2012/05/14

2年ほど前に初めて入院した時、僕にとって良い看護師とは声の良さだった。それこそ波長が合うというのはあるものだ。特に体が弱っているときにその好悪は生理的なレベルで現れると思う。いくら技術を持っていても身体に障る声の看護師は近くによって欲しくはなかった。無茶な話をしているがそれがその時の実感だった。視覚は権力作用がそこに現れる。容姿の良し悪しはまさに時代が造ったものだろう。でも聴覚は視覚ほどそれが現れないと思う。音は、もしくは声は直接的に人間の深い部分と繋がっていると思える。ここでいう声とは言語のことを言っている訳じゃない。言語以前に発する声を言っている。何故人間は様々な声を発することが出来るのだろう。

ラフカディオ・ハーンは目が悪かったのだという。だからか彼の文章には音の表現が多いようだ。彼に物語を語ったのは女性だったそうだ。何故か男の耳には女性の声は心地よく聞こえ気持ちが落ち着く様に思う。その逆もまた真なりかは僕が男だから実感としてわからないが、そうあって欲しいと願う。きっとラフカディオ・ハーンは女達の語りに目を閉じて聞いていたと思う。そして穏やかな気持ちで想像の世界に身を委ねていたに違いない。それは一つの、まさに大いなる快楽だったに違いない。

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