2006/12/20

新宿 照明器具販売店




どうも自分が気に入った写真というのは、他の人からは大したことがない様に感じられるようだ。根拠としてはFlickrのVIEW数なのだから、根拠がないと言えばそうなのだけど、これは自分の他の写真と較べての経験則から来る実感なので、当たらずといえども遠からずだろう。

この写真も気に入っている。最近、カメラを向ける対象が光りと色彩の多い方に偏ってしまう。やはり写真も様々な光と色だろうと思うからである。

できれば、被写体深度が浅いレンズが一本有れば、もっと自分のイメージに近い画像が得られると思うが、無い物ねだりは無意味な事だと思う。それぞれに今ある環境で行うしかないのは何事にも言えることだ。

ただ、僕の思考の中では、この写真はもっと違う。もともとこの写真を撮る際に持ったイメージ、こう撮りたい、があって、それと較べてみるとやはり違う。(写真は人に見られるためにあるのは間違いないと思う。僕のイメージ通りであれば、もっと多くの人に見てもらえたかもしれない。)

カメラが表象の世界を有り体に写すしかないのであれば、僕はこれほどにカメラに熱中することはなかった。逆に、カメラは世界の表象と僕の精神を繋ぐ事が出来る道具だと思えばこそ、できれば、結果的に表象を出力するのであっても、どちらかといえばより精神的な方に偏っていて欲しいと願うし、そういう写真を撮りたいと思うのである。

勿論、僕の精神が表象することはない。さらに上記のカメラに抱く願いも幻想に近いことかも知れない。ただ、例えば、美しさの意味を知らなくても、それを指し示すことが出来るように。哀しみの意味を言葉で伝えることが出来なくても、それを指し示すことが出来るように。僕の精神の僅かな一片でも、写真で指し示すことが出来たらと思うのである。

指し示すことに、どのくらいの意味があるのか、僕には解らない。ただ多様な世界の多様な人々の中の私の多様を知ることが、人間の複数性を知ることに繋がると思うこと、そして各々がその一助を行うことで、世界は少しずつ良くなるような、そんな気がしている。

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