2006/03/30

桜の季節 桜の本質とは



cherryblossoms and pigeon Originally uploaded by Amehare.

佐藤俊樹氏の「桜が創った「日本」」では、「桜の美しさの理想(イデア)として、もともと存在していたのである。」とある。
しかしこの文章は誤解を生みやすい。何故なら「桜」のイデアがあるとして、それは外部に存在するものでもなく、ましてや日本民族だけが追い求めたわけでもない、と思うのである。

勿論個別事項として「桜」に特化してイデアを考えれば、日本のアイデンティティ及び日本の風土に結びつき、僕らが記憶する「桜」はナショナリズムの近代歴史観の中で大きく咲かすことも可能であろう。それに「桜」の美しさを求め、園芸品種として新たな「桜」を造り続けてきたのも事実であろう。でも地域ごとに自生する植物があり、その地域に生活する人間がそれを愛でたとしても自然なことであると思う。つまりは「桜」という個別事項ではなく、人間が他の生物を愛玩する本質にこそ、「桜」を愛でる本質があると僕は思うのである。そしてこの本質は人間のエロス性に深く結びついていると僕は思う。

「桜」の美しさの理想(イデア)は「もともと存在していた」とは、近代日本の文脈の中で過去の詩歌の中から発見したに過ぎない。
もしくは「書き言葉」の中から造りだされた「吉野」のイメージが増幅され、それがたまたまソメイヨシノの特性に多く合致したのだと思う。
イメージが増幅された「桜」の美しさは観念化していくことになる。それはソメイヨシノ登場後に、実体として逆に集束されていくことになるが、もともと観念化した「桜」の側面を持っていたがゆえに、今でも妖しげな姿を僕らに見せているのだと思うのである。

佐藤俊樹氏はソメイヨシノが日本各地に植えられた理由として、成長が早いこと、目新しいこと、価格も安く丈夫、をまずあげられている。
まず「公園」の景観を考慮して植えられたとする視点は、ソメイヨシノの全国展開に日本の同一性という乏しい想像力しか持っていなかった僕に別の姿を与えてくれた。この書籍については 「桜の季節」の記事シリーズの中で別途感想文を書きたいと思っている。でも今はまだそこまで辿り着いていない。僕は自分の「ざわつき感」 の正体を見極めていないのである。

0 件のコメント: