2006/07/13

癌について少し考える

green

僕は「末期の癌患者になった従兄弟」という話の中で、「それこそ生死をかけ、彼の持っている力の全てをもって戦うのである」、と書いた。
その眼差しで従兄弟のことをみれば、なすすべもなく崩れていった彼の姿しか思い浮かばない。癌との戦いは消耗戦であり、少しずつだが確実に彼の肉体を侵略し、ついには完全に屈服させられる。彼は癌との戦いに負けたのだ。

上記の眼差しは、 僕は知らぬ間に従兄弟が癌に罹った聞いた時点から、自分の気持ちの中にあったのだろう。そしてその癌への見方が、 「戦う」という文章になったと僕は思う。しかし今ではその見方が違うのではないかと思っている。

「癌との戦い」、癌治療に対し軍事用語が頻繁に使われる。癌は肉体を地図としたとき、まず人知れず橋頭堡を確保し、そこを起点として勢力を徐々に拡大していく。目立たずに侵攻する様は見事としか言いようがない。それに対応するには、進行(侵攻)を止めるべく行う化学療法、もしくは癌が在る部分(橋頭堡)自体の切除となる。

「戦い」と言うからには、双方に戦う相手が必要となる。片方は病気としての癌と言うことになろうが、もう一方は誰なのであろう。

おそらく患者自身は、癌との戦いに参戦している意識は薄いのではないかと僕は思う。人は誰でも重い軽いの隔てなく病に罹る。その時、例えば単なる風邪であっても高熱であれば、病人はただ朦朧とした意識の中で横たわるしかなく、後は自分自身の免疫力と、周囲の介護に身を委ねるしかない。意識の上での病人はただ無力である。

ただ、病としての癌のイメージとして、そこに戦争が在る限り、患者は突然の医師の宣告により戦場に投げ出されることになる。ただ実際に戦う意識を持つのは医療関係者と患者の家族かもしれない。そして双方の狭間で、患者は「癌との戦い」の兵士ではなく、単に戦場としての地図であることを意識し、人として無力感を持つに至るように思える。

従兄弟が腸閉塞と患部切除の手術を受けた後、医者は彼に対し食事と運動を強く促した。おそらく具体的に「戦い」に参戦せよとの要請であったに違いない。しかし彼は両者とも出来なかった。食事と運動、それが程度の問題に関係なく、その行為自体においても人間は力を必要とする。気力の問題以前に彼にはその力がなくなっていた、おそらく手術がその力を奪った、僕にはそう見えた。

癌以外にも人間はそれこそ多くの病気に罹る。でも「戦い」と公然に呼ばれる病は意外に少ないと思う。例えば「老人性痴呆症」は病であるが、だれもそれを「戦争」とは言わない。もしかすれば介護はそれこそ「戦い」に近いと思う。ただ仮に「戦争」と呼ばれたとき、戦うべき「敵」とは一体何を示すことになるのだろう。病としての「癌」のイメージは「戦争」に結びつく。そして誰も好きこのんで「戦争」に飛び込みたくはない。

だから検診などで癌マーカーが出ていない事を祈り、癌予防に効くと云われればそれを試し、発癌性物質があると言われる製品からその身を遠ざける。 でも企業などが行う定期検診の殆どは、法令で定められた最低限のことしか行っていず、そこでわかる病もあるが、
それ以上に見逃してしまう病のほうが圧倒的に多いのではないか、そう思っている。

実際は「癌」は人間が罹る病の一つでしかなく、重大ではあるが特別な病気ではない。
しかも早期発見をすれば完治する率が高い病気でもある。 しかし何故未だに多くの遅れてくる癌患者の多いことか。問題は病理学的な癌以上に、 癌という病いのイメージそのものにあるように思える。 そしてそのイメージが社会に蔓延することで、人は癌検診を受けるのを避けるようになるのではないだろうか。

社会に蔓延している癌のイメージとは、一つは上記に述べた悲惨な戦争のイメージであり、一つは長期入院を余儀なくされることから、競争社会の中でそれまで築き上げてきたキャリアをなくす恐れであり、一つは患者として社会から隔絶した病院の管理下に入るということである。 しかし癌と言えども全てが同じ症状になるとも限らない。癌の部位と程度、または肉体的な個体差により症状はまちまちだと僕は思う。

もしかすれば自分の身体を顧みて癌かもしれないと一人戦々恐々としている人が多いかもしれない。人は不調を続けて感じたとき、まず癌ではないかと疑う。しかし癌のイメージが病院に行くことを押しとどめる。そしてもうすこし様子を見ようと言うことになる。その不安感は、人を健康へと目覚めさせる。身体によいと聞けば様々なことを試し、暴飲暴食を慎み、生活態度を改めさせ、適度な運動を心がける。もしくは色々とある健康器具類をそろえる方もいるかもしれない。しかし、自分の健康への目覚めは良いことではあるが、それ以前にまずは病院での検診こそが必要だと僕は思う。

また病気に罹るということ自体で、患者は罪悪感に囚われる場合もある。まずは多くの場合、病院で医者から言われる 「何故もっと早くこなかったのですか」という一言が患者に罪があることを意識させる。そうでなくても患者は、「何故自分が」という不公平感に囚われているのである。そして過去を振り返り、生活が乱れていたとか、暴飲暴食をしたこととか、家系のこととか、様々な要因を自分から引き出し、気持ちを納得させようとする。でもそれは本当のところ難しい。癌の発生理由の根本的なところは、様々なことを言われているが全ては仮説であり、本当のところは誰もわからない。

癌は罪でも、ましてやその人の罰ではない。 癌に罹った理由を自分自身に求めることは、
病いに対して社会が造りあげた虚妄に乗るということだと僕は思う。また癌は外来的な原因によることも十分に考えられる。いずれにせよ患者に罪は全くない。ここで患者が自分に罪をかぶせると、それは先々医者とのコミュニケーションが、医者からの一方通行になる恐れがでてくる。自分の命(人生)を判断するのは、医者ではなく最終的には自分でありたい、
僕はそう思っている。

病いとは人間の肉体に及ぼす物理的な作用であり、だからこそ本来は癌への対応は技術的側面を持ってすべきだと僕は思う。よって病いに関しては、心理学的、 社会学的見地からの意見は必要ないのかもしれない。技術的側面とは、定期検診による自分の肉体の現状を知ること、癌に罹った時のために医療保険に検討加入すること、また信頼のおける病院を幾つか知っておくこと、医者とのコミュニケーションを円滑に行うべくノウハウを知っておくこと、自分の身体を守る為に時として疑問は残さないこと、また時として自己主張すべきであること、等のいわばハウトゥーである。

上記の事柄は当たり前のように聞こえるかもしれない。でも癌への様々なイメージは、隠喩として使われ、感動的な美談として映像化され、ロマンチックな悲恋物語の結末として小説化され、その他様々な状況・メディアにより再生産され続けている。現在では、癌を死と結びつけて考える人は少なくなったと思うが、それでも昔のイメージとしての癌はしぶとく生き残っている、と僕は思う。だからこそ、それらに付随する商業化した健康ビジネスの中で僕等は消費活動を続けているのである。

実を言えば僕も医者・病院嫌いで、滅多なことでなければ病院には行かない。だから上記の話題を書く資格はないのは自覚している。でも今回従兄弟のことを通じて僕が感じたことを少し書きたいと思った。まだ書き足りないのであるが、それらはまた別の機会に書こうと思う。

2006/07/12

時には昔の話を by 加藤登紀子



宮崎駿監督作品の中で一番好きな作品が「紅の豚」である。監督の空に対する果てしない憧れとロマンチシズム。おそらく主人公が人間であれば、これほど格好良く描くことは難しかったのではないかと思えてくる。見方にもよるが、このアニメは好き嫌いがはっきりと出るかもしれない。僕自身がこのアニメが好きなのは、ロマン主義的な傾向が僕の中に根強くあるからだと思う。

加藤登紀子作詞作曲の映画エンディング曲「時には昔の話を」は映画以上にその傾向が現れている。誰かが映画とは痕跡の表出であると言っていたが、それであれば自己回帰する作品は映画とは言えない。それでも、常ではないが、時としてそういう映画と歌を無性に見て聞きたくなるのである。

これから盛夏だというのに、今夜は既に秋の気配。時には煙草の紫煙の中で思いに耽るのも良いかもしれない。

2006/07/10

喫煙から健康と病気のことを少しだけ考える

tabacco


僕は喫煙者です、と一抹の抵抗をもって言ってみる。少し前までは、 自分が喫煙者であることをわざわざ語る必要もなかった。でも今では、何故煙草を吸うの、という質問を受けるほどの有様である。 一抹の抵抗とは、自分が喫煙者であることを幾ばくか人に知られたくないという気持ちがあるからだ。

人に知られたくない気持ちとは、喫煙行為が百害あって一利なしとの社会全般の刷り込みが、この僕にも届いている事の証左でもある。さらに表に出れば喫煙場所は少なく、在ったとしてもそこは狭い穴倉のような場所だったりもする。そこで背を丸め、お互いを意識しながら、かといってそのそぶりも見せずに煙草を吸う様は、客観的に見れば見苦しい事だろう。

煙草の箱には、煙草がニコチン依存症の恐れがあることと、脳卒中の危険性が統計上高いと書かれている。また一部では、これもどこから持ってきたデータかは知らぬが肺ガンに罹るリスクも高いと聞く。また喫煙者よりもその周辺にいる人が受ける影響の方が高いとも聞く。だから現状の喫煙者への社会の対応は不当とは全く思わない。喫煙者は常に周囲に配慮を心がけなければならない、そう思う。

喫煙者の物言いで代表的なのは愚行権の行使かもしれない。それは一種のへりくだった喫煙者の態度でもある。喫煙が愚行であるとの認識は実は喫煙者には薄い。ただ社会が造りあげた喫煙の弊害に、表面上同調することが賢い選択だと思うが故の 「愚行権」という言葉なのだと思う。

正直に言えば、ほとんどの人は、自分にとって不利益な行為を選択する事は少ないのではないだろうか。つまりは喫煙といえども喫煙者にとっては本音ベースでは愚行ではないのである。逆に喫煙者である僕の問いかけは、何故社会はこれほど健康に対し偏執的になってしまったのか、ということである。

思うに、今ほど人が健康を気にし、他人に対し自分が健康であることを強調する時代もないように思う。まるで健康に気を遣わなければ、さらには健康でなければ人とは言えないような、そんな気さえしてくる。スーザン・ソンタグがいみじくも語っているように、病気は
「市民の義務のひとつである」、と僕も思う。

現在の健康に対する考えは、ひとつには病気に対する否定的な見方による。さらに病気とは自分が気をつければ罹らない、在る意味管理可能な領域であるとする考え方も見え隠れするのである。知人でも病気になり入院するとそれを隠そうとする。余計な心配をさせたくはないとの配慮もあると思うが、それ以上に病気になったことを他人に知られたくないという気持ちの方が強いのではないだろうか。

「病は気から」という物言いが今でも通用している。少しの病であれば気力で打ち克つ、学校でも仕事の場でも、時としてそのような物言いが横行している。病をおして仕事を完遂した者は周囲から評価され、病気で重要な会議を欠席した者はそのポストから追われる。確かに人の心の持ちようが、身体の免疫力に影響があると言われているし、僕もある程度はそれを信じてはいる。

でも「病は気から」の物言いには、病気の原因を病人本人に帰してしまう考えが内在している。病気になったのは病人自身が気のゆるみから、そこに病気が入り込んだというわけである。そして病人は自らを責めることになる。病気の姿を人に見せることは、ようするにそういう弱い自分をさらけ出すこと、それは自分が病気になったことが証明している、だからこそ人は病気になっても人に伝えることをしない、僕はそういうふうに考えている。

従兄弟が亡くなる前に僕に話したことがまさしくそれだった。彼は僕にこう言った。

「まず歯が悪くなった。よく噛まずに食事をとった。そして腸が悪くなった。何もかもが繋がっているんだよ。今の俺はまな板の鯉だよ。何でも医者の言うことを聞いている。」

彼の言い分は正しく聞こえる。それに僕は従兄弟が何故自分が病気になったのかを、自分なりに納得する強い気持ちもわかる。原因を自分に求めて考えなければ、彼は自分の境遇に納得できなかったのではないか。だからこそ僕は黙って従兄弟の言い分を聞いていた。でも病気はたまたま罹り、そして巡り合わせが悪く最悪の結果になった。すべてはたまたまの巡り合わせの問題であったと、僕は思っている。

「今はまな板の鯉だよ」と言った従兄弟の言葉の裏には、悪いのは自分だからといった気持ちが隠されていると思う。今の時代は「健康」であることが人間の条件の最大の一つである。その上で、「健康」の定義について考えなければならないという、一種のパラドックスの中にいるのも実態だと僕は思う。「健康」であること、それは具体的に言えば若さを保つこと、安易に結びつく「健康」と「若さ」の関係に、現代が「若さ」を一つの基準に設けていることが、様々な問題の一因でもある様にも思える。

でも実際は「健康」も「病気」も人間の一つの状態でしかなく、条件という事からはほど遠い。喫煙の話から健康について少しだけ考えてみた。今後も引き続き病気について考えていきたいと思っている。

2006/07/08

ジュニアの年齢

side face

帰宅時に玄関を開けると足下にジュニアがいた。出迎えてくれたのかと内心喜んだが、そんなことはなく単に表に出たいだけだった。おそらく僕の足音で玄関がすぐに開くのがわかり、しばらく玄関前で待機していたのだろう。5月頃からジュニアは何かといえば表に行きたいとせがむ。本当は表なんかに出したくはないのだが、扉もしくは窓の開き閉めなどで隙を見てするりと表に飛び出す。家の中にいればいいのに、今の時代は猫にとって表は危険だよと、ジュニアに向かって語りかけるが、彼は聞かぬ振りをして足早に塀を伝ってどこかに消えていく。

家の中でのジュニアの姿は主に寝ている姿である。それはそれで見ているだけで安らかな気持ちになるから不思議なものだ。
たおやかな蜂のような背中。
ときどきぴくりと動く耳。
丸まった足の裏からのぞいている肉球。
おれの無口なペン先で
とても描写出来ないほどとらちゃんは愛らしい。
彼女がおれの罪を洗い流してくれるのかもしれない。
   そんな予感めいたものも、
ちらりとだがある。  
(「おれの罪を洗い流せ」 中島らも から引用)

中島らものとらちゃんに対する気持ちは僕に真っ直ぐに届く。そして猫のこと、ジュニアのことを沢山書きたいのに、変に気取る僕は容易にブログに猫達のことを書かないのに気が付く。ジュニアは既に10歳を越えていると思うが、実は指折り数えなければ正確な年齢を普段は言い当てられない。人間であれば年齢と共に容姿もそれなりに変わっていくが、猫の場合も変わっているのだろうが、 僕にはよくわからない。

常に僕の前にいるジュニアは、成長が止まった時から何も変わっていない。そんな風に思っていた。ところが若い頃の写真と較べてみると、確かにジュニアは歳をとった顔になっているのがわかり、少し愕然とした。「愕然」とは大袈裟なように聞こえるかもしれないが、確かにその時の僕は「愕然」としたのだ。上の写真は現在のジュニアの写真である。昔に較べ白髪が確実に増えている。

愕然としたのは、丁度子供が親が老けたのを知り内心狼狽える心境と同じだった。僕の悲しみ、喜び、様々な事象の中での気持ちの拠り所として、知らぬ間にジュニアに寄りかかっていた。そういうことなのだろう。

お前も歳をとったんだなぁ、とあらためてジュニアを見て僕は思う。 僕の罪をお前は洗い流してくれるか。いやいやお前はもう十分にしてくれた、僕が頼りなくて悪いなぁと声をかける。その時のジュニアはきょとんとした表情をして、それから煮干しをくれとせがんだ。

追記:今月(2006年7月)、中島らもの三回忌を迎える。
関連:中島らも オフィシャルサイト

2006/07/05

「flugsamen」の展覧会「飛行種子」を観ての感想

福島世津子さんと乾久子さん二人の現代美術作家のユニット「flugsamen」による第一回展覧会「flugsamen/飛行種子」を見学してきた。それぞれがドイツ・日本で活躍されている二人のアーティストがユニットを組んでの初めての展覧会となる。

僕は久しく展覧会に行ってない、しかも現代美術となればなおさらである。そもそも現代美術というカテゴリが何なのかも知らない。単なる「今」というだけではないだろうし、そこには「現代」と付けるだけの意味があるはずだと思うが、容易にそれが思いつかない。
でも結局の所、誰のための美術か、という問いから発せれば頭に何が着こうが「美術」は変わらないと思うことにする。

このユニットの展覧会の前に、静岡で福島世津子さんの個展が開催していた。僕にとっては静岡での個展開催が、逆に東京での展覧会が個展でないことを意識する。それは単に二人のアーティストが、たまたま一緒に展覧しました、という次元では無論ない。

ユニット「飛行種子」の展覧会である以上、個々の作品について作者の名前を用いて語るのは避けなければならない、と僕は思う。これらの作品は「飛行種子」の作品なのであり、個々の展覧会で出品したことがある作品であろうとも、「飛行種子」の展覧会に出品した時点で、その意味も含めて変質しているように僕には思える。



例えば、展覧会の奥中央には福島世津子さんの作品「プロペラ」が宙を漂っている。本来作者の意図としては、このプロペラの下に横たわり、真下からの鑑賞が求められるが、「飛行種子」の作品として展覧した場合はその視座での鑑賞は難しい。何故なら作品「プロペラ」
の配下には、直径2cm程の白玉が円を描き置かれているからである。



その白玉は蝋で造られ中には一片の紙が挿入されている。その紙には文字が書かれている。それは「プロペラ」に記入してある言葉に連携しているかのようである。この時点で「プロペラ」は福島世津子さんの作品としてではなく、ユニット「飛行種子」の作品として別の意味が与えられている。

アートスペースの壁はキャンパスに見立てて「白」が殆どであるが、とりわけ「飛行種子」の作品群は白が似合うように思う。ユニット 「飛行種子」の展覧会は、一つ一つの作品を鑑賞する楽しさもあるが、この展覧会スペース全体で一つの「飛行種子」の作品とも言える様に僕には思えた。作品一つ一つの配置は、二人のアーティストの感性によるところが大きいが、一つの空間を演出する為の配慮と計算がそこにはあるように見えたのだ。

つまりはユニット「飛行種子」の展覧会とは、与えられたスペース全体で一つの作品となっている。それは二人という複数のアーティストが、ユニットとしての「飛行種子」という単数になるのと同じである。展覧会には様々な「飛行種子」が、それこそ様々な姿でそこにある。あるものは壁を這い、あるものは萌芽が始まり、壁の中を蠢き、空中を漂い、地上で飛翔するのを待つ。それらは個別に在ると同時に、互いに存在を結びつけているかのようだ。

実を言えば、現代美術というものに全く無知な僕が、ユニット「飛行種子」展覧会が創り出す世界が気持ちよく感じた。この楽しさ、気持ちよさは一体何処から来るのだろうか。



展覧会に入ってすぐに「対話写真」が展示している。それぞれが撮った写真に対話形式でコメントが付与されている。写真には「収集者」と「収集場所」が記載しているが、写真に対してこの言葉は適切だと僕は感じる。彼女達は何を収集したのだろう。

それは写真として映像化した対象は無論のこと、その対象が在った場所、さらにその対象が存在した時間、なによりもファインダー越しに収集者が対象を経験したこと。それらをあえて一つの単語で言うとすれば「記憶」かもしれない。

彼女たちは映像化し固定化した記憶を外部に持ち出し、それを対話という形で様々な意味を与える。「対話写真」が展示会の入り口に置かれたのも理にかなっている。それはまずは、ユニット「飛行種子」の方法論の提示であり、一つの固定化された記憶から対話という技法を使って別の物語を造り出す作品だと思う。それらはユニット「飛行種子」としての最初の作品とも言えるし、コメントをメモとして追加することで作品の意味は様々に変質する。しかも、観る人は写真に付与した対話を読むことで、知らずに自分も参加することになる。

この「対話写真」のモチーフは、展覧会全体の個々の作品にも通じる。 「対話写真」の奥には少し広い空間があり、その中央に「プロペラ」が宙を漂っている。左側の壁に沿って進むとすれば、 そこには乾久子さんの作品が展示してある。




自らが意志を持っているかのように増殖する線。作品が部屋の隅、角を使って両面に配置している。まさしくこの配置がこの作品にはふさわしいと僕は感じる。部屋の中で角は構成する線が多い場所であり、何かが集まる場所でもある。線は集まり何かの形に成ろうとしているのだろうか、それとも元々の形から崩れ違った何かになろうとしているのだろうか。
そんな興味がわいてくる。僕の妄想では、線は「記憶」の分解であり、新たな再構成への過程であるので、形をなしていない。

あたかも画用紙に付着した微少の種子が、適度な温湿度などの環境により、萌芽を繰り返す。種子から伸びた茎は、成長の場所を求めて彷徨う。そんな動的なイメージがこの作品にはあるように僕には思う。



「欠品ゲーム」、この中には「暗号」のメカニズムが隠されている。表面に見える一つの物語が、ある規則(ゲーム)に従えば全く違う物語がそこに現れる。そのゲームを視覚化することにより、この作品を見る人は、新たな物語に変換する驚きと楽しさを味わう。

考えてみれば「暗号」と「種子」はある面とても似ている。「種子」の姿を見るだけでは、それがどのような成体になるのかわからない。 「暗号」も表面で読み取れる一つの物語に隠されている重要なメッセージも、解読の規則を知らなければそれを知ることもない。

現実は常に隠される。隠された現実を知るためには、今までとは全く違う見方をしなければならない。ただ僕らは言語の内部にいて、そこでしか考えることが出来ない。言語の外部に出るということ。「飛行種子」の作品群に言葉を使った物が多いのは、隠された現実を暴くために、言語の外部へと突き抜けることが根底にあるのかもしれない、等と少し思う。

言語を使って言語の外部に突き抜けるとは、僕にとって詩作の目的と同義である。吉本隆明氏は詩の目的を「世界を凍らせる」とした。そして世界を凍らせるには「ほんとうの言葉」が必要となる。「飛行種子」の作品群は、そう言う意味の言葉を、しかも人間が声に出して発する言葉を、具象化した様にも思えたのだった。僕にとって「飛行種子」の作品群は詩を感じさせるものばがりであった。

もう一つ別の見方をすれば、言葉とは人間の象徴化した姿かも知れない。人の様々な思いとか願いが「飛行種子」となり、人から人へと脳内に付着して、いつか成長し新たな種子を生むことを期待する。でもその場合、種子がどのような成体になって欲しいか、あらかじめ種子の遺伝子に組み込んでおかなければならない。おそらく「飛行種子」の作品に使われた言葉は、組み込む遺伝子として考え尽くされた言葉なのだろう。そう考えたときに、使われた言葉一つ一つをもうすこし丁寧に見るべきだったと思った。



「飛行種子の標本」、あえて作品のイメージを具体的に表現すれば、そういうタイトルにでもなるのであろうか。収集されて、段ボールの箱に収まった種子は極めて静かである。しかし観る者の感性をざわつかせる何かがある。種には文字が書かれている。それは組み込まれた遺伝子情報なのだろう。そしてこの種の採取場所は他ならぬ人間に違いない。だからこそ、この作品を見て僕の心はざわつくのだと思う。つまり作品を通して自分を観るような、そんなざわつきに近いかもしれない。



「飛行種子の標本」の横には、壁に封じ込まれた種子の数々が飾られている。最初この作品を見たときに浮かんだ言葉は「化石」だった。植物の成長過程の途中で固定化された存在のイメージ。でもそのイメージは誤りがあると後で気が付いた。石の中に封じ込まれたにせよ、中で彼等は成長を止めることはない。いずれ取り囲んでいるスペースを浸食しつくすのであろうか。しかし、作品の配置がとても巧い。

僕は展覧会を7月1日に見に行った。実を言えば前々から予定していた行く日ではあるが、従兄弟の事があり、その前々日あたりから少し行く気分が削がれていた。普段よりほんの少し心が腫れている状態、そんな僕にとって展覧会の空間は、想像以上に心地よかった。正直に言えば、それは嬉しい誤算だった。

勿論二人のアーティストとしての才能を疑うと言うことではなく、自分自身の感受性が、現代美術という強烈な個性の発露に過剰に充てられるのではないか、という恐れからだったが、それは単に僕が無知だった故からくる気持ちだった。

「個性の時代」と言われたのは随分と昔のことだ。今ではそういう時代区分を付ける人は少ない。それでも人は他の人とは違う何かを出すために強度を求める結果になることが多い。過激な言葉、衝撃的な映像、それらを反復する姿に、今の僕は付いていくことが出来ない。

「飛行種子」の作品群には、そういった意味での強度は少ない。正確に言えば、強度を測る物差しで計ることが出来ない。「種子」とは可能性であり、創造であり、それらは観る者一人一人の感受性にあわせて発芽するのだと僕は思う。確かに展覧会「飛行種子」の空間には、個々の作品から視覚に捕らえることが出来ない「種子」が飛散していた様である。そして訪れる者たちに確実に付着し、それぞれの世界へと運ばれていったと僕は想像する。そしてその感触が、腫れている僕の心を治癒するという事ではなく、何かしら耐性を強めてくれたような、そんな感じを持ったのである。

一時間くらい僕は会場にいたように思う。その間、何回か乾久子さんが作品についての説明をしてくれた。とつとつと話す乾さんの言葉と声は僕の内部に染み込む。とてもシンの強い方だと声を聞いて思う。福島世津子さんは、来訪者に丁寧に作品の紹介をされていた。僕はすっかり挨拶をするタイミングを逃してしまったらしい。僕は乾久子さんに 「とても楽しめました」とお礼を言い、記帳をして引き上げた。お礼の言葉は無論世辞ではない、お礼をお二人のアーティストに告げたかった。その気持ちは今でも変わらない。

関連サイト
追記:上記感想は作者からの解説を受けての感想ではなく、僕自身の勝手な解釈と感想です。