2005/05/27

石津謙介氏死去に思うこと

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『アイビールックを世に出した石津謙介さんが亡くなった。九十三歳だった。タンスの奥深くで眠る紺のブレザーに、ふと袖を通してみたくなった人もいるのではなかろうか。体形は様変わりしてしまったが…。
▼「はやりに左右されない、男の生きざまがうかがえる組み合わせこそおしゃれの神髄」「形を着るのでなく、男としての誇りを着る」。ダンディーの神様が残した語録は味わいがあり、ボタンダウンシャツを愛した世代には、男の粋の伝道師のような存在だった。』
(2005年5月26日 産経新聞「産経抄」から引用
石津謙介氏と僕とではまったく世代が違うが、学生の頃より現在に至るまでアイビーもしくはトラッド一辺倒なこともあり、名前くらいは聞いたことがある。
両親が最初に東京に出てきたとき、現在住んでいる場所の近くに一軒家を借りて住んだ。大家の娘さんが、随分と年は離れていたが、幼かった僕と姉の遊び相手になってくれた。その娘さんは随分とおしゃれな方で、アイビーに夢中であった。でも女性向けのアイビー雑誌はなかったので、メンズクラブを見て自分なりに工夫して造って着ていたらしい。多分、僕のトラッド好きは彼女から受けた影響が大きいと思う。

アイビー、トラッドには基本が幾つかあると思う。でもそれらをマスターしてしまえば、あとは結構楽である。基本的に服装に無頓着な僕にとっては、何も考えなくても良いのがとてもいい。
それに、ファッションは螺旋階段のように、流行があたかも繰り返されるような印象を持っているので、たとえばベーシックなダッフルコートを冬のコートの通常アイテムとしておけば、流行に先なときもあれば、遅れの時もあり、その感じが時として面白い。こちらは一向に気にしてなくて、常に変わらぬ服装をしているだけなのに、回りが変わっていく、そんな印象を受けるのだ。

石津謙介氏が「VAN」を創立したのは昭和26年(1951年)のことだという。「VAN」とはライトバンのバンのことであるが、その他の意味として「先駆者」もあり、アパレル業界の先駆者の意味を込めて命名したらしい。ただ、実際は昭和21年にイブニングスター社から発刊した月刊風刺雑誌が「VAN」という名前で、石津謙介氏はその雑誌を見て、えらくこの名前が気に入ったらしく、自分の会社名は創立前からこの名前に決めていたとのことだ。

石津謙介氏のもとで働いていた、くろすとしゆき氏によれば、石津氏は好みとしては、どちらかといえばヨーロピアンで、アイビーは好きではなかったらしい。昭和29年に月刊誌婦人画報の増刊として「男の服飾図鑑」を発刊し、それが後のメンズクラブへと繋がっていくのだが、そうそうたる執筆陣の一人としてアイビーについて書くことから、石津氏がアイビー好きの人に一目置かれる存在になっていったようだ。

平凡パンチの創刊、みゆき族の出現、アイビーの大流行のなかで、「VAN」は成長を続けるが、低年齢化よりアイビーは子供のファッションだとのイメージを一般に与え、徐々に廃れていく。そして昭和53年に倒産、破産宣告を受けることになる。

日本ではファッションのひとつの姿としてアイビーは紹介されているが、実際の所、アメリカではまったく違う。アイビーはアイビーリーグというアメリカ東海岸の名門8大学を指し、プレッピーというプレップスクールを卒業したアメリカ特権階級のことを象徴する。彼らはWASP主義でエリート意識が強く、代々アイビーリーグを卒業している。現在でも上記のイメージはそんなに変わっていないはずと思う。何故なら、アイビーになくてはならないボタンダウンシャツだが、エール大学出身のブッシュ親子(やはり代々アイビーリーグ出身)はボタンダウンシャツは着ない、それは選挙基盤となる米国中西部の人たちの票を失いかねないからだ。同様に、ハーバード大出身のジョン・エフ・ケネディも最後まで着ることはなかった。

イメージとして、アメリカではボタンダウンシャツは階級を表しているとも言える。多分、東海岸の選挙区の議員達は逆にボタンダウンシャツを常に着ていることだろう。

ボタンダウンシャツだけを取り上げてもこうなのだから、それに引き替え、日本でのアイビー流行は無邪気そのものだったといえるだろう。
僕はリアルでは知らないが、銀座を昭和39年後半に出現した「みゆき族」とは一体何だったのだろう。あとから思うに、東京オリンピックの「そわそわ感」に日本全国があった時代だった。「みゆき族」にはリーダーはいなかったという。それまでの男性の価値観が変わり、力ではなく服装のセンスが良いか悪いかで評価が分かれる。ファッションのセンスの問題なので、地方も都市も関係ない。まず男たちがセンスを競うために銀座に集まり、格好がよい男性が集まるというので、噂を聞いた若い女性が集まってきたという。「みゆき族」、今では忘れられた一種のサブカルチャーを考えると、そこに何か面白いものが隠されているように思えてくる。

石津謙介氏はセンスの良いネーミングをするのが得意だったらしい。「トレーナー」、「ホンコンシャツ」、「スウィングシャツ」、「ランチコート」など今でも知らずに使われているものが多い。それ以上に、僕が彼の言葉から、今でも使っているのが「TPO」だろう。「TPO」とは、「Time(時)」、「Place(場)」、「Occasion(状況)」を繋げている。つまり、服装とは人に対する気遣いであると、石津氏は言っているのである。この考えが、僕がアイビー、トラッドにおいて一番教わったことなのかも知れない。

石津謙介氏のサイト Club1911
(出来れば残り続けて欲しい)

現在のVAN JACKET INC サイト  

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