2011/07/11

川内倫子さんの写真について考える前に

まず写真をしっかりと観ること。これが一番大事。
そしてその写真を肯定すること。
そこからわき出るイメージを言葉として羅列すること。
その羅列の中にこそ、その写真への僕の思いが出ているから。
好きか嫌いかの感情は重要。それによって自分の限界が把握できるから。
写真家の過去の作品とか言葉とかは気にしなくても良い。今、僕の目の前にある写真に集中すること。
逆に写真家の言葉は無視すること。目だけ開き、耳はふさぐこと。
川内倫子さんの場合は、組写真についても考える必要があるかも。
でも最も重要なことは、この新しい写真集は十数年の写真の蓄積によって完成されているという事実。
そこからの問いが重要、でもそれを考えるのは難しい。
十数年分の膨大な写真から、選択し、現像し、並び替え、組み合わせる、その労力は並大抵ではなかったはず。
なぜそこまでして過去の写真から抽出したのか。
そこがこの写真集の感想の根底に必要なこと。
だから僕は過去から続く写真への思いを振り返った。
宝箱に収まり続けた写真たち。そこへと戻り写真を選ぶことは、一つの大きな旅を経験することに近い。
距離ではなく時間の旅。
その旅の過程で彼女は何を思ったのだろう。
まさにその時に、彼女にとって、写真とは一体何だったのだろうか。
これらの写真を選択するとき、彼女は何を思ったことだろう。
またはその思いに、今の時代がどのように静かに、そして断固とした姿となって、隠されているのだろう。
そういったことを僕は考えてみるのだ。


僕は写真を語るとき、どうしようもなく感傷的になる

しかし家を建て替えるとき、それらの写真がいっさい行方不明となってしまった。棄てるものに紛れて一緒に棄てられてしまったんだろうとは、その時の母の言葉。案外あっさりとした言いかたにガッカリしたことを覚えている。その結果、僕の高校から大学までの写真は全てなくなってしまった。それらの写真は全てアルバムに貼っていなかったのだ。高校2年の頃の初めての一人旅で奈良に行ったときの思い出、修学旅行で九州に行ったとき同窓たちとの肩を組んでの笑顔、今では記憶の中にしかない。そしてその記憶は人には決してわからぬものなのだ。そう、僕は写真を語るとき、どうしようもなく感傷的になる。主観と客観の狭間に写真はあると、誰かが言っていた。でも間違いなく自分に関係する人たちの写真は主観的に見る他はないだろう。認識論のことを言っているわけではない。これは実感だ。そこが出発点だからこそ、写真は逆に謎めいているのだと僕には思える。

写真が好きだと意識したのは

写真が好きだと意識したのはそんなに昔のことではない。ただ昔からアルバムに貼ってない、どこかの引き出しに収められた写真は何故か好きだった。引き出しに忘れられたような写真。もしくは財布の中に入れておいて、度々取り出しては人に見せて説明するような写真。木箱に入れられていた写真もあった。子供の時の宝箱のような木箱。そこには写真の他色々な小物も入れられていて、一緒に古ぼけた写真が入っていた。何故そこに入れられたのかは既に誰にも分からない。その時はきっと他の小物と同様に宝物だったんだろう。それらの写真はアルバムに貼られたよそいきの写真とは違っていたし、見る人も本当に限られていた。ヴァナキュラーと言われるずっと前から、それらの写真は家族の、もしくは両親の、そして僕にとってもっとも大事な写真だった。写真ってそう言うものだと僕は思っていたし、その気持ちは今でも変わらない。

写真集「Illuminance」のAMAZONの書評


川内倫子さんの新たな写真集「Illuminance」のAMAZONの書評。今まで読んだ中でいちばん感想らしい感想。ただスーザンソンタグの「反解釈」の思考をそのまま取り入れたという感じ。しかしスーザンがあの批評を書いたのだって今から30年以上も昔の話。あれからポストモダン批評もくぐり抜けてきた訳だから・・・。別に良いじゃん。癒しを求めて写真をしたって、それが勉強不足って言ってもねー、それだけじゃその勉強不足の人たちには通じないとは思うよ。

一枚の写真を

一枚の写真を読み取ることは記号論の手法さえ知っていれば案外に誰でもできる。特にドキュメンタリーであれば尚更だろう。ドキュメンタリーの場合は、カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」以降、一枚に全てを含ませる事が求められることから読み取りやすい。一枚に全てを含ませるとは。つまり僕が考えるにこう言うことだ。「決定的瞬間」は起源を要求する。物事の起こり、それがあれば全てがわかるというもの。「決定的瞬間」とは、その構図に絵画的なものを要求する。カルティエ=ブレッソンは元々画家だった。彼は「決定的瞬間」という思想を絵画から持ってきた。例えば歴史絵画のように、もしくは宗教絵画のように、その一枚の絵に全てを含ませる。この考え方はドキュメンタリー写真家には大いに受け入れられた。なぜなら彼ら(彼女ら)は新聞各社への売り込みに過当な競争にさらされていたし、新聞社は見出しに誰でもがわかる事件の一枚を欲していたから。