2012/04/10

NHK コズミックフロント「私たちは火星人!?」

米カリフォルニア工科大学のカーシュビンク教授は私たち地球生命は火星から来たとする仮説を展開している。おおよそ40億年前、火星には海と大陸があり生命が誕生する条件が揃っていた。逆に地球は海に覆われ大陸はなく生命が生まれる条件は殆どなかったという。それでは地球生命は何処で生まれたというのだろう。それをカーシュビンク教授は火星だと言うのだ。仮に火星だとして、地球にまで到来するには三つのハードルがある。一つ目は地球にかかる時間。二つ目は宇宙に飛び交う放射線の問題。そして三つ目が地球に突入する際に発生する熱である。番組ではそれら三つの壁が致命的ではないと告げる。カーシュビンク教授は番組最後でこう語る。「私たちは一体どこから来たのか。その謎を知りたい」と。確かにカーシュビンク教授は正しいのかも知れない。私たち地球生命はもしかすれば火星から隕石に乗って飛来したのかも知れない。それは突飛なことでも何でもない。生命は常に生きる道を模索する。植物の種子のようなものだ。南太平洋の孤島であっても生命はそこに辿り着きそして彼らの楽園を形成する。この説は確かに聞けばわくわくするし、第一面白い。でも、と思うのだ。

生命の増殖のしかたを逆にたどってみる。雌雄別々の生殖、雌雄同体での生殖、細胞分裂、化学反応。僕らの繋がりをたどっていけば大雑把にこのような段階を踏むのだと思う。そして大本にたどれば生命が何処からきたのかがわかるという考え。私は父と母の生殖行為の結果であり、その父と母も彼らの親たちの生殖行為の結果で、それらが面々と繋がっていくという考え。ある意味セックス至上主義的な考えのようなものだ。それが結果として不思議のように扱われるが、不思議なのはそんなことではない。多くの方々が言うところの、親がいて、そのまた親がいてという繋がりの果てに自分がいることの不思議さは、私という意識を持つ自分がここにいることの不思議さなのだと思う。問題なのは、どこかで二つの別々の問題が、言葉として一つになってしまっていることなのだ。

私たちはどこから来たのかと、私はどこから来たのかは問題として何もかもが違う。私たちはどこから来たのかの問題設定における回答はカーシュビンク教授の仮説で成り立つが、私の場合はそうではない。僕は、彼の仮説はとても面白いが生命誕生の場所が火星であっても地球であっても別に何処でも良いとさえ思う。


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