2012/04/10

ドアノー写真展1回目

東京写真美術館にて開催しているドアノー回顧展に行ってきた。おそらく何回か行くことになりそうな回顧展であるが、ドアノーに自分が何を得たいのかがよくわからない。今となっては普通の写真にしか見えない。それでも一回見ただけでは何もわからないのかもしれない。では何回鑑賞すればドアノーの写真がわかるのだろうか。結局のところ何らかの意味を無理矢理に見つけて一人合点をするだけではなかろうか。そんなことを思いながら混雑した館内を歩き回る。結局の所、じっくりと写真を観るどころではない。僕の心は落ち着きを失い、この場を早く立ち去りたい気持ちに駆られたのだ。さらに言えば写真を美術館に飾られている絵画のように鑑賞することに違和感を持っている自分に気がついた。以前からその様な気持ちを多少持っているのはわかっていたがドアノーの写真には特に強くそれを感じた。これらの写真は美術館には似合わない。僕はそう思ったのだ。美術館という一つの権威から与えられたものを見に行くという感覚もその思いに影響を与えているのかも知れない。確かにドアノーのキスの写真は好きだ。それが演出であることを知ってからは余計に好きになった。そうなのだこの感覚は、この落ち着きのなさは、美術館に写真を観る際に感じるいつものことなのだ。今回だけが問題ではないのだ。おそらく二回三回と見に行く毎にその感覚は薄れて行くに違いない。そうそれもいつものこと。

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