本でも映画でも美術でも何でも僕にとっての刺激を与える事物に接しよう。感性というのは外からの刺激によって培われるものなのだ。でも最近仕事ばかりで家に帰っても刺激を受けることが少ない。仕事で感じることはたかが知れている。結局仕事の世界は狭いのだ。そんなこと分かっているが、家に帰るとぐったりで何かを得ようとする気力が保てない。いやいや言い訳は言うまい。仕事に関わる時間を意識的に少しだけ減らそう。少し自分のために力を残しておこう。僕にとって今まで考えもしなかったことに目を向けるのだ。
2012/04/30
2012/04/26
インカ展にて
「遠くへ、もっと遠くへ」の気持ちは僕にとっては根源的なものだ。確かにこの気持ちを分析し様々な要因に分解は可能だろう。しかしそれら要因を確認したところで何故この気持ちなのかが分かるわけでもない。「遠くへ」の気持ちは距離だけではなく時間だけでもない。もっと重要なのは何処から来たのかと言うことだ。「遠くへ」を感じるためには自分が何処にいたのかを知っていなければならない。そして「何処」とは面でも点でも時間だけでもないのだ。それは私のことだし、だから記憶とか社交とかも密接に絡んでいるように思う。
マチュピチュに感じるものは、「遠くに」が具現化したイメージとしてそこに在ると言うことだ。正直に言えば僕は南米とかインカの歴史とかに強い興味を持っているわけでもない。おそらくマチュピチュを撮した写真、大抵は決まった位置から撮されたあの写真、が僕にマチュピチュのイメージを植え付けさせたのは間違いない。その写真にはマチュピチュを眼下に望みながらその先に烏帽子の様な山が写っている。無論マチュピチュの石造りの遺跡には人は誰も写っていない。それは高い山の頂に人知れず残された廃墟であり、未だ多くの人が足を踏み入れていない、つまりは観光化されていない清々とした空気が立ちこめる聖地のような場所で、辿り着くには徒歩で数日かかるようなそんな場所のイメージだった。
無論、今時世界にその様な場所があるとは思えない。あるとすれば辿り着くのに何らかの技術を必要とする様な場所、例えばヒマラヤの山々とか厳冬の南極・北極とかそんな限られた場所なのかもしれない。ただ僕がマチュピチュへの思いを正直に(恥ずかしくもなく)語るとすればそんなイメージが根底にあると思うのだ。
でも一つだけ言えるとすれば、マチュピチュは確かに日本から距離的に相当離れていると言うことで、そこに行くには技術以前に行きたいという意思を持っていなければならないと言うことだろう。そしてその意思は、少なくとも僕にとっては、写真から受けて勝手に造り上げたイメージだけでは持続しないと言うことだ。それに「遠くへ、もっと遠くへ」という気持ちは、マチュピチュによって具現化されているのかも知れないが、現実のマチュピチュに辿り着いたとしても満たされることはない。それはわかっている。ただマチュピチュに辿り着いた時点から、そこを起点とした新たな「遠くへ」という気持ちが沸き上がればそれで良いと思う。
旅とは単に事前に仕入れた知識を確認するための活動ではない。事前に仕入れた知識が全く役にたたないことを知るための活動なのだと思う。そして感覚から受ける新たなる何かを感じることが出来ればそれに越したことはない。だから、そのためには行きたい場所に、それが自分勝手なイメージからの出発であったとしても、ワクワクしながら辿り着くべき場所を目指すべきなのだと僕は思う。
※マチュピチュのことを例に出しながらも、日本にもまだまだ行きたい場所が多く残っている。日本の多様性は底が知れない。きっと日本の多様性を知ることが、逆に他国での多様性の理解に繋がる様にも思う。
2012/04/23
服のサイズ
体が大きかったので昔から着る服を選ぶのに苦労してきた。そういう苦労をしてきた人というのは根っこの部分で疎外感というか、人とは違う肉体を持っているという気持ちが強い様に思える。ただそれもある程度の年齢になり他の国の人々のことが見えてくると、例えばイギリスだったら僕の着れる服も沢山あるのにとか、そんなふうに考えるようになる。大げさに聞こえるかも知れないが、その結果、疎外感を土台にして他の国に目を向けるような、ある種のグローバルな視点も身についてくる。さらに洋服を造り売っているメーカの姿勢というのが美しい言葉を吐きながらも結局の所ビジネスでしかないこともわかってくる。
第一日本で売られている既製服は若く痩せている人(ある意味、虚弱児向け)を中心に考えられているのは間違いない。若者に媚を売るようなデザインにも辟易する。服装だけを捉えるとこの国は痩せている若者だけの国だ。ある程度の年齢になれば、あなたたちはこの色のこのスタイルで統一しなさいと言われているようにも思える。人に洋服を合わせるのではなく、既製品に人を合わせるとは本末転倒も良いところだ。でもその結果僕らは安く洋服を手に入れているのだからあまり文句も言えまいが。
2012/04/22
クスノキ
午前中に近くの公園を散歩する。4月半ばを過ぎると若葉の青さが美しい。様々な緑が一本の樹木にも、そして木々の連なりの中にもある。これをどうやって表現すればよいのだろう。4月初めの大風により花が吹き飛ばされ裸になっていたコブシの大樹も新緑に覆われていた。近くによって眺めると脱皮し蝶になって羽を乾かしている様に開いたばかりの葉が連なっている。ケヤキはまるで自分たちの季節が来たと主張するかのように天に向かって葉を広げている。常緑の樹木にとってもこの季節は若葉の季節のようだ。特にクスノキは冬を越した濃い緑の葉のうえに重なるように若い葉が鮮やかな黄緑色で広げている。若葉が顔を出すと言うことは古い葉が落ちるということでもある。次の冬を乗り切る為の春の落葉。毎年変わることのない営みの中で、しかしそれぞれの葉にとっては今回だけの落葉が静かに行われている。今日は夕方から雨になるとのことだ。だからか朝から雲が厚い。青空であればもっとこの緑が日差しの中輝き空の青と相まってその美しさが際だっただろう。いやいやこの空模様だからこそ違った緑を見ることもできるのだとジョギングランナー達が大勢往来する公園でベンチに腰掛けて思う。
2012/04/21
2012/04/19
2012/04/18
ドアノー写真展 2回目
土曜日は出勤だった。夜になって帰るときにとても体調が悪くなった。お腹が重たく力が出ない。かといって下痢というわけでもなく、ただ鈍い痛みと重みをお腹に感じたのだった。やっとの思いで帰宅し、そのまま布団に倒れ込むように横になった。家人から「夕食は?」と聞かれ、「後で」と言ったきりそのまま眠ってしまった。
目が覚めたのは明け方4時頃だった。喉の渇きが強かったので起きて水を飲んだ。水を飲みながら起きる寸前に見た夢を思い出していた。とても嫌な夢だった。体中に疲れが残っていた。仕事には出たが僕にとっては何もない空白の一日のような気がした。そしてまた一日が始まる、僕はしばらく呆然として薄明かりの台所に立っていた。また水を飲んだ。そして頭についた何かを振り払うかのように首を振り再び布団に戻った。二度目の眠りから目が覚めたのは8時半頃だった。昨夜の調子の悪さはなくなっていたが、時限装置のように一定の時間が経つと爆発するような感覚が自分の中にあった。それで行動をとれずにパソコンを触り午前中を過ごした。
ただ一週間に一度はカメラを持って表に出ることを課していたこともあり、早めに家に戻れば大したことはあるまいと家を出た。それが午後の3時頃のこと。渋谷で下りて青山まで歩こうと思った。しかし自分でも気がついていたのは、漠然と街のスナップを撮ってはいたがそれが僕の撮りたい写真でもないということだった。僕にはドキュメンタリーは合わないと感じていたし、ドキュメンタリー写真の面白さがわからなかった。でもとりあえずはそれしかなかった。
渋谷で下りて青山方面に歩き始めたときに、唐突にドアノーの写真展に行ってみようと思い至った。前回はイライラ感がありろくに見てもいなかったし、少なくとも3回は見るつもりでもいたので、これから行ってみるのも良いだろうと思ったのだ。不思議と、肉体の不安定な状態を意識しながらも、心は穏やかであった。ドアノーの写真を一枚一枚丹念に見ることができそうだったし、もしかすればドアノーの精神までたどり着けそうな気もしていた。大げさではなく本当にそう思ったのだった。
恵比寿の東京写真美術館に着いたのは、途中でコーヒーを飲んだりしていたこともあり大体4時頃だった。僕は真っ直ぐにドアノー展が開催しているフロアに向かった。少し暗い階段を下りていくと昨晩見た夢のことを思い出した。丁度その夢の中でも僕は階段を下りていた。そしてその先で嫌な出来事に遭遇したのだった。現実には階段の先には写真展があるだけだったし嫌な思いもすることはなかった。ただ一瞬だがその夢がフラッシュバックして一種のデジャブのように思えたのも事実だった。
ドアノー写真展は今回も人で混んでいた。僕は気を取り直し当初の目論見通りに一枚一枚の写真と文章を丹念に読み始めた。しばらくはそれも続いた、でもそれも展示の中程までが限度だった。やはりドアノーの写真には見るものはなかった。観者として、僕はドアノーの写真を通り過ぎてしまったのか、それとも到達できなかったのか、それはわからない。でも飾られている写真に焦点が合わなかったのは事実だ。写真からは僕に何も語りかけてはくれなかった。何処にでもあるような写真。ありふれた退屈な写真。僕にとってはドアノーの写真とはそういう存在だった。それでも後半に展示されていたパリの風景を写したカラー写真群は面白かった。写真の発色がとても美しかった。それにモノクロとは違いパリという街がカラーに合っていた。同系色でまとめられた落ち着いた色の世界。東京に住む僕にとってそのことがとても新鮮に感じられたのだった。もしかすればドアノーにはカラー作品は少ないがかれはモノクロよりもカラー写真の方が合っていたのかも知れない。そんなことを思った。
何故ドアノーの写真に何も感じないのか。それは僕にとって一つの問題でもある。数多くの現代写真家の手になる写真を見てきた結果でその様に感じるようになったのか。でもそれだとドアノーだけに留まらず他の多くの写真家達に対しても同様のことが言えなければならない。僕は何人かの日本を含めてのドアノーと同世代の写真家達を思った。確かに、僕にとっては、昔の写真は現代から見ると表現の面白さという視点から少し欠けるように思える。そして、特にドキュメンタリー写真と言われるものはその傾向が強い様に思える。写真が写しているのは、カメラのシャッターを切ったその瞬間、つまり一言で言えば「今」なのだから、その写真を観る「今」との間の距離が大きければ面白みも共有できなくなる。その写真に、その写真の「今」と観ている「今」とを貫く何かがなければならない。その何かはおそらく人によって違うことだろう。そして僕はドアノーの写真の「今」と僕自身の「今」とを繋ぐ何もないというなのだろう。
昨夜の台所で感じたのはある種の寂しさだと思う。自分がこの世界にただ一人いることの寂しさ。体調の悪さから感じた一種の迷いのようなものだったかもしれないし、疲れから来るものだったかもしれない。でもその寂しさが日曜のうららかな春の日差しの中で僕に留まり続けたのもある。ドアノーの写真にはその僕の状態とシンクロすることはできなかった。
2012/04/16
2012/04/15
2012/04/14
2012/04/13
新しい仕事
部署は変わらないのに全く新しい仕事をすることになった。部長が替わったことから端を発するこの変化はついこの間までの平穏を無くしてしまった。歳をとってからの変化はきついと以前によく聞いたが、そんなことはない。変化は最初は誰でもきついものだ。そう思うようにしているわけではなく、実際にそれが実感なのだ。わからいものはわからないという。変な言い訳はしない。それでいて新しいからということをいつまでも理由にしない。つまりはよく言われるような自然体という感覚でいること。歳を取ると言うことはそういう技術が身につくと言うことなのかも知れない。
2012/04/12
帰りに、満員電車の中で。
2012/04/11
サクラが散り始めた
会社近くの桜が散り始めた。慌ただしさの中、今年のサクラを少しも楽しんだという気がしない。散り急ぐなとの思いとは別に今夜は雨模様となった。明日になればサクラは散ってしまった後だろう。淡い桜色に染められた東京の街は思い返せば一瞬のことだった。それでもこの一瞬の風景を得たいためにサクラは植えられる。それにしてもサクラに永遠を感じるのは何故だろう。いわずもがなここでいうサクラとはソメイヨシノのことだ。特に散り始めにそれを感じる。散るには理由がある。そしておそらくサクラは理由など必要なく花びらを散らすのだ。受精した花は緑色の実を付ける。それはやがて熟し赤褐色の実となり鴉などに食べられてしまう。鴉などの胃に消化されても種だけは残り続けるだろう。いずれは種は地面に鳥たちの糞尿と共にまかれることになる。でもソメイヨシノの種は発芽することはない。それが人工の故なのだが、そのことをソメイヨシノは知っているのだろうか。いや擬人化するのはやめよう。自身の種子から繁栄することはないが、人間達はせっせとソメイヨシノを繁殖させているのではないか。人間の力を利用することによる繁栄。それも確かなソメイヨシノの戦略とも言える。そしてその戦略の戦術として散り急ぐ花びらがあるように思える。そこに永遠性を感じる僕のような者のために。
2012/04/10
ピンクのシャツ
初めてネクタイをしたのはいつだったのか、今となっては記憶がまったくない。でも何故かピンク色のシャツを初めて着たときのことは覚えている。VAN系列のGANTというブランドのシャツだった。オックスフォード地のボタンダウン。色は少し濃いめのピンクだった。そのシャツをネイビーブレザーに合わせようと買ったのだった。大学時代の頃だ。現在よりも価格は安いといえ学生だから何枚も一度に買えるはずはない。その一枚にピンク色を選んだこと自体僕にとっては大変なことだった。そしてそれが僕が生まれて初めてのピンクでもあった。
たかが洋服の話だ。どんな洋服を着ても中身が変わるわけでもない。そんなことは知っている。でもその時の僕は、生まれて初めてのピンクのシャツを着てどんなことでも出来るような気持ちになったのも事実なのだ。僕の世界の中にピンクのシャツを着るということが加わったそれだけなのに、何か大きく世界が変わったように僕には思えたのだった。そういう事ってあると思わないか。
NHK コズミックフロント「私たちは火星人!?」
米カリフォルニア工科大学のカーシュビンク教授は私たち地球生命は火星から来たとする仮説を展開している。おおよそ40億年前、火星には海と大陸があり生命が誕生する条件が揃っていた。逆に地球は海に覆われ大陸はなく生命が生まれる条件は殆どなかったという。それでは地球生命は何処で生まれたというのだろう。それをカーシュビンク教授は火星だと言うのだ。仮に火星だとして、地球にまで到来するには三つのハードルがある。一つ目は地球にかかる時間。二つ目は宇宙に飛び交う放射線の問題。そして三つ目が地球に突入する際に発生する熱である。番組ではそれら三つの壁が致命的ではないと告げる。カーシュビンク教授は番組最後でこう語る。「私たちは一体どこから来たのか。その謎を知りたい」と。確かにカーシュビンク教授は正しいのかも知れない。私たち地球生命はもしかすれば火星から隕石に乗って飛来したのかも知れない。それは突飛なことでも何でもない。生命は常に生きる道を模索する。植物の種子のようなものだ。南太平洋の孤島であっても生命はそこに辿り着きそして彼らの楽園を形成する。この説は確かに聞けばわくわくするし、第一面白い。でも、と思うのだ。
生命の増殖のしかたを逆にたどってみる。雌雄別々の生殖、雌雄同体での生殖、細胞分裂、化学反応。僕らの繋がりをたどっていけば大雑把にこのような段階を踏むのだと思う。そして大本にたどれば生命が何処からきたのかがわかるという考え。私は父と母の生殖行為の結果であり、その父と母も彼らの親たちの生殖行為の結果で、それらが面々と繋がっていくという考え。ある意味セックス至上主義的な考えのようなものだ。それが結果として不思議のように扱われるが、不思議なのはそんなことではない。多くの方々が言うところの、親がいて、そのまた親がいてという繋がりの果てに自分がいることの不思議さは、私という意識を持つ自分がここにいることの不思議さなのだと思う。問題なのは、どこかで二つの別々の問題が、言葉として一つになってしまっていることなのだ。
私たちはどこから来たのかと、私はどこから来たのかは問題として何もかもが違う。私たちはどこから来たのかの問題設定における回答はカーシュビンク教授の仮説で成り立つが、私の場合はそうではない。僕は、彼の仮説はとても面白いが生命誕生の場所が火星であっても地球であっても別に何処でも良いとさえ思う。
ドアノー写真展1回目
東京写真美術館にて開催しているドアノー回顧展に行ってきた。おそらく何回か行くことになりそうな回顧展であるが、ドアノーに自分が何を得たいのかがよくわからない。今となっては普通の写真にしか見えない。それでも一回見ただけでは何もわからないのかもしれない。では何回鑑賞すればドアノーの写真がわかるのだろうか。結局のところ何らかの意味を無理矢理に見つけて一人合点をするだけではなかろうか。そんなことを思いながら混雑した館内を歩き回る。結局の所、じっくりと写真を観るどころではない。僕の心は落ち着きを失い、この場を早く立ち去りたい気持ちに駆られたのだ。さらに言えば写真を美術館に飾られている絵画のように鑑賞することに違和感を持っている自分に気がついた。以前からその様な気持ちを多少持っているのはわかっていたがドアノーの写真には特に強くそれを感じた。これらの写真は美術館には似合わない。僕はそう思ったのだ。美術館という一つの権威から与えられたものを見に行くという感覚もその思いに影響を与えているのかも知れない。確かにドアノーのキスの写真は好きだ。それが演出であることを知ってからは余計に好きになった。そうなのだこの感覚は、この落ち着きのなさは、美術館に写真を観る際に感じるいつものことなのだ。今回だけが問題ではないのだ。おそらく二回三回と見に行く毎にその感覚は薄れて行くに違いない。そうそれもいつものこと。
2012/04/09
2012/04/08
2012/04/07
友と話す
藤沢に住んでいる友人と久しぶりに話した。彼は最近iPhoneを購入しその扱い方に苦慮していた。それでわからぬことがあると僕を頼り何回か質問してきた。今回は電話だけではどうしようもなく実際にあって対応したというわけだ。だからといってiPhoneだけのことを話しているわけではない。それ以上にバイクの話が多かった。聞くところによると最近BMWバイクの価格が下落しているらしい。一時は高嶺の花だったKシリーズは特にその傾向が著しいらしく、彼はiPhoneでネットオークションのサイトを開き現在の価格を教えてくれた。確かに信じられないほど下落している。十数年前のバイクであるがBMWのエンジンであれば問題はない。これは狙い目じゃないかとお互いが頷くが、かといって二人とも買う気持ちを持ったというわけでもない。バイクというのは趣味の世界だからそれだけではダメなのだ。そのバイクに乗りたいと熱烈な強い気持ちがないと難しい。だからライダーは今まで乗ってきたバイクを事細かく覚えているものだ。あのバイク、このバイク。そして今のバイクと僕も思い出す。それは停まっている姿では勿論ない。どこか旅先の風景と結びついて走っている姿なのだ。バイクに乗りたいという気持ちと、何処か遠くに行きたいという気持ちは僕にとって同じなのである。もっと遠くへという気持ち。彼と話をすると以前にあれほど強く持っていたその気持ちが疼くのがわかる。ふと外を見ると何と気持ちの良いバイク日和のことだろう。午前中は僕は近くの公園の桜の写真を無我夢中で撮っていた。その気持ちがまだ収まり欠けてもいない春の午後のことである。空を見て風を感じながら桜の下を走るのを想像した。
桜を撮る
桜というのは写真にとるのが難しい、と僕は思う。おそらく桜に対するイメージが実際よりも先行しているのだ。だからどんなに美しい写真が撮れたとしても、それは最高ではない。脇目も触れずに無我夢中で桜を撮り続け一万回ほどシャッターを切ったら幸運な偶然が重なり一枚ぐらいはイメージ通りの桜が撮れるかも知れない。かといってそれを期待してカメラのファインダーから桜を見続けるのでもない。シャッターを切るその瞬間、僕の心に浮かぶのはイメージの桜なのだ。だから写真として桜を撮れなくても常に僕は自分のイメージの桜を撮り続けている。逆に言えば、シャッターを切るという動作は写真に常に先行している限り僕は一時的にせよ理想の桜の写真を撮り続けているということでもある。
くそおやじ
仕事の打ち合わせである男性の発言にむかむかした。「それはお前の仕事だろ!」と喉まで出かかった。でも相手はそんな風に考えている様子はなく問題をそらす。そんな相手に関わり合う必要もない。早々に打ち合わせを切り上げたが、席についてもムカムカした気持ちは収まらない。気がつくと友へのインスタントメッセージで「このくそおやじ!!」と書いて送信ボタンを押していた。
くそおやじと書いた横には何々部署の某と書いたから友は誰のことを言っているのかわかったようだ。同意の言葉が書かれたメッセージが戻ってきた。それで胸のムカムカ感が多少和らぐ。でも考えてみれば、メッセージを送った友よりも、くそおやじと称した男性の方が年齢的に僕は近い。よく人が(特に若い人が)ある程度の年齢の男性に向かって「くそおやじ」と呼ぶ感覚がこんな感じなのかと逆に知った。
くそおやじは当たり前だが男性に向けられた言葉だ。では「くそおやじ」に対応する女性に向けられた言葉はなんだろうかと思った。でも対応する言葉が思い浮かばない。「くそばばあ」がすぐに思いついたが、それに対応する男性への言葉はやはり「くそじじい」だろう。あと「くそ」がつく言葉として。「くそがき」、「くそやろう」くらいだろうか。でもこれらもどちらかというと男性を想像してしまう。
「くそばばあ」しかないのだろうか。でも「ばばあ」では年齢的にいきすぎている。やはり女性に向けてだから少ないのかも知れない。そんな詰まらぬことをあれこれと考えていたら、もうすっかりとムカムカ感は消えていた。
2012/04/05
2012/04/04
2012/04/03
全てのことには
「全てのことには意味があると信じている」そう語る友に僕は思わず問いかける。本当にそうなの?それともそれは願い?
でもそんな問いは本当はどうでもいいことなのかもしれない。なぜなら誰もが納得できる明確な回答をもっていないから。全ての事には意味がある、それは直観であり、そして願いでもあるのだ。
僕らは意味を求める稀有な動物なのだ。おそらくそんな動物は人間だけだろう。だから意味を求める事は人間の条件でもあると言えるかもしれない。 僕も全ての事には意味があるとどこかで思っている。でもその「意味」は人間の言葉では説明する事ができないとも思っている。きっと言葉にはそれを語るには何かが足りない。だから人はその為に物語る事しかできない。
2012/04/01
東京スカイツリーがGoogleに買収された
Googleが東京スカイツリーを買収したと発表した。
東京スカイツリーは5月22日の開業に向けて現在予約を受け付けているが、
その直前の発表に押上商店街の動揺が拡がっている。
Googleによれば、2年ほど前からGoogleから東京スカイツリーの配色を
Googleのロゴカラーに塗り分けて欲しいと交渉していたが、
東京スカイツリー側は日本の法律から困難であることを理由に拒否していた為、
買収に踏み切ったとのことである。
裏では両国政府間の激しい応酬もあったと噂されているが詳細は不明である。
「これで東京の空にGoogleのロゴカラーを浮かび上がらせることが出来る」
とGoogle側からコメントが発表された。
東京スカイツリーからのコメントは発表されていない。
なお、買収金額は発表されていないが「USOドル」で支払われるとのことである。
服装の話
女性の服装が男性から多くのものを取り入れているように、男性の服装も女性から多くを取り入れるようになっている。例えばレギンズは普通に男性にも見られるようになった。彼らの服装は概ねショートパンツにレギンズの組み合わせで、レギンズの色は黒が殆ど。でも男性のレギンズはすぐに売り切れになるので、おそらく彼らの多くは女性ものを着ているように思う。以前に店で男性用のレギンズがないかを確認したら女性ものを勧められた。僕の体格を見て男性の店員なら女性ものを勧めはしない。女性は男性の体格、例えば骨格筋肉の付き方などは知らないのでないかとその時に思った。他に話として出たのが七分袖もしくは七分丈のシャツやパンツ。七分丈のものは女性でも着ることが出来るほど柄が可愛い。僕はおそらく着ないと思うが今年は七分丈のものを着ている人を多く見そうだ。女性の男性観はある程度社会の価値観によって固定化されている。だから男性同士で服装の話をしているとは思ってもいないだろう。でも僕に限って言えば、高校時代から友人間で服装の話をすることは多かった。中には原理主義的な奴もいて、そういう奴らはボタンダウンシャツとかブレザーの細かな仕様はかくあるべしと語っていた。その時に得た知識は今でも忘れることはない。
柴田淳さんの「ハーブティー」歌詞
「それはあなたの作り話
嘘で固めた大きなプライド
素直に信じてあげてたら
あなた どこか虚しそうなの
その次はあなたのヒストリー
今までの過ち語ってゆく
全てを認めてあげてたら
あなた 私がいらなくなった
愛されたいのに
どうすればあなたを振り向かせられる?
愛してるだけなのに
あなたがイイ人になるみたい
危険な瞳を逸らさずに
あなたの香りで眠らせて」
この歌詞を読むだけで柴田さんは相当にダメンズ好みだと言うことがわかる。
もっと正確に言えば イイ人はいらないのだ。そしてイイ男は危険な瞳を持っている。
でも柴田さんに告げたいのは以下の二つだ。
1.男の8割以上はダメンズである。
2.ダメンズの特別な存在になった女はダメンズを普通のダメ男に変えてしまう。
男にとって女が謎であるように、女にとっても男は謎のようだ。