2006/03/14

Tokyo Tower-3



Tokyo Tower, originally uploaded by Amehare.

日本の文化は何かと問われれば、僕は東京タワーだと答える。この構造物に結実した姿はまごうこともない一つの戦後であり、新たな日本の近代の落し子でもある。「日本文化」について僕は否定的な態度を持つが、それは有史以来の連続とした姿をそこに見せるからである。文化そのものを否定しているつもりはない。ただ「文化」を語る際には、それが近代以降に誕生した言説であるがゆえに、「人種」「民族」「国家」と複雑に絡まり、特に「人種主義」の再生産に加担しないよう、慎重に言葉を選んで話さなければならない、と僕は思っている。

東京タワー公式ページには創業者前田久吉の心情を以下のように書いている。

「科学技術が伸展した現代では、300メートルの塔をたてるくらい、あえて至難の業でもあるまいと考えた。やれば必ずできる、と私は膝をうつ思いだった。つまり私の東京タワー建設に対しての自信と決意は、京都東寺の五重塔からあたえられた、ともいえる。」
京都東寺の五重塔は現存する木造建築の中で最長の塔である。東京タワー建築の背景に東寺五重塔が入り込むことに僕は不自然さを感じるし、「東京タワー建設に対しての自信と決意」が何故東寺五重塔から得られるのかもわからない。ただそこには敗戦国日本の復興と国民の自信喪失からの回復が、高さを追求するだけでなく、維新を遡る歴史に求める心情が見え隠れするのである。仏教建築の五重塔はもともと釈迦の舎利を納める場所である。つまりはお墓なのである。よってその意思は地下への指向性にあり、決して高みへの意思ではない。五重塔に高みへの指向を見るのは近代の思想でもある。
「どうせつくるなら世界一を……。エッフェル塔 (320m)をしのぐものでなければ意味がない」
まず東京タワーに求めたのは高さである。それはモノづくりから自信を回復してきたこの国にとって、建築途中を目で見えることで具体的な自信回復の姿となったと僕は思う。そして具体的な数値として、エッフェル塔の高さが与えられる。「エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない」、その言葉は、東寺五重塔から自信と決意を得られたとの言葉よりもリアリティを持って僕には受け取ることができる。それはエッフェル塔が当時自立鉄筋塔で世界一の高さを誇っていたことだけではない。何よりそれはドイツに占領されたとしても、戦勝国の一員でもあるフランスの、しかも欧州を代表する古都パリを表象する建造物である。さらに東京タワーのデザインはエッフェル塔に似ている。エッフェル塔よりも高い「エッフェル塔に似た塔」を敗戦国の首都東京に建築する、その意味を思う。
「東京タワーがエッフェル塔との対比においていかにも東京とパリという二つの都市の関係を、ひいては日本とフランスないし西欧との関係を、表象し象徴していることだ。具体的には、九割の模倣と一割の臆病な逸脱。」
(池澤夏樹「読書癖4」より)
高みからの展望は都市を一つの自然風景にする。眼下にある建築物に、通りに、家々に、人の生活感は薄まる。地上における感覚とは異なる感覚、さらにそれは夜景によって増幅する。映画化された江國香織氏の小説「Tokyo Tower」は、21歳の透と41歳の詩史、21歳の耕二と35歳の喜美子という二組の純愛を描いていると聞く、実は小説も映画もどちらも知らない僕が言うことではないが、江國香織氏の題名の巧みさに、この物語の内容がそれを知らない僕にでさえ伝わる。

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