2006/02/18

NHK番組「移民漂流10日間の記録」を見て思うこと

2006年1月29日に放映したNHKスペシャル「移民漂流 10日間の記録」を見た。本番組は「シリーズ 同時3点ドキュメント」のひとつとして制作している。「同時3点ドキュメント」は、3地域のほぼ同時刻の状況をひとつのテーマに沿って描いている。おそらくNHKにとっては意欲的なドキュメンタリーであろう。タイトル映像に流れるナレーションがそれを物語っている。
「ニューヨーク上空の蝶の羽ばたきが東京に嵐を引き起こす」という言葉がある。地球上のどこかで起こった出来事が、遠く離れた場所を揺さぶり、それが増幅しながらさらに全く別の場所へと連鎖していく。一見無関係に見える出来事が不思議な因果関係で結ばれているのである。(NHK 同時3点ドキュメントナレーションから)
物事を時系列で追うのでなく地政的な空間関係で把握すること自体目新しいことではない。ただNHKのドキュメンタリー作成手法は定点から時系列に沿って広がりを持たせていく事が多かったと思う。それを考えると今回の「3点同時ドキュメント」はNHKにとっては従来にない手法と言えるし、制作現場からみるとひとつの新たな一歩なのかもしれない。でも今回が従来作成手法の限界を越えるための実験的な企画であるとするならば、それはそのような技術的な問題ではないと僕は思うのである。NHKが日本を代表するテレビ局であり日本語で制作することから、番組は日本語が理解できる人を宛先にするが、それ以上の条件は持たせることはないだろう。つまり、番組としては幅広く予備知識も何も持たない人を対象とし、かつ最後まで飽きさせずに見てもらわなければならない。だから複雑に絡み合った問題も大幅に切り捨て、物事を在る程度単純化しなくてはならない事に繋がる。だから大抵のドキュメントものは、無理矢理に仮想された番組として同一性の構築を行うことになってしまう。実を言えば今回の「移民漂流 10日間の記録」も、飽きずに最後まで見たが、見終わった後に残るのは少ない。

同時3点の選択理由は僕には不明ではあるし、それについて特には意見は持たない。エチオピアのユダヤ人家族がイスラエルに移民し、イスラエルの若者がドイツに移民を試みる。そしてドイツでは戦後最大の不況下、移民および外国人労働者への排斥運動が巻き起こり、その中で少子化による将来の経済的な国力低下を防ぐため、高度な技術力を持った移民を受け入れる政策を打ち出している。そうしたドイツの移民政策は逆にドイツに生まれ育った人たちに不安を与えていく。

それぞれの国の事情を番組でナレーターは簡単に語る。エチオピアは貧困と人口増加の問題があり、イスラエルはアラブ人との人口比率がユダヤ人側の少子化で逆転する予測から世界中のユダヤ人の移民を進めていること、ドイツの移民政策は少子化と国力維持の双方の目的があることなどである。

僕は3点地域の選択理由については問わないと書いたが、描かれている人の流れは気になった。エチオピア・イスラエルそしてドイツへと続く流れは、構図として番組冒頭のナレーションに重なる。ニューヨーク(蝶の羽ばたき)~東京(嵐)がある意味聞ける話として成り立つのは、大国としての米国ニューヨークの蝶の羽ばたきだからだと思う。仮に南海の小国の蝶の羽ばたきであったとしたときに、東京で嵐になると思える人がどのくらいいるだろうか。単純に言えば、エチオピアにとってはイスラエルは身近な西洋の一国であるし、イスラエルの若者にとってはドイツは西洋の真ん中に位置している国である。つまりはこの構図は、冒頭のニューヨークの蝶の例えと同じく、西洋中心の近代的な世界観を露骨に現している様に見えるのである。

それが未だに世界の現実だとすればそれはそれでよい、ただ問題なのはNHK制作者側はそれを無自覚にいることだと僕は思う。さらに因果関係を現したいのであれば、エチオピアの問題として番組で挙げていた貧困と人口増加の根本をまず洗い出さなくてはならないと思う。それぞれの歴史観にもよるが、エチオピアの歴史に西洋は全く無関係ではないと思うのである。さらに東京の嵐で因果関係が完結したとも思えない。ドイツの移民政策は、逆に数十万人のドイツ人の流出となっているのであれば、最後に押し出される人は誰なのだろうか。まさに因果関係の区切り方に制作者側の歴史に対する無自覚さが出ていると思うのである。

番組ではエチオピアでは一家族のみを追い、イスラエルでは一人の青年とエチオピアからの移民達を見せる、ドイツではさらに両国より多くさまざまな場面を見せ特に誰かを中心におくことはしない。つまりはドイツに流れるほど問題が複雑化する方向に見せている。あたかもドイツよりイスラエル、イスラエルよりエチオピアの方が社会的問題が少ないかの様な印象を持ってしまうのである。

エチオピアがイスラエルのユダヤ人移民に協力する理由は国家による間引きと同じであると僕は思う。勿論、人が生きて生活をするためにやむを得ず、もしくは長く待ちわびた「約束の地」イスラエルへと移民していくのだろう。そこには僕などが口を挟む間もないことは事実である。ただイスラエルがユダヤ人比率を高めたい理由のひとつとして簡単に想像できることは「兵士」の数なのだと思えるのである。ドイツの移民政策といい、そこにあるのは近代国家の姿そのものである。NHK制作側のコメントとして、人びとの国家観が変わったと語っているが、どのように変わったのか正直この番組からは掴めなかった。仮に個人のアイデンティティ形成に国家を求めなくなった事であれば、番組があえて特別番組で語る事でもなく、さらに描き方も違ってくる、と僕は思う。

イスラエルに移民したエチオピアのユダヤ人達は、一年間イスラエルに馴染めるように教育を受けた後、実社会に投げ出される。番組では、彼らの多くは日本で言うところの3Kの仕事に就くことになると語りその姿を撮していた。さらに既にゲットー化している様子が紹介された後、その中で「だまされた」「差別を受けている」と語る姿も撮していた。移民開始当初の一世代目の苦労はどこも変わらないとは思うが、問題は同一民族なのである。今まで、「宗教」、「歴史」、「民族」で同一化を確立していた民族国家としてのイスラエルが、新たに「人種」を受け入れるとき、内部からのほころびが出てくるのではと思うのである。しかもエチオピアのユダヤ人移民は東西欧州からのユダヤ人と同じ歴史をくぐっていないのである。内部のほころびが、逆に同一性維持への引き締めと、ユダヤ人としての主体を造り続けるために、新たな敵を造る事がないようにと思うだけである。ただこのイスラエルの状況については個人的には確かに興味はある。

ドイツは地政的に欧州の中央に位置しているので、歴史的に人の出入りが多いところだと聞いたことがある。特に1999年、難民の受入数は米国・カナダと並びドイツは1万人以上であり、欧州の中でも群を抜いて多かった。いわゆる経済的に豊かな国で移民・難民の受け入れ数が最も少ない国はおそらく日本であろう。今後は移民・難民受け入れに消極的な対応も国際的には許されない状況になっていくことだと思う。

「移民漂流 10日間の記録」では、最後に先進諸国の少子化問題を挙げ、ドイツを含めそれぞれの国の生産能力から見た維持のために必要な移民数を語っていた。それによると年間60数万人の移民受け入れが日本では必要だと語り番組が終わる。つまりこの番組は、移民について報じていながら、その移民を先進諸国の少子化問題のフレームに重ねているのである。少子化問題は国民にとっては情緒的な問題に近いが国家にとっては国力低下の問題であり、両者の温度差は大きいように思う。ただ少子化問題が即座に移民へと短絡的に繋げるのはお粗末ではないのだろうか。繋げてしまう事は、近代国家としての思想を補強してしまう結果になりはしないだろうか、と懸念する。

60数万の移民が必要だとの産出は、おそらく2000年3月の国連経済社会局人口部の報告書によると思われるが、この報告書での基となるのは15歳以上64歳未満の生産年齢人口のことであるし、年齢以外で対象となる条件が僕にはよくわからないのである。何が言いたいかと言えば、移民・難民への対応は国際関係の中で自ずからそれなりの受け入れを行う必要が出てくると思うが、それと少子化対策は分けて考える必要があると僕は思うのである。両者のそれぞれに日本で政策として整備しなくてはいけないことは多いと思う。勿論、少子化対策への整備、つまり女性が働きやすい環境の整備等が、移民対策に繋がることもある様に思う。

番組の話に戻るが、「移民漂流 10日間の記録」の制作者は一体何を視聴者に伝えたかったのだろうか、見終わった後に残る気持ちはその疑問である。3点同時の状況を見せているようで少しも見せてはいない、逆にカタログ的な番組構成により外部からの俯瞰的な視野を与えているかのような感覚になるが、それも錯覚にしか過ぎない様に思う。何の意味もない番組であれば無視すれば事足りる、本番組もそうした番組のひとつかもしれないが、僕の何かに引っかかり本記事となった。3国についての状況を語ったつもりは全くない、ただ番組の感想を語っただけである。的を絞れない記事で申し訳ないと思っている。

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