2006/02/28
千客万来
伊勢に行ったときにどうしても撮りたいものがあった。それはこの土地に伝わる注連縄で、中央に「蘇民(そみん)将来子孫家門」と書かれた符がついているものだった。ただ時間がなく撮れたのは「千客万来」の符だけだった。伊勢の一部では一年を通じてこの注連縄を門に飾っているとのことだった。この話は友人から事前に話を聞いていたので、実際に見てみたいと思ったのである。
言い伝えによれば、スナノオノミコトが旅の途中にこの地方に立ち寄り、一晩の宿を求めたそうである。最初に巨旦(こたん)将来の家に行ったがすげなく断られた。ミコトの身なりが貧相だったからである。次にミコトは巨旦の兄の蘇民将来の家に行った。蘇民は貧しかったがミコトを手厚くもてなした。その姿にミコトは感激し、この地方に悪い疫病が流行るからその時は蘇民将来の子孫と書いた符を家の門に貼りなさい、さすれば疫病から子孫を守ってあげましょうと言い残し去っていった。そこで早速蘇民は言いつけを実行し、その年に流行った疫病から身を守ることが出来た。逆に巨旦将来の一族は疫病によって滅んでしまった。
伊勢以外の多くの土地にも蘇民将来伝説が伝えられている。例えば京都とか信州などであるが、大筋ではそれほど内容は変わらないらしい。でも厄除けとしての姿形はそれぞれの土地毎で違うと聞いている。
この伝説の発祥元がどこなのかは僕には興味がない。僕が思うことは、その土地に伝わりその土地にあった形に変わって行ったと言うことは、蘇民将来伝説として一つにくくれる様に見えながら、実際はその土地毎で違うのだと言うことである。この国の単一性ではなく、複数性をそこに見るのである。
伊勢の「蘇民将来子孫家門」の注連縄を幾つか拝見することができたが、表札なども一緒に写ることから写真は控えた。それでも注連縄を見ながら、この伝説は文字の持つ力に何かを感じたからこそ成立したのではと思えた。文字が書かれた符があって注連縄は完成する。一つの部分の何が欠けても全体は成立しないが、やはり一番重要なのは文字であろう。当時の人がこの文字を理解し得たのかは僕にはわからない。でも自然に対する畏敬の念を、自然の象形から成り立つこの文字にも見たのではないかと僕は勝手に想像するのである。そしてその念は僕には本当のところでわからない部分でもある。
2006/02/27
鳥の伝記、そしてクレオール
「デレック・ウォルコット詩集」(小沢書店 徳永暢三編・訳)の巻末にヨシフ・ブロッキーのウォルコット評が載っている。タイトル「潮の音」の短い書評は全体が詩人への尊敬のまなざしで溢れている。
鳥達はやすやすと国境線を越えていく。その姿に亡命者としてのブロッキーが自らを重ねたとしても僕にとっては不思議でもない。詩人にとって言語の選択は大きいという。母語と生活言語ではなく詩作として別の言語を使う詩人も多い。亡命者の文学は別の見方をすれば、言語の選択を亡命という政治性から迫られるという事に繋がるのかもしれない。
例えればミラン・クンデラはチェコスロヴァキアからフランスに亡命した、しばらくの沈黙の後、彼はフランス語で作品を発表し続けた。チェコの社会主義体制が崩れても彼はフランスに留まりフランス語で書き続けている。逆にソルジェニーツィンは米国に亡命後もロシア語で作品を書き続けた。僕が「言語の選択を迫られた」と書いたのは、勿論政治的で具体的な圧力がそこにあったというわけではなく、母国語をアイデンティティとした亡命作家たちが、言語が異なる場所に行き、そこで受ける言語のヒエラルキーのことを言っている。
ミラン・クンデラがチェコ語からフランス語に切り替えたのは、チェコ語が言語のヒエラルキーで下層に位置していることと無縁ではないと思うからである。 無論、クレオール文学と亡命者文学は一緒にはできないかもしれない。ただ、言語のヒエラルキーの視点から見れば、詩人・作家が受ける言語の問題は同じ次元ではないかと愚考するのである。
ただ、ブロッキーが語るように詩人が鳥であれば、その境界線も越えていくことだろう。ただその境界線は国境線とは違い、厚く高く果てがないかのように感じられることだろう。僕にとってこのブロッキーの言葉「鳥の伝記」とは、詩人とは発音者だけでなく、亡命者であり、かつ言語のヒエラルキーを無効化にする者、と語っているように聞こえるのである。
言語のヒエラルキーの上層に位置する言語は、無論英語でありフランス語でありスペイン語でありアラビア語であろう。何故英語を習うのか、それは英語の取得が個人の上昇指向の欲望に合致しているからだ、などという言葉が陳腐に思えるほど、その意識は一般化している。問題なのは、英語もしくは米語を習う際に、常に「正しさ」は英国・米国にあるという、これらの国の中心性を自らが強化してしまうということである。
実際ウォルコットが詩人として知られる事になったのは英語圏で英語での詩作があったのは間違いない。ただ詩人である彼の感性が言語のヒエラルキーを感じないわけはない。それ以前よりカリブ海の多島海に住む人びとは、常に自らを「もの真似する者」として位置づけてきていたのである。「もの真似」とは、文化を含め生活のあらゆる面で自分たちのものではないと感じることである。「もの真似する者」として自らを位置づけすることと、植民地主義およびそこからの言語のヒエラルキーは無縁ではない、と僕は思う。
それは西インド諸島のクレオールだからこそ持てるひとつの視点なのかもしれない。 日本において、宮沢賢治に優れたクレオール性を見たのは、評論家の西成彦氏だった。彼の著作「森のゲリラ 宮沢賢治」では次のように語っている。
「ウォルコットの出身地は本物の根元的なバベルの都であるが、しかし英語がこの国の言語である。ウォルコットは時としてクレオールで書くにせよ、それは彼の文体的筋肉を屈伸したり読者層を拡大したりするためではなく、彼が子供の頃~バベルの塔の螺旋を昇る以前に~話した言葉へのオマージュとしてである。そもそも詩人の本当の伝記というものは鳥の伝記に似ている、いや殆どそっくりと言ってよく、詩人の本当のデータは発声の仕方にある。詩人の伝記は彼の母音と歯擦音に、彼の韻律、韻律、隠喩にある」「鳥の伝記」とは一体どのような事であろうか。「潮の音」後半でブロッキーはこう語る。
(ヨシフ・ブロッキー 1983年「潮の音」から引用)
「詩人はまさに鳥に似ていて、どんな小枝に降り立とうとも囀るのであり、木の葉という聴衆でさえも耳を傾けてくれることを希う」それは「詩人の本当のデータは発声の仕方にある」という言葉に回帰する。でも鳥と詩人を同一とする思いはそれだけでもあるまい、と僕は思えるのである。ブロッキー自身旧ソビエトから米国に亡命した詩人でもある。彼の詩編を日本で読める機会は少ない。だから僕にとっては名前だけを知る未知なる詩人ではある。鳥瞰的な視点では人間が定めた数多くの境界線は無いに等しい。
(ヨシフ・ブロッキー 1983年「潮の音」から引用)
鳥達はやすやすと国境線を越えていく。その姿に亡命者としてのブロッキーが自らを重ねたとしても僕にとっては不思議でもない。詩人にとって言語の選択は大きいという。母語と生活言語ではなく詩作として別の言語を使う詩人も多い。亡命者の文学は別の見方をすれば、言語の選択を亡命という政治性から迫られるという事に繋がるのかもしれない。
例えればミラン・クンデラはチェコスロヴァキアからフランスに亡命した、しばらくの沈黙の後、彼はフランス語で作品を発表し続けた。チェコの社会主義体制が崩れても彼はフランスに留まりフランス語で書き続けている。逆にソルジェニーツィンは米国に亡命後もロシア語で作品を書き続けた。僕が「言語の選択を迫られた」と書いたのは、勿論政治的で具体的な圧力がそこにあったというわけではなく、母国語をアイデンティティとした亡命作家たちが、言語が異なる場所に行き、そこで受ける言語のヒエラルキーのことを言っている。
ミラン・クンデラがチェコ語からフランス語に切り替えたのは、チェコ語が言語のヒエラルキーで下層に位置していることと無縁ではないと思うからである。 無論、クレオール文学と亡命者文学は一緒にはできないかもしれない。ただ、言語のヒエラルキーの視点から見れば、詩人・作家が受ける言語の問題は同じ次元ではないかと愚考するのである。
ただ、ブロッキーが語るように詩人が鳥であれば、その境界線も越えていくことだろう。ただその境界線は国境線とは違い、厚く高く果てがないかのように感じられることだろう。僕にとってこのブロッキーの言葉「鳥の伝記」とは、詩人とは発音者だけでなく、亡命者であり、かつ言語のヒエラルキーを無効化にする者、と語っているように聞こえるのである。
言語のヒエラルキーの上層に位置する言語は、無論英語でありフランス語でありスペイン語でありアラビア語であろう。何故英語を習うのか、それは英語の取得が個人の上昇指向の欲望に合致しているからだ、などという言葉が陳腐に思えるほど、その意識は一般化している。問題なのは、英語もしくは米語を習う際に、常に「正しさ」は英国・米国にあるという、これらの国の中心性を自らが強化してしまうということである。
実際ウォルコットが詩人として知られる事になったのは英語圏で英語での詩作があったのは間違いない。ただ詩人である彼の感性が言語のヒエラルキーを感じないわけはない。それ以前よりカリブ海の多島海に住む人びとは、常に自らを「もの真似する者」として位置づけてきていたのである。「もの真似」とは、文化を含め生活のあらゆる面で自分たちのものではないと感じることである。「もの真似する者」として自らを位置づけすることと、植民地主義およびそこからの言語のヒエラルキーは無縁ではない、と僕は思う。
「もの真似人間」という言葉がありまして、英語を使う実に多くの西インドの知識人が実に熱心に、殆ど自虐症的にこの言葉に飛びついてきたのですが・・・(中略)・・・すべての西インド人の努力に対して刻んだ墓碑銘は、西インドの文化がこのもの真似を産み出し続けるのに発揮する情熱を挫折させてはいません。」
ウォルコットは論理的に人間によってつくり出されたものに「もの真似」でないものはないと語る。一切が単なる反復なのだと言うのである。しかしそう宣言したところで、彼ら西インド諸島の人々が「もの真似人間」という呪縛から解放されることにはならないのである。アフリカから連れてこられ、歴史的記憶喪失者でもある西インド諸島の人々にとって、「今後も何一つ創造されることはない」という呪縛は重たい。しかし、ウォルコットはそこに冷笑的に留まらず、次のように語る。
「猿としてのアメリカ人という考えは勇気付けてくれるものです。というのも、猿真似には、最初の人間の努力よりも古いものがあるからです。・・・(中略)・・・最初の人間と呼ばれなければならないもののジェスチャーを最初の猿が喝采するイメージを導き出すことになるでしょう。
ここで論点は崩れ去ってしまうわけです。なぜなら、最後の猿と最初の人間の間に科学的区別などまずあり得なくて、人間が自分の祖先である猿を模倣することを止めて人間になった瞬間の記憶も歴史もない訳です。従って、一切が単なる反復であります。」
(1973年 マイアミ大学における講演記録より)
「まさに、まさにその通り。私達は何一つ創造しませんが、そのことは要するに、文化人類学的ナンセンスから擬似哲学的タワゴトへと移ることであり、無の現実、ゼロと無限の数学的頓知問答を論じることになります。ウォルコットは「もの真似」の反復の中において、無を創造し続ける結果、全く新しいものがそこから現れると言っている。もの真似は想像力の行為である、と語るウォルコットの言葉は、言語ヒエラルキーからの脱け出しも含めひとつの示唆を与えているように僕には思えるのである。
西インド諸島では、まったく永い間、常に無が創造されるでありましょうが、なぜなら西インド諸島から生じるであろうものは、これまで見てきたものとは何一つ似ていないからです。歴史に対するこのような態度の一番良い範例となっている儀式は、カーニヴァルの儀式であります」
(1973年 マイアミ大学における講演記録より)
それは西インド諸島のクレオールだからこそ持てるひとつの視点なのかもしれない。 日本において、宮沢賢治に優れたクレオール性を見たのは、評論家の西成彦氏だった。彼の著作「森のゲリラ 宮沢賢治」では次のように語っている。
「クレオール文学とは、かならずしもクレオール言語で書かれたものだけを指すのではない。クレオール言語を生み出す複数言語・複数文化的環境の社会的現実を、たとえば宮沢賢治がそうしたように、寓意としてなぞってみせる文学こそがクレオール文学なのである・・・(中略)・・・宮沢賢治とは、日本語を用いたクレオール文学の先駆者というより、むしろ日本語を用いた文学作品の中で、クレオール文学ののびやかな発育が大きく阻害されずにすんだまれなケースなのであった」日本を単一とみなす力、人類誕生時よりこの国があると時として人に錯覚させる数々の言葉、それらがもしかすると、多くの閉塞感を産み出している元ではないのだろうか。別にクレオール賛歌をするつもりは全くないが、「複数言語・複数文化的環境の社会的現実」の認識こそが、ひとつの方向を与えているのは事実だと僕は思っている。
(西成彦 「森のゲリラ 宮沢賢治」から引用)
図書館にて
図書館はモノクロが似合うと何故だか思う。日本と諸外国の書籍の装丁を較べれば、以前は日本語の書籍デザインにセンスが感じられないことが多かった様に思う。でも最近ではそんなことはなく、色とりどりで優れたデザインの装丁が施されている。
だからカラーで書棚に収まった様々な色の書籍を撮ったほうが良いのかもしれない。でもモノクロが似合うと感じる僕がそこにいるのである。
図書館ではデジタル化が進んでいる。利用者によるパソコンでの検索は当然で、ネットワークによってつながり、例えば東京都全体でひとつの仮想的な図書館を構築している様な印象を持つ。さらにインターネットを通じて個人宅で検索と予約ができることで、以前に比べ格段と利便性が増したと思っている。
ただ図書館の分類は旧態依然のままである。おそらくそれは時代に追いついていけないのではなかろうか。例えば文学において、何々文学とのカテゴリ分けは、現代ではもはや通用しない。新たな学問も雨後の筍のように現れていることも、それを助長している。
結局図書館分類学は、書籍のデータベース化とパソコンでの検索システム導入によって、無効化しているのかもしれない。つまりは、図書館のデジタル化は、利用者だけでなく、図書館自らのためでもあるのだと思うのである。あとは書籍のデジタル化とネットを通じた貸し出しであるが、それは著作権の問題で実現はかなり難しそうでもある。
だからカラーで書棚に収まった様々な色の書籍を撮ったほうが良いのかもしれない。でもモノクロが似合うと感じる僕がそこにいるのである。
図書館ではデジタル化が進んでいる。利用者によるパソコンでの検索は当然で、ネットワークによってつながり、例えば東京都全体でひとつの仮想的な図書館を構築している様な印象を持つ。さらにインターネットを通じて個人宅で検索と予約ができることで、以前に比べ格段と利便性が増したと思っている。
ただ図書館の分類は旧態依然のままである。おそらくそれは時代に追いついていけないのではなかろうか。例えば文学において、何々文学とのカテゴリ分けは、現代ではもはや通用しない。新たな学問も雨後の筍のように現れていることも、それを助長している。
結局図書館分類学は、書籍のデータベース化とパソコンでの検索システム導入によって、無効化しているのかもしれない。つまりは、図書館のデジタル化は、利用者だけでなく、図書館自らのためでもあるのだと思うのである。あとは書籍のデジタル化とネットを通じた貸し出しであるが、それは著作権の問題で実現はかなり難しそうでもある。
2006/02/26
Yokoso! Japan Weeks
例えば僕がイタリアに旅行をしたとする。僕は様々な著名な場所に行き、そこで遺跡と風景を見ることだろう。夜は夜で評判のお店に行き美味しいイタリア料理を食べる。色々な人との出会いがあるかもしれない。写真も沢山撮るし、行く先々で得る些細なものも記念として大切にとっておくだろう。そして1週間くらいして僕は東京の自宅に戻ってくる。戻ってイタリア旅行を振り返り楽しかったと思う。そして明日から続く日常にまた頑張ろうと思うのである。
でもと思う、僕は果たしてイタリアに行き見てきたのだろうか。もしかすると僕は自分の中にあるイタリアのイメージを追体験し確認してきただけなのかもしれない。たかが1週間でその国を見たとも思えない。その国に産まれ一生過ごしたとしても、自国のことを知ったとは言えないのである。そもそもイタリアとは、国とは何をさしているのだろう。
でもその様な旅行が悪いとは全く思わない。あらかじめ計画した旅行とはそういうものだと思うし、イタリアに行くと言うことより、日常の中で徐々に感じる閉塞感をのり越えるために、僕はイタリアを利用しただけなのだから。そして目的は達することができた。
国土交通省が「VISIT JAPAN」(Youkoso Japan キャンペーン)を展開している事を最近まで知らなかった。知ったのは通勤時の満員電車の中吊り広告からだった。
サイトにおける日本は旅人が求める「日本のイメージ」で構成されていた。それはそれでよいと思う。僕自身も、例えでイタリアを持ち出したが、今まで訪れた場所に自分の中にあるイメージをその場で探し続けたのだから。それに「もてなし」の気持ちは大事だとも思う。
でも僕はこのキャンペーンには多少の偽りを感じてしまうのである。まずは日本人という民族的同一性をそこに求めていることである。人が困ったときに、その側にいるとき、自分に出来ることを探すのは自然な感情だと僕は思う。わざわざ「もてなしの心」とか、日本を持ち出すまでもない。
また「外-国人」が旅行に行きたいと思うとき、その国に魅力を感じているからだと思う。つまりは、多くの人にとって日本が魅力的な国になれば、旅行者は自然と多くなっていくということだろう。ただ、「魅力的」には、そこにヒエラルキーが存在する様にも思える。誰に旅行者として来てもらいたいのか、誰が「外-国人」なのか、それはどういうヒエラルキーに組するかと言うことでもある、と僕は思う。
このサイトを見たときに感じたことだが、キャンペーン用の広告は「外-国人」のイメージが西欧系に偏っているように思える。
中国を含め東アジアの年始休暇に的を絞って1/20から2/20迄を特にキャンペーン期間としてを設定したらしい。本キャンペーンにおいて4枚の広告が作られたが、そのうち3枚は西欧系の人が登場している。残りの一枚はアジア系か西欧系か不明であった。日本に旅行で訪れる人の多くは韓国人と台湾を含む中国人である。特に年始休暇に的を絞っているのであれば、広告に登場する人は東アジアの方々にするのがビジネスにおける常套だと僕は思う。逆にビジネスであればそうしたであろう、でもこのキャンペーンはビジネスでなく、政府が行っているのである。
もとより以前から日本における様々な「善い」イメージは欧米系のイメージで造られている。例を挙げるまでもなく、マスメディアを含む様々な露出物はその証左の宝庫である。でも今回のキャンペーン広告ではそれだけでない印象を持つのである。
どこでも事件は起きる。日本でも様々な悲惨な事件が起きている。ここで多くを語る必要もないくらい、人は見知らぬ人に警戒心を強めている。さらには、韓国と中国における反日運動とそれに対応する日本での動き、東アジア・南アメリカからの外国人労働者との関係、外国人犯罪グループの活動とそれに対するメディアの報道等々、そのような状況下において僕等の気持ちにどこまで旅行者に近寄ることが出来るのか、正直言えばよくわからない。ただ一つだけ感じることは、これらのキャンペーン様ポスターに東アジア系の人々を登場させなかったことは、「外-国人」=「欧米人」だけの単純な構図だけでなく、現状においては違う側面を持っていると思えてくるのである。
この記事に載せた写真は、「Yokoso! Japan Weeks」を知ったときに皮肉を多少込めてコラージュした。一枚だけ色つきの写真があるが、それは僕が携帯電話のカメラで撮ったキャンペーン用の中吊り広告である。
2006/02/24
二枚の夫婦岩の写真(二枚目)
干潮時に夫婦岩が陸続きになることを初めて知った。風もなく波もない海を背景にして、前回の夫婦岩との風景の落差に一瞬違うのではないかと錯覚した。でもそれは満潮時を想像するまでもなく確かに夫婦岩である。
根元が露わになった姿は頼りげなく、僅かな力で崩れ落ちそうな印象をもたらせる。この印象は前回のそれを対象として想起させ、僕にとって「夫婦岩」の存在の意味を新たに考えさせる。
全国には幾つもの「夫婦岩」がある。それらの共通項は、大きい岩が「男岩」であるということ。そして双方の岩はしめ縄で繋がれ鳥居だということである。勿論それら全国の「夫婦岩」は伊勢二見の夫婦岩を模したものであろう。でも幾つもの「夫婦岩」に抱く人々の願いは模したものではない、と僕は思う。
岩の大小にこだわるのが僕の中の近代教育の賜物であれば、それらは何の役にも立たない。それよりも僕の問いは、なぜ僕の中では物事に対して純粋性を求めるかということである。
例えば、夫婦岩に対する歴史的誕生の意味は現在のそれとはまったく違うと僕は感じる。おそらく単なる普通の岩が夫婦岩として造られたとき、その動機の中に潜む宗教性・政治性・社会問題を正確に解明することは不可能だと僕は思うが、現在のそれとはまったく違うとは容易に想像できる。ただ人は利用し続け現在に至ったのかもしれない。つまり現前する夫婦岩は様々な人の思いの中で交わり雑種化した存在なのだと思う。でもあたかも「夫婦岩」の発生当初の純粋性が損なわれていないかのように、僕は見たいと願うのである。
雑種性は純粋性に論理的に先行する。僕はその意味を深く理解しなければならぬ。
二枚の夫婦岩の写真(一枚目)
始めて伊勢に行った時の写真。風が強く、波が参道まで押し寄せた。波しぶきを体に浴びながら、見学者たちはコートの襟を立て、立ち止まることなく夫婦岩を一瞥し写真を撮り足早に移動する。
荒々しく岩にぶつかり白く砕け散る波、岩同士の接近から流れが速く渦を巻く土色の海。空は透明感を持った青さで、そこに点在する雲は海とは対照的な穏やかさを持って時を過ごす。
夫婦岩は相互をしめ縄で繋ぐことにより鳥居でもあると聞いた。対岸より約600m程沖合いの海中に御神体があるのだそうだ。また夏至にその鳥居の中心から日が昇り、その美しさは例え様のないほど荘厳なのだとのこと。そんなことを同行者から聞きながら、僕はただ身近に見るこの二つの岩に、徐々に圧倒されるのを感じる。
祀られているサルタヒコは善導の神様と言われている。また「夫婦岩」の愛称から夫婦円満のご利益もあるという。どのような人たちが、この岩を信仰し守りそして慈しんできているのかを僕は知らない。でも間違いなく夫婦岩に僕が感じたのは、それらの時空を超えた人の思いであった。
人の思いは途切れることなく一本の線となって繋がっているのだろうか、とういう問い。繋がっているのであれば、繋ぎとめる力はどこから湧き上がり、どのように維持しているのだろうか。それを幻想とか誤解だと言うのはたやすい。歴史から物事を相対化する癖は近代思想の一つの病かも知れぬ。そこから何かを「告発」したと感じることこそ、僕にとっては一つの幻想なのである。
おそらく「夫婦岩」では何かが繋がり、ここに「夫婦岩」として成立している、と僕は思う。
2006/02/21
招き猫
様々な招き猫たちが「おいで、おいで」をしている姿に、足を止めしばし見とれる。招き猫の効果は僕にとっては絶大だ。特に白い招き猫はジュニアを思い出す。
招き猫の仕草は、猫が前手で顔を洗う動作を擬人化したものだと思う。
猫が人間に初めて飼われたのがエジプトで、収穫した穀物を鼠から守るために、比較的大人しい山猫の子供を人間が育て始めてからと伝えられている。中国から仏教伝来と共に日本列島に渡った猫は、初めはかなり貴重な生き物だったに違いない。おそらく当時は紐に繋がれ室内で飼われていたのではないかと思う。これは僕の勝手な推測だが、徳川綱吉の「生類憐れみの令」により猫が紐で繋がれることが禁止され、それから猫は大いに外で繁殖していったのではないかと思う。
農耕を主としてきた場所では、猫は大事にされ可愛がられてきた。魔女の黒猫とか、化け猫とか、人間に誤解されたことも度々あったが、人間は猫を必要とし、長い時間の中で猫も人間を必要としている。
現在、猫にとって家の外は、病気・車・いじめ等々と危険に満ちている。東京の野良猫の平均寿命は3年から4年とも聞く。家の中で飼えるのなら、それが一番かもしれない。
2006/02/19
散歩道のオブジェ達
家の近くの散歩道(呑川本流遊歩道)に所々置かれているオブジェ達を写真に撮ろうと思い立った。僕がよく歩く遊歩道の行程で遭遇するオブジェを撮影しただけなので、もしかすると別のオブジェがあるかもしれないが、それはまた別の機会にでも探検しよう。
ここに紹介するのは、高さ約1m、直径約20cm程のポールの上に置かれているオブジェである。そのディフォルメされた姿が可愛いと以前から思っていた。
オブジェで現している生き物たちは、多分昔(といってもそれほど昔ではない)の呑川で普通に見ることが出来た生き物たちだと僕は思う。その中の幾つかは今でも観察することが出来るだろう。例えば、セミとかカタツムリとかテントウムシとかバッタとかザリガニとかである。勿論いなくなったもの達も多い。呑川は既に所々下水道化されているからである。
左から
a)アヒル?最初からよくわからない。
b)カタツムリ、これは二番目に数が多かった。なかなか可愛い
c)バッタ、種類はわからない。トノサマ?もしかしてイナゴ?、
d)カエル、愛嬌のある顔が良い。一番のお気に入り。
e)ザリガニ、アメリカザリガニは少し前までどこにでもいた。子供達がスルメで釣っていたのを見たことがある。
f)ナマズ、ヒゲが偉そうで良い。オブジェは一体のみ遭遇
g)セミ、これも種類はわからない。これも一体のみ遭遇
h)コトリ、これも種類は何かよくわからない
i)テントウムシ、これが一番数が多かった
ここに紹介するのは、高さ約1m、直径約20cm程のポールの上に置かれているオブジェである。そのディフォルメされた姿が可愛いと以前から思っていた。
オブジェで現している生き物たちは、多分昔(といってもそれほど昔ではない)の呑川で普通に見ることが出来た生き物たちだと僕は思う。その中の幾つかは今でも観察することが出来るだろう。例えば、セミとかカタツムリとかテントウムシとかバッタとかザリガニとかである。勿論いなくなったもの達も多い。呑川は既に所々下水道化されているからである。
左から
a)アヒル?最初からよくわからない。
b)カタツムリ、これは二番目に数が多かった。なかなか可愛い
c)バッタ、種類はわからない。トノサマ?もしかしてイナゴ?、
d)カエル、愛嬌のある顔が良い。一番のお気に入り。
e)ザリガニ、アメリカザリガニは少し前までどこにでもいた。子供達がスルメで釣っていたのを見たことがある。
f)ナマズ、ヒゲが偉そうで良い。オブジェは一体のみ遭遇
g)セミ、これも種類はわからない。これも一体のみ遭遇
h)コトリ、これも種類は何かよくわからない
i)テントウムシ、これが一番数が多かった
2006/02/18
NHK番組「移民漂流10日間の記録」を見て思うこと
2006年1月29日に放映したNHKスペシャル「移民漂流 10日間の記録」を見た。本番組は「シリーズ 同時3点ドキュメント」のひとつとして制作している。「同時3点ドキュメント」は、3地域のほぼ同時刻の状況をひとつのテーマに沿って描いている。おそらくNHKにとっては意欲的なドキュメンタリーであろう。タイトル映像に流れるナレーションがそれを物語っている。
同時3点の選択理由は僕には不明ではあるし、それについて特には意見は持たない。エチオピアのユダヤ人家族がイスラエルに移民し、イスラエルの若者がドイツに移民を試みる。そしてドイツでは戦後最大の不況下、移民および外国人労働者への排斥運動が巻き起こり、その中で少子化による将来の経済的な国力低下を防ぐため、高度な技術力を持った移民を受け入れる政策を打ち出している。そうしたドイツの移民政策は逆にドイツに生まれ育った人たちに不安を与えていく。
それぞれの国の事情を番組でナレーターは簡単に語る。エチオピアは貧困と人口増加の問題があり、イスラエルはアラブ人との人口比率がユダヤ人側の少子化で逆転する予測から世界中のユダヤ人の移民を進めていること、ドイツの移民政策は少子化と国力維持の双方の目的があることなどである。
僕は3点地域の選択理由については問わないと書いたが、描かれている人の流れは気になった。エチオピア・イスラエルそしてドイツへと続く流れは、構図として番組冒頭のナレーションに重なる。ニューヨーク(蝶の羽ばたき)~東京(嵐)がある意味聞ける話として成り立つのは、大国としての米国ニューヨークの蝶の羽ばたきだからだと思う。仮に南海の小国の蝶の羽ばたきであったとしたときに、東京で嵐になると思える人がどのくらいいるだろうか。単純に言えば、エチオピアにとってはイスラエルは身近な西洋の一国であるし、イスラエルの若者にとってはドイツは西洋の真ん中に位置している国である。つまりはこの構図は、冒頭のニューヨークの蝶の例えと同じく、西洋中心の近代的な世界観を露骨に現している様に見えるのである。
それが未だに世界の現実だとすればそれはそれでよい、ただ問題なのはNHK制作者側はそれを無自覚にいることだと僕は思う。さらに因果関係を現したいのであれば、エチオピアの問題として番組で挙げていた貧困と人口増加の根本をまず洗い出さなくてはならないと思う。それぞれの歴史観にもよるが、エチオピアの歴史に西洋は全く無関係ではないと思うのである。さらに東京の嵐で因果関係が完結したとも思えない。ドイツの移民政策は、逆に数十万人のドイツ人の流出となっているのであれば、最後に押し出される人は誰なのだろうか。まさに因果関係の区切り方に制作者側の歴史に対する無自覚さが出ていると思うのである。
番組ではエチオピアでは一家族のみを追い、イスラエルでは一人の青年とエチオピアからの移民達を見せる、ドイツではさらに両国より多くさまざまな場面を見せ特に誰かを中心におくことはしない。つまりはドイツに流れるほど問題が複雑化する方向に見せている。あたかもドイツよりイスラエル、イスラエルよりエチオピアの方が社会的問題が少ないかの様な印象を持ってしまうのである。
エチオピアがイスラエルのユダヤ人移民に協力する理由は国家による間引きと同じであると僕は思う。勿論、人が生きて生活をするためにやむを得ず、もしくは長く待ちわびた「約束の地」イスラエルへと移民していくのだろう。そこには僕などが口を挟む間もないことは事実である。ただイスラエルがユダヤ人比率を高めたい理由のひとつとして簡単に想像できることは「兵士」の数なのだと思えるのである。ドイツの移民政策といい、そこにあるのは近代国家の姿そのものである。NHK制作側のコメントとして、人びとの国家観が変わったと語っているが、どのように変わったのか正直この番組からは掴めなかった。仮に個人のアイデンティティ形成に国家を求めなくなった事であれば、番組があえて特別番組で語る事でもなく、さらに描き方も違ってくる、と僕は思う。
イスラエルに移民したエチオピアのユダヤ人達は、一年間イスラエルに馴染めるように教育を受けた後、実社会に投げ出される。番組では、彼らの多くは日本で言うところの3Kの仕事に就くことになると語りその姿を撮していた。さらに既にゲットー化している様子が紹介された後、その中で「だまされた」「差別を受けている」と語る姿も撮していた。移民開始当初の一世代目の苦労はどこも変わらないとは思うが、問題は同一民族なのである。今まで、「宗教」、「歴史」、「民族」で同一化を確立していた民族国家としてのイスラエルが、新たに「人種」を受け入れるとき、内部からのほころびが出てくるのではと思うのである。しかもエチオピアのユダヤ人移民は東西欧州からのユダヤ人と同じ歴史をくぐっていないのである。内部のほころびが、逆に同一性維持への引き締めと、ユダヤ人としての主体を造り続けるために、新たな敵を造る事がないようにと思うだけである。ただこのイスラエルの状況については個人的には確かに興味はある。
ドイツは地政的に欧州の中央に位置しているので、歴史的に人の出入りが多いところだと聞いたことがある。特に1999年、難民の受入数は米国・カナダと並びドイツは1万人以上であり、欧州の中でも群を抜いて多かった。いわゆる経済的に豊かな国で移民・難民の受け入れ数が最も少ない国はおそらく日本であろう。今後は移民・難民受け入れに消極的な対応も国際的には許されない状況になっていくことだと思う。
「移民漂流 10日間の記録」では、最後に先進諸国の少子化問題を挙げ、ドイツを含めそれぞれの国の生産能力から見た維持のために必要な移民数を語っていた。それによると年間60数万人の移民受け入れが日本では必要だと語り番組が終わる。つまりこの番組は、移民について報じていながら、その移民を先進諸国の少子化問題のフレームに重ねているのである。少子化問題は国民にとっては情緒的な問題に近いが国家にとっては国力低下の問題であり、両者の温度差は大きいように思う。ただ少子化問題が即座に移民へと短絡的に繋げるのはお粗末ではないのだろうか。繋げてしまう事は、近代国家としての思想を補強してしまう結果になりはしないだろうか、と懸念する。
60数万の移民が必要だとの産出は、おそらく2000年3月の国連経済社会局人口部の報告書によると思われるが、この報告書での基となるのは15歳以上64歳未満の生産年齢人口のことであるし、年齢以外で対象となる条件が僕にはよくわからないのである。何が言いたいかと言えば、移民・難民への対応は国際関係の中で自ずからそれなりの受け入れを行う必要が出てくると思うが、それと少子化対策は分けて考える必要があると僕は思うのである。両者のそれぞれに日本で政策として整備しなくてはいけないことは多いと思う。勿論、少子化対策への整備、つまり女性が働きやすい環境の整備等が、移民対策に繋がることもある様に思う。
番組の話に戻るが、「移民漂流 10日間の記録」の制作者は一体何を視聴者に伝えたかったのだろうか、見終わった後に残る気持ちはその疑問である。3点同時の状況を見せているようで少しも見せてはいない、逆にカタログ的な番組構成により外部からの俯瞰的な視野を与えているかのような感覚になるが、それも錯覚にしか過ぎない様に思う。何の意味もない番組であれば無視すれば事足りる、本番組もそうした番組のひとつかもしれないが、僕の何かに引っかかり本記事となった。3国についての状況を語ったつもりは全くない、ただ番組の感想を語っただけである。的を絞れない記事で申し訳ないと思っている。
「ニューヨーク上空の蝶の羽ばたきが東京に嵐を引き起こす」という言葉がある。地球上のどこかで起こった出来事が、遠く離れた場所を揺さぶり、それが増幅しながらさらに全く別の場所へと連鎖していく。一見無関係に見える出来事が不思議な因果関係で結ばれているのである。(NHK 同時3点ドキュメントナレーションから)物事を時系列で追うのでなく地政的な空間関係で把握すること自体目新しいことではない。ただNHKのドキュメンタリー作成手法は定点から時系列に沿って広がりを持たせていく事が多かったと思う。それを考えると今回の「3点同時ドキュメント」はNHKにとっては従来にない手法と言えるし、制作現場からみるとひとつの新たな一歩なのかもしれない。でも今回が従来作成手法の限界を越えるための実験的な企画であるとするならば、それはそのような技術的な問題ではないと僕は思うのである。NHKが日本を代表するテレビ局であり日本語で制作することから、番組は日本語が理解できる人を宛先にするが、それ以上の条件は持たせることはないだろう。つまり、番組としては幅広く予備知識も何も持たない人を対象とし、かつ最後まで飽きさせずに見てもらわなければならない。だから複雑に絡み合った問題も大幅に切り捨て、物事を在る程度単純化しなくてはならない事に繋がる。だから大抵のドキュメントものは、無理矢理に仮想された番組として同一性の構築を行うことになってしまう。実を言えば今回の「移民漂流 10日間の記録」も、飽きずに最後まで見たが、見終わった後に残るのは少ない。
同時3点の選択理由は僕には不明ではあるし、それについて特には意見は持たない。エチオピアのユダヤ人家族がイスラエルに移民し、イスラエルの若者がドイツに移民を試みる。そしてドイツでは戦後最大の不況下、移民および外国人労働者への排斥運動が巻き起こり、その中で少子化による将来の経済的な国力低下を防ぐため、高度な技術力を持った移民を受け入れる政策を打ち出している。そうしたドイツの移民政策は逆にドイツに生まれ育った人たちに不安を与えていく。
それぞれの国の事情を番組でナレーターは簡単に語る。エチオピアは貧困と人口増加の問題があり、イスラエルはアラブ人との人口比率がユダヤ人側の少子化で逆転する予測から世界中のユダヤ人の移民を進めていること、ドイツの移民政策は少子化と国力維持の双方の目的があることなどである。
僕は3点地域の選択理由については問わないと書いたが、描かれている人の流れは気になった。エチオピア・イスラエルそしてドイツへと続く流れは、構図として番組冒頭のナレーションに重なる。ニューヨーク(蝶の羽ばたき)~東京(嵐)がある意味聞ける話として成り立つのは、大国としての米国ニューヨークの蝶の羽ばたきだからだと思う。仮に南海の小国の蝶の羽ばたきであったとしたときに、東京で嵐になると思える人がどのくらいいるだろうか。単純に言えば、エチオピアにとってはイスラエルは身近な西洋の一国であるし、イスラエルの若者にとってはドイツは西洋の真ん中に位置している国である。つまりはこの構図は、冒頭のニューヨークの蝶の例えと同じく、西洋中心の近代的な世界観を露骨に現している様に見えるのである。
それが未だに世界の現実だとすればそれはそれでよい、ただ問題なのはNHK制作者側はそれを無自覚にいることだと僕は思う。さらに因果関係を現したいのであれば、エチオピアの問題として番組で挙げていた貧困と人口増加の根本をまず洗い出さなくてはならないと思う。それぞれの歴史観にもよるが、エチオピアの歴史に西洋は全く無関係ではないと思うのである。さらに東京の嵐で因果関係が完結したとも思えない。ドイツの移民政策は、逆に数十万人のドイツ人の流出となっているのであれば、最後に押し出される人は誰なのだろうか。まさに因果関係の区切り方に制作者側の歴史に対する無自覚さが出ていると思うのである。
番組ではエチオピアでは一家族のみを追い、イスラエルでは一人の青年とエチオピアからの移民達を見せる、ドイツではさらに両国より多くさまざまな場面を見せ特に誰かを中心におくことはしない。つまりはドイツに流れるほど問題が複雑化する方向に見せている。あたかもドイツよりイスラエル、イスラエルよりエチオピアの方が社会的問題が少ないかの様な印象を持ってしまうのである。
エチオピアがイスラエルのユダヤ人移民に協力する理由は国家による間引きと同じであると僕は思う。勿論、人が生きて生活をするためにやむを得ず、もしくは長く待ちわびた「約束の地」イスラエルへと移民していくのだろう。そこには僕などが口を挟む間もないことは事実である。ただイスラエルがユダヤ人比率を高めたい理由のひとつとして簡単に想像できることは「兵士」の数なのだと思えるのである。ドイツの移民政策といい、そこにあるのは近代国家の姿そのものである。NHK制作側のコメントとして、人びとの国家観が変わったと語っているが、どのように変わったのか正直この番組からは掴めなかった。仮に個人のアイデンティティ形成に国家を求めなくなった事であれば、番組があえて特別番組で語る事でもなく、さらに描き方も違ってくる、と僕は思う。
イスラエルに移民したエチオピアのユダヤ人達は、一年間イスラエルに馴染めるように教育を受けた後、実社会に投げ出される。番組では、彼らの多くは日本で言うところの3Kの仕事に就くことになると語りその姿を撮していた。さらに既にゲットー化している様子が紹介された後、その中で「だまされた」「差別を受けている」と語る姿も撮していた。移民開始当初の一世代目の苦労はどこも変わらないとは思うが、問題は同一民族なのである。今まで、「宗教」、「歴史」、「民族」で同一化を確立していた民族国家としてのイスラエルが、新たに「人種」を受け入れるとき、内部からのほころびが出てくるのではと思うのである。しかもエチオピアのユダヤ人移民は東西欧州からのユダヤ人と同じ歴史をくぐっていないのである。内部のほころびが、逆に同一性維持への引き締めと、ユダヤ人としての主体を造り続けるために、新たな敵を造る事がないようにと思うだけである。ただこのイスラエルの状況については個人的には確かに興味はある。
ドイツは地政的に欧州の中央に位置しているので、歴史的に人の出入りが多いところだと聞いたことがある。特に1999年、難民の受入数は米国・カナダと並びドイツは1万人以上であり、欧州の中でも群を抜いて多かった。いわゆる経済的に豊かな国で移民・難民の受け入れ数が最も少ない国はおそらく日本であろう。今後は移民・難民受け入れに消極的な対応も国際的には許されない状況になっていくことだと思う。
「移民漂流 10日間の記録」では、最後に先進諸国の少子化問題を挙げ、ドイツを含めそれぞれの国の生産能力から見た維持のために必要な移民数を語っていた。それによると年間60数万人の移民受け入れが日本では必要だと語り番組が終わる。つまりこの番組は、移民について報じていながら、その移民を先進諸国の少子化問題のフレームに重ねているのである。少子化問題は国民にとっては情緒的な問題に近いが国家にとっては国力低下の問題であり、両者の温度差は大きいように思う。ただ少子化問題が即座に移民へと短絡的に繋げるのはお粗末ではないのだろうか。繋げてしまう事は、近代国家としての思想を補強してしまう結果になりはしないだろうか、と懸念する。
60数万の移民が必要だとの産出は、おそらく2000年3月の国連経済社会局人口部の報告書によると思われるが、この報告書での基となるのは15歳以上64歳未満の生産年齢人口のことであるし、年齢以外で対象となる条件が僕にはよくわからないのである。何が言いたいかと言えば、移民・難民への対応は国際関係の中で自ずからそれなりの受け入れを行う必要が出てくると思うが、それと少子化対策は分けて考える必要があると僕は思うのである。両者のそれぞれに日本で政策として整備しなくてはいけないことは多いと思う。勿論、少子化対策への整備、つまり女性が働きやすい環境の整備等が、移民対策に繋がることもある様に思う。
番組の話に戻るが、「移民漂流 10日間の記録」の制作者は一体何を視聴者に伝えたかったのだろうか、見終わった後に残る気持ちはその疑問である。3点同時の状況を見せているようで少しも見せてはいない、逆にカタログ的な番組構成により外部からの俯瞰的な視野を与えているかのような感覚になるが、それも錯覚にしか過ぎない様に思う。何の意味もない番組であれば無視すれば事足りる、本番組もそうした番組のひとつかもしれないが、僕の何かに引っかかり本記事となった。3国についての状況を語ったつもりは全くない、ただ番組の感想を語っただけである。的を絞れない記事で申し訳ないと思っている。
2006/02/16
駒沢公園の壁に描かれている人の顔
駒沢公園内には何カ所か人物の絵が描かれている場所がある。そのうちの一カ所の絵をメモとして残す。
全員上を眺めているが、これは公園内の通りと外部の車道が交差している場所なので、公園内ではトンネルのようになっていて、天井にさまざまな形の雲が浮かんでいるのを人々が眺めている構図なのである。それらの雲は、例えばウサギの形をしていれば、「rabbit」と英語で書いてあって、見ていても楽しめる。ただそういうのも見慣れてしまえば、人は絵に興味を持つこともなく通り過ぎているだけである。
この絵がトンネル内に描かれるまでは、そこは落書きの宝庫だった。だから落書き防止のための絵でもあるのだと思う。今回一人一人の顔を写真に収めようと思い立ち、それぞれを意識して初めて見たが、なかなかに面白い。その中で一番のお気に入りが左上のヒゲ男である。とぼけた感じがとても良い。見知っている友人の顔に似ている、ようにも見える。
坪内逍遙の「当世書生気質」が日本において初めて小説にて、人物の描写に顔の描写を入れたと聞いたことがある。つまりはそれまでは人の描写は顔の描写ではなく主に社会的身分を現す服装の描写だったのだそうだ。顔を気にするようになったのは近代以降ということかもしれない。
実を言えば公園の絵を見ながらもう一つ思ったことがある。それは最近は今会記事にした人物の描き方は、公の場所ではあまり見なくなったということである。それは勿論人種の問題であるし、カラーブラインド論の影響もあるのかもしれない。ただカラーブラインド社会の実現が可能かは僕にはわからないが、カラーブラインド論が成立するにはカラーラインが必要なように、両者は同根のような気もするのである。勿論僕はこの公園の絵に人種主義の片鱗さえも見ることはなかったし、楽しげな雰囲気がとても気に入ったのである。
全員上を眺めているが、これは公園内の通りと外部の車道が交差している場所なので、公園内ではトンネルのようになっていて、天井にさまざまな形の雲が浮かんでいるのを人々が眺めている構図なのである。それらの雲は、例えばウサギの形をしていれば、「rabbit」と英語で書いてあって、見ていても楽しめる。ただそういうのも見慣れてしまえば、人は絵に興味を持つこともなく通り過ぎているだけである。
この絵がトンネル内に描かれるまでは、そこは落書きの宝庫だった。だから落書き防止のための絵でもあるのだと思う。今回一人一人の顔を写真に収めようと思い立ち、それぞれを意識して初めて見たが、なかなかに面白い。その中で一番のお気に入りが左上のヒゲ男である。とぼけた感じがとても良い。見知っている友人の顔に似ている、ようにも見える。
坪内逍遙の「当世書生気質」が日本において初めて小説にて、人物の描写に顔の描写を入れたと聞いたことがある。つまりはそれまでは人の描写は顔の描写ではなく主に社会的身分を現す服装の描写だったのだそうだ。顔を気にするようになったのは近代以降ということかもしれない。
実を言えば公園の絵を見ながらもう一つ思ったことがある。それは最近は今会記事にした人物の描き方は、公の場所ではあまり見なくなったということである。それは勿論人種の問題であるし、カラーブラインド論の影響もあるのかもしれない。ただカラーブラインド社会の実現が可能かは僕にはわからないが、カラーブラインド論が成立するにはカラーラインが必要なように、両者は同根のような気もするのである。勿論僕はこの公園の絵に人種主義の片鱗さえも見ることはなかったし、楽しげな雰囲気がとても気に入ったのである。
2006/02/15
木を撮るということ(2)
以前の記事「木を撮ると言うこと」で僕は写真を撮るという行為の侵略性について少し感情を交え語ったが、その続きを書きたいと思う。
僕にとっては「人を撮れない」事が僕自身の主体を構築しているのも事実である。だからその主体は「人を撮る」という行為自体が観念として在ることにより存在できているのである。しかしその主体は定立するのでなく、「人を撮る」という欲望と「撮らない」という欲望の間を、カメラを構えるときに激しく振動しているのである。つまりは侵略性について語る僕は、「人を撮る」人たちと同根であるのも間違いない。だから、前回の記事は「人を撮る」事が出来る人たちへの批判では決してない。
もっと気楽に写真を撮れば良いではないかとの助言を与えたくなる人もいるかもしれない。その時僕は逆に聞きたいことがある。人を撮る時、躊躇なく撮れますかと、一瞬でもためらいはありませんかと、聞きたくなるのである。
仮にためらいなく撮れる場合、対象が家族・恋人・友人などではないとき、それは一種の盗撮行為に限りなく近いのではないかと思うのである。
ためらいがあるとき、そのためらいの元は何かと僕は続けて聞くことになる。そのためらいこそが、僕が言いたいことなのである。何故ためらいが出てくるのだろうか。何故人以外はためらいがないのであろうか。
もっと気楽に写真を撮れば良いではないかとの助言を与えたくなる人もいるかもしれない。その時僕は逆に聞きたいことがある。人を撮る時、躊躇なく撮れますかと、一瞬でもためらいはありませんかと、聞きたくなるのである。
仮にためらいなく撮れる場合、対象が家族・恋人・友人などではないとき、それは一種の盗撮行為に限りなく近いのではないかと思うのである。
ためらいがあるとき、そのためらいの元は何かと僕は続けて聞くことになる。そのためらいこそが、僕が言いたいことなのである。何故ためらいが出てくるのだろうか。何故人以外はためらいがないのであろうか。
でも僕は人を撮る構えの時以外はお気楽モードで遊んでいる。写真を撮るのは楽しいと思っている。
2006/02/14
丑三つ時、ブログを書いて震える
子供のときに映画「東海道四谷怪談」をテレビで見た。僕が小学生で夏休みの近くの友人宅に遊びに行き、暇に任せてテレビをつけたらたまたま放映していた。見たくはないのだが、目を離すことができず、とうとう最後まで見てしまった。帰りの道が、まだ暗くはないのだが、街路樹が自分に襲い掛かるような、そんな気分になり怖くて家まで走って帰った。後から知ったら、僕らが見た映画「東海道四谷怪談」は、原作鶴屋南北、監督中川信夫の1959年封切りの東宝映画で、数ある四谷怪談では最も怖いと評判の映画だった。
この映画を見てからしばらくの間、怪談物がまったく受け付けなくなっていた。「東海道四谷怪談」ほどの怖さではなくても、それらしき番組が始まると目を背けるか耳を覆おうかしてしまうのである。テレビを消す行為は一瞬でも番組が視野に入るのでできない。もちろん今はそういうことはないが、それでもこの映画を思い出すといまだに怖さが蘇る。二度と見たくないと思っている。
大人になり、子供のときに味わった同様の怖さを再び味わった。それはあの「リング」である。1998年に鈴木光司原作、中田秀夫監督の角川映画で原作を含めブームとなった「リング」の貞子を見て、僕は「東海道四谷怪談」を思い出したのである。あれから一連のジャパニーズホラー作品が人気を呼んでいるが、僕は一作も見てはいない。こうやってブログに書くこと自体にも多少の抵抗感があるのである(笑)
人はなぜ恐怖を感じるのか?そのような問いは、様々な分野での研究者がそれなりの回答を持っていると僕は思うが、それらの回答は僕にとっては無意味である。仮に人が感じる恐怖の原因を洗い出し、それを相対化し、「脱恐怖」(大笑)をしたところで、僕にとってあれらの映画に「怖さ」を感じることの現実性は変わらないのである。でも「東海道四谷怪談」と「リング」の二つの映画を較べてみたときに、もちろん二度は見ないので記憶の中でだが(苦笑)、ひとつの共通項がある様に思えた。考証なしの冗談に近い想像ではあるが、ここまで読んだついでに聞いて欲しい。(あいそ笑)
「東海道四谷怪談」で印象的な場面はおそらく戸板返しだと思う。伊右衛門(天知茂)が殺したお岩(若杉嘉津子)とあんまの宅悦を戸板に打ちつけ川に流す。そしてその戸板が釣りをしている伊右衛門の前に流れ着き彼を襲う。伊右衛門はお岩の死骸を川に流したのはとても象徴的なのかもしれない。川は異界との境界線であり、もしくは異界への交通路を現していると思うからである。
日本の川は概ね山から海へと流れる。山は山岳信仰を持ち出すまでもなく神聖な場所であり、山神(人)が住む異界でもあった。川はその異界と人間が住む里を経由して海へと続く。イザナミ・イザナギノミコトは初めの子供が異形であったので葦船に乗せて流す、地蔵菩薩は三途の川を渡れぬ子供達を霊界へと誘う、桃太郎は川から流れてきた桃から生まれた事が示すように最初から異形の者として登場する。
再び伊右衛門の前に現れる戸板は、つまりは異界から戻ってきたことを現しているのでなかろうか。戻ってきた戸板に打ち付けられたお岩は既に死骸ではなく異形の者である。
「リング」の場合、象徴的に現れる井戸もまた川の変形である。井戸は垂直方向の川として見ることが出来るからだ。つまり井戸自体が異界への道として現されていると思うのである。何故貞子は井戸に落とされたのか。それはもともと超能力を持つ子として生まれた貞子が父から見ると既に異形の者だったからだと思う。異形の者を異界に帰すこと、それが井戸への突き落とし行為だったようにも思える。貞子は井戸をはい上がろうとする。実際は貞子は異形の者ではなかった。井戸の外部、つまりは人間界にすむ普通の女性であった。だから彼女は井戸からはい上がろうとした。しかしそれが出来ず、彼女は父が恐れた異形の者として復活するのである。井戸からはい上がった貞子は異形の者なのである。
井戸についてついでに話す。もし仮に貞子が井戸で生まれ、井戸の底で生活し育ったと仮定すれば、そんなことは実際にあり得ないが、彼女は井戸の外にはい上がることはなかったと思う。井戸の外部を知るものは、井戸から出た事がある者だけである。また西洋的な見方で言って、人は他者により己の同一性を確保するのであれば、貞子は自分を持たない以前に知らないことになる。そういう者は異形の者でもなんでもない。
お岩と貞子の共通項は、殺されて川に流され、そして異形の者として戻ってきたことにある。
あああ、ここまで書いて急に映画の情景がまざまざと思い出してきた。もっと突っ込んで書きたいことは沢山あるが、この怖さに耐えられそうにもない(震笑)。それに書いている時間は丑三つ時でもある。こういうときは寝てしまうに限る(笑いなし)。
この映画を見てからしばらくの間、怪談物がまったく受け付けなくなっていた。「東海道四谷怪談」ほどの怖さではなくても、それらしき番組が始まると目を背けるか耳を覆おうかしてしまうのである。テレビを消す行為は一瞬でも番組が視野に入るのでできない。もちろん今はそういうことはないが、それでもこの映画を思い出すといまだに怖さが蘇る。二度と見たくないと思っている。
大人になり、子供のときに味わった同様の怖さを再び味わった。それはあの「リング」である。1998年に鈴木光司原作、中田秀夫監督の角川映画で原作を含めブームとなった「リング」の貞子を見て、僕は「東海道四谷怪談」を思い出したのである。あれから一連のジャパニーズホラー作品が人気を呼んでいるが、僕は一作も見てはいない。こうやってブログに書くこと自体にも多少の抵抗感があるのである(笑)
人はなぜ恐怖を感じるのか?そのような問いは、様々な分野での研究者がそれなりの回答を持っていると僕は思うが、それらの回答は僕にとっては無意味である。仮に人が感じる恐怖の原因を洗い出し、それを相対化し、「脱恐怖」(大笑)をしたところで、僕にとってあれらの映画に「怖さ」を感じることの現実性は変わらないのである。でも「東海道四谷怪談」と「リング」の二つの映画を較べてみたときに、もちろん二度は見ないので記憶の中でだが(苦笑)、ひとつの共通項がある様に思えた。考証なしの冗談に近い想像ではあるが、ここまで読んだついでに聞いて欲しい。(あいそ笑)
「東海道四谷怪談」で印象的な場面はおそらく戸板返しだと思う。伊右衛門(天知茂)が殺したお岩(若杉嘉津子)とあんまの宅悦を戸板に打ちつけ川に流す。そしてその戸板が釣りをしている伊右衛門の前に流れ着き彼を襲う。伊右衛門はお岩の死骸を川に流したのはとても象徴的なのかもしれない。川は異界との境界線であり、もしくは異界への交通路を現していると思うからである。
日本の川は概ね山から海へと流れる。山は山岳信仰を持ち出すまでもなく神聖な場所であり、山神(人)が住む異界でもあった。川はその異界と人間が住む里を経由して海へと続く。イザナミ・イザナギノミコトは初めの子供が異形であったので葦船に乗せて流す、地蔵菩薩は三途の川を渡れぬ子供達を霊界へと誘う、桃太郎は川から流れてきた桃から生まれた事が示すように最初から異形の者として登場する。
再び伊右衛門の前に現れる戸板は、つまりは異界から戻ってきたことを現しているのでなかろうか。戻ってきた戸板に打ち付けられたお岩は既に死骸ではなく異形の者である。
「リング」の場合、象徴的に現れる井戸もまた川の変形である。井戸は垂直方向の川として見ることが出来るからだ。つまり井戸自体が異界への道として現されていると思うのである。何故貞子は井戸に落とされたのか。それはもともと超能力を持つ子として生まれた貞子が父から見ると既に異形の者だったからだと思う。異形の者を異界に帰すこと、それが井戸への突き落とし行為だったようにも思える。貞子は井戸をはい上がろうとする。実際は貞子は異形の者ではなかった。井戸の外部、つまりは人間界にすむ普通の女性であった。だから彼女は井戸からはい上がろうとした。しかしそれが出来ず、彼女は父が恐れた異形の者として復活するのである。井戸からはい上がった貞子は異形の者なのである。
井戸についてついでに話す。もし仮に貞子が井戸で生まれ、井戸の底で生活し育ったと仮定すれば、そんなことは実際にあり得ないが、彼女は井戸の外にはい上がることはなかったと思う。井戸の外部を知るものは、井戸から出た事がある者だけである。また西洋的な見方で言って、人は他者により己の同一性を確保するのであれば、貞子は自分を持たない以前に知らないことになる。そういう者は異形の者でもなんでもない。
お岩と貞子の共通項は、殺されて川に流され、そして異形の者として戻ってきたことにある。
あああ、ここまで書いて急に映画の情景がまざまざと思い出してきた。もっと突っ込んで書きたいことは沢山あるが、この怖さに耐えられそうにもない(震笑)。それに書いている時間は丑三つ時でもある。こういうときは寝てしまうに限る(笑いなし)。
2006/02/09
Flickr,Blogger,Picasa そして再びFlickr遊び
以前の記事でFlickrに投稿した写真にコメントをつける事にしたと書いたが、どうもFlickrのコメント機能は僕にとっては少々物足りない。常時表示する字数が限られているし、時折HTMLがそのままコメントとして表示されてしまうこともある。そこで別途Flickrに投稿した写真専用のブログを立ち上げることにした。
ブログプロバイダはGoogleのBloggerを使う事にした。Bloggerを選択した理由は、以前からアカウント(Amehareの)を持っていたことと、Flickrからのブログ投稿が簡単にできるからである。ラブログでも勿論手間さえかければFlickrの写真を投稿できるが、Bloggerの連携と比べれば苦痛でしかない。ラブログのAPI連携がペット以外にも出来るようになることを願わずにはいられない。「Amehare's Photos」と名付けた写真ブログ、暇なときにでも覗きに来てくれると嬉しいです。(調子づいてバナーまで作成しました 笑)
家のPCでは写真管理をGoogleのPicasa2で行っている。Picasa2も無料であることを考えれば素晴らしいソフトだと思うが、Flickr連携を考えれば不足面が幾つかある。Picasa2からFlickrに投稿する場合、FLickrから投稿用メールアドレスを取得し、Piacasa2のメール送信機能(僕の場合Gmailを使っています)を使って当該メールアドレスに送信することになる。しかし、Picasa2のメール送信機能はあくまで簡易版なのでアドレス機能を持っていない(注を参照)。よって毎回打ち込むことになる。それが嫌なので通常はFlickrが提供しているUpload Toolを使う。
またPicasa2からBloggerにむけて写真投稿も可能である。しかしこれも今のところ投稿する写真の大きさが固定されているので一度も使ったことがない。帯に短きたすきに長しである。
注)GmailをPicasa2に利用メールとして利用する時、GmailにFlickrの投稿用アドレスを登録すれば最初の人文字を入力したとき自動的にメールアドレスが表示される。例えばGmailに名前として「Flickr」を登録すれば、「F」を入力すれば投稿用アドレスがアドレス候補として表示される。そのことに後になって気が付いた。よってPicasaからFlickrへの写真投稿は十分に使えそうである。誤った記事を載せて申し訳ありませんでした。
その場合Picasaのオプションにて出力サイズの確認はしておいた方が無難だと思う。(確かディフォルト設定は画像サイズが小さい)
最近知ったが、Flickrのテーマソングがあった。ハードロック系、その系の音楽が好きな人は気に入ると思う。
参考)Flickr遊び関連サイト(全てWindows中心で参照しています)
1)Flickr Logo Maker:Flickr風のロゴを造ってくれる。造ってみたが文字列をダウンロードしても1文字しか表示しない。コツがあるのかもしれない。
2)FlickrFling:CNN、WiredNews等のサイトの文字からイメージする写真をFlickrから持ってくる。
3)loopy:Flickrの写真を使ったスクリーンセイバー。同じ内容のソフトとして他には「Slickr」がある。
4)Flickeur:Flickrの写真を使ってビデオクリップをつくり表示するサイト。音楽はPhilipGlass風でモダンなビデオクリップを表示すると言えば持ち上げすぎかも。発想は面白いけど、僕は一度見れば十分(笑。
5)Findr :Flickr投稿写真ブラウザー。一度使ってみて欲しいがとても美しい。お奨めは「Enter initial Tag」に「Flower」。アイコン化した99枚の花の写真を色別に表示する。見ているだけでも楽しめる。
6)Clockr:Flickrの写真を使ったデジタル時計
7)Retrievr :これも面白い。自分が描いたイメージにあった写真を表示する。遊べます。
8)captions:写真にキャプションを挿入する。
9)Flickrmap:世界地図にFlickr投稿写真をあてはめている。地域別のブラウザー。
10)Flickr Graph:繋がり(コンタクト)を視覚的に表示する。
11)flickrfox:Firefoxの拡張機能、サイドバーにFlickrの写真を表示する。僕も組み込んでいる。
12)Flickr Toys:様々な遊び道具が満載のサイト
13)Flickr Related Tag Browser: Findrとはインターフェースが違うブラウザーだが、これも写真を探すのが面白くなるツールだと思う。
14)flickrlicio:よくわからないが、昔の女性ピンアップとそれに似ている女性の写真を表示するサイト。このサイトはFlickrの本質を露骨に表現していると僕は思う。
15)E-Mail Icon Generator:各種Webメールのアイコンを作成してくれる。Flickrとは関係ないけど面白いので載せます。(本家のサーバが閉じられている??様に見えたので、米国の「all about」から。
知っているサイトも多いと思う。出来ればFlickrを利用する人が多くなればと思っている。
追加参考
上記Flickr関連の情報は、「del.icio.us」から得ている。使われている方も多いと思うが、各種情報収集に最適だと思う。
木を撮ると言うこと
僕はおそらく人の代わりに木を撮している。だから僕が撮した木々の写真には人の姿を感じられるものが多いことだろう。この写真は枝の伐採の行為と切り取られた後が瞳に見える二重の意味で人を感じることが出来た。
写真を「撮る」と言うことは、「取る」に繋がるように思う。何から何に取るのか。それはまずは被写体の物語を自分の物語にずらすことから始まる。写真に撮られた姿は、被写体本来の物語を語りはしない。そう見えるかもしれないが、それはあくまで僕の世界に組み込まれた物語なのだ。被写体は抵抗も対話もなく突然に自分の主体をはぎ取られる。そう取ったのは、被写体の主体なのだと僕は思う。
写真を「撮る」と言うことは、「取る」に繋がるように思う。何から何に取るのか。それはまずは被写体の物語を自分の物語にずらすことから始まる。写真に撮られた姿は、被写体本来の物語を語りはしない。そう見えるかもしれないが、それはあくまで僕の世界に組み込まれた物語なのだ。被写体は抵抗も対話もなく突然に自分の主体をはぎ取られる。そう取ったのは、被写体の主体なのだと僕は思う。
だからこそ僕は人にカメラを向けることが出来ない。木々であれば、花であれば、猫などの動物であれば、山などの風景であれば、人とは交渉すべき術を持たないが故に、僕は彼らの世界に侵攻することが出来るのである。
2006/02/07
夜、猫なで声に誘われる
昨夜天気予報通りに雪が降り始めた。雨混じりの雪は地面に落ちる毎にびちゃびちゃと音が聞こえてきそうだった。雪が降っていると気が付いたのは猫の鳴き声からだった。見ると僕がレオカノと呼んでいる雌猫が家の塀の上から窓に向かって鳴いていた。レオカノは身体の芯から寒いらしく、丸くなって、小さい身体がさらに小さく見えた。
普段も時折塀の上から家の中をのぞき込んで鳴くこともあったが、餌が欲しいのか入れて欲しいのかはわからないけど、無視することが多かった。それにレオカノはかわいらしい鈴が付いた赤い首輪をしていたので、てっきり家の近くで誰かに飼われていると思っていた。でもどうも捨てられていたらしい。裏の家が引っ越しをして、空き地も含めて、そこに数軒の家が新築されたが、引っ越しの際に置いてきぼりをされてしまったようなのである。
そのレオカノが雪の降る中塀の上でじっとして鳴いている。思わず窓を開けて話しかける。突然に窓が開いただろうか、レオカノはびっくりして僕の顔を眺める。間近でレオカノを見るのは初めてだった。よく見ると小顔で目が丸く可愛い、それに目鼻立ちもはっきりとしている、美人である。寒いから入って、と手を差し伸べるが、どうも警戒心が強い。手を伸ばす毎にレオカノは遠くに移動する。そしてそこで鳴くのである。
猫なで声とはよく言ったものだ。猫なで声に反応する人としない人の2種類に分けるとすれば間違いなく僕は反応する方である(人の猫なで声には案外強い、そう自分では思っている・・・笑)。あの声で雪の中鳴き続けられるとつらい。何度も声をかける。時は深夜、まわりは静かである。その中で男が猫なで声に合わせて会話している様は異様な空間かもしれない。
結局レオカノは家には入らなかった。しばらく鳴いてそれから塀をつたって奥の方に消えていった。先程レオカノの鳴き声を聞いた。どうやら昨晩を乗り切ったらしい。
猫毛は細くて柔らかな毛を指して呼ぶが、ジュニアの毛は典型的な猫毛である。行方不明のレオは猫毛には程遠いほど堅く太かった。つまり猫毛ならぬ犬毛?である。レオカノも毛は触ってはいないが見た目は犬毛に近い。ああいう毛の猫は寒さに強いのかもしれない、などと根拠もなくそう思っている。
普段も時折塀の上から家の中をのぞき込んで鳴くこともあったが、餌が欲しいのか入れて欲しいのかはわからないけど、無視することが多かった。それにレオカノはかわいらしい鈴が付いた赤い首輪をしていたので、てっきり家の近くで誰かに飼われていると思っていた。でもどうも捨てられていたらしい。裏の家が引っ越しをして、空き地も含めて、そこに数軒の家が新築されたが、引っ越しの際に置いてきぼりをされてしまったようなのである。
そのレオカノが雪の降る中塀の上でじっとして鳴いている。思わず窓を開けて話しかける。突然に窓が開いただろうか、レオカノはびっくりして僕の顔を眺める。間近でレオカノを見るのは初めてだった。よく見ると小顔で目が丸く可愛い、それに目鼻立ちもはっきりとしている、美人である。寒いから入って、と手を差し伸べるが、どうも警戒心が強い。手を伸ばす毎にレオカノは遠くに移動する。そしてそこで鳴くのである。
猫なで声とはよく言ったものだ。猫なで声に反応する人としない人の2種類に分けるとすれば間違いなく僕は反応する方である(人の猫なで声には案外強い、そう自分では思っている・・・笑)。あの声で雪の中鳴き続けられるとつらい。何度も声をかける。時は深夜、まわりは静かである。その中で男が猫なで声に合わせて会話している様は異様な空間かもしれない。
結局レオカノは家には入らなかった。しばらく鳴いてそれから塀をつたって奥の方に消えていった。先程レオカノの鳴き声を聞いた。どうやら昨晩を乗り切ったらしい。
猫毛は細くて柔らかな毛を指して呼ぶが、ジュニアの毛は典型的な猫毛である。行方不明のレオは猫毛には程遠いほど堅く太かった。つまり猫毛ならぬ犬毛?である。レオカノも毛は触ってはいないが見た目は犬毛に近い。ああいう毛の猫は寒さに強いのかもしれない、などと根拠もなくそう思っている。
2006/02/06
ロッテ「のど飴」の包装紙で紙飛行機を作って遊ぶ
のど飴は何処の製品が良いか?僕の場合はロッテ「のど飴」となるが別に拘っているわけではない。でも何も考えずに手を伸ばし掴んだ商品がロッテ「のど飴」になる場合が多い。
でも本記事は「のど飴」の好みを書いているわけではない。(笑)
今日、ロッテ「のど飴」を舐めていたら、包装紙が気になった。ガムであれば後でゴミとして処理するときに包装紙を利用するが、飴の包装紙は単なる紙くずとして捨てることになる。手先が器用な人はそれで鶴などを折ったりするのだろう、でも僕は人に誇れるほど不器用なのである。
長さを測ったら、5cm×5.5cmであった。ほぼ正方形の形である。友人に言わせると正方形で作る紙飛行機は飛ばないのだそうだ。それは(彼が言うのには)航空力学的に難しいらしい。本当かどうかは物理に無学な僕にはわからない。では紙飛行機を作ってみようと思い至った。昔から紙が在れば紙飛行機を作ってきた。手遊びとして癖になっているくらいである。紙飛行機といっても奥が深い。様々な折り方がある。一般的な折り方は、基本形と呼ばれる「へそ型」、あとは「つばめ」と「いか」がある。僕は昔からへそ改良型を作っている。
で、造ってみた。全く飛ばない。きりもみ状態で目の前を落ち葉のように落ちていく。これを飛ぶとは決して言わない。正方形に近いので「へそ」が出来ないのが理由だが、つまりは頭が軽すぎるのだ。飛行機は空気の流れを翼が利用して揚力を得ている。きりもみ状態になるというのは空気の流れを上手く利用できていないからではないか、などといっぱしの紙飛行機専門家のように考える。
何度も作り直しては試験飛行を繰り返す。徐々に飛んでいく感じが意欲をかき立てる。
最終的にできあがった飛行機は、機体を左右にフワフワと揺すりながら約3m程飛んだ。たかが3mされど3mである。それでも飛んでいるのである。勿論室内専用機になるが、たいした飛行機である。僕はその偉い1号機を「へそ1号」と命名した。2号機はその改良機である。これはさらに美しく飛ぶ。「へそ2号機W型改」と名付ける。
「へそ1号機」
実際にはへそはない
ジュラルミン風の機体にスポンサーであるロッテの文字が渋く光る(笑)
「へそ2号機W型改」
これも実際はへそがない
Wに折っているのでW型とした。白い翼が美しい(笑)
後で知ったが、一枚の紙で切らずに糊も使わずに造る飛行機を、折り紙飛行機と言うそうだ。何回か紙飛行機の作り方を覚えたくてネットで調べてはいるが気が付かなかった。
(参考)折り紙飛行機の作り方が載っているサイト
折り紙飛行機のホームページ
紙飛行機の作り方(折り紙)
でも本記事は「のど飴」の好みを書いているわけではない。(笑)
今日、ロッテ「のど飴」を舐めていたら、包装紙が気になった。ガムであれば後でゴミとして処理するときに包装紙を利用するが、飴の包装紙は単なる紙くずとして捨てることになる。手先が器用な人はそれで鶴などを折ったりするのだろう、でも僕は人に誇れるほど不器用なのである。
長さを測ったら、5cm×5.5cmであった。ほぼ正方形の形である。友人に言わせると正方形で作る紙飛行機は飛ばないのだそうだ。それは(彼が言うのには)航空力学的に難しいらしい。本当かどうかは物理に無学な僕にはわからない。では紙飛行機を作ってみようと思い至った。昔から紙が在れば紙飛行機を作ってきた。手遊びとして癖になっているくらいである。紙飛行機といっても奥が深い。様々な折り方がある。一般的な折り方は、基本形と呼ばれる「へそ型」、あとは「つばめ」と「いか」がある。僕は昔からへそ改良型を作っている。
で、造ってみた。全く飛ばない。きりもみ状態で目の前を落ち葉のように落ちていく。これを飛ぶとは決して言わない。正方形に近いので「へそ」が出来ないのが理由だが、つまりは頭が軽すぎるのだ。飛行機は空気の流れを翼が利用して揚力を得ている。きりもみ状態になるというのは空気の流れを上手く利用できていないからではないか、などといっぱしの紙飛行機専門家のように考える。
何度も作り直しては試験飛行を繰り返す。徐々に飛んでいく感じが意欲をかき立てる。
最終的にできあがった飛行機は、機体を左右にフワフワと揺すりながら約3m程飛んだ。たかが3mされど3mである。それでも飛んでいるのである。勿論室内専用機になるが、たいした飛行機である。僕はその偉い1号機を「へそ1号」と命名した。2号機はその改良機である。これはさらに美しく飛ぶ。「へそ2号機W型改」と名付ける。
「へそ1号機」
実際にはへそはない
ジュラルミン風の機体にスポンサーであるロッテの文字が渋く光る(笑)
「へそ2号機W型改」
これも実際はへそがない
Wに折っているのでW型とした。白い翼が美しい(笑)
後で知ったが、一枚の紙で切らずに糊も使わずに造る飛行機を、折り紙飛行機と言うそうだ。何回か紙飛行機の作り方を覚えたくてネットで調べてはいるが気が付かなかった。
(参考)折り紙飛行機の作り方が載っているサイト
折り紙飛行機のホームページ
紙飛行機の作り方(折り紙)
2006/02/05
2006/02/03
「紐しおり」愚考
紐しおりについて気にし始めたのはつい最近のことだ。書籍に紐しおりが付いていることは僕にとっては至極当たり前のことだったし、ないことのほうに馴れていなかった。でも数年前から徐々にだが付いていない方が多くなってきているように思える。本を読み始めた時、その本を中断した時に思わず手で紐しおりを探してしまう、そんな所作が多くなってきた事で逆に紐しおりの事を意識し始めたという事だ。
僕の読書は図書館に委ねるところが大きい。新刊で書籍を購入すれば紐しおりが付いていない書籍でも紙のしおりが本にはさまっていることだろう。でも図書館から借りる本にはそういうものは大概ないのである。
意識はしていなかったが、現在、文庫本で紐しおりが付いているのは新潮文庫だけらしい。サイト「ほぼ日刊イトイ新聞 新潮文庫のささやかな秘密」を読むと、今後も新潮文庫は紐しおりを付け続ける宣言をされている。記事の中で新潮文庫担当者は紐しおりについて次の事を言っていた。
1)読書に非常に便利であること
2)書籍であれば紐しおりがつくのは当然であること
しかし紐しおりのコストが1本あたり10円とは知らなかった。以外に高いと思ったけど、確かに紐を付ける手間を考えると妥当なのかもしれない。
最近図書館で手にした本に西成彦氏の「耳の悦楽」がある。この本はクレオールからのラフカディオ・ハーンと女性をテーマにした評論で美しい装丁が施されている。しかし僕がこの本で気に入ったのは紐しおりが幅広で腰も適度にあり長さも色も適当で美しかったことだった。紐しおりが美しいと感じたことはそれまでは一度もなかったが、この本によって紐しおりの事がさらに気になったのも事実である。
これは想像だが、おそらく装丁家からしてみれば紐しおりはデザイン上において考慮に入れたくないのではないだろうか。そんな気がしている。本棚に背表紙を見せて並んでいる書籍の下からだらりと垂れ下がる紐は決して美しいものではない。それは使い古されて細く、さらに先端が解れていたりすればなおさらであろう。それに一個の完結した書籍の形から、尻尾のようにはみ出す紐をデザインに組み込んで考えること自体なにかしら抵抗があるようにも思えてくる。
誰が最初に書籍に紐しおりを付けたのであろうか?残念ながら色々と調べてみたが、その記録を見つけることが出来なかった。しおりの歴史は書籍の歴史と重なることだろう。でもグーテンベルグ以前も以後の長い期間も、装丁家が意匠をもって創造した書籍に、紐しおりが付いているとも思えないのである。書見台で読む大きく重たい書籍に紐しおりは似合わないと思うのだ。
紐しおりが付き始めたのは、多分機械による大量出版が可能となった時期以降のように思える。つまり書籍が一般に個人の所有となってからの話だと思うのである。一冊の本が、例えば高価で希少性がある時、個人所有でなく複数の人によって読まれるとき、紐しおりは逆に混乱を招くおそれが出てくる。つまり紐がある箇所が、読んだ人により常に移動することになってしまうからである。その際は誰それと名前を書いた紙のしおりを挟む方が合理的だと思う。紐しおりは機械化と書籍が個人としてのプライベートな所有物になって初めて便利な機能になると思うのである。
これも想像だが、紐しおりを最初に考案したのは日本以外としても、紐しおりを書籍にこれほど付けている国は日本くらいではないだろうか。
ご存じの通りに、紐しおりの有無は書籍の機能として致命的ではない。コストもかかるし、多分装丁家にとっても余計な部品だと思う。
紐しおりは単に本の個人利用における利便性向上を目的に設けられたサービス品で、どちらかといえばオプション品に近い存在だと思う。書籍販売において他社機能との差別化のためにどこかが付け始めた結果全社が付けるようになった、そういう感じで紐しおりは広まっていったのではないだろうか。この状況は例えば携帯電話とかデジカメ等の機能追加の状況に似ている。そしてこういう状況を造り出すのが日本は得意である。
ちなみに利用する図書館が所蔵する日本以外の書籍について調べてみた。結果は数千冊あるなかで紐しおりが付いていたのは僅か4冊であった。圧倒的に日本の書籍の方が紐しおりが付いていた。下方に写真を掲載する。付いているのは僅かながら、どれも堂々とした(笑)紐しおりであった。
新潮社担当者は書籍であれば紐しおりが付くのは当然と言っていたが、こうやって考えれば紐しおりは書籍の歴史から観ると、特定の期間の特定の国で広まったサービスと言えるのかもしれない。こんなことを書いている僕も実は紐しおり派である。
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