会社の同僚に帽子をかぶって出社する男が一人いる。帽子は上質な中折れハットで丁寧に造られたことが一目でわかる。あまりにも格好が良いので彼が帰宅する際にどこの帽子かと聞いてみたら、彼はすこし微笑んで小声でボルサリーノと答えた。実際に僕がボルサリーノを見たのはこれが最初だった。ボルサリーノと言えば、映画の影響かギャングを思い出す。それも下っ端などではなくボス級が被る帽子というイメージだ。そして映画に出てくる彼らは一様に格好が良い。今ではお目にかかれない絶滅品種的な格好良さだ。日本で言えば明治終わりから昭和の初め頃の男子の格好良さに近いかも。何というか色気みたいなものがある。きっと僕はボルサリーノをみてその色気に憧れを持っているんだろう。でもただ帽子を被ったって色気が出てくるわけじゃない。それが残念。
2012/05/12
2012/05/04
年齢は、年齢じゃない、ただの数字
伊達公子さんの言葉。彼女は活躍すればするほど彼女の年齢がついて回る。そのことに嫌気もさしていたことだろう。しかしそれにしてもこの言葉には強い自負を感じる。確かに年齢はただの数字かも知れない。例えば50歳と言うことは、その方が誕生してから地球が太陽の周りを50周したことでしかない。しかしその50周の間で、泣き笑い怒り憎しみ誇り妬み恋をし子供をもうけ親しい人の死を何度か遭遇し早ければ亡くなっていく、様々な人の営みがあるのも事実なのだ。無論、そんなことは伊達公子さんもわかっている。その上でこの言葉が言えるところに自負を感じるのだ。
以前に僕は一を聞いて十を知るような、例えば旅行をしたり映画を見るだけでも、他の人とは違う観察力と分析する思考力とそれ以上に感じる心の強さにより、他の人が得られないようなことを得る人がいると考えていた。そしてネット上に書かれるブログなどで、人の旅行記を読んだりして、その内容の凡庸さと陳腐さに内心がっかりもしていた。そんなことしか感じられないとしたら旅行など意味がない、家で写真集でも眺めていてもこと足りる、そんな風に思っていたりもした。
でもある程度の年齢になり、その様な考え方自体とても傲慢であることに気がついた。その様なことに気がつくのにある程度の年齢が必要だったのが、僕の言葉で言えば観察録と思考力と感性が鈍い証拠だろう。当たり前のことだが、「一を聞いて十を知る」の一とか十の項目の断定の仕方には、項目を設ける基準、つまりは価値観が必要になる。また凡庸とか陳腐とかは、確かにあるのだが(例えば人の言葉を自分の考えのように述べるときがそうだ)、それを断定する基準も必要となる。要するに以前の僕は自分の基準に合わない意見を無視していただけのことでしかなかった。
伊達さんにとって、おそらく嫌気がさしたとすれば、自分の活躍に年齢を気にするような社会の価値観そのものだったと思う。さらにいえば、年齢が社会システムにおいて一つの重要な要素であり、そのために社会全体が年齢を意識させるような教育を行っていることへの批判、例えばアンチエイジングと言う言葉が持つ不思議さ、もしくはその言葉に違和感を感じることへの表明、そんな風に思えるとすれば、それは考えすぎだろうか。
話は戻るが、50周の間に得た経験と20周で得た経験との重みの違いはあるのだろうか。亀の甲よりも年の功、というように経験は太陽の周りを何周したかで違ってくるのだろうか。原理的には経験が較べられない以上、違いはわからない、較べること自体意味がない、となるのだろう。ただ会社などの一つの価値観の中だけは経験の違いを明らかにする方向にあるようだ。
2012/05/01
故郷について
日本広告機構の支援キャンペーンの中に学校給食支援がある。その広告は昨年から今年の6月までの一年間行われている。僕はそのキャンペーンがあること自体知らなかった。知ったのはつい最近のことだ。電車そのキャンペーン広告を見たのだ。その広告写真にはラオスの小学生達が写っていた。その写真は後ろに女の子二人と男の子二人がそれぞれ組になって並び、前には女の子が一人立っている。カメラは彼らの前方斜め前から見下ろすような位置にあって、子供たちは丁度見上げるようにしてカメラに向かって微笑んでいる。それは大人の視線から子供たちを見下ろすのと同じような印象を与えていた。子供たちが大人達を見上げて微笑んでいる。彼らは学校給食と思われるカップに入った飲み物を手にしている。僕はキャンペーンの内容というよりも、その写真自体に釘付けになった。広告だから写真に何らかの意図的な編集が施されているのは間違いない。しかし彼らの瞳の美しさは写真の編集だけでは得られない実際の輝きと深さがあった。
その時、僕は畠山美由紀さんの「我が美しき故郷」を聞き故郷について考えていた。彼女の出身は東日本大震災で被災した気仙沼で、彼女は崩壊した故郷を思いを詩と曲にしていた。彼女は詩の中で故郷の情景に祖母の足音を書いていた。僕も父が入院中に母の青森の実家に預けられたとき祖母に面倒を見てもらったことがある。とても厳しい人で僕はしょっちゅう怒られていた。僕は怒られるのが嫌で祖母から逃げ回っていた。背後から祖母の怒声を聞いた。僕にとって祖母とはそんなイメージの中になる。その祖母は僕が小学生の時に胃がんでなくなった。母と一緒に急いで実家に行ったとき、しーんと静まりかえった実家が祖母の不在を現していた。
僕はその母の実家を故郷と実感している。それはそこで幼い頃に暮らしたと言うこと以上に祖母との思い出がそこにあるからだと思う。故郷とは祖父母が住み、そこで父母が育ち、そして僕が幼い頃に過ごした場所を言うのだろう。だとすれば故郷の崩壊は自分自身の根っこの部分の崩壊をも意味することになるのかもしれない。畠山美由紀さんの詩はそんな思いとそれでも再生する意志を感じさせてくれた。
祖父母が自分の実際の故郷を示すのであれば、僕がラオスの小学生の写真で感じたのは、子供たちの瞳にある原点としての故郷のイメージだった。果たして僕が僕となったのはいつのことだろう。少なくとも小学生の頃は僕はまだ僕ではなかった。その頃の僕はまだ他の誰かだったようにさえ思える。ラオスの小学生の瞳には「私」となる以前の何かがあった。きっと僕も小学生の頃はあの様な瞳を持っていた。僕はあの瞳からやってきたのだ。そんな思いが写真を観て沸き上がっていたのだった。
人は「どこから来たのか」そして「どこにいくのか」という本質的な問題を考え続けるのだという。でも僕がラオスの小学生の瞳を見て思ったのは、彼らは、つまりは「私」となる以前の「私」はそのことを知っているということだった。年齢を重ねる毎に人は「私」となっていく。しかし逆に年齢を重ねるたびに忘れていくものもきっと多い。子供たちの瞳は、それは人種性別を超えて、もしくは生命そのものの垣根を越えて、同じように美しく見えるのは、きっと僕らがそこから来たという原点そのもののように思う。それはある意味具体的というよりも普遍的な故郷のイメージのように思える。
故郷は祖父母の足音、そして子供たちの笑い声。この二つが揃っていなければならないのだろう。