伊丹さんの特集がNHKにて放映していたらしい。僕はそれをNHKオンデマンドで知った。亡くなられてから十五年経ったのだそうだ。特集を見ながら自分が伊丹さんにそれほど興味がないことがわかった。それでも彼の言葉に強く共感をもった。それは「俺は空っぽの容器なのだ」という一言だった。「空っぽの容器」という感覚。その感覚を僕は人間の構造の中でしたり顔で語ることが出来る年齢になった。しかしいくら語ろうとも空っぽの容器に何かで満たされることは決してない。でも伊丹さんは満たされる何かが何であれば満たされたと感じることが出来たのだろうかと、そんなことも考えた。もしかすれば「空っぽの容器」には底がないのではなかろうか。だから常に空っぽなのだ。でも僕は底がないことを知ることはない。で、常に満たされぬまま満ちた状態を想像しながら、そうあることを渇望し続けるのだ。
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