散歩でほんの少し遠くへと足を伸ばすと、時折迷子になるときがある。当方としては、意識的に迷子になるので、それは迷子と言わないかも知れないが、そうやって道に迷う自分を愉しむ。
構わずに歩いていくと、急に見知った街路に出て驚くこともしばしばある。その驚きは一瞬で終わるが、頭の中で散歩の経路を反芻し何でこの道にぶつかるのかと、自分の方向感覚に疑問を持つことも多い。人に誇れるほど方向感覚が優れているとは思わないが、未知の街並みはそう言う感覚を失わせるのもあると思う。
それでいて、バイクなどで長距離を走っても道を失うことはない。その時は主要幹線を走っているので当たり前と言えば当たり前なのだが、近所で道に迷い、遠方で道を失わない事に少しだけ不思議でもある。
学生だった頃、母と一緒に近くに住む知人宅まで歩いたとき、僕が近道だと思う道のりを紹介したら、母から「お前は裏道ばかり歩いている。今後の人生を象徴しているようだ」などと言われた。「私は常に大通りを堂々と歩く」と言った母は、確かにそう言う人生を今でも過ごしている。僕はと言えば、散歩をすれば未だに裏道とか見知らぬ細道に入りたがる傾向があり良く道を失う、そして今まで生きてきた過程を考えれば、確かにあの母の言葉は正しかった様に思う。
実際に裏道人生を歩んでいるわけでなく、何とか普通の会社員なのではあるが、それでもやはり盤石な事は一切なく、不安定な危なさを自分の中に常に感じている。それはリストラ不安とか、企業における今後の人事面の動向とか、そういう社会的なことだけでなく、自分の内にあるものだ。自分としては母のあの言葉は忘れられない。
その母はいまから7年くらい前に突如に膵臓ガンと診断され2ヶ月の検診入院の後に摘出手術を行った。あの時、医者から事前に報告を受けた僕は、膵臓ガンの情報を集め母の今後に悲観的な思いを持っていった。人は何というか愛する者に死に近い宣告をする者なのか、などとすっかり自分が宣告者になる者だと思っていたので、その事について勝手に考え深刻になっていた。でも、一週間くらいして、医者の方から母と姉夫婦を含めた家族全員に状況説明をさらっと、それこそさらっとしたときには、実際に凄く驚いたものだった。現実的にそういうときにはどういう風に進んでいくのか少しも知らなかったのだから、「ああ、こんなにも簡単なんだ」などと力が抜けた。当の母は医者から状況を聞いても、内容をすっかり理解していなかったようだ。自分ではガンではないと思っていたし、それは退院しても変わらなかった。また、膵臓摘出手術がいかほど大変な手術であることも認識していなかった。全て楽観的に捉え、大丈夫だとの信念を持ち続けた母が、あの状況を脱し得たのかもしれない等と今では思っている。
このブログで母の話をするのは多分初めてのことかも知れない。僕は時折感じるのだが、男は母の話を語りづらい雰囲気が世の中にはあるように思う。それは最近の事件でも取りざたされているように、親の過保護とマザコン、特に男性はマザコンが多いとの風潮があるのを感じ、自ら言い出しづらい面があるのだ。僕自身は他人から一度もそう言うことを言われたことがないので、男性はマザコンが多いとの論評には少々うんざりする。その点女性はそういうものから解放されている様に見える。ついでに言うが、親不孝も自覚している。憎悪と愛情、嫌悪と好感、無視と尊重、侮蔑と尊敬、それらの感情の境界線の間を揺れずに親を見る事が出来る子供がいるとも思えない。親は子供が最初に相まみえる他者なのだと思う。
散歩をすると様々なことを考える。くだらなくどうでも良いことが多いのは承知しているが、様々な事が浮かんで考えながら歩くのは楽しい。でもその時僕は風景を見ていないのも事実だ。
母は風景を見ながら散歩するようだ。だから道を見失わないのかも知れない。
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