2006/02/26

Yokoso! Japan Weeks


Japanese theoryOriginally uploaded by Amehare.

例えば僕がイタリアに旅行をしたとする。僕は様々な著名な場所に行き、そこで遺跡と風景を見ることだろう。夜は夜で評判のお店に行き美味しいイタリア料理を食べる。色々な人との出会いがあるかもしれない。写真も沢山撮るし、行く先々で得る些細なものも記念として大切にとっておくだろう。そして1週間くらいして僕は東京の自宅に戻ってくる。戻ってイタリア旅行を振り返り楽しかったと思う。そして明日から続く日常にまた頑張ろうと思うのである。

でもと思う、僕は果たしてイタリアに行き見てきたのだろうか。もしかすると僕は自分の中にあるイタリアのイメージを追体験し確認してきただけなのかもしれない。たかが1週間でその国を見たとも思えない。その国に産まれ一生過ごしたとしても、自国のことを知ったとは言えないのである。そもそもイタリアとは、国とは何をさしているのだろう。

でもその様な旅行が悪いとは全く思わない。あらかじめ計画した旅行とはそういうものだと思うし、イタリアに行くと言うことより、日常の中で徐々に感じる閉塞感をのり越えるために、僕はイタリアを利用しただけなのだから。そして目的は達することができた。

国土交通省が「VISIT JAPAN」(Youkoso Japan キャンペーン)を展開している事を最近まで知らなかった。知ったのは通勤時の満員電車の中吊り広告からだった。

サイトにおける日本は旅人が求める「日本のイメージ」で構成されていた。それはそれでよいと思う。僕自身も、例えでイタリアを持ち出したが、今まで訪れた場所に自分の中にあるイメージをその場で探し続けたのだから。それに「もてなし」の気持ちは大事だとも思う。
でも僕はこのキャンペーンには多少の偽りを感じてしまうのである。まずは日本人という民族的同一性をそこに求めていることである。人が困ったときに、その側にいるとき、自分に出来ることを探すのは自然な感情だと僕は思う。わざわざ「もてなしの心」とか、日本を持ち出すまでもない。

また「外-国人」が旅行に行きたいと思うとき、その国に魅力を感じているからだと思う。つまりは、多くの人にとって日本が魅力的な国になれば、旅行者は自然と多くなっていくということだろう。ただ、「魅力的」には、そこにヒエラルキーが存在する様にも思える。誰に旅行者として来てもらいたいのか、誰が「外-国人」なのか、それはどういうヒエラルキーに組するかと言うことでもある、と僕は思う。

このサイトを見たときに感じたことだが、キャンペーン用の広告は「外-国人」のイメージが西欧系に偏っているように思える。

中国を含め東アジアの年始休暇に的を絞って1/20から2/20迄を特にキャンペーン期間としてを設定したらしい。本キャンペーンにおいて4枚の広告が作られたが、そのうち3枚は西欧系の人が登場している。残りの一枚はアジア系か西欧系か不明であった。日本に旅行で訪れる人の多くは韓国人と台湾を含む中国人である。特に年始休暇に的を絞っているのであれば、広告に登場する人は東アジアの方々にするのがビジネスにおける常套だと僕は思う。逆にビジネスであればそうしたであろう、でもこのキャンペーンはビジネスでなく、政府が行っているのである。

もとより以前から日本における様々な「善い」イメージは欧米系のイメージで造られている。例を挙げるまでもなく、マスメディアを含む様々な露出物はその証左の宝庫である。でも今回のキャンペーン広告ではそれだけでない印象を持つのである。

どこでも事件は起きる。日本でも様々な悲惨な事件が起きている。ここで多くを語る必要もないくらい、人は見知らぬ人に警戒心を強めている。さらには、韓国と中国における反日運動とそれに対応する日本での動き、東アジア・南アメリカからの外国人労働者との関係、外国人犯罪グループの活動とそれに対するメディアの報道等々、そのような状況下において僕等の気持ちにどこまで旅行者に近寄ることが出来るのか、正直言えばよくわからない。ただ一つだけ感じることは、これらのキャンペーン様ポスターに東アジア系の人々を登場させなかったことは、「外-国人」=「欧米人」だけの単純な構図だけでなく、現状においては違う側面を持っていると思えてくるのである。

この記事に載せた写真は、「Yokoso! Japan Weeks」を知ったときに皮肉を多少込めてコラージュした。一枚だけ色つきの写真があるが、それは僕が携帯電話のカメラで撮ったキャンペーン用の中吊り広告である。

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