2006/12/16

写真に撮されると言うこと




誠に勝手な話だが、僕は撮されるのが苦手だ。だから出来れば撮す方に回りたい。カメラを構える人に、おそらく同様の意識を持ち方も多いかも知れない。いわば、酒を飲みたくないが故に、酒を人につぐということと同義だと思う。

カメラを向けられると、所在のなさに、落ち着かない。いわば、自分の思考の世界に退き安住しているのに、強制的に内容もわからぬ舞台にいきなり放り込まれたような、そんな気分。台本があり、自分の役割が明確であれば落ち着くことも出きるのだろうが、それさえもない。そして、カメラを構えいる観客、その目を意識する。

一番良いのは、観客であるカメラを構える人を無視すればよい。自分の舞台をあくまで崩すことなく、その中で自分を演出する。丁度この写真の、花屋の主人のように。

でもどうしてもカメラを向けられると意識が過剰となる。こればかりはどうしようもない。だから、カメラを向けられる嫌気もわかる。しかし、カメラを構えると人を撮りたい衝動に駆られ、そしてその衝動に負けてしまうのである。誠に勝手な話だ。

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