2005/06/20

バットマン・リターンズ、見終わった直後の感想

バットマン・ビギンズ」を見てきた。何故今バットマンなのかは別にして、バットマン好きの僕としては見なくてはいけない。それに大変におもしろい映画だった。展開も早いし、あのバットマンの世界観も現代的にアレンジされているとはいえ、十分に醸し出している。従来はゴッサムシティという都市世界を描く事がバットマンを描く事でもあったのに対し、今回のビギンズは、バットマンであるブルース・ウェイン個人を描く方にさらにシフトした感じがする。そして、その点においては成功したかもしれない。少なくとも僕の中では、バットマン映画として過去の作品と較べても上位にランクする内容だった。

ただ、ビキンズはスターウォーズのエピソード1から3へのダースヴェーダ誕生までの物語と重なって仕方が無かった。少なくとも僕にとって、バットマンの作り方は、ダースヴェーダーの作り方と同じだったし、しかもバットマンが武道を学ぶ師匠としてリーアム・ニーソンが登場する事から、さらにそれは強まったのも事実だった。それはアナキン・スカイウォーカーを見出したクワイ=ガン・ジン(同じくリーアム・ニーソン)と重なる。なぜ、ダースヴェーダーとバットマンが重なるのかよくわからない。たんに見え方としてのコスチュームが似ているからとかというのでなく、大元の所で両者は似ているような気がするのだ。

ビギンズでは「正義」という言葉が多く語られるが、それはこの映画におけるゴッサムシティでの概念であって、観客が映画に没頭する事が出来る「わかりやすさ」があればそれでいい内容である。映画が終わり、観客達が連れ立った友人達と早速に始める、映画の「つっこみどころ」は、映画への没頭に対する逆作用と考えれば、その量の多さは映画の成功を現しているのかもしれない。そう、この映画は突込み所満載だった。ただ、僕はその点も含めて楽しむ事が出来た。

「正義」だとかゴッサムシティの「都市論」だとかは、この映画では無縁だと僕は思う。単純に思う事は、ビギンズは「父性」について考えさせられる映画だということだ。それはダースヴェーダーが「母性」に関することと対照的でもある。ビギンズでは、主に父親の事が語られ、一緒に暴漢に合い殺された母親の事は殆ど出てこない。バットマンを鍛えるリーアム・ニーソン、見捨てることなく愛情を注ぐ執事マイケル・ケイン、彼に知性を授けるモーガン・フリーマン。彼らは、それぞれに父親の一つの姿を現しているかのようだ。しかも、少年時代に井戸に落ちた逸話は、オスライオンが我が子を谷底に落とす逸話と同じだ。

父親を喚起するイメージが多く登場するビギンズは、それが多く登場するがゆえに、逆に「父親の不在」が前面にでていると思う。
「何故井戸に落ちた」
「這い上がるためだ」

何故今バットマンなのか、それは商業的にはスターウォーズの最後の作品公開前という思惑があったことだろう。スターウォーズとこの映画は、僕にとっては完全に競合する。スターウォーズはダースヴェーダーが誕生し、ビギンズはバットマンが誕生する。それぞれの誕生が何を現すのか僕にはわからないが、ただ両者とも面白い映画であることは間違いなさそうだ。次はいよいよスターウォーズである。

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