2012/05/20

個別に語る

例えば「日本人の男性は」と人が語るとき、その中の一員に僕は組まれていることにとても違和感を感じる。暗黙にその方は「日本人」とか「男性」を規定している。そしてその規定は属している社会によって造られる。僕が日本を離れ数十年他国に暮らした場合、おそらく僕は「日本人の男性」とは違った者に見えることだろう。そして「日本人離れしている」と言われたとしても、やはり僕はその語りにも違和感を感じるのだ。結局の所、その方の語りは「日本人」中心であるのだというその一点において。一般論もしくは統計、さらに普遍的と呼ばれる語りは個別に対しては正しくはない。僕はそれらの中にはいない。決して。

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