駒沢公園内には何カ所か人物の絵が描かれている場所がある。そのうちの一カ所の絵をメモとして残す。
全員上を眺めているが、これは公園内の通りと外部の車道が交差している場所なので、公園内ではトンネルのようになっていて、天井にさまざまな形の雲が浮かんでいるのを人々が眺めている構図なのである。それらの雲は、例えばウサギの形をしていれば、「rabbit」と英語で書いてあって、見ていても楽しめる。ただそういうのも見慣れてしまえば、人は絵に興味を持つこともなく通り過ぎているだけである。
この絵がトンネル内に描かれるまでは、そこは落書きの宝庫だった。だから落書き防止のための絵でもあるのだと思う。今回一人一人の顔を写真に収めようと思い立ち、それぞれを意識して初めて見たが、なかなかに面白い。その中で一番のお気に入りが左上のヒゲ男である。とぼけた感じがとても良い。見知っている友人の顔に似ている、ようにも見える。
坪内逍遙の「当世書生気質」が日本において初めて小説にて、人物の描写に顔の描写を入れたと聞いたことがある。つまりはそれまでは人の描写は顔の描写ではなく主に社会的身分を現す服装の描写だったのだそうだ。顔を気にするようになったのは近代以降ということかもしれない。
実を言えば公園の絵を見ながらもう一つ思ったことがある。それは最近は今会記事にした人物の描き方は、公の場所ではあまり見なくなったということである。それは勿論人種の問題であるし、カラーブラインド論の影響もあるのかもしれない。ただカラーブラインド社会の実現が可能かは僕にはわからないが、カラーブラインド論が成立するにはカラーラインが必要なように、両者は同根のような気もするのである。勿論僕はこの公園の絵に人種主義の片鱗さえも見ることはなかったし、楽しげな雰囲気がとても気に入ったのである。
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