「永遠に続く」で使われる「永遠」は「時間的」に何らかの「動き」が在り続ける様を現している。何も言葉遊びをしている訳じゃない。その言葉の意味は言葉の使われ方で僕らは理解しているし、逆に言葉の使われ方で言葉の意味を僕らは固定されてもいる。「永遠」は時間的な流れのなかにある。それは果てなく拡がる水平のようだ。でも考えてみると「永遠」であれば、そこに「時間」は意味をなさなくなる。「永遠」そのものが在るようなイデアとしての「永遠」。「晴れた日に永遠が見える」確かにその通りだ。果てなく続く(かのように見える)青空にそこに大気の透明感と共に風となって一瞬の中に在ると感じる。「永遠」のイデアは感覚によって感じるほかはない。でもイデアとしての「永遠」以外の「永遠」も感じてみる。その永遠は広がりではなく深さとも言える。その永遠はそこに留まり続ける。時間もなくただ深く一点に集まるような永遠。と、そこまでイメージしたときにその永遠とは「死」の概念に近いようにも思えた。
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