倉橋由美子さんの書籍で思い出すのは、「スミヤキストQの冒険」、「聖少女」、「暗い旅」、そして「アマノン国往還記」。とくに僕が面白いと思ったのは「アマノン国往還記」だった。
つい先週、図書館で久しぶりに倉橋さんの小説が読みたいと思い、倉橋さんの小説が並ぶ棚の前でしばし迷った。「スミヤキストQの冒険」を手に取り迷いながら、結局借りずに帰ってきた。今から思うと、なぜ急に倉橋さんの小説を読みたいなどと思ったのだろう。今日、帰宅してニュースで訃報を耳にすると、偶然とは言いながら少し気になった。
僕にとって倉橋由美子の小説は、変な言い方だが、小説らしい小説、それも飛び切りうまい小説、そんな印象をもっている。「アマノン国往還記」を始めて読んだとき、その筆力と構成力とに驚いて、日本にもこのような小説家がいたのかと喜んだのを覚えている。考えてみれば、それが始めての倉橋さんの小説との出会いであった。1986年の出版だから、今から約20年近い昔のことだ。
これまた変な例えかもしれないが、夏目漱石は「非人情」という言葉で、小説における作家の姿を書き表している。それは「不人情」ということでなく、漱石に言わせると、親が子供に対するがごとく、ということらしい。つまりは、子供がおもちゃが欲しいと泣いているとき、親は一緒に子供の気持ちになって泣かない、作家も物語の中で親が子供に対するがごとく小説を書くべきとの意味らしい。間違えているかもしれないが、僕はそんな感じに受け取っている。それと同じ精神を、漱石とは全く違う小説家である倉橋さんに重ねてしまう。
彼女のベストセラーとなった「大人のための残酷童話」では、物語は読み手の望むほうには決して流れない。それは童話から物語への変換であり、そのためには漱石の言うところの「非人情」が要素として必要だと思う。でも倉橋さんにとっては、あらためて考慮するまでもなく、それは物語作家として当然であり、だからこそ、あれらの作品は彼女にとって必然だったのだと思うのだ。
底が浅い追悼のブログ記事になってしまいましたが、倉橋さん、残していただいた作品に感謝します。
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