コネスールというシガー専門店及びシガーバーのサイトにある、シガー好きの方々の文章が面白い。そのなかから幾つか引用して感想をメモしたい。
(以下の文章は全てここにあります)
『ところで、「ハバナシガー」とは言うけれど、なぜ「キューバシガー」とは言わないのだろう。それは、最高級シガーの原料となる葉たばこは、ハバナ市の西側にあるごく限られた地域でしか産しないため、あえて「ハバナシガー」と呼ぶのだ。
経済制裁によってキューバからシガーを輸入できなくなったアメリカ人は、プエルトリコやフロリダなどで、ハバナシガーと同じ葉たばこの種子や耕作方法を取り入れ、キューバ出身の職人にシガーを巻かせている。それでも、ハバナシガーの品質、特にシガーの根本といわれる「香り」には、いまだに到達できずにいる。理由は簡単で、葉たばこを育てる土壌が微妙に違うからだ。』(北方謙三氏)
北方謙三さんの文章で情けない事に初めてハバナ産とキューバ産の違いがわかった。
タバコは植物なので土壌の違いはその味に大きく影響するのは間違い無い。お茶などが好きな方は土壌の違いによる紅茶の違いを実感できると思う。それと同じ事がシガーにもいえる。パイプ・シガレットの場合、刻み方とか熟成の仕方とか、もしくは別のフレーバーを加えたり、ブレンドすることで、味を整える事ができる。整えるといっても、それはそれでとても難しい事ではあるが、ただシガーほどには、植物としてのタバコの葉のもつ個性を強く求めるというわけでもないと思う。でもハバナ産は高い。ハバナ産と銘打っているだけで価格は倍以上違ってくる。
『人間は火に対して、激しさ・静けさ・妖しさなどを感じてきました。少し大げさに言えば、火は、宇宙的な象徴として人々の心に深く入り込んでいるようです。喫煙という行為が今日まで続いてきた根源には、この火に対する信仰にも似た想いが深く横たわっているのかもしれません。「煙」「香り」「味」からなるたばこは、嗜好品として最高だと思います。この中のどの1つが欠けてもたばこは旨くありません。そして、これらは、人間の感覚、すなわち五感を楽しく刺激するところに妙味があります。』(藤本義一氏)
藤本さんのこの説に僕はかなり同意する。かつてインディアン達がタバコを儀式に使ったのは、「火」を受け渡すという意味、もしくは「火」そのものを体内に沁みこませる、という意味合いがあるように思う。逆にいえば、現在の自動販売機などで売られているタバコは、そういう儀式的なものを割愛し過ぎている様に思える。あれらのタバコは、産業革命以後の近代に合った規格化された工業製品だと思うし、タバコを吸うというよりも、もっと受動的なもののような感じをもつ。でも本来タバコというのは、自らその世界に入り、そこで遊ぶというような、能動的なものと思っている。タバコに遊びを求めるとしたら、多分シガーとかパイプとかにこだわらないと出来なくなっているが、それらを遊ぶには時間的な余裕とか空間がないのも事実かもしれない。
『シガーを吸いながら頭に浮かぶのは、昔の旅のことでもなければ、この先の旅のことでもありません。今の生活のことでもない。まったく関係のない“何か”が、ぼんやりと浮かんでは消える。それが優雅で心地いい。』(ロバート・ハリス)
ロバート・ハリスさんの言う事もよくわかる。その通りなのだ。頭に浮かぶ「何か」がとても心地良い。吐き出した紫煙の行方を目で追う。それは形を保ちながら暫く漂うが、そのうちに拡散して靄のようになる。頭に浮かぶ「何か」も同じようなものだ。
そういえば、今日渋谷のタバコ屋でオランダのシガーを買ってきた。「CAFE CREME」というミニシガーなのだが、ジョニーディップがミニシガー美味しそうに吸っていたので、一度短いのも吸ってみようと、彼と同じ銘柄ではないが安いので買ってきた。香りと味が少々淡白。それに短いので、煙が熱く、味わう感じになれない。この長さは、この長さなりの吸い方があるのかもしれない。そんな事を思った。でもパッケージデザインは現代的で好感を持った。
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