2012/05/30

新しい表象

例えば誰かが全く新しい表象をしたとする。しかしそれを観た人が共感し感想として言葉に現すとき、全く新しい表象が何処にでもある表象となってしまうのだ。逆に何でもない表象が誰も聞いたことがない言葉のイメージで綴られるとき、その表象は全く新しいものとなる。新しさとは言葉によって産み出される様に思う。たとえばアルトーの言葉「器官なき身体」の様に。全く新しい言葉を聞きたいと思う。強くそう思う。誰もが共感するような言葉は何か社会のシステムをただ強化しているだけのように感じてしまう。正直に言えばそんな言葉は聞きたくはない。感性の枠を広げてくれるような、つまりは枠というものを感じさせてくれるような言葉を僕はいつも求めている。

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誰もがそうかも知れないが、僕は言葉を綴り、振り返って自分が書いた文章を読むときに、総じて「僕はこんな文章が書きたい訳じゃない」と読めてしまう。なにか言葉の牢獄の中でうごめいている感じ。結局の所この言葉は僕が造った訳じゃなく、だから一つの単語の意味もある程度(幅を持って)規定されている中で、僕が僕の心の中をどうやって書こうかと思うと、それらの言葉が殆ど全て僕の気持ちを表していないという現実に驚いてしまうのだ。

2012/05/20

個別に語る

例えば「日本人の男性は」と人が語るとき、その中の一員に僕は組まれていることにとても違和感を感じる。暗黙にその方は「日本人」とか「男性」を規定している。そしてその規定は属している社会によって造られる。僕が日本を離れ数十年他国に暮らした場合、おそらく僕は「日本人の男性」とは違った者に見えることだろう。そして「日本人離れしている」と言われたとしても、やはり僕はその語りにも違和感を感じるのだ。結局の所、その方の語りは「日本人」中心であるのだというその一点において。一般論もしくは統計、さらに普遍的と呼ばれる語りは個別に対しては正しくはない。僕はそれらの中にはいない。決して。

リフレクション 桑原甲子雄さんの写真 マネキン

マネキンの撮影を続けている。何故マネキンなのかを語れば色々とあるが、それは今だから答えられる話でもある。始めた当初は都会のショウウィンドウに飾られた姿がとても哀しく感じられたからだ。それに都会の喧噪のただ中にありながらマネキンの在る場所は一種独特の空気感がそこに漂っている様に思えた。僕はその雰囲気に魅力を感じたし、哀しく感じられたその空気感を撮りたいと思ったのだ。

都会のショウウィンドウに在るマネキンを撮る場合、どうしてもリフレクション効果を考えずにはいられない。多くはガラス越しに撮ることになるのだから、そのガラスに映り込む明かりとか情景とかの配置をどうしても考えてしまうことになる。場合によってはそこに自分も写り込むことになる。それらを排除するかそれとも積極的に写し込むかは何を撮りたいかによって変わってくる。

リフレクションを手法として単純に考えた場合、重要となる要素はガラス面に対するカメラの位置だろう。さらに陽の光。撮す時間帯によっても大きく変わる。時間によっては撮したい角度での撮影は難しくもなる。さらに露出も難しい。それらが上手く出来たとしても写り込ませたい情景がその時点で揃っていなければならない。でも僕にとって一番大事なのはマネキンそのものの表情である。撮りたいと思わせるマネキンは都会には、こんなにもショウウィンドウに溢れているにも関わらず、案外に少ない。

マネキンとは何だろう。マーケティング視点(ビジネス面)を外して考え直してみた時、こんな風に考えられないだろうか。マネキンは人間の姿を模して造られた。それはあたかも神が自分の姿に似せて人間を創ったように。マネキンの視点から見ると神とは人間のことである。そして彼ら・彼女らは一定の法則に則った場所に置かれる。マネキンとは人間の世界の内に在りながら外部に在る人間に似たものなのだ。マネキンを撮るということはあたかも神の視点で撮ると言うことだ。そして外部に在るマネキンを通じて都会の孤独感・閉塞感・疎外感・寂しさ・哀しさが写し出される。

それらの孤独感・閉塞感・疎外感などの感覚は、マネキン自体で現す物質文明もしくは消費文化だけが起因するわけでもない。おそらくそれらは情報の非対称性からやってくる様に思う。声を出す者が、その出した声の通りになるとすれば、その者は閉塞感を感じることは少なかろう。声を出しても届かない状態、そしてそのことに自己責任と安易に単純に押しつける傾向。メディアは繰り返し非対称の意見を繰り返している現状。インターネットはそれらを打破するツールになり得たかと言えば、結局の所、やはり声の大きな者と専門知識をひけらかす者たちの場になってなっている。でもまだこうやってネットを使える者は良いかも知れない。

リフレクションをもう一度考えてみる。マネキンと一緒に写り込まれた映像はなにかというと、主に、カメラの角度にもよるが、マネキンが見ている世界である。そしてマネキンとその世界の間には透明な壁がある。そしてマネキンは狭い空間に閉じ込められている。またガラスに映り込まれている情景はカメラの背後にあり、撮影者は直にそれを見ることはできない。ガラスに写っているのはいわば虚像でもある。マネキンからの視点では世界はただ見るだけであり、撮影者の視点から言えばマネキンが見ている世界を一枚の写真に収めることが出来るがそれが本当の世界かどうかはわからない。リフレクションという手法はある面では情報の対称性を目指していると思うが、しかしそれは完全ではなく新たな疑問を呈する手法でもあるようだ。それでもマネキンを対象物としリフレクションでの撮影が目指す表現とは都会に住む人間の姿であるとは思う。

東京写真美術館で現在開催している写真展「光の造形 操作された写真」で桑原甲子雄さんのマネキンの写真「京橋区銀座」を観た。昭和十一年の東京を撮した写真集(1974年)に載っている写真のようだ。正直に言ってこの写真には驚いた。その写真にはマネキンとガラスに映った銀座の情景が見事に写っていた。マネキンの表情も良かった。僕が撮したいと思っていた写真がそこにはあった。だからこそか僕は桑原さんがこの写真をどの様な気持ちで撮したのかがとてもよく分かるような気がした。

桑原甲子雄さんのこの写真は隅々まで計算されている写真である。偶然が産み出した写真ではこのようには撮せない。トリミング、覆い焼き、焼き込みなどの現像時の手法を駆使しイメージ通りに仕上げたとしか僕には思えない。実際に僕はこの写真を観た翌日にカメラを持って街に行きマネキンをリフレクションを使って試してみた。一日では得ることは無論難しい。僕の写真は散々だった。しかしその試行で考えたのがこのブログ記事となる。

桑原さんの写真からのメッセージは明確である。それはおそらく多くの人がこの写真を観て感じることだろう。それぞれの思いは違っていたとしても言葉として語るとすればこの写真の一つの方向性を指し示すはずだ。

2012/05/16

素足に履く

ある記事で女性にとって男性の行動で理解できない事項の一つに「素足で靴を履く」と言うのがあるそうだ。曰く、足がくさそう、蒸れるんじゃない、靴に匂いがしみこむ等々と散々な言葉が続く。その記事を読み逆に女性は素足で靴を履かないのかと不思議に思った。勿論素足に履く靴は「素足で履くための靴」であるのが前提で、石田某の様に革靴を素足で履くのはやはり蒸れそうだとは思うが。夏になるとやはりその様な靴を履きたいと思う。例えばインディアンモカシン。今でも少なからず売っているようだ。で、調べてみると案外に高い。ミネトンカはこれこそモカシンという感じの靴を造っていて食指が動くが価格をみて一歩身を引いてしまう。モカシンだよ、たかがモカシン、と毒づくがそれでも売れているらしい。でもかつてはあんなに高くはなかったと思う。そう言えば先だってインカ展に行った際にかつてチャスキ(インカの飛脚のようなもの)が履いていたようなサンダルが売られていた。とても興味がわいたがそれでもサンダルの値段ではなくやはり買わずに眺めただけだった。それにそのサンダルの色の組み合わせも好みではなかった。なんだかんだ言ってやはり今年の夏もコンバースで過ごしそうな気がしている。

2012/05/15

映画「愛を読むひと」

人にとって一番楽しく素晴らしい記憶が思い出したくもない苦しみに繋がるとしたときに、その人はきっと希望を持つことが難しくなるように思う。これは角田光代さんの小説「八日目の蝉」の話だ。「八日目の蝉」では主人公である恵里菜は自分が誘拐された幼い頃の記憶を忘れようとしている。しかしその記憶は彼女にとって今までに最も幸福な時代でもあった。幸福な記憶が同時に忌まわしい記憶である状態。それはこの映画「愛を読むひと」の主人公マイケルの状態に近いと思う。彼はその結果、人を信頼し素直に交わることが出来なくなっている。彼がその状態から脱するのは15歳の頃に心の底から愛した女性ハンナの自殺によってだった。マイケルにとって幸福な記憶はハンナとの逢瀬の記憶であり、逆に忌まわしく恥ずかしい記憶もハンナとの関係の中にあった。ハンナの死で幸福な記憶だけが残ったという単純なわけでは決してない。そうではなくハンナの苦しみをマイケルが理解し受け入れたことが、そしてハンナとの関係を人に伝えることで二人の出来事を認めることが、その状態から脱していくきっかけになったということだと思う。この映画に関して言うとハンナ演じるケイト・ウィンスレットの演技が印象的だし、脚本でもハンナの描き方が丁寧だと思う。確かにハンナはこの映画の要で在るのは間違いない。でも同様に肝心な成人したマイケルの心境がハンナに較べて多少丁寧さに欠けるように思う。この映画は至る所に感想を想起させる要素がある。例えば文盲とかナチス戦犯裁判(まるでアイヒマン裁判のようだ)とか年上との一夏の恋(まるで映画「思い出の夏」だ)だとか・・・、さらに本を読めるようになったハンナが本を足場にして自殺するシーンもそこから何かを語ることは可能だろう。でも僕がこの映画で受けたのはそんなことではなく人が存在する寂しさというものにつきるかも知れない。

2012/05/14

2年ほど前に初めて入院した時、僕にとって良い看護師とは声の良さだった。それこそ波長が合うというのはあるものだ。特に体が弱っているときにその好悪は生理的なレベルで現れると思う。いくら技術を持っていても身体に障る声の看護師は近くによって欲しくはなかった。無茶な話をしているがそれがその時の実感だった。視覚は権力作用がそこに現れる。容姿の良し悪しはまさに時代が造ったものだろう。でも聴覚は視覚ほどそれが現れないと思う。音は、もしくは声は直接的に人間の深い部分と繋がっていると思える。ここでいう声とは言語のことを言っている訳じゃない。言語以前に発する声を言っている。何故人間は様々な声を発することが出来るのだろう。

ラフカディオ・ハーンは目が悪かったのだという。だからか彼の文章には音の表現が多いようだ。彼に物語を語ったのは女性だったそうだ。何故か男の耳には女性の声は心地よく聞こえ気持ちが落ち着く様に思う。その逆もまた真なりかは僕が男だから実感としてわからないが、そうあって欲しいと願う。きっとラフカディオ・ハーンは女達の語りに目を閉じて聞いていたと思う。そして穏やかな気持ちで想像の世界に身を委ねていたに違いない。それは一つの、まさに大いなる快楽だったに違いない。

2012/05/13

今日歩いた道のり

渋谷から原宿、原宿辺りでウロウロする。そこから信濃町にいき中央線沿いに市ヶ谷・四谷を過ぎて飯田橋から水道橋に。ここまで散歩ついでに歩けると言うことは渋谷から上野も歩けると言うことだ。水道橋からメトロの南北線・半蔵門線を使い家に戻る。でも結局NHKの平清盛を見すごしてしまった。

2012/05/12

ボルサリーノ

会社の同僚に帽子をかぶって出社する男が一人いる。帽子は上質な中折れハットで丁寧に造られたことが一目でわかる。あまりにも格好が良いので彼が帰宅する際にどこの帽子かと聞いてみたら、彼はすこし微笑んで小声でボルサリーノと答えた。実際に僕がボルサリーノを見たのはこれが最初だった。ボルサリーノと言えば、映画の影響かギャングを思い出す。それも下っ端などではなくボス級が被る帽子というイメージだ。そして映画に出てくる彼らは一様に格好が良い。今ではお目にかかれない絶滅品種的な格好良さだ。日本で言えば明治終わりから昭和の初め頃の男子の格好良さに近いかも。何というか色気みたいなものがある。きっと僕はボルサリーノをみてその色気に憧れを持っているんだろう。でもただ帽子を被ったって色気が出てくるわけじゃない。それが残念。

マッチ

マッチは完全なエコ商品だと思う。まずマッチにしかならない廃材を使う。そのまま棄てても全て自然に分解する。極めて安全性に優れている。箱の絵柄が楽しい。100円ショップで6箱買える。使い終わった後に始末に困るガスライターとは違う。でも何故だか殆ど使われない。だからか使っているとこだわりを持っていると誤解される。たしかに多少のこだわりは持っているのは事実だけど。マッチのことを30分くらい語ることが出来そうだし、でもそんな話、誰も興味なんか持っていない。そんな知識だらけだ僕は。

アロハシャツ

夏が近づくとアロハシャツが欲しくなる。そしてアロハシャツが欲しくなる時期が僕にとっての初夏となる。今年はとことん派手な柄のアロハが欲しいな。できればそれを会社に着ていきたい。一瞬「なんだこいつは!?」という目線を受けるのが結構快感だったりする。

2012/05/04

年齢は、年齢じゃない、ただの数字

伊達公子さんの言葉。彼女は活躍すればするほど彼女の年齢がついて回る。そのことに嫌気もさしていたことだろう。しかしそれにしてもこの言葉には強い自負を感じる。確かに年齢はただの数字かも知れない。例えば50歳と言うことは、その方が誕生してから地球が太陽の周りを50周したことでしかない。しかしその50周の間で、泣き笑い怒り憎しみ誇り妬み恋をし子供をもうけ親しい人の死を何度か遭遇し早ければ亡くなっていく、様々な人の営みがあるのも事実なのだ。無論、そんなことは伊達公子さんもわかっている。その上でこの言葉が言えるところに自負を感じるのだ。

以前に僕は一を聞いて十を知るような、例えば旅行をしたり映画を見るだけでも、他の人とは違う観察力と分析する思考力とそれ以上に感じる心の強さにより、他の人が得られないようなことを得る人がいると考えていた。そしてネット上に書かれるブログなどで、人の旅行記を読んだりして、その内容の凡庸さと陳腐さに内心がっかりもしていた。そんなことしか感じられないとしたら旅行など意味がない、家で写真集でも眺めていてもこと足りる、そんな風に思っていたりもした。

でもある程度の年齢になり、その様な考え方自体とても傲慢であることに気がついた。その様なことに気がつくのにある程度の年齢が必要だったのが、僕の言葉で言えば観察録と思考力と感性が鈍い証拠だろう。当たり前のことだが、「一を聞いて十を知る」の一とか十の項目の断定の仕方には、項目を設ける基準、つまりは価値観が必要になる。また凡庸とか陳腐とかは、確かにあるのだが(例えば人の言葉を自分の考えのように述べるときがそうだ)、それを断定する基準も必要となる。要するに以前の僕は自分の基準に合わない意見を無視していただけのことでしかなかった。

伊達さんにとって、おそらく嫌気がさしたとすれば、自分の活躍に年齢を気にするような社会の価値観そのものだったと思う。さらにいえば、年齢が社会システムにおいて一つの重要な要素であり、そのために社会全体が年齢を意識させるような教育を行っていることへの批判、例えばアンチエイジングと言う言葉が持つ不思議さ、もしくはその言葉に違和感を感じることへの表明、そんな風に思えるとすれば、それは考えすぎだろうか。

話は戻るが、50周の間に得た経験と20周で得た経験との重みの違いはあるのだろうか。亀の甲よりも年の功、というように経験は太陽の周りを何周したかで違ってくるのだろうか。原理的には経験が較べられない以上、違いはわからない、較べること自体意味がない、となるのだろう。ただ会社などの一つの価値観の中だけは経験の違いを明らかにする方向にあるようだ。

 

2012/05/01

故郷について

日本広告機構の支援キャンペーンの中に学校給食支援がある。その広告は昨年から今年の6月までの一年間行われている。僕はそのキャンペーンがあること自体知らなかった。知ったのはつい最近のことだ。電車そのキャンペーン広告を見たのだ。その広告写真にはラオスの小学生達が写っていた。その写真は後ろに女の子二人と男の子二人がそれぞれ組になって並び、前には女の子が一人立っている。カメラは彼らの前方斜め前から見下ろすような位置にあって、子供たちは丁度見上げるようにしてカメラに向かって微笑んでいる。それは大人の視線から子供たちを見下ろすのと同じような印象を与えていた。子供たちが大人達を見上げて微笑んでいる。彼らは学校給食と思われるカップに入った飲み物を手にしている。僕はキャンペーンの内容というよりも、その写真自体に釘付けになった。広告だから写真に何らかの意図的な編集が施されているのは間違いない。しかし彼らの瞳の美しさは写真の編集だけでは得られない実際の輝きと深さがあった。

その時、僕は畠山美由紀さんの「我が美しき故郷」を聞き故郷について考えていた。彼女の出身は東日本大震災で被災した気仙沼で、彼女は崩壊した故郷を思いを詩と曲にしていた。彼女は詩の中で故郷の情景に祖母の足音を書いていた。僕も父が入院中に母の青森の実家に預けられたとき祖母に面倒を見てもらったことがある。とても厳しい人で僕はしょっちゅう怒られていた。僕は怒られるのが嫌で祖母から逃げ回っていた。背後から祖母の怒声を聞いた。僕にとって祖母とはそんなイメージの中になる。その祖母は僕が小学生の時に胃がんでなくなった。母と一緒に急いで実家に行ったとき、しーんと静まりかえった実家が祖母の不在を現していた。

僕はその母の実家を故郷と実感している。それはそこで幼い頃に暮らしたと言うこと以上に祖母との思い出がそこにあるからだと思う。故郷とは祖父母が住み、そこで父母が育ち、そして僕が幼い頃に過ごした場所を言うのだろう。だとすれば故郷の崩壊は自分自身の根っこの部分の崩壊をも意味することになるのかもしれない。畠山美由紀さんの詩はそんな思いとそれでも再生する意志を感じさせてくれた。

祖父母が自分の実際の故郷を示すのであれば、僕がラオスの小学生の写真で感じたのは、子供たちの瞳にある原点としての故郷のイメージだった。果たして僕が僕となったのはいつのことだろう。少なくとも小学生の頃は僕はまだ僕ではなかった。その頃の僕はまだ他の誰かだったようにさえ思える。ラオスの小学生の瞳には「私」となる以前の何かがあった。きっと僕も小学生の頃はあの様な瞳を持っていた。僕はあの瞳からやってきたのだ。そんな思いが写真を観て沸き上がっていたのだった。

人は「どこから来たのか」そして「どこにいくのか」という本質的な問題を考え続けるのだという。でも僕がラオスの小学生の瞳を見て思ったのは、彼らは、つまりは「私」となる以前の「私」はそのことを知っているということだった。年齢を重ねる毎に人は「私」となっていく。しかし逆に年齢を重ねるたびに忘れていくものもきっと多い。子供たちの瞳は、それは人種性別を超えて、もしくは生命そのものの垣根を越えて、同じように美しく見えるのは、きっと僕らがそこから来たという原点そのもののように思う。それはある意味具体的というよりも普遍的な故郷のイメージのように思える。

故郷は祖父母の足音、そして子供たちの笑い声。この二つが揃っていなければならないのだろう。