昔の事だが忘れられない話がある。会社有志でスキーに行く事になり、僕が幹事になったことがある。色々とスキー場はあるが、僕は自分の趣味から奥日光湯元スキー場に決めた。理由は簡単、冬の日光に行きたかったのだ。本当に我侭な幹事だと思う。自分のことしか考えていない。でも何故だか、その企画を友人達に言ったとき、反対は一人もいなかった。それも面白いんじゃないかと言うのだ。湯元スキー場は雪質が良いといわれていたので、それもあったのかもしれない。
というわけで、僕らは2月頃だと思うが、日光に向けて出発した。実の所、僕はスキー以外にもう一つ計画があった。それは一緒に行く友人達には話さなかったが、湯元から金精峠を越えて菅沼まで歩いてみるということだった。雪がなければ、湯元から菅沼までは観光用の有料道路があり、金精トンネルを抜ければすぐに菅沼だったので、そのイメージがあった僕は割と気楽に考えていた。
着いて翌日早朝に、友人達にちょっと金精峠に行ってくると言って出かけた。気持ちで言えば、本当に「ちょいと」という感じであった。でもそれは、有料道路を歩くといってもやはり冬山であって、雪が浅い場所でも膝くらいまでの深さを、汗をかきながら少しずつ進むといった状況であった。その日は朝から珍しく晴天で、それも行って見ようと言う気持ちにさせた理由の一つだが、一人の雪山を大いに楽しんだ。
金精トンネルの入り口に着いたとき。少し曇り始め、雪がちらほらと降り始めた。でもまだまだ視界はよく、そこから見下ろす冬の戦場ヶ原は、なんというか圧巻だった。また戦場ヶ原のむこうには中禅寺湖も見ることが出来、僕は一人その景色を楽しんだ。
金精トンネルは、雪が中に入り込まない様に、木製の大きな蓋のようなもので塞がれていたが、人が入る事が出来る程度の隙間があって、そこからトンネル内部に入る事が出来た。
トンネルを抜けるとすぐに菅沼だ。菅沼の静かな冬の情景を見ることが出来る。そんな気持ちで、僕はトンネルの中に入っていった。
トンネルの中は、蓋をしているとはいえ隙間が幾つもあり、入り口付近は案外明るかった。しかし、トンネルの出口のほうは全くの闇だった。ほんのり出口の明かりも見えないかと、僕は凝視したが、それは全く見ることが出来なかった。それでも別に構わないと、僕はトンネルの中へと歩いていった。折から、雪と風が激しくなりトンネルの蓋が細かな音を立てた。暫く歩いていると、だいぶ暗闇に目が慣れてきた。それでも出口らしき明かりは全く見えない。後ろを振り返ると入り口は小さく、ほのかな明かりとなっていた。歩く方向は闇であり、立ち止まって周りを見ると一人でやはり闇の中であった。
そのとき、前方に何体かの人影が見えた。えっと思い、目を凝らし見ると確かに人影がある。でもそんなはずはなかった。二月の封鎖された雪山のトンネルの中に、数人もしくは数十人の人がいるとは思えなかった。急に怖くなった。それは背筋から頭に突き抜ける悪寒と共に、さらに強まった。その人影は数体どころではなかった。数十という数で、微動だにせずそこに立ちつくしている。高さにして160から180cmくらい。僕は後ずさりし、そして来た道を戻ろうかと思い始める。でもそれ以上に、その正体が何かが気になった僕は、その人影に向かい歩いた。
それは氷の柱だった。トンネルの上部隙間から漏れ出した水分が下に落ち、それが瞬く間に氷って柱になったのだった。傍に行き、氷の柱を触る。気がつくと、僕が今まで歩いてきたところにも、周囲に何本も立っていた。気がつかずに傍を歩いてきていたのだった。風と雪がさらに激しくなってきたらしい。トンネルの蓋ががたがたと音を立ててゆれ始める。その時だった、僕は自分がこの闇の中に一人でいる事を強く実感したのだった。周囲には無言で立ち尽くす氷の柱。恐怖が僕を襲った。僕はトンネルの入り口に向かい走った。
トンネルを出ると激しい吹雪だった。風が強い。暫くはトンネルの中にいた方が良いかもしれないと少し思ったが、僕はトンネルの中に入りたくはなかった。そこは幽霊達のいる場所で、人がいてはいけない場所、そんな気がしたのだった。とにかくこの場から立ち去りたかった。だから、迷わず有料道路を湯元に向かって歩いた。来るときは楽しかった景色は、雪に覆われた木々があたかも僕を襲うかのように思えた。僕は、まさしく転がる様に、みっともなく、汗でドロドロになってスキー場にたどり着いたのだった。
スキー場で楽しく談笑している友人の一人が、とぼとぼと歩いている僕を見つけ、顔が真っ青だといったが、僕はただ笑うしかなかった。
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