■結晶作用
スタンダールは恋愛論のなかで恋の初めに見られる不思議な現象として「結晶作用」をあげている。
『私が結晶作用というのは、つぎつぎに起こるあらゆる現象から、愛するものの新しい美点を発見する精神作用のことである』
(スタンダール「恋愛論」 訳:前川堅市)
恋する相手をみつめる、息を呑む美しさと切なさ、そして動作のひとつひとつから新たな美しさを発見し続ける。恋する者の家の近くを通るだけで、胸が高鳴り、ふと目を上げると、眼前に立ち我が身を見詰めているかのような錯覚にとらわれる。そうそれは、「マイフェアレディ」の中で「君住む街角」を歌うフレディの様に。
恋愛論を語るつもりではなく、結晶作用で思ったことを書きたいと思っただけなのだ。でもひとたび、この手の話になると筆に勢いが付きすぎて、何かを話してしまいそうになる。
以前に書いたかも知れないが、映画「ドクトルジバゴ」が恋人ララの為に、一晩寝ずに作り上げた一編の詩。あのジバゴは内なる結晶を言葉に紡ぎ出そうとしていた姿だったと思う。そして作り出された詩も結晶化されていた。
その美しい詩を読み、ララは「これが私?」とジバゴに言う。ララの一言は、この詩に書かれている姿は私ではない、と言いたかったのではない。恋人の胸の内に住む自分の姿に、愛を感じ取り感動したのだと僕は思う。
美しく、言葉を結晶化し紡いだテクストを読みたいと思う。論理的でなくてもよい、明晰でなくてもよい、日本語として美しくなくても良い。勿論それらがあることにこしたことはない。ただ、出来ればそれらの言葉は、行為と共にあるべきの様な気がしている。行為、もしくは行為する状況をつぶさに理解できるような、結晶化された言葉。
■今日群馬の友人の所で
今日、モータサイクルで群馬の友人の所まで行ってきた。高速を使えば片道2時間半。近いものだ。彼との話で、お互いに共通する友人の話題になった。その共通する友人は、ここ4ー5年まったく音信不通となっている。便りのないことは無事な証拠として、忙しいのだと、気にもとめなかったが、今日行った群馬の彼は最近、その友人が4年前に語った言葉が気になるという。
4年前に、いきなりぶらりと尋ねてきて、話があるからお茶でも飲みに行こうと誘い、なんだろうと思って一緒に出かけると、普段の通りの雑談ばかり。ただ、最後に語った一言が妙に気になるというのだ。その言葉って?と聞き返すと。ありふれた言葉が返ってきた。
「おれはお前のそう言う所を、ずっと尊敬してきたんだ」
もっと大袈裟な言葉を期待していた僕は苦笑する。その苦笑する様を見て、彼は言う。あいつは滅多に人のことを誉めない奴だよな。うん、そうだ。
そのあいつが、俺を茶店にさそって、真面目な顔で別れ際に言ったんだぜ。その時はさほど気にならなかったけど、最近になって急に思い出し、それからは気になって仕方がない。でも電話をかけても音信不通だし。あいつの状況も別の所で聞いているので、電話を掛けづらさもあるし。
たしかに彼の言うとおりだ。話を聞いて、僕の心も妙にざわつき始めてきた。時折、共通の友人の姉さんから状況は聞いているので、それを彼に話すが、でも確かにその友人と直接話をしなくなってから随分とたつ。
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