒臣を後楽園に召して櫻花を賞せしことありしに、朱舜水 櫻花の賦をつくれり。」
(山田孝雄 「櫻史」)

朱舜水は櫻が好きだったと書いてある。そして自宅に数十本を植え鑑賞したともあり、わが国(中国)に櫻があればと言っていたそうだ。
俄には信じられない良く出来た話であるが、それに対して何かを言うこと自体が無粋という気持ちの方が強い。そういう気分がこの本を読むと出てくるのである。それ以上に、例えば上記の朱舜水の話題に登場する彼が創った詩が良く、櫻を愛でる個人の心情が読み手である僕に染み渡るのであるから、ただ物語として楽しむ、そういう風に読むべき本なのだろうと僕は思う。
「群櫻をあつめて回廊と作(な)す
芬芳(ふんぽう)をふみゆきて 数里つらなる」
(山田孝雄 「櫻史」)

後楽園の一角には東京ドームがあり、ちなみに僕は会社から毎日眺めている。東京ドームに隣接する小石川後楽園が「櫻史」で引用した後楽園のことである。朱舜水は日本に初めてラーメンを伝えた人と言われているので、後楽園で櫻を眺めながら徳川光圀と一緒にラーメンを食べたかもしれない(笑)。勿論「櫻史」にはそういう記述は一切ない。

映画「ヒットラー最期の12日間」の感想を再度書く

前記事「映画「ヒットラー最期の12日間」感想、それは映画の誘惑」 で僕は一つのモチーフ「二度の自死」をもって感想を書いた。


ただモチーフ自体が僕には手に負えなく、とても緩くてまとまりに欠ける文章になってしまった。それを認めての再度の感想は、でも前記事の反省からではない。同一のモチーフを持ちながら、別の話を書きたいと思ったのである。それはあの映画全体に流れる、勿論僕が感じた、一つの雰囲気についてとなる。

ベルリンの地下基地の将校達の姿は、ロシア兵達が迫ってくる状況の中で、 ただ時間を潰すだけであった様に見える。手駒の軍隊がない等の理由で作戦本部の将校達がやることがないのはわかるが、酒を飲み、 トランプで遊び、煙草を吸い、益にもならぬ話で笑う、それらの姿に僕が感じたのは「退屈」とそれを紛らわすための行為であった。

彼等は時間を持てあましていた。だからただ時間を消費するためだけに、彼等は酒を飲み煙草を吸いトランプで遊んだ。彼等は何を持っていたのだろう。滅びの時だろうか。恐らくそういう観念さえも持っていなかったのではないかと思う。ただ彼等は時間を持てあましていた。そういう風に僕には映ったのだった。

例えばゲッペルス夫人の描き方だが、 彼女は自分の子供達を睡眠薬で眠らせ、眠った後に一人一人を劇薬で殺していく。全員殺し終わった後に彼女は別室でトランプ占いをする。 茫然自失するわけでもなく、無表情に一人でトランプで時間を使う彼女の姿は鬼気迫るものがあった。自死までの時間を持てあます姿、死までに至る時間は彼女にとって無意味であったに違いない。それでもその時間を「退屈」だと感じる姿がそこにあったように思える。
僕はこの映画の核がこのシーンにあるように思えて仕方がない。


「退屈」が対象の欠如を感じることで生じる「気分」の一つとするならば、明らかに彼女はヒットラーの自死により世界の欠如を実感しそれ故に自分の生の時間全てに「退屈」を覚えていたことだろう。そしてそれは自分の子供達の殺害という行為で決定的になったのではないだろうか。

彼女は自らの死を夫であるゲッペルスの銃によって与えられるが、これも僕の想像だが、彼女は生きるのと同様に「死」についてもどうでも良かったと思う。何も感じることがない状態、それを人は何というのだろう。「絶望」という言葉を僕はすぐに思い出す。
「退屈」は状況により「絶望」に至る、そうなのかもしれないが早々に答えを出すのが憚れる。 この映画全体に流れる無力感と倦怠感。

熾烈なベルリン攻防戦で次々に倒れる市民たち、そのさなか退廃的な酒宴に興じる将校たち、それらの止め処もない反復した映像にうんざりし、映画が長く感じたのも事実だった。

そのうんざり・ 飽き飽きとした気分は見終わった後にも続いた。ヒットラーとその最後の状況を事実に即して描いている、との映画広報の謳い文句が正しいとすれば、その最後はなんとも陳腐で「退屈」な「最後」だったのか。


勿論この映画は現実ではない。 人間はこの映画のように鳥瞰した現実を見ることはないと思うのだ。ただこの映画は一つの人間の「生」の現実を現している、そう思える。 多くの戦争映画は僕にとっては退屈そのものである。殺し殺される反復映像、新味がない故に強度が求められ、 観客はより強い刺激を期待する。その文脈でいえばこの映画も「退屈」な映画の一つなのかもしれない。

唐突に登場しては即時殺される人々、 史料を基に描かれているのであれば、現実にはその登場人物にも確固と存在した名前と「死」の意味があるはずである。 その意味を考える暇なく映像は進んでいく。

クラップの「過剰と退屈」で言われるまでもなく、そこに意味は常に不在となる。 戦争映画の退屈さの元はそこにあるのかもしれないが、それが現実の戦争への嫌悪感に繋がる可能性があるとすれば意味があるのかもしれない。

2006/04/07

桜の季節 散る桜 咲く桜



DSC03534Originally uploaded by Amehare.
散っていく桜の傍で今を満開に咲く桜がある。公園では散りゆくソメイヨシノの下で花見の宴がいまだに続く。大学の歓迎会の時期でもある。
楽しげな笑いの輪の傍、満開のオオシマザクラの下を人が急ぎ足で通り過ぎる。
八重の桜も含めてこれから見ごろの桜も多い。桜の季節は実際には一ヶ月続く。でも僕の気持ちの中では「桜の季節」の終わりが近づいている。

「散る桜」「咲く桜」それは春の出会いと別れに重なる。そしてやがて街は落ち着き梅雨の季節となる。

桜の参考サイト
桜図鑑

さくら品種図鑑

2006/04/06

桜の季節 桜語りとは



shadow cherryblossoms Originally uploaded by Amehare.
今回僕が「桜の季節」と称して桜語りの連作を思い至ったのは、自分の中にある桜の特別な位置づけが、いかにして成り立ったのかを幾分かでも知りたいと思ったからだった。自分にとっての鍵語は「ざわつき感」であったが、桜を思えば思うほど「桜語り」の難しさを痛感する結果になった。桜語りの難しさは、理念化した桜が己の信念と結びつき易いことにあると思う。すなわち桜は擬人化されやすいし、擬人化したことに、僕自身も気がつかない場合が多いのである。

「桜語り」はまるで信念という光源によって映し出された影を語ることに近いかもしれない。
つまりいくら語ろうが桜に辿り着くことは難しい。それでいて自分が語る桜が影であることに気がつき、光源の外部に立って桜の実態を見たとき、そこにあるのも一つの理念化した桜ではないと誰が言えるのであろう。
その堂々巡りの言説の中に現在の桜があるとすれば、僕は桜を語ることができない。

おそらく「桜」を題材に「日本」と「日本人」について何でも語ることができることだろう。それはまさしく望みのままに「桜」を消費することが可能である。
「桜がでてくると、なぜか突然「古来から」や「日本人」が呼び出されてくる。でありながら、昭和十年代の桜の精神論のような明確な観念や思想はない。むしろ、ないからこそ安心して呼び出せるのかもしれない。なんというか、虚数空間を強引に跳躍するようなものだが、実定的(ポジティブ)な大きな物語なしに、個人化し拡散していく感情や記憶をただ一つの桜らしさへつなげていくには、たしかにこれが唯一の語り口なのかもしれない。」(佐藤俊樹 「桜が創った「日本」」から)

今回の連作で佐藤俊樹氏の著作「桜が創った「日本」」を参照することが多かった。たぶん今後多くの「桜語り」はこの書籍を参照されていくことになるように思える。この中で「ざわつき感」について面白い話が載っていた。

よくソメイヨシノはヤマザクラの自然とくらべ人工的と多くの「桜語り」のなかでいわれる。でもソメイヨシノから見ると、自然・人工の区別はなく、「種の保存」の観点から見れば、単にソメイヨシノが人間の力を借りて種の拡大をはかったと言うのである。
そのためにソメイヨシノは人間が喜ぶ姿へと進化した。ソメイヨシノが人工的という語りの中にも、語る側の信念としての自然観があるのだと思うである。
「ソメイヨシノは彼らを取り巻く日本列島の生態系、その一部に人間社会をふくむ生態系全体にうまく適応して、空前の大繁栄を勝ちえた。それを「不自然だ」「俗悪だ」「醜い」と非難する方が、よっぽど傲慢だと思う。・・・(中略)・・・
私たちはソメイヨシノに深い不気味さや気持ち悪さを感じる。美しいにもかかわらず、どこかひどく心をざわつかさせる。それはどこかでこの自然・人工の反転に気づいているからではなかろうか」
(佐藤俊樹 「桜が創った「日本」」から)

今年、ソメイヨシノを昨年以上に多くを観賞し写真にも撮った。美しすぎると僕はあらためて思った。
でもその感覚は梶井基次郎とも坂口安吾とも違う。話は脱線するが、なぜ坂口安吾のあの小説がこれほど高い評価を得ているのかも僕にとっては不思議だった。勿論よい作品だと思うが、少なくとも僕は、評論家の奥野健男氏が評価するほどとも思えなかった。
「グロテスクの極致がこの世のものではない美をつくり出した傑作で,民族の深層意識をえぐり,未来的な芸術を暗示している」
(奥野健男氏)

「民族の深層心理」とは一体何なのだろう。それは理念化した「桜」がそう思わせているだけではないのだろうか。この評価が成立する時代を僕らはとうに越えてしまったのではないか。そう思えるのである。

では僕の「ざわつき感」とは一体何かと問えば、それは僕の自己中心性からやってくるのだと思う。おそらく僕は春を待ち望んでいるのだ。自己の不全感が、春になり変わっていくような期待感の具体的な姿として「桜」があるように思えるのである。
自己の不全感を解消するのは他力ではない、それは当然に知っている。でも「桜」により動かされることもあると僕は思うのである。ゆえに梶井と坂口の感じる桜を、そういう部分もあることを少しは内心認めていながらも、僕はそれを自分から受け入れているのだと思うのである。

2006/04/03

桜の季節 坂口安吾「桜の森の満開の下」



cherryblossoms B&W Originally uploaded by Amehare.

梶井基次郎の「桜」の美しさは屍体から養分を吸い取ることで成立するが、それを感受出来たのは結核という身体性と大正から昭和への時代性にあった。それは「生」と「死」が二項対立的に存在するのではなく、 「生」は多くの「死」の上に成り立ち、しかも「生者」は「死者」からの養分を吸い取ることで「生」を謳歌できる、という梶井の「気づき」であった。その「気づき」は、いずれ自分も「死者」に仲間入りをするという自覚でもあり、それゆえ梶井は花見の酒を酌み交わす権利を持ったと感じたのだと僕は思う。
「今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。」(梶井基次郎 「桜の樹の下に」から)

梶井基次郎の「桜」はソメイヨシノの群桜からのイメージと僕は見ているが、それはタイトルで示されたように、対象としては一本一本の個別の桜でもある。それが戦後の坂口安吾では「桜の森の満開の下」となり、「桜の森」として集団の桜を一つとして展開することになる。この変化は単にそれぞれの作家個人の感覚に委ねられている部分が大きいとは思うが、多少ではあるが時代の変化もあるように僕には感じられる。

昭和22年に発表した坂口安吾の「桜の森の満開の下」に登場する「桜」について少し語りたいと思う。
安吾の作品を集中して読んだのは随分と昔のことだ。でもその中でも幾つかの作品は印象的で今でも記憶に残っている。安吾は「現実」を描写する自然主義文学を嫌い物語性の強い作品を数多く残した。「桜の森の満開の下」も物語性が強い。特に説話文学形式を取っていることで寓意性と物語性はさらに強調されているかのようにも思える。

説話とは作者不詳の口承により伝えられてきた物語である。そして主に説話はふるさとの年寄り達が子供に語り継ぐ物語でもある。勿論 「桜の森の満開の下」を語るのは坂口安吾に他ならないが、この物語を読む中で安吾の姿が見えなくなっていくのである。
「桜の森の満開の下」に登場する「桜の森」とは同じ種類の桜が群れて咲く場でもある。
だから山賊は花の蕾の状態を見て満開時を予測できる。桜の自生の場合、森を形成することは難しい。概ねというか殆ど、桜の森は、吉野の桜も含めて人間が植えている。また単種類を集中して植える桜はソメイヨシノでもある。

「前も後も右も左も、どっちを見ても上にかぶさる花ばかり」の桜にもソメイヨシノを連想させる。つまり「桜の森の満開の下」の「桜」もやはりソメイヨシノのイメージがそこにはあると僕は思う。

安吾が生きた時代は全国的にソメイヨシノが広まった時代でもあった。ソメイヨシノは軍隊・公園・役所等の公共施設中心に植えられていくが、さらに様々な媒体により「桜」と国家の同一性が結びついた時代でもあった。
安吾が生まれた時と新潟という場所では、ソメイヨシノはそれほど植えられていなかったと僕は想像する。おそらく安吾がソメイヨシノの桜の森を見たのは17歳で東京に家族とともに転居した後だったのではないだろうか。

僕の想像はそれを起点として続く。大正11年ごろであれば九段の桜も十分に育っていたことだろう。安吾は東京で初めて「桜の森」を体験したと思う。佐藤俊樹氏の「桜が創った「日本」」に拠るところの「デフォルメした桜」であるソメイヨシノの美しさは、安吾が故郷で見慣れた桜と較べると、圧倒的な美しさを感じるが、どことなく不自然さが漂って見えたかもしれない。
「アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。」(坂口安吾  「文学のふるさと」から)

僕が「桜の森の満開の下」を「桜」の視点て読めば、そこにあるのは「ふるさと」に戻ろうとする山賊が「桜の森」に阻まれて辿り着けない物語でもある。つまりは、山賊が女の誘いにより「ふるさと」を離れ都に行くが、都の生活に馴染めず、「ふるさと」に戻ろうとする。でも「ふるさと」の前には「桜の森」が立ちふさがっている。

森の中で女は鬼に変わる。山賊はその鬼を殺してしまうが、殺した後は普段の女の姿に戻っていた。そして桜の花弁が舞い落ちる中、二人は虚空の中に消えていく。 女の美しさ・残酷さが安吾の女性観に拠るところが大きいとはよく言われている。

確かに「桜の森の満開の下」に登場する女は理念化された女性像だと思うし、そこに彼が過剰なまでのプラトニックで愛した矢田津世子の存在があるとも思う。ただ「桜の森の満開の下」に現れる「森と都」「山賊と女」「残酷さと美しさ」「果てのない欲望と退屈」などの鍵語は、僕にとって「桜」の存在の前では陰が薄くなるのも事実なのである。

「ふるさと」になぜ戻れないのか。そしてなぜ「桜」は戻るのを阻むのか。
それはこの小説が敗戦後早々に書かれたことと無縁ではないように僕は思う。また坂口安吾の「桜の森の満開の下」の「桜」とはいったい何かという問いにも繋がっていく。 ソメイヨシノは日本の近代化と密接に結びついた桜でもあった。
それは敗戦直前までは日本の同一性に結びついた存在でもあり、日本人もしくは日本国家を象徴する記号になっていた。その変化は新潟県民である一人の男が、地域に関係なく同じ日本人として、一つの壮大な物語に参加することでもあった。

しかし敗戦で一気に状況は変わっていく。その中で安吾は、「ふるさと」を見失ったのかもしれない。もしくは「ふるさと」を想起する毎に「桜」に結びついた物語の記憶が立ち塞がるのかもしれない。そして「ふるさと」とはいったい何かと問われれば、「桜の森の満開の下」の物語では「存在の根拠」ではないかと思うのであり、「空想」は「現実」であると言い切った安吾にとって、自分の現実の姿をそこに見たのではないかとも思うのである。
「桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう」(坂口安吾 「桜の森の満開の下」から)

「桜の森の満開の下」の「桜」とは恐ろしく人を狂わせる場所であり、「虚空」でもあった。
それはこの物語を語る安吾自身が見えなくなっていくことと、「ふるさと」での語り方でもある説話形式での構成と相まって、さらに印象深くしているように僕には思える。

追記:坂口安吾は没後50年を過ぎ著作権が失効した。現在「青空文庫」で多くの作品を読むことができる。上記の僕の感想は言葉足らずのところがただあると思う。いずれ彼のほかの作品の感想文で埋め合わせをしたいと思う。

2006/04/02

桜の季節 梶井基次郎の「桜の樹の下に」



cherryblossoms Originally uploaded by Amehare.

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」で始まる梶井基次郎の「桜の樹の下に」に登場する桜の品種を想像することは全く意味がない。

それは梶井基次郎が造り上げた観念上の桜である、即ち現実の桜ではない。でもその無粋なことをあえて行えば、やはりソメイヨシノだと僕は思っている。それは「爛漫と咲き乱れている桜」、そして「一つ一つ屍体が埋まっている」から、一面の花の姿で群桜の状態で植えられている姿を想像するからなのだが、大正10年以降に日本全国にソメイヨシノが展開していった事実を思えば、あながち外れているとも思えないのである。


梶井は桜の信じられない美しさに、「不安になり、になり、空虚な気持」になったが、「一つ一つ屍体が埋まっていると想像」することで、彼を「不安がらせた神秘から自由」 になった。桜の信じられない美しさは、花という生殖の営みの美しさであり、それは「生」に結びつく。

そして小説中に挿入した薄羽かげろうの生殖直後の死が現す様に、梶井にとっては「生」の美しさは「死」に密接に関係するのである。


この小説に登場する桜は、爛漫に咲き乱れ散りゆく桜ではない。梶井は、信じられない美しさで爛漫に咲き乱れるからこそ、その美しさに原因があるとした。それは「檸檬」の化学反応に似た感覚でもある。また梶井は結核により死と常に隣り合わせで生きていた。

時として体調が芳しくなく、不快な発熱と発汗が身体に現れるときもあったことだろう。そのいいしれぬ憂鬱の中で、生が謳歌する春の中で、ひときわ美しく咲き乱れる桜に信じられないという心情を持ったのではないだろうか。


仮に梶井基次郎が感嘆した桜がソメイヨシノであったとしたら、これも僕の想像だが、京都で生まれ育った梶井にしてみれば、ソメイヨシノは新しく派手な桜と受け取ったことだろう。梶井にとっては見慣れぬ桜であったからこそ、その美しさにこの世のものとは思えない何らかの理由を求めたとも思えるのである(見慣れている桜であれば、おそらくここまでイメージできなかったのではないか)。さらに大正から昭和にかけて、社会は「桜」に日本との同一性を求め始め始めている。梶井にとっても、当時の日本の社会状況について感じることもあったと思う。

それはソメイヨシノの新しさ、ある意味において屍体を持ち出すほどの不自然な美しさ、を重ねてみる日本の姿でもあったのではないだろうか。それを考えてみれば、梶井の想像はあながちロマン的なものでもなかったとも思えてくる。


僕はソメイヨシノを見たとき、確かに美しいと感じるのであるが、桜の樹の下に屍体が埋まっているとの想像を喚起することは難しかった。
つまりは梶井が感じた、ソメイヨシノの不自然な程の美しさを感じる事も出来なかったということでもある。

それは僕にとって毎年必ず訪れる見慣れた風景でもあった。しかしその事自体、ある意味感覚の麻痺があるのかもしれない。もしくは梶井も含めた数々の桜に関連する言説を無効化した地平の彼方に現在のソメイヨシノが立っているのかもしれない。そんなことを思った。

2006/04/01

桜の季節 ソメイヨシノの光景


cherry blossomsOriginally uploaded by Amehare.

僕がヤマザクラを「発見」したのは高校の頃だった。近くの公園でソメイヨシノ満開時に一本だけ赤い葉と共に咲いている桜を見つけたのだった。木に吊された札には「ヤマザクラ」と書いてあった。桜の歴史について何も知らなかった僕は、逆にある意味幸運だったかもしれない、ソメイヨシノと較べ葉と共に控えめに咲くヤマザクラに好感を持ったし、何よりもヤマザクラを歴史性で結ぶことなく全く別の桜だと認識したのだった。その認識は今でも続いている。

昨年の春に僕はそのヤマザクラの木を思い出し、公園のその場に行ってみたがヤマザクラの木は無くなっていた。移動したのか伐採されたのかは今でも不明だが、凄く落胆したことは覚えている。

今年、僕は公園内で何本ものヤマザクラを見つけた。それらは僕が通勤時に毎日通っている道の脇に植えられていた。数にして6・7本で、それぞれが根元から幹が数本別れた高木であった。それを契機に公園内でどのくらいのヤマザクラがあるのか実際に数えてみた。僕にとっては驚くべき事に、ソメイヨシノとほぼ同じであった。高校時には1本しかないと思いこんでいたが、単に今まで気が付かなかっただけの話なのである。どうして今まで気が付かなかったのか、それは桜を見る僕の視線によると思う。桜の姿を思い浮かべると、どうしてもソメイヨシノに集約される視線が、他の桜を見えなくさせていたと思うのである。

勿論昔からソメイヨシノ以外にも桜があるのは知っていた。例えば八重桜、枝垂れ桜、彼岸桜、等々。しかしそれらも僕にとって「桜」として見えなかったようだ。公園においても、実際はソメイヨシノ・ヤマザクラ以外にもオオシマザクラ・カスミザクラ・ヤマベニシダレザクラ等が植えられているようなのであるが、何処に植えられているか正直今でもわからない。

前の記事で僕は、ソメイヨシノには「桜」の観念としての側面を持っているが故に時として「妖しく」見えるのだ、と書いた。でも花の付き方も満開時の雰囲気も他の桜と全く違うのも事実である。ソメイヨシノを基準にすれば、ヤマザクラ群の桜は満開時でも葉桜と見間違えてしまうのである。それほどソメイヨシノの満開時の姿は絢爛で、群桜によりさらに圧倒的な姿で鑑賞者に迫ってくるのである。枝いっぱいに咲く状態、どこを見ても花・花・花の光景、花で木全体を埋め尽くしてしまうかのような花の勢い、見上げればそこは花の天蓋、それらのソメイヨシノがつくり出す光景を僕は「桜」という言葉と共に毎年見続けている。

ソメイヨシノが造り出す光景は、別の見方をすれば空間の付加価値とも言えるかもしれない。単品種集中型の公園景観が中心的な現在において、文字通り冬季の裸木から全身花の衣を身にまとう変化は空間そのものを変える力がある、と僕は思うのである。そしてその付加価値は非日常性の場をそこに創出している。しかもその空間は10日間という期限付きなのである。10日間という短さが、多くの人を飽きさせないぎりぎりの期間となっているし、飽きさせないことが冬になり春を待ちわびる気持ちに春のイメージと結びついたソメイヨシノが現れるのだとも思う。

少なくとも一カ所に多品種が植えられていれば、桜の品種の多様なる事実と共に、その中での好みもでたに違いない。でもそれはあくまで仮定の話である。今の僕はソメイヨシノの光景に縛られ続けている。