2004/10/04

Late For The Sky

不思議と秋になると聞きたくなるアルバムがある。その中の一枚がJackson Browneの「Late For The Sky」だ。1974年の発売だから相当に昔のアルバムだけど、ロック名盤に数えられているタイトルでもあるので聞かれた方も多いと思う。

ピアノやアコースティックギターの素朴なサウンド中心なので秋の夜に合っているのかもしれない。「Late For The Sky」以降のアルバム(「The Pretender」「Running On Empty」「Hold Out」)もすばらしいと思うけど、僕にとっては秋のイメージではないし。
2003年発売のベストにも「Late For The Sky」が入っているけど、多分新しく録音した曲だと思う。曲の感じが全く違って聞こえる。どちらが好きかと問われれば、僕にとっては断然に1974年盤の方だ。

ア ルバムの中で特に気に入っている曲は4曲目の「The Late Show」。曲の終わりに一旦メロディーが止まり、それから車のドアの閉まる音と出発する排気音が出て、それから再びメロディーが始まる、この部分は何度 聞いても良い。恋人同士が新たな出発をするイメージがよく出ていると思うし、挿入する事が必然と思われるほど自然で心地よいと感じる。

古く ても長く聞かれる音楽にはそれなりの理由があると思う。理由は個人に帰属するのか、それとも人が共有する何かに帰属するのか僕にはわからないけど、その理 由が年月に風化しない強さを与えているように感じる。僕にとっては「Late For The Sky」は、後から知った音楽ではあるけど、その中の一枚であるのは確かだと思う。

Jackson Browneは1948年10月9日産まれだから、明日が誕生日。
Happy Birthday Jackson Browne!

「Late For The Sky」の歌詞はここにあります。

2004/10/03

ジュニア、その育て方

家には猫が2匹いる。2匹とも雄の雑種。最初の猫はジュニアといいミルクから育てたけど育て方に失敗してしまいもの凄く神経質な猫になってしまった。

ジュニアは白く黒の斑点が所々にあるとても綺麗な猫だ。仕草一つ一つにも醸し出す色気がある。僕はこのジュニアを育てる事ですっかり猫にはまってしまった。

どちらかというと最初ジュニアの育て方は、猫という事もあり放任主義だった。獣医さんのところで予防接種を受けた時に猫エイズの話を聞き、あまり表に出さな い事が良いと言われた。家にずーっといるとストレスがたまるようで、それを家の中で発散する事になり色々と問題を引き起こした。襖は何回か張り直したし、 障子はもう張り替えるのもあきらめたほど。物は壊すし、しかも木綿のTシャツは食べるし。

そこに登場したのがAさんだ。Aさんは母の知人で 猫の育て方に一家言持っている人だった。Aさんは小振りな顔立ちの割に大きな目を持っていて、ぎょろりと僕を見つめ、ゆっくりと力強く「猫は叩いて躾けな ければいけません」と話した。その何とも言えぬ迫力に僕は圧倒されすっかりその気になってしまった。なにせこちらは猫と一緒に生活するのが初めてなのだ。 右も左もわからない中で専門家から金言をいただいた気持ちになってしまった。

こうしてジュニアが1才頃からの約1年間がしつけ受難時代となる。ちょっとした事でジュニアは叩かれる事になる。そのうちにジュニアはこちらが近づくだけで自分の身を守ろうとするようになった。

Aさんから教えられた躾が誤りである事に気がついたのは、猫関連の様々なネットを読んでからであった。多くの人たちは言っていた。

「叩いたりする事は特に猫にとっては躾になりません」

それはそうだよな・・・人間だって叩くよりは誉めたほうがいいに決まってるし・・・猫だって同じだよな・・・

でもなんでAさんは僕にあんな事を言ったのだろう・・・Aさんと猫の関係は勿論わからないけど、そうやってAさんも教えられてきたと思う。でも考えてみれば Aさんの時代と今とでは随分と猫と人間の関係も変わっているのは事実だと思う。昔はネズミを捕る為の猫だったけど、今では誰も猫たちにそれを要求したりは しないし。

それからは叩く事はなくなったけど、その1年間の躾期間はジュニアにとって、神経質な猫になるには十分すぎる時間だったようだ。 さわろうとするだけで怒り出すし、抱かせてもくれなくなってしまった。まぁ年齢と共にジュニアも性格が円くなっていったので、今では短時間であれば抱く事 は出来るけど。

勿論ジュニアが神経質な猫になったのは、Aさんの一言だけが原因ではない。ジュニアが本来持っている性格もあるし、僕の接し方にも原因があったと思う。でもジュニアの生活環境を変えてしまったAさんのあの一言はやはり重たいと思うのだ。

そのAさんは今から5年くらい前に病気で亡くなった。今でもジュニアが怒る度にAさんのぎょろりとした目で僕に語った姿を懐かしく思い出す。そしてそのたびに何故Aさんはあんな事を言ったんだろうと苦笑するのだ。

いまさら「めぐりあう時間たち」しかも途中

東京の下高井戸に小さな映画館がある。小さいと言っても比較的新しく清潔で設備も整っているので、気持ちよく映画鑑賞が出来る。僕のお気に入りの映画館でもある。上映する映画も選別された良質の映画が多いし、ロードショーが終わった映画を再上映するので見損ねた映画を見れるのも良い。

下高井戸シネマ:http://www.shimotakaidocinema.com/


少し前に、その下高井戸シネマで「めぐりあう時間たち」を見た。
この映画はアカデミー賞をいくつか取り話題性も高かった映画なので、多くの人が様々な切り口で語ってもいる。Googleで検索すると約1万件以上もでてくる。

何を今更と思うかもしれないけど、僕にとってこの映画の位置づけが未だになされていない。僕はこの映画を見て感動したけど、感動の理由が見えないのだ。それ で未だにこの映画を引きずっている。1回だけ見た映画なのに、結構細部まで鮮明に覚えている。DVDで発売された時に、購入もしくはレンタルで再度見よう かと思った時も何回もあるけど、一度も行動してはいない。買う寸前、もしくは借りる寸前で自分を押しとどめるなにかがあるのだ。そのなにかは、最初に下高 井戸シネマで見終わった時に感じた「得体の知れぬ何かの重さ」を再び感じたくないと言う保身の心境に近い物がある。その「得体の知れぬ何かの重さ」がわか らぬまま今に至っていて、気になる映画の一つになっている。勿論日々の生活の中では忘れている事でもあるのは事実だけど。

先月本屋で別の本 を探しているときに、たまたま偶然に「めぐりあう時間たち」の訳本を見つけ購入してきた。それを昨日から読み始めた。読了まで少し時間がかかるかもしれな いけど、読み終えたら感想はここに書くつもり。読み終えたら再度映画を見てみようかなとも思っている。そしたら別の視点で見る事が出来るような気がするのだ。

ちなみに映画について、登場する俳優達は誰もが素晴らしかった。この映画には僕の好きな俳優達が多く出ている。筆頭はやはりニコール・ キッドマン、メリル・ストリープ、それからエドハリスも大好きだ。内容について言えばヴァージニアウルフが登場するだけでもわくわくする。キャストも素晴 らしいしカメラワークも素晴らしいと思う。でも特に素晴らしいと思ったのは音楽だ。音響担当はフィリップ・グラスという人で、とても有名な人らしい。実は この映画を通じて初めて知った。

「めぐりあう時間たち」公式ページ:http://www.jikantachi.com/home.php
公式ページに載っていた原作者のインタビュー「なぜヴァージニア・ウルフなのか」は時間があったら読んでみて欲しい。少なくとも僕は共感しました。(本ブログの下に掲載)

フィリップ・グラス:http://www.philipglass.com/

まだまだ僕はこの映画で色々と楽しむ事が出来そうだ。

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なぜヴァージニア・ウルフなのか? マイケル・カニンガム(原作者)

「なぜヴァージニア・ウルフなのか?」 私は幾度となくこの質問を受けた。「現代小説を書くのに、なぜヴァージニア・ウルフのように硬派で近寄りがたい、シリアスな人生と作品をモチーフに選んだのか?」ということである。肩をすくめるだけのときもあった。小説に何を書こうといいじゃないか? 余裕があるときはこう答えた。「ヴァージニア・ウルフは天才で、先見の明があったから」、「ロックスターのような存在だったから」、「小説界の画期的な存在だから」、「大好きな作家だから」、「彼女は誰もが私小説の主人公であることをわかっていたから」という具合に答えを用意した。

人生に対する見方が違うだけで、平凡な人生など一つとしてない。そう主張するウルフに、彼女の偉大さを感じた。ほとんどの人生が、表面的には平凡に映るかもしれない。でも、内実は違うことを、ウルフはわかっていた。たとえ仕事と雑務に追われながら、食べて眠るだけの毎日としても、本人にとっては、人生は偉大で魅力に満ちているものだ。ヴァージニア・ウルフは生涯、特異なことをするわけではない人々を見事に描いた。もし偉大な作家たちを、大きな宇宙を観察する天体物理学者に例えるなら、ウルフは微細な部分を鋭く見抜く微生物学者のようだ。彼女の著作を通し、素粒子の働きはどの観点でみても銀河の働きと同じように不可思議で巨大であることを、私たちは教わるのである。

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毎日の生活のすばらしさ スティーヴン ダルドリー(監督)


デイヴィッド・ヘアの脚本を読んだ時、最初に感じたのは、時代と女3人の人生の間をスムーズに流れていく展開に非常によくできた脚本ということ。原作と脚本どちらとも、人生と死、母と息子、芸術と狂気、記憶と後悔といった多様な面を豊穣に含んでいた。死にゆく者に尊厳を与えようとする介護者、人生を変えるしかない母親、創作のために精神を病む危険を犯す作家……そのような人が下す様々な選択の代償と、その選択の意義の重さを描いた物語であることがよくわかった。

3人の女の人生のたった1日を探っていくのが面白い。一瞬一瞬、彼女たちが選ぶ人生の旅が勇気あるものに思えた。女性が人生で見せる勇敢な行為は伏せられているか、背後に隠れて見えないか、男性の公の活躍のために影が薄くなるかしかないような気がする。それでも、女性も思いっきり勇気を振り絞って生きてきたことは男と同じである。

撮影中に留意した点は、原作にも脚本にも通じて流れるヴァージニア・ウルフ魂から逸れないこと。もちろんウルフや小説『ダロウェイ夫人』に触れたことがない人でも、映画が楽しめることに変わりない。しかし、『ダロウェイ夫人』を読んだ人なら、小説の奥深さはわかっているし、それを別角度から捉え直した映画を私たち同様に楽しんでもらえるだろう。
そして、素晴らしい役者たちがこの物語に魂を吹き込んでくれた。そのプロ意識、努力、気遣いには、目を見張るものがあった。メリル、ジュリアン、ニコールを迎えられただけでなく、並はずれた技量と才能を持った脇役たちにも恵まれた。それぞれまったく異なる演じ方が一つにまとまっていく様は見ていて楽しかった。いわば、参加者全員が深く関わり合ったプロセスといえる。

もっとも苦労したのが、ウルフの溺死シーンの撮影だ。かなり危険を伴う撮影だったが、ニコール本人に代役を立てるという考えはなかった。ウルフの死体が川底で流れに引きずられるシーンも含め、撮影には数日を要した。その場面を見ると、しっかりニコールが映っている。渾身の演技だ。

本作は複雑で色々な感情を呼び起こし、それぞれのストーリーに違う反応が出ると思っている。ローラ・ブラウンの物語では、母と息子の関係に誰でも何らかの意見はあるだろうし、母子関係の強さを再確認し、さらに興味を惹かれることだろう。

他にも、多くの観客が語りたくなる役にクラリッサ・ヴォーンがあるだろう。他人を幸せにすることがひいては自分の人生に意義をもたらすと期待しつつ、他人の面倒をみる女性である。多くの人がクラリッサやその選択の結末に、強く心を揺さぶられるに違いない。それからもちろん、ヴァージニア・ウルフも登場する。彼女は創作過程に避けられないものとして、精神が壊れる覚悟で狂気に足を踏み出すが、その選択には議論や異なる反応が出てきてもおかしくない。

こうしたことから、本作はまさしく20世紀の女性がときに断腸の思いで下すしかなかった難しい選択を追究していく。ローラ、クラリッサ、ウルフにとって、選択とは、他ならぬ死と謳歌すべく生とを賭けたものだったのである。

2004/10/02

落花生堀りに

知人から生落花生の塩ゆでをいただいて食べたらとても美味しかったので、早速川崎市麻生区の黒川まで落花生掘りに行ってきた。

家からだと、まず多摩川を越えて川崎の玉堤通りに、そして下り鶴見街道にはいり黒川に。距離にしてはそんなにないんだけど、なにせ車が多かった・・・渋滞、抜けたと思ったらまた渋滞で到着までに2時間以上・・・遠かった

落花生は一束100円で6束抜いてきました。これでも落花生の量としては十分。
落花生の塩ゆでは30分から40分くらい長く煮ます。結構美味しいから楽しみです。
でも落花生を掘ったときは(抜くといった方が感覚的に近い)、土の中から落花生そのままの形で出てきたときは何か楽しくなりました。よく見ると落花生も大きいのから赤ちゃんのまで様々。赤ちゃん落花生は見ているだけで可愛いと思ってしまいました。
その農園では紫芋も売っていたのでついでに1本購入。

ま た隣の栗園では、今年は栗のできが悪かったとの事で、落ちている栗だったら持って行って良いよと、持ち主のお婆ちゃんが言うので遠慮なく拾って持ってきて しまいました。約1Kも(笑)。でも落ちている栗はよーく見ないと虫に食われているのが多いからと言われ、拾った栗を調べたら約三分の一は捨てる事 に・・・

晩夏だと思っていたら、やっぱし秋なんですね。空も秋空だし。なんかほっとする一日でした。

2004/10/01

サガンの死

「悲しみよこんにちは」など多くの世界的ベストセラーを生み出したフランスの女性作家フランソワーズ・サガンさんが24日、仏北部ノルマンディー地方オンフルールの病院で心臓病のため死去した。69歳だった。」

僕が初めてサガンを知ったのは姉からであった。姉が高校の時に「悲しみよこんにちは」(新潮文庫)を読み大いに共感し強く僕に読む事を薦めたのがきっかけだった。
僕は薦められるままに読んでは見たけど面白いとは感じなかったし、ましてや共感を得る事もなかった。姉は続けて「ブラームスはお好き」(新潮文庫)を読んで、これも面白いと言っていたけど、僕が共感しなかった事は知っていたので、二度と僕に薦める事はなかった。姉はそれ以降もサガンを読んでいたらしい。時折サガンの文庫本が居間に置かれていた。

「悲しみよこんにちは」はサガンが18才の時に書き上げた処女作で、姉が読んで共感を得た 歳もやはり同じ18才だったと思う。同世代の少女の多感さを、当時も(勿論今も)知るよしもなかった僕は、「悲しみよこんにちは」の文体と内容にどこかし ら自分が拒絶されている印象を持ち入り込めなかった様に思える。それは僕自身が作り上げた一種の壁のような物だったかもしれないが、とにかくそれ以降の僕 にとって、サガンは書店で背表紙を見せるだけの存在でしかなかった。

5年程前の事だった。たまたま深夜にTVをつけたら映画をやっていたの で何となく見た。題名も何も知らない初めての映画だった。白黒の古いアメリカ映画だ。いつもだったら30分もすれば眠るために消してしまうところだったけ ど、その映画は面白かった。以前に見た事があるように思えた。映像ではなくセリフと登場人物名に記憶があったのだ。映画の後半に入る頃、もしやと思い新聞 のTV欄を見たら、はたして「悲しみよこんにちは」だった。「え、こんな内容だったのか・・・」とその時はとても新鮮な気持ちになった。高校の時に姉に勧 められて読んだ時の印象とは違っていた。映画と文学の違いは当然にあるが、主人公の少女の気持ちに共感が出来た。

姉も結婚し今では3人の子供と仙台にいる。サガンの死を聞いて姉はどんな気持ちになった事だろう?もしかするとサガンの名前と共に少女時代の鮮やかな思い出と感覚が沸き上がったかもしれない。

サガンのご冥福をお祈りします。