2004/10/01

サガンの死

「悲しみよこんにちは」など多くの世界的ベストセラーを生み出したフランスの女性作家フランソワーズ・サガンさんが24日、仏北部ノルマンディー地方オンフルールの病院で心臓病のため死去した。69歳だった。」

僕が初めてサガンを知ったのは姉からであった。姉が高校の時に「悲しみよこんにちは」(新潮文庫)を読み大いに共感し強く僕に読む事を薦めたのがきっかけだった。
僕は薦められるままに読んでは見たけど面白いとは感じなかったし、ましてや共感を得る事もなかった。姉は続けて「ブラームスはお好き」(新潮文庫)を読んで、これも面白いと言っていたけど、僕が共感しなかった事は知っていたので、二度と僕に薦める事はなかった。姉はそれ以降もサガンを読んでいたらしい。時折サガンの文庫本が居間に置かれていた。

「悲しみよこんにちは」はサガンが18才の時に書き上げた処女作で、姉が読んで共感を得た 歳もやはり同じ18才だったと思う。同世代の少女の多感さを、当時も(勿論今も)知るよしもなかった僕は、「悲しみよこんにちは」の文体と内容にどこかし ら自分が拒絶されている印象を持ち入り込めなかった様に思える。それは僕自身が作り上げた一種の壁のような物だったかもしれないが、とにかくそれ以降の僕 にとって、サガンは書店で背表紙を見せるだけの存在でしかなかった。

5年程前の事だった。たまたま深夜にTVをつけたら映画をやっていたの で何となく見た。題名も何も知らない初めての映画だった。白黒の古いアメリカ映画だ。いつもだったら30分もすれば眠るために消してしまうところだったけ ど、その映画は面白かった。以前に見た事があるように思えた。映像ではなくセリフと登場人物名に記憶があったのだ。映画の後半に入る頃、もしやと思い新聞 のTV欄を見たら、はたして「悲しみよこんにちは」だった。「え、こんな内容だったのか・・・」とその時はとても新鮮な気持ちになった。高校の時に姉に勧 められて読んだ時の印象とは違っていた。映画と文学の違いは当然にあるが、主人公の少女の気持ちに共感が出来た。

姉も結婚し今では3人の子供と仙台にいる。サガンの死を聞いて姉はどんな気持ちになった事だろう?もしかするとサガンの名前と共に少女時代の鮮やかな思い出と感覚が沸き上がったかもしれない。

サガンのご冥福をお祈りします。

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