『私は自分ってものをどんな場合にも捨てられない。自分は自分だわ。逢いたくなったら逢うし、逢いたくなければ逢わずにいるわ』表情は童女のようにあどけなく、しかし内には強靱な心を持ち、美しく澄んだつぶらな瞳は、おのれ一人を愛した眼であったと、彼女の友人は書き残す。
彼女は画家であり詩人であった。内に火のような情熱を持ち、時折それが表に出た。もともと、彼女以外の人などいなかった、男も関係なかった、人目もなく、常に自分が知りたいことを脇目を振らずに求め、そして行動した。
『世の中の習慣なんて、どうせ人間のこしらえたものなのでしょう。それに縛られて一生涯自分の心を偽って暮らすのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしが決めればいいんですもの』彼女が愛した男も芸術家だった。男の方が先に彼女を愛した。しかし、その時彼女には既に結婚する相手がいた。しかし、彼女は結婚寸前のところでそれを破棄する。その芸術家の男が原因ではなかった。彼女は生きたいようにいき、その延長で結婚をしたくなくなっただけのことだ。
男は彼女に情熱を傾けて愛を語った。彼女も男を愛するようになった。
男が女を愛した理由は何だったのだろう。女が男を愛した理由は何だったのだろう。
それらを詮索することは些末なことだろう。言葉で語ることが出来ない何かの力により、彼女と男は愛し合った。
二人だけの上高地へのスケッチ旅行。そして同棲。周囲にわき起こる罵声の中で、二人はたじろかず、退かず、ありのままの男と女でたち続ける。そして二人は周囲から忽然と姿を消す。
『女である故にということは、私の魂には係わりがありません。女なることを思うよりは、生活の原動はもっと根源にあって、女ということを私は常に忘れています』
『恋愛は咲き満ちた花の、殆ど動乱に近いさかんな美を、私の生命に開展した。生命と生命に湧き溢れる浄清な力と心酔の経験、盛夏のようなこの幸福、凡ては天然の恩寵です』
『巣籠もった二つの魂の祭壇。こころの道場。並んだ水晶の壺の如く、よきにせよ不可にせよ、掩うものなく赤裸で見透しのそこに塵芥をとどむるをゆるさない。 (中略) それ故ここに根ざす歓喜と苦難とは、さらに新しく恒に無尽に、私達の愛と生命を培う。またそれ故、技巧や修辞の幻滅、所謂交互性の妥協、打算的の忍従、強要された貞操、かかる時代の忌まわしき陰影は、私達の巣にはかげささない。牽引されず、自縄しない自由から、自然と湧き上がるフレッシュな愛に、十年は一瞬の過去となって、その使命に炎をなげる。峻厳にして恵まれたこの無窮への道に、奮い立ち、そして敬虔に跪く私』彼女は常に自分の内からほとばしり出る魂の声を聞き続けた。そして魂の声が確かであれば、大胆に自分自身をそこに放り投げた、それが唯一の人間の道でもあるかのように。
彼女は元々身体は相当に健康であった。でも成長と共に病気がちになり、二人で暮らすようになってからはいつもどこかしらが悪かった。その彼女に実家での様々な問題が降りかかる。妹の恋愛、父が経営する会社の倒産、それらの苦悩を彼女は男には何も知らせない。それは男の仕事を思ってのことだった。その中で彼女は発病する。時に45才。
病気は現代でいうところの総合失調症だった。一時は回復する兆しを見せたが、その翌年自殺未遂。そしてまったくの痴呆状態が続くことになる。徘徊、独語、放吟、器物破損、食事の拒絶、男と医師への罵声、薬は毒だと信じ一切受け付けなかった。
自宅療養の域を超えた症状は、男をして遂に入院へと動くことになる。殆ど監視状態の中で、一人病室で妄想の中にいる彼女を思い、男は悩み続ける。
入院生活の中で彼女は徐々に落ち着きを取り戻す。しかし言葉は失ってしまった。そのなかで彼女は切り絵を始める。毎日のように色紙をハサミできり、のりを付け、一つの作品を創る。見舞いに来た男はそれを見て優れた芸術性に驚く。その男の顔を見て、本当にそれは嬉しそうな顔をして、男の膝にもたれかかる。
しかし彼女の身体の中に結核がむしばみ始めていた。男は彼女の切り絵を見ながら、油絵で成し遂げられなかったものを楽しく成就したと思う。彼女の切り絵は詩であり生活であった。彼女は最後に、今までに作った物を男に渡して、少し安心したかのように微笑んだ。男は持参したレモンの香りで彼女を洗った。それから数時間後に彼女は極めて静かに息を引き取った。昭和13年10月5日の夜のことだった。享年51才。
彼女の名前は長沼智恵子、男の名前は高村光太郎。
光太郎の作品は戦災で殆どなくなったそうだ。しかし、智恵子の切り絵だけは戦災を避けるため各地に分散させ、殆どが現存している。光太郎は昭和31年4月2日肺結核のため亡くなる。光太郎73才。光太郎の遺骨は駒込染井の高村家墓地に智恵子と並べて埋葬されている。
以下蛇足
僕らが人を愛するとき、相手のどこそこが良いとか好きとかいう。もしくは一緒にいて楽だから、感性が合うからともいう。あいての身体が好きだという場合もあるだろう。
その場合、その好きだった箇所が、病気か事故か様々な要因で変わってしまったとき、それでも好きといえる不思議さがある。
勿論変わってしまった結果により、例えば、倹約家だったのが浪費家に変わり、生活自体が立ちゆかなくなったりする時、変わってしまった相手によって自分の生命とか生活が脅かされるようになったとき、別れることもあるかも知れない。
その場合、自分も含めて相手も納得するだろうし、そういうことも世の中には多いと思う。それはそれで別によいのだが、僕がここで言いたいのは、智恵子と光太郎のようにな場合のことだ。
愛する理由なんて、言葉でいくら並べても致し方ないことはよくわかる。でも確かにその時は、あいてのその部分が好きだったのも間違いないと思う。そして、その部分が智恵子のように大きく変わってしまっても、やはり光太郎は智恵子のことを好きだったのではないかと思うのだ。
うまく言えないが、相手がそこに「いる」「在る」だけで、つまり相手の存在そのものを愛している。そんな印象を僕は二人に持ってしまう。二人とも芸術家である。芸術家は作品を制作する行為が重要だと思う。二人はお互いの作品を認め合ったかも知れない。少なくとも智恵子は光太郎の天才を認めていたことだろう。でも二人にとって、「行為」よりお互いがそこに「在る」ことが大事だったのでないか。そう思っている。
以前に読んだ評論に、内面に炎の様な激しさを持つ智恵子は、さらに巨大な天才である光太郎の前で、おのが自身を矮小化し、その結果で病気に繋がったのでないかというのがあった。確かに光太郎は時代とか世俗を超えての天才であった。でも上記の説はどうなのだろうか、未だにそれはわからない。多分永遠にわからないのではないだろうか。
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『レモン哀歌』
そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トバアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ瞳がかすかに笑ふ
私の手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に風はあるか
かういう命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなりに止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
高村光太郎
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本記事は「光太郎と智恵子」(新潮社)を参考にした。この書籍には智恵子の切り絵の写真も多数掲載している。
ISBN4106020386
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