旅行記「アソーレス、孤独の群島」(著者:杉田敦)の冒頭で、「島に行くということ」と題し、旅行者と島の関係について、著者は次のように述べている。
旅行者は地図帳もしくはガイドブックなどで、四方を海で隔絶された島を発見し、そこに大陸とは違った何かを期待し、都会の喧噪を逃れるように島を目指すが、島に住む人たちの生活は大陸での生活者と同じであり、旅行者は島に降り立ったときに、そこに逃れてきた物が存在するのを見て少なからず失望することになる。つまり、旅行者は「島」を目指し「大陸」からやってくるが、「島」は強く「大陸」を欲している。
『島は、旅行者が抱くような島であり続けること自体が困難なのだ。島は、ひとたび島として生まれ落ちて以来、もっぱら、いわゆる「島」でない何ものかになるために努力を日々積み重ねている』
杉田敦氏は、自分自身を振り返り、その都度、幻滅しつつも、それでも島に出かける気持ちから、島が自分に何かを与えてくれるからだと感じている。島が与えてくれるものは一体なんなのだろう、彼はそう思いながら、アソーレス群島の一つファイアル島へと旅立っていく。
でも杉田氏のこの思いは、島に着けば一気に忘失してしまう。彼は毎日のようにピーターズ・カフェにたむろする。または海で泳ぎ、クジラを見学したり、車でカルデラ火山口を見に行ったりと、行動は何かを求める大陸からの旅行者に近い。それは「島に行くことについて」の中で杉田氏が語った旅行者の姿そのものでもあったように思う。
彼が9つある島々の中で、特にファイアル島を目指したのは、アントニオ・タブッキの著書「島とクジラと女をめぐる断片」に依るところが大きいようだ。だから、彼はいたる処で、タブッキのこの著書のイメージを思い出す。特にタブッキの小説に出てくるワイン「シェイロ」を求め探す気持ちが強い。
実をいえば、僕は杉田氏のこの旅行記で、初めてアソーレス群島を知ったと思っていた。でも途中から、アントニオ・タブッキの「島とクジラと女をめぐる断片」の名前が出てきたことから、僕の読みは少し変わる。
タブッキのこの小説集を僕も好きなのだ。初めて知ったと思っていたが、実際はタブッキの書籍により僕は既にアソーレス群島と出会っていたことになる。それからは、そういえばピーターズ・カフェの名前をどこかで聞いたことがあると思っていたと、一人合点する。
ピーターズ・カフェは、世界で名の知れたカフェだと思う。欧州・米国間を、船もしくはヨットなどで航海するとき、殆どの船乗りはアソーレス群島のファイナル島には寄らなければならないと思っている。それは、ピーターズ・カフェがあるからだ。
20世紀の初めに開店したこのカフェでは、多くの船乗りたち、第二次世界大戦中は欧州から米国へ逃げる人びとが、一時の憩いを求め集まった。それは今でも世界中の旅行者・ヨットマンたちがくることで、無国籍な雰囲気は昔と変わりはない。
タブッキの小説の中にもピーターズカフェは登場する。その中で、ピーターズ・カフェは一種の伝言掲示板的な役目を担っていると描かれている。一旦、米国・欧州に行く途中で立ち寄り、あとから来るものへの伝言に使われたりするのだ。もしくは求職のメモだったり、恋人宛への手紙だったり、様々な内容の伝言がピーターズ・カフェに集まった。杉田氏の旅行記を読めば、今でも同様らしい。いたるところにピンで止められた、伝言のメモで壁がいっぱいだった。
旅行記として、「アソーレス、孤独の群島」が面白いかと聞かれれば、僕は十分に面白いと答える。冒頭の「島に行くということ」で杉田氏が言っているような、旅行者の島への想いと、現実とのギャップ、ギャップを埋めるための様々な行動を、著者と一緒に味わうことが出来るという点。それは、一種の疑似旅行体験そのものだと思う。
つまり、それだけ十分に、現在の群島の雰囲気が現されていると言うことだと思う。特にピーターズ・カフェの雰囲気は十分に感じ取れた、もしかすると、それだけでも面白いかもしれない。
僕はこの旅行記を読んで、幾つか考えることがあった。それは旅行記というスタイルについてのことと、タブッキの小説のことだった。特に小説集「島とクジラと女をめぐる断片」については、この旅行記を読んで、少しだけ立体的に読めるようになったのではないかと思っている。
補足:
アソーレス群島は大西洋のほぼ中央に位置する、9つの島からなる島々で構成している。ポルトガルに属するが、自治権を持っていて独立の気風が高い。歴史的観点から見れば、14世紀に発見されて以来、大西洋の交通の要衝として重要な群島であった。第二次世界大戦では、ポルトガルは中立国であったが、アソーレス群島は米国から欧州戦線への基地として重要な役割を担っていた。
ちなみに発見したとき、人間がいた痕跡は全くなかったと伝えられている。
最近再びアソーレス群島は、3人の男のひそひそ話の場所として、世界の注目を集めた。それは、米国・スペイン・イギリスの各首脳たちのパフォーマンスとしての会談である。短時間で終わったその会談の三日後の未明にイラク戦争が勃発している。
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