2007/11/21

松本清張の「張込み」を読む

松本清張の「張込み」は次のような物語を持っている。 これらは1957年の映画であろうと、2002年のテレビドラマであろうと変わることがない。

(1)刑事が殺人犯を探索するため、 過去に容疑者と関係があった女の家を張り込む
(2)女は既に歳が離れた吝嗇な男の後妻となり、彼の継子を育てている
(3)女は生気が感じられず、判を押したような日常を送っている
(4)容疑者が女の元にやってくるが刑事はそれを最初見逃す
(5)容疑者と一緒にいる女は生気があふれ活き活きとしている
(6)刑事は男を捕まえ、女に家に戻るように言う
(7)女は家に戻り、以前と同じような生活を送る

「張込む」刑事は女の私生活の一部を覗き続ける、そして女は最後に「家に戻るよう」 に刑事から伝えられるまでそのことを気づかない。「張込み」とは一種の監視装置でもある。 監視される側は監視されていることに気がつかない、

それは事象発覚した後に別の姿で起動し、監視される側に突然に立ち現れる。「張込み」 の設定が、通常は複数人体制で行われることが、油木という男性刑事一人での「張込み」は必然と考えられる。それは一種の「私小説」 の姿を呈している。小説「張込み」の読者は、自らが油木という刑事と同一化し、女を監視するのである。

監視される側は監視を意識していない以上、その姿を露にする。この場合、 女は生気のない顔で日常を過ごし、容疑者の男が現れ精彩を放つ。その変貌の落差は刑事の目、つまりは読者の目からは、 女の謎の一部を垣間見たと感じられたことだろう。この落差を描くことが小説「張込み」の主眼でもあると思うのだ。

松本清張「張込み」の構造を支える柱として「欲望」 を挙げることができるのは間違いない。「欲望」はそれを限定する場である「家」を離れて立ち上がる。しかし社会構造は、その「家」 のネットワークで成り立ってもいる。つまり「欲望」を限定する「場」としての「家」があるから、 社会秩序が保たれているともいえるのかもしれない。その社会秩序は男性社会が構築してもいる、よって刑事は女が生気のない人生を生きることを承知で家に戻ることを勧めるのである。

「欲望」の追求は叶えられることはない。女の「欲望」は男の逮捕で幕が下りる。 それは一種の「欲望」への否定の姿でもある。そして「欲望」が暴走しないために監視装置が設けられる。

1957年製作の映画「張込み」 では、 タイトル画面の時、刑事が張込む「眼」を正面で捉えた画像が映し出される。それはあたかも観客を監視する「眼」でもあるかのようだ。 ゆえに映画では、女の欲望が結果的に成就されないことで、その行為が許されないことを観客に意識させる。

逆に2002年のテレビドラマは、たけしの存在自体が逆説的に「欲望」 の発露の存在として描かれる。彼は女の家に投函された封書を勝手に開封し中を確認する。また彼の家が崩壊寸前にもかかわらず、 省みることもなく仕事へと出かける。さらに彼の妻は不倫をしている可能性もある。そのたけしが演じる刑事が、監視する女に対し、 やはり最後は家に戻るように伝えるが、既に 「家」には「欲望」を限定する「場」にはなりえていない。それは彼の家庭の姿が証明している。 だからこそより大きな代償、たけし演じる刑事の死が必要となるのである。そしてその結果、やはり「欲望」は拒否される。それは女の「欲望」
と共に刑事の家庭に対しても同様となる。

人の「死」を持っても抑えるべき人の「欲望」の発露、果たして人の「欲望」 とはかようなものなのだろうか。逆に「欲望」の限定を求めることが、 現代における人の生のゆがみとなって現れるという可能性も否定できないのではないだろうか。


確かに消極的な自由が一般的な状況の中で、 無限定な「欲望」の存在は悪とされる。ただ瑣末な個人の「欲望」は、より大きな力を持つ「欲望」とその発露の際の暴力の前で利用され無化されている現実もあるように思えるのである。

松本清張原作の「張込み」は一言で言えば傑作に値する小説ではない。 でもこの小説が各種メディアの中で時折利用され、もしくは映像化される理由は、何かしら社会の意志を感じるのは僕だけではあるまい。

2007/10/01

Twitterを無意味と語る無意味な記事を思う

ITproにおける二つのTwitterに関する記事(『「爆発的広がりを見せるソーシャル・
メディア:中身の無いコミュニケーションがなぜ若者に広がっているのか?」小林雅一
』、『最新IT動向を読む 第4回 Twitter、リアルタイム日記、プロフ爆発的に広がる“無意味メディア” 』)を読んで、思うことがある。

それはTwitterの利用者をひと括りに扱い、その傾向を分析するかのような手法である。Twitterとはどんなサービスなのかをこの場で問うことはしない。それをソーシャル・
メディアとすることもマイクロブログと扱うことも一向に構わない。ただ一ついえるのは、それらのサービスを利用する人は、学生でもあり社会人でもあり学者でもあり、もしくは主婦でもあるということだ。彼らは、日中会社で働くであろうし、学校で授業を受けているだろうし、日々の家事と育児に追われているかもしれない。また彼らはテレビを見て、小説とか漫画を読み、新聞も読んでいることだろう。 無論ネットで色々な情報を調べたり、時には買い物をしたり、また興味があることはブログなどを通じて発信するかもしれない。

当然のことだが、Twitterの利用者と利用していない人と見分けるのは不可能だろう。会社で高度なマーケティング計画を立案している人も、時折Twitterを利用しているかもしれない。もしくはアカデミックな場で、それこそ意味のある(と思える)コミュニケーションをしている方もTwitterを利用しているかもしれない。つまりは、そういう現実が今の時代にはある、と僕には思えるのである。

Twitterでの発言に「内容が無い」と語る人に聞きたい。そもそも人と人のコミュニケーションの場において「内容が有る」言葉がなされる比率はどのくらいであろうか?多くの場合、取り交わされる内容は客観的に見れば無意味と思われないだろうか。さらに言えば、Twitterなどの利用者は自分が発信するものに「内容が無い」のは言われなくてもわかっている。

またソーシャル・メディアの興隆により、従来型のメディア(新聞など)の衰退に危機感を持たれている方にも聞きたい。Twitterを利用している人は新聞を読んでいないと、もしくは信頼していないと、本当に信じているのだろうか?Twitterなどのソーシャル・メディアを使う人はそれらを使わない人となんら変わらない。興味のある事項について、もしくは特定事項の情報が他の人より多く知りえている人は、それらのことについてネットを通じて語るかもしれない。でもその事項以外は無視するというわけでもない。それらはおそらく新聞の記事を概ね信じるだろうし、食事を摂りながら見るテレビのニュース番組でキャスターの言葉に頷くかもしれない。

ネットの興隆による新聞などの衰退は確かに事実だろう。でもそれでも紙媒体のメディアが完全になくなるとも思えない。一言でいえば、状況が変わったのだ、とそれしか言いようがない。従来の価値観というか規範で説明が付かなくなった。たぶん、上記の記事の執筆者もその点は重々承知の上だろう。でもやはり物とかサービスを見るとき、それが特にビジネスの視点が必要なときは、何らかの規範となるような思考に頼ってしまうのだろう。そしてその視点でこれらのサービスをみると、「流行っている理由がわからない」となるのだと思う。

実際にサービス単位で見ると、Twitterは衰退方向だと僕には思える。 しかし似た様なサービスは雨後の筍のように登場し、なくなる方向には無い。その中で現在注目されているのは「Pownce」かもしれないが、サービスを受けるには招待状が必要なので、実態は僕にはわからない。ただ思うに、今後はこのようなサービスが、しばらくはという留保つきではあるが、多くの人に利用されるであろうということだ。まずは「理由がわからない」と思考停止になるのではなく、この状況を了解しその中から新たな視点を築きあげていくほかはあるまいと思うのである。

これらの状況は、おそらく東浩紀に言わせれば、「動物化するポストモダン」時代のサービスとして説明が付くかもしれない。北田暁大は「動物化」という言葉に多少の違和感を感じながらも大筋了解することだろう。 でもだからといって、それらの言説が、今後の展開を示唆するまでに至らないのも事実だと思う。さらに言えば、多くの人はこれらの新旧サービスを、限定されてはいるが、ある程度の情報リテラシーを持って使い分けていくだろうと思う。

ビジネス的に捉えれば、確かにTwitterの利用範囲は狭いとは思うが、窓口の一つであるのは変わりはない。さらにTwitterライクなサービスが、自分が属する業界のビジネスモデルに取り組むために何が必要かの視点で考えたとき、新たなサービスイメージが浮上するかもしれない。

冒頭に述べたように、ここでは「Twitterは何か」等の人文学的視点では語るつもりはまったくない。ましてや、Twitterなどのサービスが流行ることから、社会への不安感とか危機感を増幅する意見を提示するつもりもない。それはTwitter利用者にとっては無縁な話であり、ある意味、マスメディアもしくは一部のブログが語ればよいと思っている。逆に言えば、緊張感の無いコミュニケーション、そこからは争いもない代わりに何も産まれない、だからこそテロリズムとの相性が悪いTwitterライクなメディアがあってもよいのではないかと思っているのである。

2007/09/26

ル・コルビジェ展の短い感想

Tower

先々週だったか日にちは忘れてしまったが、僕は六本木ヒルズの「ル・コルビジェ展」 に行ってきた。

もとより建築関係に造詣が深いわけでも関連業界にいるわけでもない。でもフランスがユネスコ文化遺産にコルビジェの作品群の一括登録に動いている、という話題が出るほど、彼は普通に知られている歴史上の人でもある。その彼の単独展を開催しているというので興味があった。僕の感覚では、ル・コルビジェは確かに偉大な建築家だが、日本で単独展が出来るほど知られているとも思えなかったから、どのような展覧会を企画者は見せてくれるのだろうか、という点が特に興味があったのである。

友人の設計者と少し前に色々な話をした。 その中で建築関連の話でもないのに普通にコルビジェの話が出てきた。彼は設計技師なので当然にコルビジェのことを知っていて不思議はない。 でも、その時多少の違和感を感じたのは、コルビジェという名前が建築関係者ではない人でも知っているのが当然という「自然さ」だった。

僕の場合、学生時代からデザイナーとか建築関係とかを志す人が回りにいたので、その影響もありコルビジェの著書を何冊か読んだことがある。だからこそ知っていると自分では思っていた。だから、彼が「近代建築の始祖」と呼ばれている理由とかはまったく知らないし、そのような目で見たこともない。一つ言えばテクノロジーとして人間を見つめ建物を設計した、その事がおそらく発端ではないかと思うくらいだ。

でも、例えばジョサイア・コンドルとか辰野金吾、曽禰達蔵、 片山東熊などの日本近代建築の始祖と呼ばれる人たち、もしくは堀江佐吉などの大工棟梁たちと、 コルビジェが何が具体的に違うのかは正直に言ってよくわからないのは事実だ。彼らもコルビジェと同様に、 建築する際に必要な基礎データ値は経験則として持っていたはずである。

さらにフランスが世界遺産登録申請したというのもフランスというお国柄があるからだと思っていた。つまり、あくまで一般的には知られていない人であり、展覧会の来場者は少ないと思っていた。人が少なく静かな美術館での鑑賞を僕は当然の事として期待していたというわけである。

でもその期待は六本木ヒルズで入場券購入の待ち行列を見てあっという間に吹き飛んでしまった。そこには老若男女が、乳母車に乗っている赤ん坊から杖を突いているお年寄りまでの方々が、長い行列を作りながらじっと鑑賞券購入の順番を待ち続けていた。その状況は僕にとっては想定外だった。後からわかったことだが、展覧会の入場券は六本木ヒルズの展望台への入場券と兼ねていた。だから多くの方の目的は展望台だったに違いない。ただ兼ねているのだから、展望台のついでに展覧会を観て行きましょう的なノリの方も多かったと思える。

だから、展覧会の総括をすれば、「騒々しかった」がまず浮かぶ。子供は走り回り、赤ん坊は泣く、それらは致し方ないことだ。それはわかる、でも静かな鑑賞を期待していた僕にとってその光景の落差は大きすぎた。では展覧会の内容はどうだったのかと聞かれたら、意外に面白かったのも間違いない。 意外とは、コルビジェの様々な側面を観る事が出来たことから、展覧会の内容が近代史を振り返る機会になったということで、それはコルビジェの建築面だけではおそらく知る事が出来なかったと思うからだ。また「面白かった」の根底には僕のコルビジェへの固定観念が偏っていたことの表れでもあるかもしれない。展覧会での表現が企画者の意図を的確に伝えていたし、それに対しては違和感はおきなかった。確かにコルビジェは「近代建築の始祖」と言えるのかも知れない、順路を辿りながら僕はそういうことを考えていた。

まさしく当該展覧会ではコルビジェと近代が離れがたく密着していた状況を的確に現していた。でも逆に言えば、彼の活動が近代という枠組みに組み込まれているのを理解すること自体が、近代そのものが現代とは違った時代であったことの証左になりえたようにも思えるのである。彼の作品には、根に僕らが失ってしまった 「大きな物語」が確かに横たわっていた。だから僕はコルビジェの作品群を近代史を見るように順路を辿ったのだった。

子供たちと赤ん坊の喧騒が、近代という時代の音色にも聞こえ、そこに一つの不思議な空間を作っていたように思えた。その中で僕は、展示物を、何故かしら懐かしさが伴った感覚の中で眺め続けたのである。

特にコルビジェの都市計画はそのことを如実に表しているように僕には思えた。 コルビジェの都市計画には、人間工学というテクノロジーに含める要素ひとつひとつの選択が「大きな物語」 を背景にして行われているように思えたのだ。だからコルビジェの計画した都市は、現代におけるそれと著しく景観が異なる。

例えば現代では要素としてバリアフリーとセキュリティが加わるだろう。でもそれ以前に「大きな物語」が喪失している以上、それは単にテクノロジーに必要な要素の1つにしか過ぎない。その結果、日本のどこに行っても同じ都市景観になるというわけである。だからといってコルビジェの都市計画を称賛するつもりもない。彼の都市計画には逆にそれだからこそ排除された人たちも多いはずである。

コルビジェ展が今年開催された理由は何だろう。 それは1つには回顧できる時代になったということがあるように思える。僕らはコルビジェを外部から眺め批評出来る立場にいるのである。 そしてその立場からコルビジェから受け取れるものはなんだろう。それは僕らが無くしてしまったものへの郷愁だけではないはずである。でも、この展覧会はコルビジェと近代との結びつきの強さを表現することは成功したとしても、それ以上の射程は持ち得なかったように思える。

現代におけるコルビジェの意味とは何なのか。おそらく今回の展覧会にあわせ多くの美術誌もしくは建築雑誌がそのことを特集に組んでいることだろう。僕はそれらを全く知らない。
ただ1つ言えることは、既に時代はコルビジェの時代に戻ることはない。コルビジェが実践した建築設計の各要素を、背景無くしてバラバラに取捨して利用するしか僕らには出来ないのである。

補足1:一般的に知られていない、 といっても当然に多くの方が知っているとは思っている。ここでの比較は、たとえばレオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」と較べての話。 無論混雑具合はモナリザ程ではないにせよ、僕的にはそのくらいの落差があったということである。

補足2:写真は六本木ヒルズの展望台から眺めた東京タワーと街並み

2007/09/22

エイトに

エイトが亡くなってから3ヶ月が過ぎた。僕はエイトに会ったことはない。ネットの中だけの付き合いだった。付き合いと言っても、頻繁なメールのやりとりをしたというわけでもない。エイトが撮った写真を眺めたり、ブログを読んだり、そしてそれらにコメントを寄せたり、もしくは逆にもらったりした、いわばネットではどこにでもあるような間柄だった。

エイトは頻繁に自分のブログを更新していて、僕はほぼ毎日エイトの記事を読んでいた。率直に日常を語るエイトの文章は魅力的であり、エイト自身の強さと弱さを自然と顕わにしていた。僕はそれらを通じて次第にエイトのことを知るようになっていった。

エイトを初めて知ったのは写真からだった。あるバラの一品種の姿を知りたくて写真サイトであるFlickrを検索したのだ。バラの名前は忘れてしまった。でもエイトの写真は1つの印象として記憶に残っている。それはよくあるような、写真好きが撮ったような写真ではなかった。そこには撮した者の心情は微塵も入っていない様に僕には見受けられたのだ。一歩身を引いたような写真、いわば百科事典に載っているような写真。エイトの写真はそんな印象を僕に与えた。

実を言えばそのことをコメントに書いたことがある。よくよく考えれば失礼とも受け取られるコメントだが、エイトは僕のコメントに喜んでくれた。そしてこの写真サイトを使って植物の百科事典みたいなものを造ることが出来ればと考えている、と返信コメントで語っていた。

別の話だが、僕は約一ヶ月前に会社の後輩の死を知った。彼が入社時に僕と同じ部署に配属され数年間一緒に仕事をした。純朴で義理堅く、気持ちが真っ直ぐな好青年だった。一緒に仕事をした期間は5年くらいかもしれない。それから彼は異動になり、僕自身も異動したりして滅多にはあわなくなった。それでも社内で偶然にすれ違うとお互いに近況などを報告しあった。後輩の死は昨年のことだったらしい。帰宅途中に下車駅で倒れたのだそうだ。その話を聞いた際、無論僕は愕然としたし、彼の笑顔を思い出した。そしてラガーでもあった彼のスポーツマンらしい頑丈そうな体躯を思い出した。でも、悲しみの深さは比べることはできないが、正直に話せばエイトの死を知った時ほどの痛みは感じなかった。

もしかすれば相次いで知人(エイトが知人と言えるのであればだが)の死を聞いた僕は、そういうことに関する感覚が麻痺していたのかも知れない。後輩の死を聞いたときに、その出来事の大きさと、自分自身の薄情とも言える気持ちとの落差に驚き、僕は自分を納得させるために一瞬そう考えたのも事実だ。でも時間が過ぎるごとに、僕の中に占める両者の死の重みはエイトの方がより大きくなっていったのだった。

僕にとって後輩とエイトは全く対照的だと思う。例えば、僕は後輩の顔を知っている、仕事に関して様々なことを話し合った、その意味では僕は彼のことを知っている。彼の結婚式に招待された。子供が生まれたと言うことも知っていた。少し調べれば生年月日や生まれ育った場所も知ることは可能だと思う。


逆にエイトは一度も会ったことがないので、外見的なことは何も知らない。何の仕事をしていたのか、その仕事でどんな活躍をしていたのかなども全く知らない。当然に生年月日とか、どこで生まれ育ったのか、そしてどこに住んでいたのかさえ知らない。それなのにエイトの死に強い痛みを感じたのは何故だろう。1つ言えるのは、現在において、僕からの距離感が両者は違うことはあるかもしれない。僕は後輩は実際に見知っていたが、ネットの友人であるエイトよりも距離が離れていた。エイトとの距離感は僕が造り出した幻想なのかも知れない。

しかしそれを言えば実際に見知っていた後輩も同様だろう。ただ、エイトと後輩の違いは「顔」に還元されるのも間違いない。人は「顔」を知れば全てを知ったような気になるが、実際は「顔」によって何もかもを知ることが出来ない。エイトの場合、「顔」を知ることがなかったことが、より身体的にエイトの文章において実感できる結果となった、と言えないこともない。

つまり僕にとってはヴァーチャルなエイトの存在の方にリアリティを感じていたのである。
エイトのブログ記事は誰宛に書いたかという疑問を抱かせない。エイトは間違いなく誰に宛てても書いてはいない。強いて誰かと言えばそれは自分自身かもしれない。だからエイトのブログ記事は一見すると安定せず自律した個人がそこにいないかのような印象も受ける。でも多くの者たちにとって、ネット上で文章を書くということは、自らを自分の造り出したイメージで縛ることにも繋がっている。

だからエイト自身はその呪縛から逃れていたとも言えないこともない。だからといって、エイトが撮った写真とブログ記事の総和にエイトの全貌が立ち現れるわけでもない。それらは表層に現れるほんの一部だろう。でもそれを言えば、実際にエイトの知人であったとしても同様のことだろう。いくら自分が知りえるエイトの情報を集めてもエイトには近づけない。

それであればエイトとは僕が造りだした幻想でしかないのだろうか。おそらく半分半分だろう。僕はエイトを知っていた。しかし僕はエイトを知らない。そしてその状況にネットとかリアルとかは関係はない。

ある時エイトは僕が撮したベンチの写真にコメントをしてくれた。ベンチは近くのマンション前に設置していたもので、木製の長椅子ではあるが、一人分の席を表すかのように手すりが付いていた。エイトはそのベンチを見て、最近そこで寝ることを防止するのを目的と思える手すり付きのベンチが多いですね、と書いてあった。その視点は紛れもなく僕の視点でもあった。ブログでは、人と接することが苦手でいつも一人でいること、一人でいることが好きでいながらも多くの人と接していたいという気持ちも持っていること、なども書かれていたように思う。そしてそれも僕と同じであった。

エイトは限りなく優しく、強く逞しく、弱く儚く、そして誰もがそうであるように生きる難しさを感じていた。一人でいることを愛しながらも孤独感を怖れた。単独と孤絶は違うとわかっていながらも、単独と孤絶の境界は微妙であることも知っていた。カメラで多くのものを撮った。短いながらもその時々の心情を適切にブログに書いていた。旅行が好きで、運転が好きだった。生活は金銭的に豊かではなかったが、その辛さも逆に些細なことで大きな喜びと感じる繊細さを持って生活していた。繊細さは時としてエイトを苦しめたかも知れない。でもそれも今では知るよしもない。エイトの新たな文章を読みたい。エイトの新たな写真を見たい。でもそれは叶わぬ夢である。

2007/07/14

「Apple全製品の系統図」を外(PC利用者)からみて思うこと



WIREDVISIONの記事『「Apple全製品の系統図」からわかること』の中に今までの製品を時系列にまとめた図が掲載されていた。記事において「わかること」とは何か、引用すれば以下のようになる。
私はへとへとになってしまい、あまり頭が回っていない。ただ1つ気づいたことは、Apple社の製品ラインが完全に4つに集約されたのが2001年であり、Apple社はちょうどそのときに、満を持して『iPod』の発売を開始したということだ。
結局はあまり大したことはわからない。著者はこの図を作成するために「へとへと」になってしまったからとあるが、思うにそれだけでもあるまい。例えばある一家の家系図を見たとしよう。見せられた側の多くは「ふーん」で終わりだと思う。


でもそこに何か外部的な資料が添付されたとき、別の視点がそこに生まれるように思う。例えば明治維新の時に住居を移したりとか、もしくは家系図に絡む歴史上の人物が見る側の家系に近い存在だったりすれば、その一家の家系図を見る眼も自ずから変わってくることだろう。つまりは製品(プロダクトにしても)の系統図だけを見ても、そこから得るものは少ないと言うことだ。

故に何か別の資料との突き合わせが必要となってくる。この図の縦軸は不明としても、横軸は時間軸であるのは間違いない。それであれば、例えば、「PCの系統図」と対比してみたりとか、「PCとApple製品(特にMac)との販売台数の表」と付き合わせたり、社会的な主な事件でも良い、もしくはその時代の革新的製品も面白いかも知れない、少なくともAppleのCEOの縦点線は必要だと思うし、その時の主要なビジネス戦略も参考になるかも知れない。結局の所、Appleの新たな戦略と、そこから現れる製品は、Appleの外部の影響を受けていると言うことでもある。

ただ逆に「PCの系統図」を果たして造ることが出来るのか、という問題がある。OS系の系統図であれば出来ることだろう。でもその場合は、「Apple全製品の系統図」ではなくそれに対応する「Apple全製品のOS系統図」なるものとの参照になるのであって、今回のような場合には不適かも知れない。

PCの場合、メーカー毎の系統図の作成は可能だろう。例えばSONYの場合、「VAIOの全製品」と「WalkManの全製品」とか。でもAppleにとって「SONYのVAIO全製品の系統図」などどうでも良いはずだ。それはMacのTVコマーシャルを見てもわかる。Appleが相手にしているのはウィンドウズマシンとしてのパソコン全般なのだ。しかし、「PC全製品の系統図」を造ることは難しい。何故なら数は異様に多いはずだし、パソコンを構成するパーツ、マザーボードおよびグラフィックボードなど、の組み合わせは無限とも言えるから。

つまり、「Apple全製品の系統図」の参照となる製品の「系統図」は、Apple以外では作成すること自体が難しい。そしてそのこと自体がAppleの強みでもあり弱みでもあると僕には思えてくる。

提示された「系統図」は苦慮の後が見受けられる、例えば細かな話をすれば、実線矢印と点線矢印の規範の違いがわからない、ローカライズされたMac(DynaMac)及びMacOS互換機の位置づけが見えていない、何故Apple系のマシンから点線矢印とはいえMacPortableに繋がっているのかわからない(僕の感覚ではSE/30からの実線矢印ではないだろうか?)、等の疑問が残る。でも一応はMac同士の繋がりを図式化できるというのは、図を見るまでもなく可能だと思っていた。

Appleの強みはイノベーションにあるわけではない、というかイノベーションに関してはAppleは常に自らが創造するのではなく、それを製品として具象化するのが上手かったと言うことだ。製品毎に物を製作しているというイメージを購入者に抱かせる。「製作」とは、
まず何かの理念があり、それを具象化するためのデザインがあり、そしてそのデザインを現実化するための部材と手順とがある。これはおそらく人間の有史以降変わらぬ流れであったに違いない。理念を「必要」と置き換えても良い。そしてその製作過程が、物を売って儲けるという「金儲け術」から明確に切り分けられたブランドイメージが、確かにAppleにはあると感じることが出来る。

ということは、実線矢印によるマシンの結びつきは単に形(デザイン)が似ているからではないはずである。自ずからそこには実線で結ばれる製作過程における理念の結びつきがあると思う。それはおそらくこの系統図を作成した方の考えが反映しているのは間違いない。その説明が記事の中で現れなかったのが残念と言えば残念でもあった。

弱みというのは、逆にいってこの「系統図」が造ることが出来るということである。それが別面で言えば、ジョブズの手腕といえ、製品が市場に受け入れられている事実で隠されている面でもあるが、一種独善的とも言えるハード・ソフト面の各種デザインに現れている。

この系統図には、一種の、例えば歴史上の偉人達の系統図に繋がるような、選民思考が背後にあるように思えるのである。販売台数の規模から言えば圧倒的にウィンドウズマシンに軍配が上がる。それはひとえに利用者の多くは、コンピュータの理念など必要としていないことの表れなのではないだろうか。道具として、自分である程度の知識があれば拡張できるし、結局の所、ウィンドウズマシンに個性などは存在しないし必要ともされなていない。ただ自分が必要とするアプリが動けばそれで良いのである。

さらにネット上では、OSには関係なく起動するアプリも数多く存在している。
(この記事もいつものことながらGoogleのDocs&Spreaddheetsをつかって書いているくらいだ)
しかしこれらへの方向転換はAppleは間違いなくすすむことはない。(一度試みて失敗している)「系統図」を造るのは良い、でもできればそれがAppleを越えて、多角的に見ることができればもっと良かった。系統図のみでは自閉的で、次の何かが見えることは間違いなくあり得ない。