2006/12/11
駒沢公園の紅葉
駒沢公園の紅葉が終わりを迎えようとしている。トウカエデの多くは、その葉を朱に染めることなく散り始めた。それでも何本かは葉の先端が朱色に染まる姿を見せ、緑と黄色、そして朱色の混じった美しさを見せてくれる。
公園にはイロハモミジもしくはオオモミジは少ない。イロハモミジはトウカエデと較べ紅葉する温湿度の境界が低いようだ。彼らは美しい紅の色を誇るかのように、見事な姿を惜しげもなくさらしている。しかし、どうだろう、他の土地のイロハモミジと較べて、少し黒い様にも思える。
何故に彼らは紅葉するのだろう。その問いは昔から持っている。答えとして、葉緑素がどうかとか、化学変化を中心とした仕組みとか、そういう事ではなく。彼ら、つまりカエデは何故赤く、イチョウは黄色く、その他の全ての紅葉する植物はそれぞれの色で、紅葉するのかと言う質問なのである。
その質問は、何故世界は多様性に満ちているのか、という問いかけと同種だし、そして損得を中心とした考えでは答えることが出来ないように思える。多様性とは外部の事であり、多様な外部への表象の為に、器官などの内部が機能するとすれば、生命とは表象そのものとは言えないだろうか。そう考えると、カエデ等が紅葉するのは、世界に表象するため、という思いが浮かんでくる。
無論、紅葉は人間のためだけではない。「美醜」の概念は人間にとっては恣意的だと思うが、世界に投じられた人間が、表象的な世界の中で「美醜」の概念を形成したとすれば、ある意味、人間の「美醜」を含む「審美的価値」の成立にカエデの紅葉が、一翼を担っていたともいえる。
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